明るすぎる空


 フィンが目覚めたのは、シルベール城の兵舎のひとつであった。
 起きてみると、身体の傷はすべて塞がり、服も代えられていた。癒やしの杖を使ってもらったのだろう。
 大規模な戦いの後に癒やしの杖を使ってもらえるのは、上の身分の者か、よほどの重傷者だ。つまり自分は、後者だったのだろう。クロスナイツの集団に単騎で乗りこんでから、どれほどの傷を受けたのか。正直、ほとんど記憶がない。
 ほどなくしてキュアンが現れた。
 謝罪する前に、胸ぐらを掴まれ、三発ほど殴られた。

「一発目は勝手な行動をとった罰。二発目は他国の姫を危険にさらした罰。三発目は、――戦いを終わらせた褒章だ」

 傷が塞がっているとはいえ、体力の残っていない状態での容赦ない刑罰に、フィンは起き上がることもできなくなった。

「構わん。しばらく寝てろ」

 キュアンは青白い顔で言うと、脇の椅子にどっかりと腰を下ろした。

「……私は、本当に戦いを終わらせたのですか」
「ああ。最悪の方法で、最善の結果を得た。戦いは、確かに終わった」

 暗い眼差しで、キュアンは続けた。

「アグストリア滅亡という結末だがな」
「……!? それは、どういうことですか……!?」

 反射的に起き上がりかけ、痛みに呻く。
 キュアンは、フィンが気を失っていた間に起きた出来事を、事務的に話し始めた。

 あの後、隊列を整えてシルベール城に向かったシグルド軍を待っていたのは、シャガールの徹底抗戦であった。
 講和のために使わされた使者は惨殺され、なし崩しに両軍は衝突に至った。
 だが、クロスナイツが戦線離脱したシャガールの軍勢には、盗賊まがいの荒くれ者しか残っていなかった。整然と戦うシグルド軍に為す術なく追い詰められ、最後は城内に立てこもった。
 そして、しばらくの時間を経てから、ようやくシグルド軍へ講和の使者が出される。
 使者が持参したのは、シャガール王の首であった。

 内側から開かれた城の中で、シグルドとキュアンは目を逸らしたくなるような惨状を見た。
 地下牢に、八つ裂きにされたエルトシャンの亡骸が転がっていたのだ。
 ラケシスの説得でシルベール城に向かったエルトシャンは、シャガール王の逆鱗に触れて処刑されたのであった。

「やつはそうなることを承知で、王の説得に向かった。騎士として親友と戦って死ぬのではなく、騎士として王に戦いを諌めて処刑される道を選んだ。あいつは、頭の上から足の先までアグストリアの騎士だった……!」

 唸るようなキュアンの声に、フィンは空が落ちてくるにも似た衝撃を受けた。

「それでは、私のしたことは間違いだったのですか」
「……いや。おまえの行動がなければ、クロスナイツとの戦いが長引き、甚大な被害が出ていた。今回の戦いで、うちの軍としては、最善の結果に持ちこんだ――先ほど言ったとおりだ」
「そんな……」

 震える拳を握りこむ。あのときの、苦しみに叫ぶラケシスの姿が目蓋の裏に浮かぶ。
 はっとして、フィンは問うた。

「ラケシス様は……? ラケシス様は、どうされているのですか」

 キュアンは、力なくかぶりを振った。

「部屋にこもったきりだ」
「…………」

 呆然としていると、キュアンはさらなる凶事について教えてくれた。
 シグルドの妻ディアドラが、戦場で行方不明になったのだという。
 あれほどの混戦であったのだ。山賊にさらわれたか、どこかで傷を負って動けなくなったか。
 捜索隊が派遣されたが、いまだに彼女の姿は発見されていない。

「こんなことになるなんてな……」

 親友を失ったキュアンは、いまだかつて見たことがないほど憔悴していた。目の下が黒ずみ、唇に色はなく、瞳はどこか虚ろだ。
 そしてそれは、フィンも同じであった。
 相変わらず、窓の外からは、明るい日差しが降り注いでいる。

 正しいことをしてきたつもりなのに、空はこれほど明るいのに。

(私は、間違っていた? どうすれば良かった……?)

 夜になってようやく立ち上がれるようになっても、食欲は沸かなかった。
 自分が空っぽになってしまったような気がして、フィンは救いを求めるように城内を歩いて回った。
 彼の功績を知る他の騎士や傭兵たちは、フィンに会うと労ったり讃えたりしてくれたが、彼らの顔は一様に暗い。

 そして、今、この城で最も沈んでいるであろう少女の部屋の前で、フィンは立ち止まっていた。
 彼女の様子が、どうしても気になってしまったのだ。
 立ちはだかる大きな扉を、フィンはじっと見上げる。
 ノックをしようと、手を握って胸の前にあげた。

 だが――、その手を止める。
 会って、自分になにができるのだろう。
 あれほどまでに恋い焦がれていた兄を失ったのだ。それも、目を覆いたくなるほど残酷な方法で。
 しかも、その出来事の一端を担ったのは、フィン自身なのだ。

 あのとき、自分がラケシスをエルトシャンの元へ連れていかなければ。もっと美しい死に様になったのではないか? あるいは、シグルドやキュアンとの戦いの中で、彼を生かす道が見つかったのではないか――?

(わからない。なにが正しかった。どうすれば、あの方に笑ってもらえた……?)

 そこまで考えてから、自分がここに来た真の理由を自覚して、はっと息を呑む。

(私はラケシス様をお慰めしたいのではない。ラケシス様に縋りたいだけだ……)

 同時に、黒い嫌悪感が喉元にせりあがってくる。
 彼女の痛みに比べたら、自分の寄る辺ない気持ちなど、瑣末なことだ。
 なのに、輝くような彼女の笑顔が見たいなどという幼稚な気持ちで見舞うなど、なにを考えているのか。
 自分には、彼女を励ます言葉も、元気づける言葉も持っていないのに。

(私は、弱い人間だ)

 暗闇に落ちていく気分で、フィンは自覚した。

(こんなことでは、あの方を傷つけるだけだ……)

 泣き出したくなり、唇を噛み締める。

 もっと強くなりたかった。彼女の願いを叶えられるほどに強く。彼女を支えられるほど強く。
 誰よりも、強く。
 あの輝くような笑顔を守れる騎士に。

 ゆっくりと、手を下ろす。
 俯いたまま、フィンは扉から離れた。
 惰弱な見習い騎士でしかない自分の無力を呪いながら。

 せめて、彼女が立ち直ったときには、厩でいつものとおりに笑って迎えられるだろうか。
 そう考えたが、今の彼には、それができる自信はなかった。

 時間は、残酷に時を刻んでいく。

 彼が去った後、ラケシスの部屋の戸を叩いたのは、別の手であった。


 続きの話(ベオラケの直接表現が入りますのでご注意ください)
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