フィンの物語


 帰り道は運良く御者を雇えたため、4人は馬車の中で過ごすことになった。

 幌の外は平穏そのもので、のんびりとした田園風景が続いている。気候もよく、旅日和の午後といえた。

 サラはいまだ疲れが残っているようで、セイラムの膝を枕にして眠りこけている。
 彼女を起こさないように書き物の続きをしていたセイラムは、ちらりと対面の二人に目をつかった。

 フィンが助け出した女性がノディオン王家のラケシスであったことを知ったのは、今朝になってからだ。
 眠っているときも美貌は際立っていたが、こうして目を覚まして座っていると、その美しさは途方もなかった。ナンナにもきらめくような可憐さがあったが、ラケシスの風格はまさに大輪の花と呼ぶにふさわしい。
 正直、正面に座ることすらいたたまれない気分になるほどだ。

 彼女と、隣に座るフィンは、ともに沈黙を保っている。馬車が動き出してから、ろくに会話をしている様子がなかった。
 積もる話もあるだろうにとセイラムは思うのだが、一方で、二人の間には気まずさや不穏な気配は一切ない。

 真に心の通じ合った者の間には言葉は必要ないのだと、過去にどこかで聞いたことがある。
 つまりふたりはそんな関係なのだろうかと、セイラムはぼんやりと考える。

 彼はむろん、目の前のふたりが歩いてきた壮絶な旅路を知る由もない。
 彼らの心の内も。彼らの往こうとしている先も。彼らの瞳が見ているものも。想像することさえできない。それが普通だ。


 ただこのとき、セイラムは思いがけないものを見た。

 黙って目を伏せていたフィンの頭が、うつらうつらとゆれ始めたのだ。

 ラケシスが目覚めたのは今朝方と聞いている。きっと昨晩はほとんど眠れなかったのだろう。
 しかし、フィンのように名望も高い歴戦の騎士が、馬車の中でうたた寝をしているのは、どうも今までに抱いていた印象と異なるように思えたのだ。

 不思議に思っていると、彼の隣に座るラケシスも、船をこぐフィンに気づいたようだった。そして、その様を観察するセイラムにも。

 宝玉のような瞳と目があってしまってたじろぐセイラムに、ラケシスは、いたずらっぽく笑って人差し指を唇の前で立てた。
 そうして、フィンの頭をそっと手で支え、自らの肩にもたれさせてやる。

 そのままラケシスは、幸福そうに眼を閉じた。

 馬車の中には、相変わらずの平穏がたゆたっている。時は、ゆるやかに流れている。

 ひとり置いていかれた気分で、セイラムは瞬きをするほかない。

 しかし――なぜだろう。

 セイラムは、フィンの寝顔を見て思った。

 彼の目には、ラケシスの肩に身を預ける騎士が、まるで安心して眠りこけてしまった、16歳の少年のように見えたのだった。



 フィンの物語 おわり



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