続々・騎士様の憂鬱


 突風が吹き荒れるごとに、がたがたと鎧戸が軋み声をあげる。嵐が去るまで、まだ時間がかかりそうであった。

 粗末な木机の上では、蝋燭のまわりを羽虫が飛び交っている。だが、家の主は気にも止めず、眼前の羊皮紙に文字を刻む作業に没頭していた。
 一段落分を書き終えると、ようやく息をついてペンを置き、茶に口をつけながら書いた部分を見直す。と、気になる部分があったのか、眉間にしわをよせ、ふたたびペンをとる。

 そんな作業を繰り返していたセイラムの耳に、ノックの音が聞こえてきたのは、夜半にさしかかろうという時間帯であった。
 こんな夜更けの来客ははじめてだ。暖炉前の揺り椅子で眠りこけていたサラも、何事かと目尻をこすっている。

 ロプトや帝国の脅威は去って久しいが、いまだ彼らが住まうような辺境の地では物騒な事件も多い。魔道書を手にとったセイラムは、足音を殺して戸へと近づいていった。

 サラが眠たげに口を開いたのは、そのときだった。

「怖がることないわ。あなたも知ってるひとよ」
「えっ」

 振り向くと、サラはすでに眠りの姿勢に戻り、瞼を閉じてしまっていた。しかし、彼女の勘を全面的に信じているセイラムは、すぐさま戸の閂を引き開けた。
 闇が開けると同時に、ぶわりと生温かい風雨が吹きつけてくる。顔を手で庇いながら客を確認したセイラムは、はっとした。

「このような時間に申し訳ありません。明日の朝にお伺いすべきでしたが、野宿のできない状況でしたので」

 慇懃な挨拶をする彼を数秒ぽかんと見上げ、セイラムは慌てて足を引き、中へ促した。

「ど、どうぞ入ってください。すぐに拭くものを用意しますから」

 来客の男は会釈をして、玄関に足を踏み入れ、しとどに濡れたフードをとった。室内の灯りに、しっとりと濡れた青髪と端正な顔立ちが顕になる。
 ――解放戦争時代、トラキア軍の懐刀として名高かった騎士フィン。本人に間違いなかった。
 棚から厚手の布を取り出しながら、セイラムはついにこのときが来たのだと、慄然とした思いにかられていた。



 ことの発端は、3年前に極秘に届けられたリーフ王直筆の手紙であった。

 そもそも、解放戦争後、トラキア中部の山岳地帯にセイラムとサラが住みはじめたこと自体、知る者は多くない。さらに、サラの出自を知っているのは、リーフとナンナにフィン、アウグストだけであり、それぞれ墓まで持っていくと誓っている。
 それだけサラは危険な存在であった。彼女が静かに暮らせるのは、自ら血統故に追われる立場を経験したリーフの、慈悲の賜物以外のなにでもなかった。

 そんな彼女の目付役となったセイラムは、彼女の他に、もうひとつ、大切なものをリーフから預かっている。
 ロプトの呪いによって石化したものを元の姿に戻す、聖杖キアである。

 リーフの手紙には、石化された人々を発見した際には、隠密に使者を遣わし助けを乞うことになるであろうと書いてあった。
 しかし、実際に現れた使者そのひとについては、セイラムの予想の範疇をはるかに越えていた。



「フィン殿が王宮から姿を消したという話は、噂に聞いていました。――こんな大義のために旅に出ていたのですね」

 事情を知っている分、セイラムたちの行動は早かった。翌日になるとすぐに街に降りて馬車を手配し、イザーク方面へと向かうことになった。

 久しぶりの外界に連れ出されたサラは、猫のように眠たげに目を細め、幌の合間から外の景色を眺めている。
 セイラムの対面に腰掛けたフィンの様子は、3年前の戦争から――否。出会ったときから、時を止めてしまったかのように変わらなかった。騎士らしい物腰で、視線を床に落としたまま答える。

「……いいえ。私は大義など背負っていません。この旅は、個人的な理由ではじめたものです」
「そうなのですか?」

 セイラムは内心で首をひねる。一番の忠臣であったフィンがリーフの即位後に姿を消したとき、王宮では様々な憶測が飛び交ったと聞いていた。中にはリーフとの不仲や隠れた不正を疑うような下卑た噂もあったそうだ。
 その真実がロプトの地下神殿の極秘調査のためだとすれば、話の辻褄があう。サラの存在を伏せる以上、大規模な調査団の派遣などできようもないからだ。
 ところが、そんなセイラムの想像を、フィンは自ら否定してみせたのだった。

 疑問を宙に浮かせたまま、しばしの沈黙が落ちる。セイラムより一回りも年上の騎士の瞳は、自嘲にゆがんでいるように見えた。

「私は……亡きキュアン王子から戴いた主命を果たし、そうして、生きる理由も、目的も失いました。そんな私の有り様を慮ったリーフ様は、私に外を見てくるようにおっしゃったのです」

 次第に、とつとつと騎士は語りだした。

「はじめは、なにをするわけでもなく大陸を渡り歩いていました。やっていたことは、浮浪者と大して変わりありません」
「――そんなことは」
「虚しい旅であると、自分でも気づいていました。各地を渡り歩いたところで、見つかるものなど、なにもありません。その事実に耐えかねて――私は、過去の知り合いを探しに行ったのです。ロプトの僧兵に囚われ、石となったその方を」
「お知り合いを? ――それは良かったではないですか。呪いをとけば、久しぶりの再会になるのでしょう?」

 問うと、フィンの表情は暗く沈んだ。セイラムはさらに首をかしげる。知古を見つけて、なぜこうも憂いた顔をしているのだろう。

「本来、その方をお迎えに行くべきは、私ではないのです。ですから、リーフ様に別の方を遣わされるようお願いをしたのですが……お許しをいただけませんでした」

 そこまで言われて、セイラムは「ああ」を声を漏らした。街で馬車を借りたとき、フィンは一通の手紙を受け取っていた。眉間にしわを寄せて読んでいたそれは、きっとリーフからの書簡だったのだろう。

「そこまで会いたくない方なのですか?」
「私よりもふさわしい方がいらっしゃいますから」
「わからないわ」

 不意に、鈴のような声が転がった。見ると、それまで外の景色を眺めていたサラが、大きな瞳でフィンを振り仰いでいた。

「あなたは騎士で、国のために戦った。戦争が終わって、することがなくなったから、知ってる人を探しに行った。なのにどうして、いまさら会いたくないなんて言うの?」

 フィンはやや面食らった様子であったが、静かな口調で答えた。

「ですから、私よりもふさわしい方が」
「あなたはだれよりもそのひとに会いたがっているわ」
「!」

 頬杖をついたサラは、つと目を細めた。

「心だけ、時が止まってる。ずっと前から。ちぐはぐで、いびつだわ。もうあなたはどこにでも行けるのに」
「さ、サラ様、あまり失礼なことを言ってはいけません。この方はリーフ王の臣下なのですよ」
「知らないわ、そんなこと」

 興味をなくしたように、サラはぷいと顔を背けた。相変わらずの傍若無人ぶりに、名望高き騎士の機嫌を損ねるのではないかとセイラムは気が気ではない。

「すみません。あとで言ってきかせるので」
「――いえ、構いません」

 変わらぬ物腰で返したフィンを見て、セイラムはつと瞬きをした。
 フィンは、膝に目を落として黙りこんでいる。
 茫洋とした彼の面持ちは、確かに、心をどこかに落としてきてしまったように見えたのだ。



 実際にフィンは、自らの心の在り処を見失っていた。
 ――否。心など、とっくの昔に捨てたと思っていた。

 座席の隣には、かつての主君から下賜された槍が立てかけてある。
 古びた槍だ。握りの布の部分を何度も取り替え、刃も幾度となく研ぎ直してきた。主君が少年時代に使っていたものだと聞いているが、自分にとっては人生のほとんどを共にしてきたといっていい。

 いたるところに傷がつき、色褪せ、部品を取り替えながら、それでも刃として戦い続けた武具。
 それは、フィン自身の有り様を表しているに等しい。

 この槍を受け取ったときに、夜空の元で主君に誓った。
 誰の前に立っても恥じるところのない騎士として生きると。痛くても。苦しくても。そして、その選択が正しいのだと信じようとした。
 なのにいまさら自らの心のままに生きてしまっては、あのとき、主君の前で誓ったことを、自ら否定するも同然だ。

 このまま朽ちてしまいたい。焦がれた人々を想いながら、闇の中で溶けて消えてしまいたい。いま倒れても、きっとだれも自分を責めはしないだろうから。
 数多の手が甘やかに囁きながら、フィンの腕を引こうとする。

 しかし、別の方向から、いくつもの燐光が閉じかかったフィンの瞼を開けようとする。

 無様を晒しても、それでも生きろ、と。
 だから、ぎりぎりのところで、フィンはいまだに地をさまよっている。



 ロプトの脅威の去ったイード砂漠では、以前栄えていたいくつものオアシスの街が復興の最中にあった。グランベル、イザーク、トラキア。それぞれの物産を交易する行商の隊列が行き交い、合間に子供たちの笑い声が戻るようになっている。
 そんなオアシスの街の一角の宿は、例に漏れず商人や旅人などで賑わっていた。

 フィンたちが階下の食堂でイザーク風の料理を腹に収め、食後の茶をすすっていると、飛び入りの吟遊詩人が竪琴を手にサーガを歌い始めた。前口上を聞くに、このような場ではお決まりの、解放戦争の歌のようだ。

「ふうん。なら、わたしも出てくるかしら?」
「あなたが出てきたら一大事ですよ」

 セイラムの返事にサラは不満そうな顔をしたものの、やはり気になるのか、歌がよく聞こえる席のほうに移動していった。セイラムは、羊皮紙の束を出して書き物をはじめる。
 手持ち無沙汰になったフィンがなんとなしに茶を飲んでいると、そのとき、吟遊詩人が声を張り上げた。

「さあさあ、続きまして歌いまするは遥か東方レンスターの忠義の象徴、伝説の槍騎士フィンの物語!」

 ――フィンは、思いきりむせた。

 無論、期待の拍手と歓声が巻き起こる食堂の片隅で呼吸困難になる騎士など、気に留める者はいない。物悲しいメロディに乗せて、一切の容赦なくフィンの経歴がレンスター王家の悲劇に重ねて語られていく。
 意図せずこめかみが動くのを感じながら顔をあげると、セイラムの哀れみの眼差しとぶつかった。

「まあ、英雄になるというのは、こういうことでしょう」
「……」

 年下の若者に慰められてしまい、この場から逃げたい気持ちでいっぱいになっていると、更に吟遊詩人は恐ろしいことを口走った。

「さらにさらに! みなさまご存知でしょうか、槍騎士フィンと異国の王女ラケシスの美しくも悲しい恋物語!」
「いよう、待ってました!」

 後頭部に弩級が突き刺さると、きっとこんな思いをするのだろう。愕然とするフィンをよそに、ふたりの出逢いの物語が語られていく。遠征中に出会い、互いに愛しあうも身分の差から引き裂かれるという、9割方事実無根の作り話が。
 しかも恐ろしいことに、虚構であるにも関わらず、巧みな吟遊詩人の語り口に人々は聞き入り、感じ入り、何人かは涙まで流し始める。最前列で聞いていた中年の男が、むせび泣き、机を叩きながら叫んだ。

「ああっ、なんて話だ! オレもこんな恋愛がしてみたかったぜ!」

 できるものならやってみろ、と怨嗟のようにフィンは内心でつぶやくが、もちろん酒に滂沱たる涙を落とす親父には届くはずもない。
 それから語られ続けるフィンの物語は、真実に大仰な尾びれと背びれ、ついでに真珠色の角と虹色の羽根をつけて天に向けて羽ばたかせたような代物であった。だというのに、一節が終わるごとに盛大な拍手が巻き起こってくれる。

 拷問めいた時間を唇を引き結んで耐えしのいでいると、セイラムが気を遣って茶を注いでくれた。

「高名な方々はみな、こんな調子で語られていますよ。大衆は、華やかな話を好みますから」
「……わかってはいたつもりなのですが」

 髪に指を差しこみつつ、フィンはうなるように声を押し出した。

「私は、だれかの後ろでしか生きることのできなかった人間です。このように作られた美談を流布されるのは、少々……」

 そのとき、セイラムの目がわずかに緩んだ。視線があったことに気づいたセイラムは、「失礼しました」と目礼してから続けた。

「あなたは、ご自分をひどく卑下なさるんですね。昼間も、お知り合いに会いに行くのに、もっとふさわしい方がいると仰ったりして」

 胸を押された感触だった。フィンは目を眇める。

「……事実ですから」
「あなたのような方と比較するのもおこがましいのですが……私には、こうして生きていることにすら、引け目を感じていたころがありました」

 かつてロプト教の徒であったセイラムは、感慨に沈みこむように瞼を伏せた。

「ロプトの手から逃げ出した私は、友人の助けを得て生き永らえました。しかし当時の私は、自分など死ぬべきだと思っていた。なぜロプトなどに与した自分が助かるのだろう。こんな罪深い私よりも生きるべき、立派で素晴らしい人がいたのではないかと」

 詩人が情感たっぷりに語るサーガの影で、セイラムの物語は淡々とテーブルの上に落ちていった。フィンにしか聞こえない、生身の人間の、不合理なつぶやきだった。

「生き永らえた者は、罪も恥も胸のうちに抱え、痛い思いをしながら過ごすしかない。いつか解放されるその時を、焦がれるように待ちながら」

 ランプの灯に瞳の色を揺らしながらセイラムは言うと、つとこちらに視線を合わせてきた。

「あなたが探しだしたお知り合いは、もしかして、あなたにとって大事な方なのではないですか」
「…………」

 答えられずにいると、セイラムは新しい羊皮紙を数枚取り、フィンに差し出してきた。
 意図がつかめずに無言で疑問を返すと、淡く微笑まれる。

「差し出がましいことを言いますが……、よかったら、手紙を書いてはどうでしょう」
「手紙?」

 差し出されたままにしておくのも気が引けて、フィンは問いながら羊皮紙を受け取った。セイラムは、自らの書きかけの羊皮紙に目を落とす。

「私はいま、過去にロプト教団で見たこと、聞いたことを書き出しています。いつかは書物にまとめて、王に献上するつもりですが……私はこの作業を、決して正義感や使命感からはじめたわけではないのです」

 自嘲の他に、なにか別のふしぎな感情をこめて、セイラムは続けた。

「淀んだ心のうちから言葉を拾い出して文字として刻む。そうすることで、自分にとっての真実が見えてくるように思えるのです。罪の意識や、どうにもならない過去の先にある、本来の心が」

 フィンは、新品の羊皮紙に目を向けた。無論、これまでの人生で、個人的な手紙など書いたためしがない。
 するとフィンの表情から察してくれたのか、セイラムは助言をしてくれた。

「難しいことを書く必要はないと思います。その方に伝えたいことを考えて書けばいいのですから。――それに、受け取った相手は、どんな内容でも、きっとうれしいと思いますよ」
「…………はい」

 答えながらも眉を潜めていると、しばらくしてサラが戻ってきた。「わたしが出てこなくて、つまらない」と唇を尖らせる彼女をセイラムがなだめながら、宿の階上へと引き上げる。
 彼らの後に続くフィンの手の中には、なにも書かれていない羊皮紙が、ランプのオレンジに照らされながら、不安そうに揺れていた。


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