地槍もつ竜騎士 「敵将のドラゴンナイトが、地槍ゲイボルグを持っていた……? それは本当なのか、フィン」 弛緩しかけていた空気は、フィンがもたらした報によって、にわかに緊張を取り戻しつつあった。 リーフは、将の部屋だからといって大量の燭台で煌々と照らすような趣味を持ちあわせていない。互いの表情がようやくわかる程度の薄暗さの中で、フィンの表情は深い憂慮を湛えて沈んでいた。 「はい。槍の形状はもとより、持ち主の身体は夜闇を割くノヴァの聖光に包まれていました。まるで――かつての、キュアン様のように」 最後のほうはつぶやくような声だった。その裏に秘められた感情までは伺えないが――。 止まりかけた呼吸を意識して戻しながら、リーフは拳を固く握りこんだ。 「トラキアにゲイボルグがあるのは、当然だ。でも、あの槍を使える人間は限られている。トラキアは、レンスター王家ゆかりの者を隠していたということだろうか」 「……私にひとつだけ、見解があります」 「話してみてくれ。どんなことでも構わない」 平静を装いながらも、リーフの思考の先端はちりちりと燃えはじめていた。自分以外に存在する、ゲイボルグの使い手。突如として現れた聖戦士は、自分以上にトラキア半島の王として相応しい人間であることに他ならない。 むろん、短絡的な嫉妬に身を委ねて相手を憎むほど、リーフは狭量ではない。しかし、足元がばらばらに砕け散る感覚は、現実のものとして、リーフの背筋を這い上っていた。 フィンの口ぶりは、相変わらず淡々としていた。 「アルテナ様が、生きておいでだったのです」 ぴくり、と自身の肩が動くのをリーフは自覚した。ターラ公爵から、王たる者は動揺を悟られてはならないと、そのような反応をきつく戒められていたにも関わらず。 「アルテナ――姉上のことか? だが、姉上は父上たちとともに――」 「はい。イード砂漠で、キュアン様、エスリン様とともに亡くなられたと考えられていました。しかし、あのとき、アルテナ様の亡骸だけは見つらなかったのです」 リーフの脳裏に、絵画の中からこちらを見つめる幼い子供の姿が過ぎった。ようやく物心がつく年頃の、いとけない少女。嫌な予感が、その純真な瞳の色を汚しながら、ふつふつと沸きあがってくる。 「トラキア軍がゲイボルグを奪ったのは、ただレンスター王家の名誉を辱めるためだと思われていました。ですが、――こう考えれば筋が通ります。トラバント王は、ノヴァの聖痕をもつアルテナ様をゲイボルグとともに連れ去り、トラキア人として育てたのです」 「そんな。ゲイボルグはレンスターの象徴だぞ。いくら姉上が子供だからって、騙されるとは思えない」 「いくらでもやりようはあったでしょう。虚構を正すべきレンスターは、時を経ずして滅びていたのですから」 フィンの言い方があまりに事務的であったことに、普段のリーフなら気づいたろう。だが、このときはリーフも余裕を失っていた。 倒すべき敵軍にこそ、正当なレンスターの後継者が存在する。そう考えるだけで、心に焼けた石を当てられた気分になり、前髪をぐしゃりと掴む。 「……つまり、姉上は、トラバントに騙され、利用されていると言いたいんだな」 「はい。仰るとおりです」 「リーフさま……」 おずおずとナンナが進み出てくる。気遣わしげな視線と続く言葉を遮るようにして、リーフはかぶりを振った。 「わかってる。もしそれが本当に姉上なら、僕には姉上を助ける義務がある。真実を伝え、トラキア王国から姉上を取り戻そう」 綺麗事を、歯列の間から、吐き気とともに押し出す。 リーフはそんな自らの浅ましさを心から嫌悪した。だが、嫌悪したからといって捨てられる感情ではない。 勇壮に輝く武具をもつ、聖戦士の末裔たち。傍系に過ぎない自分が持てなかったものを手にした者たち。 唯一の肉親である姉に再会できたとして、笑顔で迎え入れることができるか――正直なところ、自信がない。 フィンはどのような思いを巡らせているのか、「はい」と短く答えると、それ以上の言葉を控え、静かに部屋を辞していった。 同じ時刻。リーフ同様に苦悩を巡らせる娘の姿が、山間の葉陰にあった。 「こんなことは、間違っている。どうして父上はこうも戦を求める……!?」 美しい茶色の長髪が、金細工の入った真紅の甲冑の腰の下まで流れている。その手に持つ長槍もまた、見るものを畏怖させる美しさと鋭敏さを兼ね備えている。 しかしそれらは、いまや生気を失って、彼女とともに項垂れているようにすら見えた。 茶髪の合間から、懊悩に歪んだ紅玉の瞳が覗く。形の良い眉を寄せ、トラキア王国の王女アルテナは、ひとり樹の幹に手をかけ、自問していた。 (マンスターの民が帝国の圧政から解放されたなら、もう充分ではないか。解放軍のセリス公は人格者だときく。彼と和平を結び、南北トラキアの調停に持ちこめば、余計な血が流れずに済むはずなのに……!) 父からアルテナに与えられた命は、苛烈極まりなかった。セリス公子が合流する前にマンスターを叩き、これを征服すること。ただの偵察だと思っていた矢先に、アルテナははじめて父の思惑を部下のコルータから伝えられたのだった。 まず、はじめから本来の任務を知らされていなかった事実が、アルテナの矜持を大きく傷つけた。自分はまだ、父の信頼を獲得するにいたっていないのだ。 ただ、そのこと自体はすぐに呑みこめた。兄のように経験豊富でない自分は、これから戦場で役に立つことで、武人として信用を勝ち取っていかなければならない身なのだ。 だが――そうだとしても、この命令は承服しかねた。やはり、父王は無用の争いを起こしたがっているとしか思えなかった。 (私は……甘いのだろうか) 唇を噛み締めながら、アルテナは父を強く想った。 トラバントはトラキアの民を愛する良き王である。貧しい土地に生きる民のために国をあげて傭兵制度を作りあげ、精力的に国力の増加を図った。かと思えば、王自ら山賊の討伐に赴き、農村の人々の暮らしさえ気を配った。民に感謝され、畏敬を浴びる父を見るたびに、アルテナは誇らしさで胸が一杯になったものだった。 だが、ドラゴンナイトとしての訓練を積んで実戦に出ることで、アルテナは気づいてしまった。 父が惜しみない愛情を向ける先は、トラキアの国土と民だけなのだと。 父にとって国外の人間は家畜も同然であり、それどころか、憎みさえしていると。 それが戦乱の世では当然なのだと、兄などは語ったものだった。しかしアルテナは素直にうなずくことができなかった。突然、父が、そしてトラキア王国自体が、得体のしれない化物になったように感じられた。 肌を這いずる恐怖と嫌悪に、アルテナは両腕を抱きしめる。父の命令へのアルテナの反対に、コルータは耳を貸す様子がない。夜が明ければ、彼らはマンスターへの奇襲を開始するだろう。その戦いに、市民が巻きこまれないはずがない。 ドン、とアルテナは拳を木に叩きつけた。 ――駄目だ。やはり、そんなことは許されて良いはずがない。 痛みにうずく拳に額をつけてかぶりを振り、アルテナは決意した。 いますぐトラキア城に戻り、父を説得するのだ。解放軍とは、講和を望むべきだと。 振り返った先、月明かりに照らされた空の向こうに、トラキアの峻厳な山脈が見えている。 これまでは母なる故郷であると信じて疑わなかった地。しかし――そこに妙な胸の痺れを覚えて、アルテナは頬をゆがめた。 続きの話 戻る |