彼女の目線 レンスターの旗をあげたリーフたちはターラを守りきれず脱出する結果に終わったが、善戦ぶりが人づてに伝わり、結果的に多くの民衆の支持を得ることになった。半島内での知名度が一気にあがり、志願兵が増え、彼らは『解放軍』と呼ぶにふさわしい一団となっていった。 「ねえ。あなたは、フィンのことをどう思う?」 立ち寄った山間の小さな村でのことである。ちょうど盗賊に襲われていたところを助けたこともあり、解放軍は村で一晩の歓待を受けることになっていた。 セルフィナの問いに、弓の手入れをしていたロベルトは嬉しそうに答えた。 「フィン様ですか? それはもう、お強くて、格好良くて、冷静沈着で、ああもレンスターに尽くされていて……。ぼくもいつか、あんな騎士になりたいと思います」 「…………そう」 「あっ、あっ、も、もちろんグレイド様も、素晴らしい騎士様だと思ってます! ぼくの憧れです!」 「いやだ、違うのよ。そんなに気を遣わないで」 苦笑とともに手を振って、セルフィナは会話を打ち切った。テーブルに両肘をついて顎を手に乗せ、視線を窓の外に向ける。 (男の人は、みんな同じね。名誉や忠義、力に憧れて……知らぬ間に、人の気持ちを置き去りにしていってしまうんだわ) 指の合間にため息を落とす。胸にわだかまるこの気持ちをわかってくれる人は、多くない。夫に相談したときだって、軽く流されてしまった。男に話すだけ無駄だったのだ、とセルフィナは重い諦観を胸に落とす。 それとも、自分がこだわりすぎているだけなのだろうか。悲願のレンスター奪還へと邁進する解放軍の中で、過去にばかり囚われている自分の弱さこそが、なじられるべきなのか。 そうなのかもしれない。しかし。たとえそうだとしても、セルフィナは自らの想いを捨てることはできなかった。あの金髪の美しい女性の想いを、自分が忘れてしまったら、他のだれが覚えているというのか。 「――ナさん。……あのう、セルフィナさん?」 「えっ」 思考に沈んでいたセルフィナは、顔をあげて、はっとした。光を吸いこんで輝く金髪に、精巧な人形のような面立ち。あの女性が帰ってきたのかと一時錯覚して、――それが彼女とそっくりな娘であることに気づく。 「あら……ナンナ。ごめんなさい。ぼうっとしていて」 「いいえ。お茶を淹れたので、よかったらいかがですか?」 そう言って、ナンナは盆に乗せた素焼きのカップを見せてきた。ロベルトなどは、すでにありがたそうに啜っている。 セルフィナは慌てて立ち上がった。 「いけないわ。ノディオンの王家のお方がこんなこと。代わりに私が配るから、座っていてちょうだい」 盆ごと受け取ろうとすると、ナンナはキョトンとしてから笑って首を横に振った。 「大丈夫です。慣れてますから」 「慣れたらいけません。高貴な方には高貴な方の振る舞いというものがあるのよ」 「そんなこと言っても、ノディオンはわたしが生まれる前に滅んじゃいましたし。いまのわたしは、ただの人ですよ」 目眩のするようなことを、あっけらかんと言ってくれる。 だれがこんなふうに育てたのか。決まっている。あの男だ。 「ああ、もう……!」 頭を抱えるセルフィナを、ナンナは不思議そうに見やりながら「ちょっと待っててください」と言って踵を返した。てきぱきと茶を配り、一旦奥に入ってから、再び戻ってくる。 「あの。よかったら、飲んでみてください」 差し出された茶から香るかすかな匂いに、セルフィナはぴくりと眉をあげてナンナを見返した。さっとナンナは口元に人差し指を当てて、いたずらっぽく笑う。 「みんなには、内緒です。リノアン様から、すこしだけもらったので」 「…………」 セルフィナは微妙な気分になりながら、礼を言って紅茶を飲んだ。貴重な蜂蜜が入っていて、ほんのりと甘い。 甘いものを最後に食べたのは、いつだったか。久々に味わう甘味が頭まで染み渡る感覚に、セルフィナは思わず息をついた。 視線をあげると、対面に座ったナンナが気遣わしげにこちらを見つめていた。 「どうですか? 元気がでればいいのですが」 「……ええ。ありがとう」 伺うような上目遣いの眼差しを、あの人はしなかったように思う。自ら茶を振る舞うことだって。そう。あの人は、いつ見ても眩しいほどに誇り高い姫騎士だった。泰然としていて、決してうつむくことがない。憧れの女性だった。 あの人をバラの花束と表現するなら、ナンナは野山に咲く一輪のユリだろうか。どれほど似ていても、あの人とは違う。優しさの使い方でさえ。 そうやって過去の人との違いを探そうとしている自分に気づいて、セルフィナの心はまた沈む。自分はただ、現実を許容したくないだけなのだ。 「ねえ、ナンナ。あなたは、この戦いが終わったらどうするの?」 ナンナはひとつ瞬きをして、首をかしげてみせる。 「お母さまを探しにいくつもりです。イザークにいるお兄さまにも会ってみたいですし」 「……あなたは、本当にフィンを恨んでいないのね」 「恨む……ですか?」 「あの方を無茶な一人旅に送り出したのは、あのひとなのよ」 自然と責めるような口調になってしまう。自己嫌悪の情念が喉の奥から上ってくるが、それでも言葉を止められなかった。 ナンナはそんなセルフィナの想いを察したように眉を下げ、そして、悲しげに微笑んだ。 「……お父さまとお母さまの間のことは、ふたりにしかわかりませんから」 思いがけぬ大人びた答えだった。返す言葉を見失っていると、ナンナはでも、と続けた。 「でも、わたしの気持ちだって、お父さまやお母さまに変えられるものじゃありません。わたしは、お母さまに会いたいです。それで、お父さまと幸せになってくれたらいいと思ってます」 はっきりと輪郭の浮いた、清廉とした意思。 セルフィナは、つと気づく。いまだ幼く、女性らしい丸みをようやく帯び始めたかという年齢の少女だというのに、ナンナは過酷な行軍の合間に辛そうな顔を一切見せず、甲斐甲斐しく立ち振る舞っている。それはあの人とは違う色をした、けれどあの人と同じ気丈さの現れではないかと。 なによりも、ナンナは顔をあげて、前に進もうとしている。 「ただ、わたし、セルフィナさんの気持ちも、なんとなくわかる気がします。だから――」 言いながら頬杖をつき、ナンナは不意にしたり顔で顎をひいた。 「たまには、お父さまのこと、叱ってあげてください。口で言わないと、お父さまは本当になにもわかってくださらないから」 「…………」 数秒、互いに見つめ合うと、セルフィナは思わず笑ってしまった。 「いやだわ。あなたもそう思ってたの?」 「当然ですよ。お父さまには察するということができないんです。ちょっとくらい、わかってくれたっていいのに」 「無理ね。昔からそうだったもの。その割に同性からは評判がいいから、困るのよね」 「それは仕方ありません。男の人って、単純ですから」 虫も殺さぬ顔をして、中々さっぱりしたことを言う。やはりあの人とは違う。 けれどセルフィナは、目線を合わせて語ろうとするナンナの気質にこのときはじめて好感をもった。話しているうちに、相手の警戒を解き、気分をほぐしてしまう。そんな魅力が、ナンナにはある。 「……そうね。それじゃ、これからは口うるさい小言魔になろうかしら」 「はい。お父さまには、いい薬だと思います」 ふたり、顔を見合わせて、ふふっと笑みをかわす。 そのとき、ぐったりした様子のリーフが外から入ってきた。 「ナンナ、水。水、くれる……?」 「リーフさま」 目を丸くしたナンナが、すぐさま奥に水をとりに走る。リーフは壁に片手をつき、気分が悪そうにしている。訓練でもしてきたのだろうか。それにしては妙だ。汗をかいている様子もない。 「リーフ様。どうされたのですか」 「うん……ちょっとね」 ナンナが持ってきた水を一気にあおると、リーフは一度だけ礼を言って、ふらふらと出ていった。 「わたし、行ってきます」 そう言うなり、ナンナはすぐさまリーフに駆け寄っていった。 見習わなければならない行動力だ。セルフィナは感心すると同時に、自分の頬を軽く叩いた。悩みを無理に解決する必要はない。感情を無理に押しこめる必要はない。自分の思うままに動いていたほうが、自分らしいではないか。 「私が年上なんだから。しっかりしなきゃ」 ひとりごちると、セルフィナは机に向かって弓の手入れをしているロベルトに目を向けた。弦の張り方が、まだ甘い。 まずはじめの小言を言う相手を見定めたセルフィナは、足取り軽く彼に近寄っていった。 続きの話 戻る |