続・騎士殿のお稽古


 カリオン、アルバ、ケインの3人は槍を手に、ロベルトは弓を番えながら、次々とフィンに襲いかかってくる。

 ――どうやってでもいいから、自分に槍か矢を当ててみせろ。

 フィンの訓練内容は至極単純であったが、いまや4人は湯気が出るほどに汗をかき、呼吸を乱していた。何度も返り討ちにあって落馬させられているのだ。それでも諦めずに向かってくるのだから、根性だけはあるといえる。

 ――と、なにか考えがあるのか、カリオンがほかの3人に耳打ちをしだした。4人の中で、彼がもっとも筋がよさそうだと、フィンは感じている。槍さばきもさることながら、頭の回転が早い。自分を倒す方法でも見つけたのだろうか。

「フィン様、もう一度お願いします」

 フィンは肯んじると、槍を構えた。4人の馬が離れていき、定位置についてから動き出す。
 まずはじめに突撃してきたのは、カリオンとケインの二人だった。カリオンがうまく呼吸をあわせ、左右から同じタイミングで仕掛けてくる。突き出される槍。ただし、若干ケインの持ち手が甘い。

「――っ!?」

 ケインの槍を、自身の槍の柄に絡めて、払い落とす。同時にカリオンの槍を背中すれすれで避けつつ、刺突。刃の潰れた訓練用の槍で鎧を穿たれ、カリオンは落馬した。続いてアルバ。間断なく正面きっての戦いを挑んでくる。大振りすぎる動き。普通なら馬の操作で回避するところだが、両脇にカリオンとケインの馬がいて叶わない。仕方なく身体を捻って槍の刃を避け、アルバの胴を石突で打って地面に落とす。

 途端、慣れた悪寒が背筋に走った。
 後ろ。判断したときには、身体が動いていた。槍を斜め後方に振りぬき、飛んできた矢を跳ね上げた。

「な――!?」

 これには、近くにいた3人が全員驚きの声をあげた。アルバなどは、恋をしたように頬に血を上らせ、口を開け閉めしている。
 ロベルトも、位置を固定されたフィンに会心の一撃を放ったつもりだったのだろう。ただ、当たらなかったことよりも、目の前で起きたことが信じられない様子で呆然としている。

「策は悪くない……と言いたいところだが、あまり良くもない。ひとりを仕留めるのに3人の犠牲では、割に合わない。ただ、息を合わせて二人がかりで攻めるのは良かった。あとは――」

 個々の気になる点をあげていこうとすると、アルバが立ち上がりながら絶叫した。

「なっ……なんなんですか、その格好いい技はーーーーっ!!?」
「?」

 あまりの形相に、フィンは目を瞬いた。

「技……? 矢落としのことか」
「落とした……本当に矢を落とした……しかも見ずに落としましたよね!?」

 カリオンまでもが、興奮を顕に詰め寄ってくる。ケインは化物を見たように顔色を悪くしていた。

「ありえない……やはり戦神と呼ばれるだけあり……きっと頭の後ろに第三の目が……」
「教えてください、その技!! 絶対に体得してみせます!」
「わ、私にもぜひ! ぜひお願いします、フィン様!」
「フィン様! どうしてぼくの矢をああも簡単に落とせるんですか!? ぼくの撃ち方が悪いんですか!?」

 四方八方から攻め寄せる見習い騎士たちに言葉を失いかけていると、山荘のほうから馬を駆る音が聞こえてきた。
 振り向いたフィンは、今度こそ言葉を失った。

「フィン!」

 リーフであった。その手に練習用の槍を持ち、力強く馬を走らせながら向かってくる。
 そのまますぐそばで馬を止め、大きな瞳でキッとこちらを見上げる。
 そして、燦然と告げられた。

「僕に槍を教えてくれ!」
「――――」

 唖然としていると、リーフは少しだけばつが悪そうに笑ってみせた。

「だめかな?」
「…………いえ、そのような」

 フィンは言葉を濁すしかない。それまで、斧や弓を持つことはあっても、槍だけは断固として持たなかったのだ。一体、どういう心変わりがあったのだろう。
 現実を受け止めることができないまま、ただリーフを見返すフィンである。
 すると、あまり事情を深く知らないアルバが、顔を明るくさせた。

「王子もやるんですか!? 一緒に訓練できるなんて光栄です!」
「アルバ、駄目だ。リーフ様がいらっしゃるなら、私どもは遠慮しないと……」
「ううん、いいよカリオン。むしろ、槍は全然やってこなかったから、みんなに教えてほしいんだ。ロベルトも、こんど弓を教えてよ」
「は――はいっ!」

 もともとの性格が快活なリーフは人と打ち解けるのが早い。あっという間に見習い騎士たちの輪に入ったリーフは、フィンを見上げた。冗談や嘘の様子は一切なく、ただまっすぐに。

「よろしく頼む、フィン」
「――は」

 いま自分は、いったいどんな顔をしているのだろう。
 ただ、それを見たリーフが嬉しそうに笑う様だけは、網膜に鮮烈に焼きついた。
 フィンは軽く会釈をしてから、リーフを交え、ふたたび稽古を再開した。



 日がやや傾くころになると、流石にフィン以外が全員へばった。槍を持つ手にすら力が入らない様子で、荒い息をついている。

「今日はこの辺りで終わりにします。これ以上は、身体を痛めますので」
「そう言うフィンは、顔色ひとつ変えないんだもんなぁ……」

 滴る汗を拭いながら、リーフが唇を尖らせる。フィンは小さくかぶりを振って答えた。

「私もリーフ様の歳のころには、キュアン様にずいぶんとご教示をいただいたものですが――私が立てなくなっている一方、キュアン様は平然としておられました」
「へえ……じゃあ、僕が大人になるころにはフィンみたいになれるかな」
「無駄な動きが減る分、体力の消耗は防げるかと思います」

 山荘へと馬を進めながらの会話は、夢にまでみたものだった。ようやく現実感が湧いてきたフィンであったが、リーフに槍をとった理由を問うことはできなかった。息が詰まる思いは、いまはしたくない。どんな理由であれ、リーフが槍を受け入れたのなら、それだけでよかった。

「フィン様、馬の世話は私どもがやっておきますので」

 馬から降りると、カリオンがそつなく進み出て、引き紐をとる。レンスターの騎士団では、馬の手入れは見習い騎士の大切な仕事だ。フィンはうなずいて、馬を任せることにした。
 ところが、リーフは馬から降りると、自ら引き紐を取った。怪訝そうな顔をするカリオンは、続くリーフの言葉にぎょっとした。

「僕も自分の馬くらいは世話をするよ」
「えっ――い、いけません! 王子ともあろう方が、そのような――」
「いいって。それに、馬のことも知っておきたいし。それとも僕が一緒じゃ嫌かな?」
「そっ、そんなことはありませんが……」

 カリオンは、フィンに助けを乞う視線を送ってきた。確かにフィンが諌めれば、リーフは諦めるかもしれない。
 しかし、フィンは言っていた。

「構わない、カリオン。リーフ様のおっしゃるとおりにしてくれ」
「ええっ……?」

 弱りきった顔をするカリオンを置いて、フィンはリーフの名を呼んだ。

「私が見習い騎士であったころに、手ずから自分の馬を世話なさる王族の方とお会いしたことがあります」

 自身でも、その話を口にできたことに驚いていた。
 リーフは屈託なく目を輝かせ、うなずきで続きをせがむ。フィンは続けた。

「周りには反対されていたようですが――毎日欠かさずに世話をしたためでしょう。その方と馬は、固い絆で結ばれていました。その方は長く険しい旅をすることになりましたが、馬は、命を賭して最後まで主を守り続けました」
「…………」

 リーフはもちろん、カリオンまでもが、話に感じ入ったように手を止めて耳を傾けている。

「そして、その御方も。あらゆる武器や魔法を使いこなす、素晴らしい騎士になられたのです」

 ぴくりと、リーフが反応して小さく口を開いた。勘の良い少年である。フィンが語る人物について、想像がついたのだろう。
 リーフはじっとフィンを見上げ、そして眉を下げた。

「……そうか。話してくれて、ありがとう」

 淡い笑みだけを残すと、リーフはカリオンに向き直った。

「じゃあ、いいかな。カリオン」
「――はい。リーフ様も、その御方のようになれるといいですね」
「うん――アルバ、ケイン、ロベルトも! へばってると、置いていっちゃうぞ!」
「ちょっ、待ってくださいよ王子! あいてててっ!」
「……身体が痛い……どこがどう痛いのかわからないくらい……身体が痛い……」
「ううっ、地面がぐにゃぐにゃしてますー……」

 笑いながら馬を引いていくリーフとカリオン、できの悪い操り人形のような動きでついていく残りの見習い騎士たち。それでも誰一人帰ろうなどと言うものはいない。どれほど疲れていても、朝と夕に馬の世話をする。それが見習い騎士の務めなのだ。
 だからこそ、フィンはあの少女に出会うことができた。

 目を伏せて身体の向きを代え、山荘のほうに歩いていく。
 彼らはリーフと、厩でどんな話をするのだろう。明るい彼らのことだから、リーフ相手でもきっと自分のようにうろたえたりはしないだろう。
 それでも、きっと。あのときと同じ、穏やかで優しく時間が流れるのだろうと、フィンは考えた。
 自分にはもう帰ってこない、尊い日々。けれども――。

 次の進軍先は、ターラだ。最後に彼女と別れた場所である。あれからもう、何年が経ったのだろう。
 ――どうか、手がかりだけでも残っているように、と。
 山荘に入る最後の瞬間、フィンはそっと風に祈りを吹きこめた。

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