騎士殿のお稽古 人は輝きと後悔だけを抱えて生きていくことはできないのだと、教えてくれた人がいた。 そのまま歩いていては、いつかほつれて、折れてしまう。 必要なのは、前へ進むための道標。 だから、いつかの再会を願って歩き続けていた。 そうしている内に、もうひとつの道標も見つけた。 この足はまだ歩いていける。それは事実だ。 しかし、そうはいっても過去が変えられるわけではない。 セルフィナの糾弾は正しい。痛くても受け入れていくしかないものだ。罪を犯した者に罰が与えられるのは、世の習いなのだ。 ――罪を犯さずに進む方法なんて、いつだって存在しなかったけれども。 朝からの会議で、ターラへの出発は、明朝と決まった。本来ならすぐに出陣したい状況だが、トラキア軍との戦闘での消耗が激しく、もう一日だけ日を置く必要があったのだ。 ただし、一度出陣してしまえば、夜も休まぬ過酷な行軍となるだろう。会議室からの帰り道に、フィンは今日中にやるべきことを頭の中に思い浮かべた。武具の手入れと、細々とした物資の調達、陣容の再確認。 特に合流したドリアス配下の見習い騎士たちの実力は、あらかじめ測っておきたいところだった。 後ろから声がかかったのは、そんなときのことだった。 「あ、あのっ!」 振り向くと、ちょうど件の見習い騎士が4人、切羽詰まった表情で、狭い通路に窮屈そうに並んでいる。 「どうした」 用向きを尋ねると、端のひとりがびくりと肩を飛び上がらせ、隣の見習い騎士を肘でつく。 「や、やっぱりおまえが言ってくれ」 「なんで! 言い出しっぺなんだから、アルバが言いなよ!」 「そ、そんなこと言ったってな――あ、えっと、フィン様、これは、その……」 「わっ私が言います! あの、フィン様!」 山荘への案内人も務めた茶髪の騎士見習いが、まずはじめに胸に手をあてて名乗った。 「私はカリオンともうします!」 「ケインです」 「ろっ、ロベルトです!」 「お、俺――じゃなかった、私はアルバです!」 次々と名乗りを上げると、カリオンが緊張した面持ちで一歩前に進み出る。 「よろしければ今日、我々に槍の稽古をつけていただきたいのです」 「稽古……?」 「はい!」 カリオンは目を輝かせて続けた。 「フィン様の武勲は、かねてよりお聞きしています。見習い騎士のころから亡きキュアン様にお目をかけられ、ランスリッターの騎士団長の座を約束されていたとか!」 「その戦いぶりは勇猛にして果敢、かつ深慮遠謀にして冷静さを失うことはなく、一騎当千の戦神であったと」 「ぼくも聞いております! シアルフィ遠征にご参加し、魔剣ミストルティンと互角に渡り合ったと!」 「昨日リーフ王子から聞きましたが、十機以上のドラゴンナイトの小隊をひとりで壊滅させたんですよね!? 俺、じゃなく私は、ずっと前から憧れていて――」 「…………」 熱っぽく語る若い騎士たちの前で、沈黙するしかないフィンである。 もちろん、キュアンに騎士団長の座を約束された覚えはないし、戦神になった記憶もないし、ミストルティンには丸腰で突っこんでいっただけだし、ドラゴンナイトは5機を落とすのがせいぜいだった。 事実にくっついた巨大な尾ひれと背びれを切り落とすために、フィンは口を開いた 「……私は別段、おまえたちが言うほどの腕前でも」 「なにをご謙遜をおっしゃいますか!!」 アルバに鼻息荒く詰め寄られて、思わずフィンは一歩後ろに引いた。息もつかせぬ様子で、さらに4人から賛美の言葉を浴びせられる。やれあの戦いではどうだの、訓練中のこんな逸話だの、放っておけば耳を塞ぎたくなるような美辞麗句を永遠に並べ続けられる気がしたので、フィンは取り急ぎ会話を終わらせることにした。 「……わかった、稽古をつける。半刻後に、馬を用意して表にでていろ」 ぱあっと表情を明るくした4人は、顔を見合わせてから力強く返事をすると、我先にと廊下を走っていった。 取り残されたフィンは、ひとつ息を抜くと、頭の中で今日の予定の再編成をしながら、準備のため自室に向かった。 ――妙なことになったものであった。 「驚きましたぞ、リーフ様。そのお歳で、ここまで地理や歴史、政治にまでお詳しいとは。私の危惧も、杞憂に終わったというものです」 山荘の会議室で、ドリアスが感嘆の声をあげる。これから王子として旗をあげる者が無知であってはならないと、進軍会議後に軽い講義をしていたのだ。そこでリーフの示した博識ぶりは、彼に舌を巻かせるほどのものだった。 ただ、リーフは自らの知識を誇ることはせず、浮かない顔で答えた。 「すべてターラ公爵のおかげだ。あの方が身を挺して、王になるのに必要なことを教えてくれた。ただ……」 目を眇め、眉を下げてリーフは続ける。 「僕は、本物の飢えを味わったことがない。金に困っている民が実際にどんな生活をしているのか知らない。どれだけ知識があっても、現実を知らなければ、本当の王にはなれないと思う……」 「それは、あのアウグストの入れ知恵ですかな?」 ドリアスは、やや気に障ったように眉間にしわをよせた。 「王子は大局を見られるお方です。民を案ずることは大切ですが、瑣末な問題に心を捕らわれすぎる必要はございませんぞ。些事は私どもに任せ、自信をもって、胸を張っていられませ」 「うん……」 リーフはうなずいたが、ドリアスの言うことが完全に正しいとは思わなかった。そして、間違っているとも思わなかった。だからこそ、答えがわからない。 思案しながら視線を窓の外に向けると、いくつかの機影が見えた。元々リーフは視力がいい。すぐに、だれなのか見分けがついた。 「フィンだ。あと――アルバとケインとロベルト、カリオン。稽古をしてるのかな」 「そのようですな。あの者たちは、見習い騎士の中でも特に活きが良いですから、師事を願ったのでしょう」 訓練用の槍や弓を持った見習い騎士たちは、4人がかりでフィンに立ち向かっている。が、動きの違いは歴然としていた。すぐにいなされて落馬してしまい、全員が落とされるたびにフィンが何事か指示を出している。 一体、あの強さはどこからくるものなのだろう。リーフはドリアスに尋ねた。 「ドリアス。フィンが僕の歳のころは、どんな感じだった?」 「どんな感じ――といいますと?」 「そのころから、あんなに強かったの?」 ドリアスは言葉を選ぶように、ふむ、と考えこみ、そして思わぬ答えを返してきた。 「いたって普通の見習い騎士でした」 「えっ」 「確かに勘の良いところはありましたが、天賦の才というほどでもありません。楽しいことがあれば笑い、失敗すれば落ちこむ、どこにでもいる若者に見えましたな」 「……僕はフィンが笑うところを、見たことがないぞ」 リーフの隣に立ったドリアスは、哀れみを乗せて答えた。 「キュアン様が亡くなる前までは、明るいところもあったのです。ただ、キュアン様が亡くなられたときの様子は騎士として目も当てられないほどで――当時の私には、どうしてキュアン様があの者をあれほど気にかけたのか、理解できませんでした」 「どういうことだ?」 「彼より積極性があり、レンスターに忠誠を捧げ、果敢に戦える良き家門の騎士なら、他にいくらでもいたのです」 リーフの物言いたげな目線を無視し、ドリアスは続けた。 「なのにキュアン様はリーフ様の守護をフィンに命じました。家柄の低い、年若く未熟な若者に、なぜレンスターの希望を託さねばならないのかと、私などは本心で思っていたのですが」 眉間のしわが、不意に消える。ため息とともに、ドリアスは結論づけた。 「――なぜでしょうな。今になってみると、確かにあの者でしかリーフ様をお守りできなかったと思います」 レンスターの落城から、様々なものを見てきたのであろう宰相の瞳に浮かぶものがなんであるのか。 ――後に、ドリアスがどれほど多くのレンスター騎士の裏切りや心変わりを見てきたかを、リーフは知ることになるのだが、いまはよくわからなかった。 もちろん、リーフも気持ちだけは同じだった。フィンほど強い人間を、リーフは知らない。国のために、己の人生のすべてを投げ打つ。言葉で言うのは簡単だが、実際には常人にできることではない。 ――いや、とリーフは思う。フィンは本当に国のために命を捧げたのだろうか? 彼が追いかけていたものは、国ではなくて――。 思考は、ドリアスの不満そうなぼやきでかき消された。 「リーフ様は、槍の扱いは得意ではないようですな」 「っ」 ぎくりとしてリーフは思わず目をそらした。だがドリアスの苛立ちは、リーフに向けられていたのではなかった。 「まったく、あの者はなにを考えているのだ。リーフ様への修練を怠るとは……肝心なところで騎士の自覚が足りておらんのではないか」 その糾弾は、リーフの背筋に冷たい根となって広がった。ドリアスに叱責されずに済んで、胸を撫でおろすべきなのに。粘つく嫌な感覚が、神経を刺激する。リーフは口元に手をあてて、理由を考える。 そうして、ようやく理解にいたった。 なぜ、いままで気付かなかったのだろう。 「……そうか。僕が槍を使えないと、フィンの名誉に傷がつくのか」 レンスターが落ちてから、リーフはフィンの手に預けられ、放浪生活の中で15歳まで育てられた。人がそう聞けば、リーフ自身の教育は、すべて彼の手によって行われたと思われて当然なのだ。 なのにリーフは、自身の詮ない気持ちだけで槍の修練を拒否した。槍を使いたくないと言ったときのフィンの顔は、いまだによく覚えている。 リーフは奥歯を噛み締めた。 「ドリアス、ごめん。僕、ちょっと行ってくる」 「はい? リーフ様、どちらに?」 ドリアスが問うたときには、リーフはすでに会議室を飛び出していた。 続きの話 戻る |