初陣の誓い 「へえ、この剣は、母上が伯母上にもらったものだったのか」 リーフは久々に腕に収めた光の剣を見下ろして、感慨深げにつぶやいた。 彼が15歳の誕生日を迎えた今日、エーヴェルに贈ってもらったものである。 元はフィンの治療の礼として差し出したものだったが、ただ返すのではなく、祝いの品とするところが、エーヴェルの思慮深さをよく表していた。そして、かねてからのフィンとの約束に従い、明日よりリーフは盗賊討伐に参加することになっている。 フィンとリーフは、エーヴェルの屋敷の一室で、宵の時間を武器の手入れに使っていた。中央に置かれたランプが、ぼんやりと明かりを揺らしている。 「伯母上は、どんな人だったんだ?」 「直接お話しをしたことはありませんが、線が細く、儚げなお方でした。気風も、物静かで心優しい方であったとエスリン様から聞いています」 「……でも、死んじゃったんだな。伯父上と引き離されて、好きでもない相手と結婚して帝国の王妃になって」 「真偽の程はわかりません。ただ、ディアドラ様の逝去の後から、帝国はロプト教団との繋がりを強くし、圧政を敷くようになりました」 「伯父上も、伯母上も、無念だったろうな」 光の剣の刀身を丁寧にぬぐいながら、リーフは痛ましげに眉を下げた。日増しに亡き主君に似てきた横顔だが、憂いを湛えると、どことなくエスリンの面影を匂わせる。 そんなリーフがフィアナ村に3年も滞在できたのは、エーヴェルの心遣いと統治の賜物であった。村に来て一年が経ったころ、フィンとリーフは彼女に自らの立場を明かしたが、彼女は笑って「そうでしたか」とうなずいただけだった。リーフへの態度が変わることもなかった。エーヴェルは、リーフとナンナに愛情をたっぷり注ぎ、必要があれば本気で叱りつけた。 おかげで、ふたりとも、まっすぐに育ってくれたと、フィンは思う。 リーフは村の若者たちと親睦を深め、素朴な生活に親しみつつも、一通り自分のことは自分でできるようになった。身長も、フィンの胸に届くまでに伸びた。だれとも気さくに話すようになった反面、悪い知恵も身につけたようだが、精神の強かさの現れだと思い、ある程度は目をつぶることにしている。 また、余計なところまで親に似てきてしまったのだろうか。微妙に寝起きが悪くなってきたような気がするが、フィンには不思議と懐かしく感じられて、あまり咎める気にはなれなかった。 ナンナはすっかり大人びて、フィンと一緒に寝ることも、昔のようにまとわりついてくることもなくなった。ただ、努力家で母思いのところは、まったく変わっていない。村の手伝いを進んでこなし、マリータに剣を習い、毎日首飾りに祈りを捧げる彼女は、村人からも気に入られていた。 「父上と母上は、伯父上たちと、どんな話をしていたんだ?」 「そうですね……。士官学校の思い出を語られていることが多かったように思います。キュアン様もエスリン様も、口が達者でいらしたので、会えば笑いの絶えない仲でした」 ターラ滞在時から、リーフはフィンにあまり懐かなくなったと思っていたが、最近になって、またよく両親や祖国のことを尋ねるようになってきた。ただそれは、親代わりの家族ではなく、同じ村の仲間に対するようになった印象だ。成長の証なのだろうか、とフィンは感慨深く思う。 リーフはつとこちらを見て、いたずらっぽい笑みを浮かべた。 「なら、フィンもよくからかわれたんじゃないか」 「……そんなことも、あったように思います」 「僕の性格は、どっちに似たと思う?」 「リーフ様はリーフ様の性格をお持ちです。どちらに、というほどではありません」 「そうやってフィンは誤魔化すんだからな。父上や母上になにか言われても、のらりくらりかわしてたんだろ」 リーフはむくれたように言った。彼の中でのフィンは、幼い頃からこの調子なのだと思われているらしい。 他人とうまく会話ができずに心配されていた過去を話せば、リーフはどんな顔をするだろう。 ――あの人と、はじめて厩で会った日。ろくに応答もできずしどろもどろになっていたと言って、信じるだろうか。 信じないだろう。あの日の自分に、いまの生活のことを伝えても、きっと信じないであろうから。 「フィンは、初陣の前の日は、どんな気持ちだった?」 予備の剣まできれいに磨き上げながら、リーフは問うてきた。フィンはうなずいて答える。彼にとって、初陣の前日のことは、目を閉じればありありと思い出せる記憶であった。 「明日は戦場にいるのだと思うと、ほとんど眠れませんでした。怖いとは思いませんでしたが、気は高ぶっていました」 「……よかった」 「なにがですか」 「なにも感じませんでした、なんて言われたらどうしようかと思った」 「……私にも、少年のころというものがありましたから」 「フィンの、少年のころ、ねえ……」 リーフは考えこんでは首をひねっている。やはり、彼に真実を語っても、嘘だと思われるに違いない。この足は、すこし遠くに来すぎた。 「それでも、目を閉じていれば、幾分か身体は休まります。リーフ様も、今日はお早めにお休みください」 「うん、そうするよ」 二本の剣の手入れを終わらせたリーフは、後片付けに取り掛かった。彼の得物に、やはり、槍はない。 その様子に物申したい気持ちがないこともなかったが、無事に育ってくれただけ感謝しようといまは考えている。 フィンの身体は、予感していたとおり、完全には回復しなかった。癒やしの杖の力を借りても治せないほどに、肉体は傷んでいる。いまはまだ戦うことができるが、――今後は、どうなるか。 このことは、リーフにもナンナにも言っていない。知っているのはエーヴェルだけだ。 彼の成人の歳まで、あと数年。それまでに、レンスター再興の足がかりだけでも掴めれば。 それまで、この身体がもってくれれば。 儀式のときがやってきたと、フィンはリーフの顔を見て言った。 「リーフ様。あなたは、今日、お父上が初陣を飾られた歳と同じ、15歳になられました」 「……うん」 「いままでは、私があなたの行く先を決めてまいりました。しかし、もうあなたは自らの道を決められるお年です。今後、私は臣下として助言はいたしますが、あなたのご意思に従います」 「……うん。わかった」 ある程度、覚悟はしていたのだろう。リーフは戸惑う様子をみせなかった。不安すら口にすることなく、ただうなずいた。君主としては、それで充分だ。 すると、リーフはすこしためらいながらも、再び声をかけてきた。 「ねえ、フィン」 「はい」 「そのさ」 「はい」 「……ありがとう」 ふと、フィンは目を瞬いた。 一瞬、なにを言われたのか、よくわからなかった。 「お礼をいただく話ではありません。確かに、あなたの臣下は、いまは私ひとりです。しかし、きっと半島にはあなたの存命を信じて待つ騎士たちが――」 「そういうことじゃなくて」 リーフは、照れくさそうに頬をかきながら続ける。 「だってさ、フィンがいなかったら、僕は父上や母上の話をだれからも聞けなかったから」 胸にぽっかりと空いた穴の部分に、声は染み通った。 リーフは立ち上がると、二本の剣をひょいと片手で持ち上げた。その腕は、すっかりたくましくなっている。 「じゃ、明日はよろしく。フィンと一緒に戦えるようになれて、うれしいよ」 黙っているこちらを見て気恥ずかしくなったのか、リーフは口早に言うと、道具を持って部屋を出ていった。 後に残されたフィンは、しばらくリーフが出ていった戸を凝視していた。 続きの話 戻る |