その刃を受け取る覚悟 アグストリアとの戦は、激化の一途を辿っていた。 さらに、周辺には多くの山賊が街を荒らしまわっている。シグルド軍は、街の開放にも多くの兵を割かなければならなかった。 「……っ!」 山賊の喉笛から槍を引き抜いた途端、横から別の山賊が金切り声をあげながら跳びかかってくる。 盾で防ごうと腕をあげた瞬間、後ろから飛んできた投槍に盗賊は貫かれた。 「フィン、前に出すぎだ! 無茶をするな!」 馬を横付けにしながら、キュアンが怒鳴る。返り血で、頬が赤黒く汚れていた。 「しかしキュアン様、まだ頭領を仕留めていません! このままでは逃げられてしまいます!」 「わかっている! 行くぞ!」 レンスターの遠征軍は、山賊たちの討伐に日夜奔走していた。本来このような無頼者を取り締まるべきは国だが、今のアグストリアの重鎮たちは、民の暮らしには無頓着もいいところだった。 「ああっ、レンスターじゃありえないぞ、こんなのは! 民がいてこその国だろうが! シャガールめ、とっ捕まえたら三時間はみっちり説教してやる!」 憤怒を顕に、キュアンは次々と山賊をなぎ倒していく。 フィンもまた、激しい槍さばきで荒くれ者どもを死へ追いやっていた。 ラケシスと厩で最後に会ってから、十日近くが経とうとしている。 点在する街の守護を命じられたレンスター軍は、野営が基本となり、他の軍とは完全に切り離された状態にあった。 ただしフィンにとっては、感謝すべき状況ともいえた。 ――今、ラケシスと会えば、心が砕けてしまいそうだったのだ。 日が落ちて軍営に戻ると、エスリンの治療が待っていた。 「またこんなに怪我をして! どうせ無理をしたんでしょう。そんな子には、こうです!」 「――っ!?」 ライブの杖で思い切り傷口を叩かれて、フィンは声にならない悲鳴をあげる。 その場に倒れてぴくぴくするフィンの傷を癒やしてやると、エスリンは「次!」と顎をしゃくった。また別の兵士が恐る恐る前に出ては、エスリンの叱咤と殴打に悲痛な叫びをあげる。 もはやレンスター軍の日常と化した光景に、キュアンが渋い顔で苦言を申し立てた。 「おい、エスリン。おまえも今日は山賊を斬ったらしいじゃないか。シグルドの嫁から魔法剣をもらって嬉しいのはわかるが、怪我でもしたら人のことは言えないぞ」 「あれは、子供たちが山賊に追われていたからです! 助けるのが当然でしょう。ねえ、フィン、あなたもそう思うわよね?」 「え……は、はい」 「そんなことないだろう!? そういうときは他の兵士に任せるんだ。なあフィン、俺が正しいよな!?」 「え……えっと、はい」 「ちょっと! どっちなのよ、フィン!?」 板挟みになるフィンを見て、周囲の兵士たちが笑い出す。 このように劣悪な環境でも、士気が損なわれないのが、キュアンの率いる騎馬隊の特徴でもあった。それは、年若い夫妻と彼らに付き従う騎士見習いの人となりによるところが大きいだろう。 しかし、彼らと過ごしながらも、フィンの心は、灰色に淀んだままであった。 温かな空間で目を伏せるフィンを、キュアンはふと笑いを収めて見つめていた。 「フィン、ちょっとこい」 「はい」 食事も終わって一心地ついた頃に、フィンはキュアンに呼ばれて外に出た。キュアンは、一振りの槍を携えている。 もう季節は冬に近く、天幕から出ると、冷たい外気が頬を叩く。 人の気配のない場所までくると、キュアンは振り向いて、静かな口調で言った。 「おまえ、なんかあったか?」 心臓が跳ねた。動揺して口を開くが、冷気が肺腑に流れこんでくるばかりで、言葉がでてこなかった。 キュアンはため息をつくと、腕を組んだ。 「俺の目がごまかせると思ったか。というより、びっくりするほどわかりやすいぞ。ここ数日のおまえの動きは雑にすぎる。今日だって、しょうもないところで手傷を負いやがって。いつもなら避けられただろう」 「……申し訳ありません」 観念したフィンは、深く頭を下げた。自分では平静を装っているつもりだったが、いつの間にか行動に出てしまったようだ。 「理由は、俺にも言えないか?」 「…………」 黙っていると、「別にいいけどな」とキュアンはあっさり引き下がった。代わりに、瞳の温度を急激に下げる。 「フィン、ここは戦場だ。わずかな心の乱れが、死に繋がる。前衛のおまえが死ねば、他の仲間がどれだけ道連れになるか、わからないおまえじゃないだろう」 「…………はい」 キュアンの叱責は、いつも明瞭だ。だからこそ、心を深く刺し貫く。 うなだれるフィンの肩を掴み、キュアンは続けた。 「いいか。おまえも俺も人間だ。辛い日もある。気持ちが乗らない日もある。だが、騎士として生きていくなら、自分の感情に振り回されるな。違えば、おまえの誇りと生死を左右するぞ――それに」 肩から手が離れ、軽く拳で小突かれる。 「俺は、おまえを絶対に失いたくない」 「キュアン様……」 呆然と見上げると、ニッとキュアンは口の両端を吊り上げた。 「だがおまえは、俺の期待をまともに理解していないようだ。そういうわけで、おまえにこの槍をやる」 そう言って、キュアンは片手に持っていた槍を無造作に差し出した。 「……これはっ」 月明かりに輝く切っ先を見て、フィンは驚愕した。 キュアンが下賜しようとしている槍は、勇者の槍とも別称される名槍であった。一度に二度突くことができると謳われている、国に何本もない貴重品である。 「俺がおまえくらいの頃に使ってた槍だ。どうだ、嬉しいだろ?」 「いっ、いけません! こういったものは、キュアン様のご子息様のために取っておくべきです」 「んなこといっても、アルテナは女の子だし、次が生まれるっていっても、槍が持てるのは当分先だ。いまおまえに渡しておくほうが槍も喜ぶだろ」 「で、ですが……」 受け取れずにいると、キュアンは息を抜き、改まったように告げた。 「フィン。おまえは、なんのためにこの戦を戦う?」 「――」 それは、波打つ気持ちに冷水をかけるような問いであった。 レンスターのため、キュアン様のためです。そう即答できない自分に、フィンは針で刺されるような痛みを覚える。 キュアンは怜悧な光を瞳に込め、傲然とフィンの前に立ちはだかっていた。 「おまえの中で、答えが揺らいでいるなら。おまえはこの槍を受け取ることはできないだろう。いいや、騎士にさえなれない」 「っ」 雷に打たれたように、フィンは立ちつくした。目の前にあると信じていた道が、ばらばらに砕け散ってしまった気がした。 なぜこんなに心が震えているのだろう。なぜ、あの厩の一時が――あのひとの笑顔ばかりが、脳裏に浮かぶのだろう。 あの場所は、温かすぎた。すべてが穏やかだった。心に必ず清涼な風を呼びこんでくれる場所だった。 なのに、いまは、そのときのことを思うだけで、こんなにも辛い。 こんな気持ちを味わうなら、はじめから彼女と出会わなければよかったのだ。 するとキュアンは、眼光を緩めて語りかけてきた。 「よく聞け、フィン。心に思いを宿すのは構わない。守りたいものを守るのは構わない。それは人として大切なことだ」 フィンの返答を待たず、キュアンは続ける。 「ただ、心を乱し、自分がもっとも大切にするべきことを見失ったら、おまえはだれひとりとして守れないぞ」 だれひとりとして守れない。 杭のように、言葉が心の奥深くに突き刺さる。 「……私、は」 喉の奥でうめいて、フィンは自分のつま先に視線を落とした。闇の中に溶けてしまいそうな、そこに。 そうして、彼は、――静かに悟った。 ――私は、なんと愚かだったのだろう。 己の深淵を見据えながら、フィンは痛みとともにそうつぶやく。 主君はこんなにも自分を気にかけてくれる。自分に居場所を作ってくれる。そして、こうして道を指し示してくれる。 なのに自分は、一時の気持ちに振り回されて、歩むべき道さえ失いかけた。 (そうだ。私はラケシス様をお慕いしている) 自覚した事実を、溢れ出る思いの塊を、静かにフィンは嚥下する。 そして、こう思う。 (ならば、『騎士』としてすべきことはひとつではないか) 市井の民のように、初めての想いに舞い上がるのは恥なのだ。 騎士としてすべきこと。それは、いままでにずっと教わってきた。 (私は戦う。民のために、国のために) 嫌だ。駄目だ。そう叫ぶ心の声を無視して――。 (私は、ラケシス様の前で恥じることのない騎士になる) 心に言い聞かせるには、引き裂かれるような痛みがあった。瞳の端に、涙が浮いた。 しかし、気持ちに流され、進むべき道を見失うわけにはいかないではないか――。 「キュアン様」 まっすぐに、フィンはキュアンの顔を見上げた。その顔に、昔日にはない凛々しさと、覚悟の据わった眼光を同居させて。 「その槍。ありがたく頂戴いたします。この力と魂はレンスターとともに。私の命は、レンスターのものです!」 わずかに、キュアンがたじろぐほどの覇気であった。 肩を揺らし、胸を上下させながら、フィンはキュアンを睨み上げるようにしている。 キュアンは一瞬だけ目を伏せてから、フィンに槍を手渡した。 「戦いはさらに激化するだろう。遠慮なく使え。これはおまえへの、信頼の証だ」 「はい」 槍を受け取ったフィンは、深く礼をした。 「よし。行っていいぞ」 「はっ」 フィンは確かな足取りで、自分の天幕へと戻っていく。 後に残ったキュアンは、フィンの姿が見えなくなると、淡く笑って夜空を仰いだ。 「……ごめんな、フィン。こうするしかなかった」 見事な星空に目を細め、力なく息を吐く。 「俺はきっと、地獄行きだな」 続きの話 戻る |