恋わずらい


 フィアナ村は、独立独行の気風をもつ豊かな集落であった。村民はみな働き者で、武芸を嗜み、交代で近隣の盗賊を追い払いに行く。
 傷ついたフィンを連れたリーフとナンナがふたりで歩いていたとき、途中で盗賊に襲われなかったのも、このためだった。

 そんな村の指針はもちろん、『働かざるもの食うべからず』。
 村に滞在するリーフとナンナには、毎日のように仕事が与えられるようになった。

「せっ」

 短い掛け声とともに、リーフは斧を振り下ろした。真っ二つに割れた薪を、さらにもう半分に。次々と割られていく薪の太さの均一ぶりに、横で見ていたオーシンの父親は感嘆のため息を漏らした。

「坊主、すげぇ飲みこみの速さだな。もしかして、やったことがあんのか?」
「え? ううん、はじめてだよ。コツをつかめば、割と簡単かも」

 汗を拭いながら、リーフは当然のように言う。その表情は、すっかり明るさを取り戻していた。命の危機と隣合わせの放浪生活と比べれば、ここは天国のような村だった。
 ただ、その様子を若干気に入らなさそうに見ているのがオーシンである。

「けっ、いきがるんじゃねぇぞ。口より先に手を動かせっつーの」
「口が動いてんのはてめぇだ、不良息子が。もうリーフのほうが作業が早いんじゃねぇのか」
「はあ!? んなことねーし! オラ、リーフ! ちょっと斧貸せ!」
「ちょっ、オーシン! 刃物なんだから、危ないってば!」

 ハルヴァンに止められて、オーシンはギリギリと歯ぎしりをする。
 するとリーフは少し考えてから、目を輝かせて言った。

「じゃあさ、オーシン。あれ、あれ教えてよ」
「あんだよ?」
「この前、石を投げて木の上の果物を取ってたでしょ。すごく器用だよね、あんなの僕にはできないよ。ぜひ教えてほしいんだ」

 屈託なく褒められると、まんざらでもない様子でオーシンは鼻を高くした。

「ほう? まあ、どうしてもっていうなら、しょうがねーから教えてやってもいいかな」
「うん、どうしても!」
「その代わり、おれのことを村の先輩としてしっかり敬えよ」
「うん、わかった」
「それから、おれの命令はキチンときくこと。朝の薪割りはおれの代わりにやること。村のやつに食い物をわけてもらったら、まずおれんとこに持ってくること。あとは――ゴッ!!」
「このクソ息子が!! えらそうな口叩いてる暇があったら、さっさと働かんか!」
「ってぇな!? クソ親父!? やんのか、アア!?」
「上等だヒヨッコが! かかってきやがれ!!」
「……リーフ。石投げは、ぼくが教えてあげるよ。まずは薪割りを片付けてしまおうか」
「うん、ハルヴァン」

 骨肉の争いをはじめた親子を放っておいて、リーフとハルヴァンはせっせと斧を振り続けた。



「急いで急いで! ほら、ここに入れて! 一気によ!」
「はいっ!」

 エーヴェルの屋敷の台所では、ナンナが慌ただしく動きまわっている。マリータにせっつかれながら、ナンナはぼこぼこと沸騰する銅鍋の中に、山菜の束を入れた。

「熱っ!」
「んもう、そんなに高いところから入れるからお湯がはねるの。ほら、葉っぱがきれいな緑になったらすぐにあげて! 歯ごたえが悪くなっちゃう」
「うんっ」
「それを水にさらしたら、塩漬け肉の塩抜きをして、お芋を切って、それでお昼の下ごしらえは完了! そしたら遊びに行けるわ。急ぐのよ!」
「は、はいっ!」

 エーヴェルの娘マリータは、新しく家にやってきたナンナにきびきびと指示を出す。同い年ではあるが、背の低いナンナに先輩面ができるのが嬉しくて仕方ないのだ。
 けれど、ナンナのほうも、明るくさっぱりした性格のマリータがすぐに好きになった。料理や草木の知識など、自分の知らないことをいくらでも教えてくれるし、面白い事件があるとすぐに連れていってくれる。なにより、よく食べ、よく笑う。

 午前の仕事が終わると、ふたりは裏庭に行った。マリータは剣の素振りを。ナンナはフィンの部屋に飾る花を摘む。
 ふと、マリータは剣をとめて振り向いてきた。

「ねえねえ、ナンナ。ナンナって、リーフのこと、どう思ってるの?」
「どうって?」

 キョトンとナンナは目を瞬く。リーフはリーフだ。それ以上でも、それ以下でもない。

「だから。リーフのこと、好きなのって訊いてるの」
「えっと……うん。好き、だけど」

 ナンナは正直に言ったつもりだった。だが、好き、と言った瞬間、胸がざわめいた。なにか間違ったことを言ってしまったような、よるべのなさ。戸惑いに声を濁らせていると、マリータは眉を吊り上げ、直球勝負を仕掛けてきた。

「そういう好きじゃないの! 恋人にしたいかってこと!」
「こっ、こいびと!?」

 ナンナの声がひっくり返った。彼女にとって、未知数の単語であった。一気に顔が熱くなり、ぶんぶんと首を降る。

「ち、違うの。よくわからないけど、それは違うの」
「へぇー、ほんとに? ほんとに違うの?」

 マリータはナンナの目の前でしゃがむと、膝に腕をついて、いじわるそうに笑った。

「じゃあ私がリーフの恋人になってもいい?」
「だっ、だめ!!」

 花を放り出して全力で叫んでしまう。マリータは面白くて仕方ないというように、にんまりと頬を緩める。

「やっぱ好きなんじゃない。安心してよ、私、リーフの恋人にはならないから」
「そ、そういうわけじゃないんです。ただ、その……」

 ナンナにとって、リーフは生まれたときから一緒にいる兄のような存在だった。異性として見たことは一度もない。というより、そもそも彼女にその手の感情を自覚させるきっかけ自体がなかった。リノアンは奥手なほうで、恋の話など一切しなかったし、放浪中は命を守ることに精一杯で、ときめきなど抱いている場合ではなかったのだ。

 よってマリータの発言は、神弓イチイバルのごとく彼女の頭を撃ちぬいてしまったわけだが、本人に自覚は皆無であった。
 真っ赤になってうつむくナンナの頭を撫でながら、マリータは楽しげに言う。

「だいじょうぶ。だれにも言わないから。それに、応援してるよ。大事な友達の恋だもの」

 恋だなどと言われても、ナンナには理解できない。リーフのことは好きだし、一緒にいたいとは思う。けれど、それが恋なのかと考えると、まるで悪いことをしているような気になり、思考が止まってしまう。

 混乱と苦しさに打ち勝とうと、ナンナは必死に大人ぶって言った。

「わ、わたしのことはいいんです。それより、ま、マリータ! マリータには、恋人にしたい人はいないんですか!」
「私? いないよ?」

 あっけらかんとマリータは答えた。

「だ、だって、いるじゃないですか、ほら、オーシンさんとかハルヴァンさんとか、あと、えっと、えっと、マーティさんとか!!」
「うえっ。どれも嫌よ、私より弱いもん。私は、私より強くて、年上で、背が高くて、かっこいい人がいいなあ」

 それは恋を自覚したことのないがゆえの無邪気な発言であったが、ナンナの目には、余裕たっぷりの構えであるように映った。反撃をしたのにまるで効果がないとみえて、うむむ、と口をへの字にする。

「あっ、そろそろ戻らなきゃ。午後は山菜採りだから、お昼はたくさん食べようね」

 さらなる反抗を試みる前に、会話は切り上げられてしまった。花を拾い集めて家に戻ると、ちょうど玄関で果物をいくつか抱えたリーフと鉢合わせた。

「あれ、ナンナにマリータ。見てよ、ハルヴァンに取ってもらったんだ。お昼ごはんの後にみんなで食べよう」

 上機嫌に腕の中のものを見せびらかすリーフの笑顔。ナンナは、ぱっと顔を伏せた。理由は自分でもよくわからなかった。

「ん、どうしたの? ナンナ?」
「わっ、わたし、お花をいけてきます!」

 逃げるように台所へ走る。心臓が、自覚できるほどに高鳴っていた。混乱が、血流に乗ってぐるぐると全身を駆けまわっている。
 ――それからというもの、ナンナはリーフとうまく目を合わせられなくなってしまった。

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