少年が剣をとる日


 ターラを脱出したフィンは、進路を東にとって、トラキア王国寄りの山間を進んでいた。目指すは極東の険しい山中であった。

 トラキア半島の極東の一帯は、レンスター王国滅亡前から、事実上見放された土地であった。よく荒れる海沿いに険しい山が連なっており、これといった特産も資源もない。そんな場所に住んでいるのは、ひなびた漁村に先祖代々暮らしている者か、世捨て人か隠者かといった具合だった。北トラキアと南トラキアの戦にも無縁のまま放置され、それゆえ国境線も定かではない。

 リーフの名前が半島中に知れ渡り賞金首となった今、フィンたちの逃げこむ先は、そのような未開の地しかなかった。もしかしたら、レンスター騎士が同じ地域に潜伏しているかもしれない。そんな期待もわずかだがあった。

 ところが、行く手には想像以上に悲惨な現実が待っていた。
 相次ぐ戦争に疲れ果て、あるいは街を焼かれて落ち延びた人々が、何年も前からそこに住み着いていたのだ。彼らとて、食べなければ生きていけない。身を持ち崩した彼らが山賊や賞金稼ぎになるまでには、そう時間がかからなかった。

 そんな無頼の巣窟へと、フィンは自ら飛びこむ結果になってしまったのである。

「レンスターの王子リーフと騎士フィン! やったぜ、俺たちにもツキが回ってきやがった!」
「しかもノディオン王家の生き残りまで連れてるって噂だ!」

 場末の馬賊にまで人相書きが回っていることに、フィンはぞっとした。今までのように正規兵だけに追われるのではない。乱世に毒され、短絡的な富や快楽のみを求める有象無象の人間が、自分たちを狙っているのである。

「リーフ様、お下がりを。私が道を作ります。合図したら、すぐに走ってください」

 馬を御せるようになったリーフは、馬上で手綱を握りこみ、うなずいた。リーフの後ろではナンナが、覚悟を決めた顔でリーフの胴に手を回している。

「お祈りは済ませたか? ――よし、やれ! 殺してもいいが、顔は傷つけるなよ!!」

 槍を構えたフィンは、息を細く吐き出しながら、向かってくる馬賊どもめがけて馬を走らせた。



 襲撃は、ひどいときは10日以上続くことがあった。合間には平穏な日もあったが、こんな状況ではのんびり休む気にもなれなかった。より安全な場所へ。より人のいない場所へ。けれど食糧のある場所へ。灯火を紡ぐように、旅は続いた。

「フィン、大丈夫か……?」

 ようやく見つけた泉のほとりで休憩していると、リーフが心配げな目を向けてくる。
 フィンは、包帯の始末をしながらうなずいた。

「私は問題ありません。先に食事を済ませておいてください。腐りやすいものから先に。ナンナにも食べさせてください」
「うん、わかった」

 手際よく荷物を解いて食べ物を取り出すリーフを横目に、フィンは新しい包帯に手を伸ばしかけ、傷口から走る鈍痛に顔をしかめた。
 ひとつずつの戦闘は、大したことはない。だが、間断なく続く戦いは、傷と疲労をじわじわと蓄積させていく。ここ数ヶ月で、フィンの身体から包帯が完全に取れた日はなかった。

 眉を潜めたところは、リーフにも見られていた。リーフは意を決したように言った。

「僕も戦う。フィンばかりに苦労はさせられないよ」
「いけません。あなたの命の重さをお考えください」

 即答すると、リーフは「でも……」と口を尖らせる。彼がこっそり剣の素振りをはじめているのを、フィンはよく知っていた。その扱いぶりをみる限り、まだ実戦に出せるものではない。

「僕はそんなに頼りないのか? それとも見込みがないのか?」
「どちらも違います。足りないのは年齢と実力です」

 はっきりとした物言いに、リーフの顔がゆがむ。再びリーフがなにか言おうとしたとき、会話は、悲鳴に中断させられた。

 考えるより先に、身体が動いていた。血が沸き立ち、痛覚が遠のく。槍をとって獣のように走り、悲鳴のあがった岩場の影を目指す。
 目にした状況は明らかだった。盗賊らしき大柄な男ふたりに後ろから捕縛されたナンナが、必死の抵抗を試みていた。足元に、ライブの杖が落ちている。

「おっと! 動くんじゃねぇ」

 男はナンナの首元にナイフをあてがった。同時に、四方に盗賊の気配が現れた。――4人。いや、5人。

「ここまでつけてきた甲斐があったってもんだぜ。あんたらの首を差しだしゃ、この女の子の命は助けてやっても」

 盗賊の言葉は最後まで続かなかった。おそろしい瞬発力で地を蹴ったフィンの槍の刃先が、ナンナの耳元すれすれを切り裂き、男の顔を貫いていた。
 断末魔の声すらあげられずに盗賊が後ろに倒れる。ナンナも速かった。身体を捻って死体の腕からぬけ出すと、ライブの杖を拾い、自分を捕縛しようと手を伸ばすもうひとりの盗賊に向けて思いきり両手で振りぬく。当たりどころがよかったようで、盗賊は乾いた咳を吐いて前のめりになる。そこをフィンの槍が容赦なく襲った。

 この程度の盗賊に襲われることなど、道端で小鳥を見つけるよりも頻度が高い。一々口上を聞く気にもなれなかった。
 ナンナも、自らのすべきことを心得ていた。すぐにフィンの後ろに走り、周辺を警戒する。
 少人数の盗賊であれば、ひとりふたり殺せば撤退することが多かった。今回も、自分たちを囲んでいた盗賊どもは、恐れをなして逃げ出した。
 ――が、彼らの内のひとりが、目を血走らせて斧を振り上げ、叫びながら向かってきた。

「きさまァっ!! よくも兄貴をやってくれたな!!」

 明らかにフィンより年下の若者だった。彼らとて人の子であり、元は善良な市民であった可能性も多分にあった。しかし、だからといって命を与えて良い理由にはならない。
 すぐさまナンナを庇う位置に立ち、迎撃の体勢をとる。若者の動きは稚拙そのもので、フィンの相手にすらならないはずだった。

 そのとき。岩の上から、ぞっとするような掛け声があがった。

「てぇあぁっ!!」

 リーフだった。抜き払った光の剣を両手に飛び上がり、若者の肩に全身を使って振り下ろす。
 すぐさま反応せねばならない事態だというのに、フィンが停止してしまったのは、その姿が一瞬だけ、はるか彼方に行ってしまった主君に被ったからであった。茶色の髪をなびかせて、恐れもなく敵に向かっていくその姿が。

 しかし、光の剣はいまのリーフが扱うには重量がありすぎた。重さに振り回されて刃筋が乱れ、斜めに入る。そのために勢いが殺され、相手に軽症を負わせた程度に終わった。さらに、体勢が崩れて地面に転がる。はずみで、剣を手放してしまう。

「ってぇ…………てめぇ!!」

 肩から血を滲ませた若者は、斧をリーフに向けて振り上げた。
 今度こそフィンが動いた。腰を抜かしているリーフの襟首を掴んで後ろに放り、上半身を回して斧の一撃を避ける。僅かに腕にかすったが、致命的ではないと判断。即座に両手で槍を握り、若者の胸を貫いた。

「お父さま!」

 血の泡を吐いて事切れる若者から槍を引き抜くと、フィンはすぐに振り向いた。駆け寄ってくるナンナと、へたりこんで呆然としているリーフ。ふたりとも、怪我はない。
 ただ、リーフの顔は蒼白だった。手が、哀れなほどに震えている。はじめて真剣で人を傷つけたのだから、無理もなかった。

 フィンは息を抜くと、落ちた光の剣をとり、布で血を拭った。離れたところに落ちていた鞘も拾い、しっかりと納めて、リーフに差し出す。

「お納めください。あなたの剣です、リーフ様」

 はじめて人を斬った者には、必ず通らなければいけない儀式がある。それは、人を屠る辛さを味わう苦しみの時間。この苦痛を乗り越えてこそ、人は真に刃を振るえる者となる。
 リーフにはもう少し年齢がいってから経験してほしかったが、起きたことを後悔してもどうしようもない。フィンは淡々と、自分が初陣の後にキュアンに言われた言葉をそのまま唇に乗せた。

「あなたに戦う気がある限り、この剣を手放してはなりません」

 言いながら、きっとリーフは今晩ひどい目を見るだろうと想像していた。自分のときは、嫌悪感に食べたものを戻し、殺した者が闇から這いあがってくる幻を見て一睡もできなかった。苦しみと疲れに朦朧としていたとき、ようやく主君の言葉が心に響いた気がする。そうやって時間をかけて慣らしていくしかないのだ。

 ところがリーフは、渡された剣を抱くと、こんなことをつぶやいた。

「……僕は、やっぱり役に立たないんだな」

 うつむいたまま立ち上がり、荷物と馬のある方向に歩いていく。
 わずかな違和感と不安を覚え、眉を潜めていると、下方から服を引っ張られた。

「お父さま。腕、貸してください」

 ライブの杖を持ったナンナが、緊張と期待をないまぜにしてこちらを見上げている。

「さっきの練習で、すごくいいとこまでできたんです。いまなら、ほんとにできるかも……ちょっと待ってくださいね」

 そう言うと、ナンナはフィンの腕の傷に杖を近づけ、目を閉じた。精神を集中しているのか、しばらく時が過ぎていく。
 いい加減に声をかけようと思ったそのとき、ふわりとナンナの髪が浮き上がった。杖の先端の水晶球が美しい光を宿し、こぼれ落ちて傷口に吸いこまれていく。
 みるみる傷が塞がっていくのを、フィンは驚きの気持ちで見つめていた。

「……ふう。ごめんなさい。やっぱりうまくできなかったかも――」

 額に汗を浮かべて目蓋を開いたナンナは、傷の治ったフィンの腕を見て、瞳をまんまるにした。

「できた」

 それだけ口にして絶句し、唖然とフィンを見上げ、ぱっと顔を明るくする。

「できました、お父さま!!」

 抱きついてくるナンナを受け止めながらも、フィンは信じられない気分だった。
 ライブの杖の行使は、神官家の出でもなければ、発動までに何年もの修行を要すると聞いている。エスリンはエーディンとともに子供のころから修行して、16歳でようやく使えるようになったと言っていた。
 だがナンナはまだ10歳だ。日がな時間を見つけて練習していることは知っていたが、まさかこうも早く発動できるとは思っていなかったのだった。

 ――子供の成長は早いのよ。気がつくと、びっくりするようなことまで、できるようになってるんだから。

 そう言っていたのは、ラケシスだったか。

「これでお父さまの傷を癒やしてあげられます。えへへ。うれしいです!」

 満面の笑みを振りまくナンナを見下ろしてから、フィンはもう一度、リーフが行った先に眼差しを向けた。
 子供の成長は早い。もしもそれが真実なら、実はリーフは、自分が考えているよりもっと先の悩みを抱えているのではないだろうか。

 その日以降、リーフは夜中に起き出して剣を振るうようになった。
 休んでいるふりをしながら遠くに行かないように見張っていたフィンは、時折リーフがひとりで泣いているのを見ることになった。


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