おせっかい ナンナはリノアンの胸に顔をうずめ、まだしゃくりあげていた。先ほどまで、ラケシスと大声で喧嘩をしていたのだ。 「かあさまは、わたしのことが嫌いなんです。だからわたしを置いて行ってしまうんです」 リノアンとともに礼儀を習ったナンナの口調は、すっかり貴族らしくなっている。だが、中身はまだ幼いナンナのままであった。 「そんなことないわ。ラケシス様は、だれよりナンナを大事にしているもの。それに、イザークに行ったら、すぐに帰ってくるんでしょう? しかも、あなたのお兄様を連れて」 「いやです。お兄様なら、リーフ様がいます。もう十分です」 ナンナの髪をすきながら、リノアンは苦笑する。 「でもね、ナンナ。お兄様の気持ちを考えてみて。あなたのお兄様は、ずっとラケシス様と――お母様と離れ離れだったのよ。かわいそうだと思わない?」 「…………うー」 「ね? きっとすてきなお兄様よ。いらっしゃったら、リーフ様とアスベルとサフィを呼んで、みんなで遊びましょう。きっと楽しいわ」 ぽんぽん、とナンナの頭を叩いて、リノアンは身体を離す。そのとき、リーフが顔を出した。訓練帰りらしく、剣を腰にぶらさげている。 「なんだ、ナンナ。また泣いてるのか?」 「なっ、泣いてなんかないです!!」 慌てて目元をハンカチで隠し、背を向けるナンナである。リーフはリノアンと意味ありげに視線を交わし、そっと笑いあった。 「リーフ様は、ラケシス様のご出立の件をご存知なのですね」 「うん。それは聞いたけど……」 「――? どうかされたのですか?」 リーフはふと深刻そうに顎に手をやった。首をかしげるリノアンを前に、リーフはぼそりと漏らした。 「――フィンのことが、ちょっと心配だな」 リーフは、ターラ市街への自由な行き来を許されていた。世論では、レンスターの王子は混乱の中で死亡したとされており、城壁内であれば安全だろうと公爵が判断したためである。 ただ、公爵邸の外に出るとなると、必ずフィンがついてくる。嫌だ、と言ってもついてくる。こっそり出ようとすると、気がつけば影のように背後に立っている。それに気づかず悲鳴をあげたことは一度や二度ではない。 8歳になったリーフは、そんなフィンの過保護ぶりを、若干煩わしく感じるようになってきた。 槍の訓練のことも、フィンにあれこれ口出しされるのは嫌だった。 どうせ自分にゲイボルグは使えない。いかに強い槍騎士になろうと、ゲイボルグなしでは王として格好が悪いではないか。 そんなことを悶々と考えながら槍を握るより、無心に剣を振っているほうがよほど気が楽だった。 なのにフィンは、リーフが訓練に行くときは必ず伴をし、訓練中はじっとこちらを物言いたげに見つめている。これではやりにくくて仕方がない。 フィンの気持ちがわからないほどリーフは子供でもなかったが、それでも彼は自我を持ちはじめた一個の少年なのであった。 ただ、その日だけは、リーフに考えがあった。当然のようについてくるフィンを従え、市街の賑やかな露店街を闊歩する。 「フィン、あれ買ってもいい?」 屋台を見つけて指差すと、フィンはすこし迷った末に、買い与えてくれた。揚げたパンにはちみつをたっぷり塗った屋台菓子は、リーフの大のお気に入りだ。彼は、公爵家で出される豪勢な食事よりも、街の素朴な料理のほうが好みだった。 「毒味を」 「いらない」 僕が食べる分が減るだろう、と思いをこめてフィンの手から素早く揚げパンを奪い去る。 日々進歩を遂げるリーフの早業に、フィンはしばらく硬直し、慌てて後を追ってくる。なにやら小言が聞こえてくるが、リーフは華麗に聞き流し、揚げパンをかじりながら先を急いだ。 フィンの様子に、大きく変わったところはないように見える。だが、リーフの目は甘くなかった。普段のフィンなら、こんなに簡単に手の中のものを奪われたりはしない。 ラケシスのイザーク行きが決まってからというもの、彼の様子は明らかにおかしかった。 それまでも、フィンとラケシスの微妙な関係を、リーフは幼いながらになんとなく理解していた。ふたりが好きあっていることは明らかなんだから、さっさと結婚してしまえばいいのにと思っていた。だが、フィンは、頑なに距離を縮めようとしない。フィンはなにか、リーフを守ることにこだわりすぎている気がする。 なんでだろう、とリーフは思う。フィンがレンスターの騎士として王子である自分を守るというのは、わかる。だが、そこに恋人がいようがいまいが関係ないではないか。 なにより、報われない思いを抱くラケシスが可愛そうだった。リーフは何度か、公爵邸のテラスで泣いているラケシスを見たことがあった。 ――まったく、じれったい。僕がなんとかしてあげなきゃ。 こうして、リーフが大人ぶったため息をつきながら立ち上がったというわけである。ふたりの内心を察するには、彼はまだ未熟すぎた。 「今日はどちらに行かれるのですか」 「うん、こっちだ」 指についたはちみつを舐め取りながらリーフが向かった先は、人通りの少ない小路にある、小さな宝飾店だった。 フィンが店先で立ち止まり、わずかに眉を潜めた。リーフは構わずに薄暗い店内に入っていく。 「なにか買われるのですか」 「ラケシスがイザークに行く記念に、首飾りを渡そうと思ってるんだ。お揃いで二つ買って、ひとつはナンナにあげるつもり。そうすれば泣き止むだろうし」 リノアンにも相談して、一晩考えぬいた策がこれだった。理由をつけてさりげなくフィンを宝飾店に連れていけば、ラケシスへの贈り物のひとつでも買うと思ったのだ。 貴族服を着たリーフを見て、店主が愛想良く「これはかわいらしいお客様で」と言って椅子を促してくる。フィンが自分に気兼ねせず買えるように、リーフは勧められるままにテーブルにつき、奥から品物を出してもらうことにした。 「フィンはその辺を見てていいよ」 そう告げると、フィンはちらり、と近くの棚に飾られた宝飾に視線を向けた。豊かなターラには、腕の良い細工職人が集まっており、金に銀、真珠やルビーなどをふんだんに使った品々は、どれも素晴らしい出来だった。 ――よし。いいぞ。買うんだ。 ぎゅっと拳を握りしめたリーフであったが、数秒後、フィンは黙って視線をリーフに戻した。 「…………」 「…………」 ――見るべきは僕じゃない。宝石だよ、フィン。 心の中で叫ぶが、フィンにはまるで通じない。 そうこうしている内に、店主が雅やかな首飾りをいくつか持ってきた。 「どれも一級の品々でございます。きっと喜ばれると思いますよ」 「……フィン。どれがラケシスに似合うと思う?」 すこしでも彼の意識を宝石に向けようと、リーフは訊いた。すると、間髪いれずに返答された。 「申し訳ありませんが、よくわかりません。私もこのようなものを買った経験がありませんので」 ――買いなよ。なんで買わないんだよ。 怒鳴りたい気持ちにかられながら、リーフは気を取り直して並べられた首飾りと睨みあった。リーフ自身、ラケシスになにかあげたい気持ちは本物だ。選ぶのだけは、慎重にやりたかった。 すると、悩むリーフを微笑ましそうに見やりながら、店主が助言をしてくれた。 「差し上げる方の髪と目は何色でしょう? よろしければ、よく着られるドレスの色なども」 「うーん。ふたりとも金髪だけど、ラケシスはハシバミ色の目で、紅い服を着ることが多いかな。ナンナは緑色の目で――」 あれこれ悩んだ末に、リーフはとりわけ店主に薦められた金とルビーの首飾りに決めた。細い鎖に繋がれた台座に、金で細かな葉と蔦が表現されているところが気に入った。中央の石が大きすぎないのも逆に上品で、ラケシスたちによく似合いそうだった。 貴族らしい高額の小遣いは、ターラ公爵からもらっていた。会計を済ませている間、リーフはさりげなくフィンの様子を伺った。 しかし、フィンは黙って待っているだけだ。まったく商品に興味をもつ気配がない。 わずかな焦りが、思慮を忘れさせた。リーフは小さく口を開いていた。 「……フィンも、ラケシスになにか買ったら?」 言ったそばから、リーフは失言を悟った。 フィンの瞳が、冷える。どんな敵よりも恐ろしい、凍えるような表情を向けられ、リーフは指先さえも動けなくなった。 「私は、結構です」 それだけ残して、フィンは店の軒先に出ていった。泣きそうになったリーフを見て、包装を終えて出てきた店主が怪訝そうな顔をする。リーフはうつむいたまま「ありがとう」と言って品物を受け取り、店を出た。 気配だけでわかるのか、リーフが出てくると、フィンは背を向けたまま歩き出す。 なにもかも拒絶する大きな背中を見て、リーフは頭がかっと熱くなるのを感じた。 「なんでだよ。ラケシスとはしばらく会えなくなるのに」 立ち止まり、振り向く横顔。自分よりずっと高い場所にあって、自分では絶対に勝てないほどに強くて。 だからこそ、笑ってほしいのに。幸せでいてほしいのに。 この手で、助けてあげられたらと思ったのに。 「なんでラケシスに好きって言わないんだ、このわからずや!! それとも僕がいるのがいけないのか!?」 「――っ、リーフ様!!」 珍しくフィンが大声を出した。脳髄が焼けるほどの痺れに貫かれる。だがもう、後には引けない。 「ほら! そうやって辛そうな顔してばっかだ! そんなフィンと一緒にいたって、僕は嬉しくもなんともない。僕が邪魔なら、そう言えばいいんだ!!」 言葉の勢いで、心にもないことまで言ってしまう。暴走する幼い心は、ひたすらやり場のない熱を吐き出すことしかできなかった。 フィンは、いままでに見たことのない顔をしていた。唇を薄く開き、瞬きをせず、こちらを凝視している。 「もういちいち一緒についてこなくていい。訓練を見に来なくたっていい! ラケシスと一緒にいてあげてよ。ラケシス、泣いてたんだぞ。夜にひとりで。それまでだってたくさん。フィンはばかだ。極めつけの、ばかだ、ばか!!」 怒りに涙が出てきて、リーフは踵を返して走りだした。フィンは、追いかけてこないどころか、リーフの名を呼びもしなかった。 品よく包装された包みを抱え、リーフは公爵邸までの道のりを走る。 どうしてわからないんだ。鼻をすすりながら、何度もリーフは心の中でフィンをなじった。 庭の茂みの中で涙が止まるまで待って、リーフは室内へと入っていった。今日はアスベルが来ており、ちょうどリノアンやナンナとお茶をしていた。 「あれ、どうしたんですか、リーフ様」 すっかり敬語が板についたアスベルが、赤い目をしたリーフを見て腰を浮かす。 リーフは包みをぎゅっと握りしめ、黒い怨嗟を吐くかのようにつぶやいた。 「――怒ったぞ。僕は、本気で怒ったぞ」 「あ、あの、リーフ様?」 ただならぬ気配を漂わせたリーフは、続いて鋭く親友の名を呼ぶ。 「アスベル!」 「は、はい!」 「リノアン、ナンナも! 手伝ってくれ!」 「え? またリーフさまのお手伝い?」 「なにかなさるのですか、リーフ様?」 リノアンとナンナも、興味深そうに近寄ってくる。 「――これから、ある計画を立てようと思う」 子供たちの視線を受け、リーフは憤然と鼻の穴を膨らませたのであった。 続きの話 戻る |