続・騎士様の憂鬱


 日常の終焉は唐突だった。夜中に起こされたフィンは、司祭の目をみてすべてを悟った。余計なやりとりを省いて話をはじめる。

「敵の状況は」
「もう詰め所からこちらに向かっていると見て良いでしょう。馬を用意させました。すぐに行きなさい」

 この一年、司祭は、レンスターの騎士を匿っていることを隠すため、市長に賄賂を送って話を合わせてもらっていた。市長も、亡国の騎士が2、3名街中にいようが、金さえもらえれば良いという姿勢だった。フィンとラケシスの情報は街中でもみ消され、フリージ連合王国の耳に届くことはなかった。

 だが、欲深い市長は、リーフの存在に気づいてしまったのである。レンスターの騎士が育てている、前の王や王子と同じ髪の色をした少年――もしや、と市長は思った。
 フリージ家にレンスターの騎士を捕らえさせ、王子を連れていることがわかれば、きっと多額の報酬がもらえるに違いない。そう考えた市長は、王子の存在を匂わせつつ、フィンたちの存在をフリージ家に密告したのであった。司祭が市長の付き人にも情報提供のための賄賂を送っていなければ、フィンたちは捕まっていたに違いなかった。

 緊急時の荷物は、あらかじめまとめてあった。リーフとナンナも、慣れた様子だった。アスベルだけが、眠気眼をこすっている。
 司祭は、フィンに一通の手紙と何枚かの身分証を握らせた。

「これを持ってターラに向かい、公爵家を訪ねなさい。彼とは古い関係ですから、私の名を出せば力になってくれるはずです。それと、大変恐縮なのですが、アスベルも連れていってやってください」
「司祭、あなたは?」
「わたしはここに残ります。なんとかとぼけてみましょう。案外、何事もなく帰ってくれるかもしれません」

 司祭の微笑みを見たフィンは、まただ、と思った。自分になにかを背負わせようとする者がする、静謐な目。
 やめてくれと心の底が叫んでいた。これ以上、重荷を背負いたくない。なのに、彼らは笑ってフィンを生者の地獄へと送り出すのだ。

 しかし嫌がったところで状況が変わらないことはわかっていた。フィンは、必死で心の中のキュアンの言葉を思い出そうとしていた。自分にリーフを託してくれた、大切な主君の言葉を。

 司祭の覚悟を察したラケシスが、泣きそうな顔で頭を下げる。アスベルは、あまりに眠いようで、ほとんど司祭と話さずに別れることになった。これは後のアスベルが、生涯後悔した一点となった。

 子供たちの中で、別れ際に司祭の手を握って泣いたのは、リーフだけだった。

「……ごめんなさい」

 彼の瞳は、すべてを理解していた。自分のために人が戦い、死んでいく。凄惨な現実を、リーフはすでに悟っていたのだ。

「泣いてはいけないよ。生き延びて、強くなりなさい。おまえが大人になったときに、おまえのような子供を守れるように」

 骨ばった手で肩を叩かれたリーフは、コクリとうなずいて、涙を袖でぬぐった。そして、フィンの乗る馬に飛び乗った。

「参ります」
「うん」

 月明かりを頼りに馬を駆る間、黙って俯いていたリーフがふとフィンに問うた。

「ねえ。ぼくは、いくつになったらみんなを守れるようになる?」

 フィンはそれまで続くであろう遠い道のりを噛み締めながら、亡き主君が初陣に行った年齢を、小さく答えた。

「そうですね。15歳の誕生日を迎えるころには、きっと」

 その晩、フレストから二機の馬がひっそりと発った。彼らが闇夜に消えて間もなく、フリージ兵がフレストに到着した。
 司祭は捕らえられ、拷問の果てに殺された。しかし彼は、命が尽きるまで、リーフたちの行先を口にすることはなかったという。



 司祭の密造した身分証は、巧妙にフィンたちの身分を隠してくれた。彼らの仮の身分は、コノートのやんごとなき身分の婦人とその隠し子を、ターラ公爵に隠密に届ける騎士というもので、もちろんやんごとなき婦人はラケシス、隠し子は子供3人、騎士はフィンである。
 騎士然としたフィンと、外貌で目を引いてしまうラケシスの容姿を逆手にとった大胆な策だったが、関所の兵たちは、下世話な想像に疑りの思考を奪われた様子で、にやつきながら彼らを通してくれた。フィンとラケシスは、彼らに「家名に傷がつくので黙っていてほしい」と言って金貨を握らせるのを忘れなかった。

 ターラは、北トラキアで五本指に入る城塞都市であった。この地方では珍しく王を戴かず、議会制を敷いている。ターラ公爵家が市長として議会を取りまとめてはいるが、権限は議員たちと変わらず、いわば都市の顔を担っているようなものだった。

「すごぉい……!」

 街の賑やかな様子に、ナンナが目を輝かせる。ここまで大きな都市に入るのは始めてだった。大通りには人がごった返し、露天商たちは色とりどりの果物や小物を並べ、裏道では怪しげな婆がこれまた怪しげなものを商っている。
 いまだグランベル帝国とトラキアの中間で独立を守るターラは、圧政から無縁の華やかさを謳歌していた。

 フィンたちはすぐに、ターラ公爵の屋敷へと赴いた。
 ――が、絨毯が敷き詰められ、壮麗な絵画が飾られたホールで、それまで田舎街の教会で過ごしてきた平民服の彼らは、激しく場違いであった。
 ターラ公爵を訪ねにきた他の貴族や商人たちは、みな美しく着飾っており、砂まみれのフィンたちの姿を嗤う声が聞こえてくる。

 ぴきり、ぴきり、とラケシスのこめかみに青筋が浮かぶのを、フィンは見てしまった。戦場で侮られるのはともかく、こういった社交場で上流階級の人間に見た目を嘲笑されるのは、ノディオンの姫君であったラケシスには我慢がならないのだ。順番が来る前に噴火しないことを、神に祈る他ない。

 ところが、ようやく順番が回ってくると、衛兵は明らかに見下した態度をとってきた。

「あんたたちさあ、ここがどこだか知ってるか? 泥まみれの子連れが来るようなところじゃないんだよ、帰った帰った」
「紹介状は持っています。確認いただければ、市長は必ず会ってくださるはずです」

 ラケシスが殴りかかる前に、フィンは冷静に言った。差し出された紹介状を一瞥した衛兵は、受け取りもせずハッと笑う。

「そんなボロボロの招待状を伯爵様に触れさせるわけにはいかんね。貧乏人が、えらそうな口をききやがって。――へえ、あんた、よくみると美人だな」

 精神がなにかを超越してしまったのか、聖母のような微笑みを浮かべているラケシスに、衛兵は近づいていく。さりげなく(衛兵を)庇おうとしたフィンの肩を掴んでどけ、衛兵は無遠慮にラケシスの肢体を眺め回した。

「なあ、あんた。こんな辛気臭い旦那なんか捨てて、俺んとこに来いよ。俺だって屋敷くらいは持ってるんだ。どうしてもっていうなら、妾にしてやっても――」

 胸の上に流れる豊かな金髪を触ろうとした衛兵の手首を、ラケシスは微笑を崩さずにそっと掴んだ。そして、砕く勢いで力をこめた。

「ーーーっ!!? なにしやがる!?」
「勝手にしゃべらないでちょうだい、あなたの汚物の匂いのする息がかかります。よかったら、そのいやらしい目を潰して、鼻を削いで、口を針と糸で縫うといいわ。あと速やかに死になさい」
「あ、あの、ラケシス様、いけません。揉め事は――――ぐっ!?」

 止めに入ろうとしたフィンは、返事の代わりに腹部に強烈な拳をもらい、その場に没する。
 咳きこんでいると、さらなる悪寒が背に走った。

「なんなんだよ、おまえ!?」
「きみこそなに? 絵は順番に見るものだよ」

 振り向いたフィンは、凍りついた。明らかに貴族の子息とわかる少年とリーフが、一触即発の睨み合いを展開してくれていた。
 貴族はナンナやアスベルとともに絵画を見ていたリーフを邪険に扱ったのだろう。だが、リーフは押されても動かないどころか、当然のように自らの権利を主張しはじめたのだ。遠慮という言葉は、この険しい旅路で教える暇のなかったもののひとつであった。

「おまえなんかに絵がわかるか。そこをどけよ」
「どうしてわからないってわかるの? 絵がきれいだと思うのは人の自由だ」
「汚い成りして、生意気言いやがって! いいからどけ!」
「汚い成りと絵にどう関係があるの? 説明してくれないとわからないよ」
「どけったらどけ!」
「さっきからきみ、なんでぼくの質問に答えないんだ」

 止める間もなく、貴族はリーフの頬をはたいた。ナンナが短く悲鳴をあげ、アスベルが敵意の眼差しを向ける。
 だが、リーフは、一歩も動くことなく、貴族を正面からまっすぐに見据えた。

「……へえ。それがきみの答えか」
「――っ」

 ただならぬリーフの覇気に、貴族は恐怖の表情を浮かべ、後ずさる。そのとき、後ろから走ってきた親らしき貴族が怒鳴った。

「うちの子になにをしてくれるんだ!!」

 泣き出す貴族の子供。顔色ひとつ変えずに貴族を見上げているリーフ。ついでに、後方では確認したくもない肉弾音と悲鳴と罵倒が聞こえてくる。どうやらラケシス姫は、増援兵まで相手にしているらしい。

 ――あの、キュアン様。こういうときは、どうしたらいいでしょうか。

 心の中の主君に虚しく問いかけるフィンである。

 そのとき、朗々とした声がホールに響いた。

「なんの騒ぎだ?」

 天からフィンを哀れんだキュアンが助けてくれたのだろうか。階上に現れたのは、黒地に金銀を縫い付けた服を着た立派な壮年の男性だった。その肩からは、公爵であることを表すリボンがかかっている。ターラ公爵に間違いなかった。

「はっ! この女が狼藉を! ただいま捕まえますゆえ――ひっ」

 ラケシスに目を戻した衛兵が、硬直する。極限まで冷えたラケシスの瞳は、なによりも雄弁に「わたしに触ったら殺す」と告げていた。

「あ、あの……」

 必死に展開を打破しようと口を開くフィンであったが、ターラ公爵の目はラケシスでもフィンでもなく、怒鳴り散らす貴族と、それをじっと見上げるリーフにやられた。
 見られていることに気づいたのだろうか。リーフはつと、ターラ公爵を仰いだ。貴族の親子も、公爵の姿に気づいてはっと口を噤む。

 リーフとターラ公爵の目線は、数秒合わさっていた。それでもたじろがないリーフを見て、ターラ公爵の瞳に、面白げな光が踊った。
 公爵は、ようやくフィンとラケシスに声をかけてきた。

「……きみたちは、そこの子の親かね」
「――」
「言えぬか。わかった。上で話そう」
「し、しかし公爵! こんな身なりの者を……!」

 踵を返しかけた公爵の表情が、鋭く尖った。

「紹介状を持ち、礼節を通す者を見てくれで追い返すか、たわけ。いちど目玉を繰り抜いて洗ってこい」
「ひ――も、申し訳ありません!」

 フィンとラケシスは、顔を見合わせた。
 途端に態度を変えた衛兵たちに連れられて、フィンたちはターラ公爵との面会に臨むことになった。


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