英雄たちの戦う理由


 シグルドの率いる軍勢の様相は、レンスターの騎士団とはまるで異なっていた。
 様々な国の王族や騎士、さらに傭兵や盗賊までもが、同じ隊で戦っているのだ。普通の騎士団ではありえないことだった。
 だが、シグルドの気質がそうさせるのか、不思議と彼らの間に不協和音はない。
 その日も、久しぶりに晩餐会が行われることになり、一同が顔をあわせることになっていた。

「ねーねーラケシス! 見てよ、また山賊団からくすねてきたんだ! この首飾り、ラケシスにあげるよ」
「……デュー。わたしに盗品を押しつけるのはやめなさいと、前にも言ったでしょう」
「ぶー! ラケシスの潔癖! じゃあエーディンにあげちゃうもんね!」
「もう。子供なんだから……」

 走っていくデューを見送り、額に手をやりながら歩いていたラケシスは、足を止めた。進行方向に、大柄な男が立っていたからだ。
 彼の顔を見た途端、ラケシスの頬が険しくひきつった。

「どいてくださるかしら」
「ん? あんたが俺を避けていけばいいだろう?」

 腕を組んだベオウルフは、にやにやと笑う。

「このわたしに、わざわざ遠回りをしろというの?」
「おーおー、お貴族様はたった数歩の遠回りもイヤかい。姫に生まれるってのも難儀だねぇ」
「……っ、あなた、わたしをどれだけ愚弄すれば気が済むのです!?」
「ははは。『グロウ』ってなんだ? うまいのか? 俺は頭が悪いから、難しい言葉は通じねぇぜ」
「わかっているのでしょう!? ああ、もうっ、傭兵の分際で! とにかくそこをどきなさい!」
「やーなこった」

 ぎりぎりと歯ぎしりをするラケシスの姿に、周囲の者は含み笑いをする。


 主君とともに先に会場に入っていたフィンは、そわそわする気持ちを持て余しつつ、入り口のほうを何度も確認していた。
 今朝のラケシスとの会話が、頭の中に何度も反響している。

 ――あら、あなたも今日の晩餐会に来るの?
 ――もちろん。わたしは行くわよ。

 一日に二度も彼女と顔をあわせられる。そのきらめきの欠片に触れられる。
 たったそれだけで、心は浮足立っていた。
 そのとき、ようやくラケシスが会場に姿を現した。
 だが、その隣にベオウルフの姿があることに、フィンはわずかに息を詰まらせた。

「…………」

 ラケシスは不機嫌そうになにか喚いており、ベオウルフは余裕たっぷりに受け流している。
 それを見ているだけで、毒が胸に染み渡るように、体を痺れが支配していく。なぜだろう。目眩すら感じられて、フィンはそっと目を逸らす。

「どうかしたか?」
「いえ……」

 時期が時期だけあって、晩餐会はささやかなものだった。
 レンスターのように溢れんばかりの海と山の幸が盛りつけられているわけでも、百名にも及ぶ楽団が演奏をしているわけでもない。
 だが、その場にはほっとするような滋味のあるノディオン料理が並び、名産の色とりどりの花々に美しく彩られている。
 会自体も、和やかな空気の中で進められていった。
 特に、途中でエーディンの妊娠が発表されたときは、彼らの間に拍手と歓声が巻き起こった。
 夫であるミデェールは滅茶苦茶に飲まされて轟沈し、酒に乱れた者が一人二人と暴れだす。

「フィンさんは、もう飲まないの?」

 壁側に設けられた椅子に座っていたフィンの隣に座ったのは、アゼルであった。酔っているのか、すっかり顔が赤い。

「はい。お酒はあまり得意ではありませんし……」

 酔っ払った主君とその妻を連れて帰る使命がありますので、とは口には出さず、フィンは言葉を濁した。
 それに、なぜだろう。始まったときはあんなに期待に膨れていた気持ちは、穴が空いたようにしぼんでしまっていた。あまり、楽しみたい気分ではない。
 アゼルはそんなフィンの胸中を知らず、無邪気に相好を崩す。

「うん。僕もそんなに強くないんだ。なのに、レックスったら、無理矢理注ぐんだもんなぁ……」
「お水を持ってきましょうか」
「んー、ありがとう……」

 水のグラスを持ってきてやると、アゼルは礼を言って笑った。童顔を気にしているらしいが、こうしてみると本当に子供のようだ。
 だが、その実、彼は明晰な頭脳の持ち主でもあった。

「たぶん、もうすぐ出撃命令が下るだろうね」
「……そうなのですか?」
「うん。祝日でもないのに晩餐会なんて、普段のシグルド様がやることじゃない。きっと、アグストリアで、なにか動きがあったんだよ。この会は、戦いの前にみんなを盛り上げるためのものだろうな」

 出し物や歌が始まり、賑やかな様相を見せるシグルドたちのほうを見て、アゼルは寂しげに笑う。

「本当は、戦いなんてしないほうがいいんだけどね」
「……しかし、不思議です」
「なにが?」
「こんなに多くの国と家柄の人間が、同じ器の食べ物や酒を口にしているなんて……。私の国では、隣国とさえ戦をしているというのに」

 それは、フィンが本心から驚いていることだった。
 他国の人間は信用ならない。由緒正しい血筋を尊ぶレンスターにとって、これは常識ともいえる考え方であった。
 なのにシグルドの軍内では、過去にいがみあっていた者同士であっても、肩を並べて戦っているのだ。
 それはきっと、シグルドの人間的な魅力が成すものだろう。あの公子は、不思議と人を惹きつける力をもっている。

「だれもがシグルド様の号令のもと、正義のために戦っている。こうして国の境界なく手を取り合う状況は、いままでどこにもなかったのではないでしょうか」
「……それは、ちょっと違うんじゃないのかな」

 思わぬ否定に、フィンは目を瞬いた。
 アゼルは酔っ払っているためか、行儀悪く椅子の上で膝を抱えて続けた。

「ここにいる人たちはみんな、誰かのために戦っているんだよ」

 不意に胸を押された気がして、フィンはアゼルの横顔を見た。アゼルは微笑みながら続ける。

「たぶん、ここにいるのは、逆に国や家柄への執着がない人たちだよ。ただ、大切な人を助けるために、大事な人を守るために、武器をとって集まった。僕もその内の一人だ。僕は、さらわれたエーディンを助けたかった」

 フラれちゃったけどね――と、アゼルは自嘲気味に笑う。

「フィンさんもキュアン王子を助けるために、そしてキュアン王子はシグルド様を助けるために。はるばるレンスターから遠征をしてきたんでしょ?」
「私はただ、キュアン様の命令で……」
「でも助けになりたい気持ちは真実でしょ」

 アゼルは、きゅ、と自分のローブの裾を握った。

「誰かを思う気持ちに比べたら、国同士のいさかいなんてどうでもいいもの。そして、いくらでも強くなれる……」
「…………」

(そうだ。私は、キュアン様を助けたいがために戦っている)

 その言葉を胸に落とす――。当然の事実だ。落ちぶれた貴族の末弟に過ぎない自分を騎士見習いに取り立ててくれたのが、キュアンであった。その恩に報いるために、この身をすべてレンスターに捧げると誓ったのだ。
 なのに――。
 妙な違和感がある。
 別の衝動が、岩の間に染む水のように、胸の内から流れだしている。

 そのとき、大きな笑い声が聞こえてきた。
 見ると、盛り上がった場で、ラケシスが涙を浮かべて笑っていた。デューが滑稽な芸を披露したらしい。
 軍に加わって間もない彼女であるが、さっぱりした性格のためか、もうすっかり輪の中心に入っている。気位の高いところが、逆に傭兵や平民に人気を博しているらしい。

 しかし、他の人々と盛り上がる彼女を見ていると、辛い気持ちになってくる。
 自分ひとりが取り残されているのが嫌なのではない。あの場に混じりたいとは思わない。
 ただ、ただ。早く明日の朝が来ればいいと思った。あの厩の一時に戻りたいと、強く思った。
 まだ形にならない感情が、胸から染む衝動と交じり合って、フィンの息を詰まらせる。

「フィンさん、どうかしたの?」
「……いいえ」

 まさか言葉にできるはずもないと、フィンは眼を閉じた。
 そう。言えるはずもない。

 言ってしまえば、すべてが壊れる。その予感は、いくら心で否定をしても、打ち消しようがなかったのだ。


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