燃えるがごとき朝焼けに告ぐ


 夜明け前の静寂に、馬蹄が土を咬む音と、馬具の立てる金属音が続いていく。
 二頭の馬の手綱を引いて進むフィンは、城門の先で待っているキュアンの姿を見つけ、自然と背筋を正した。

「おう、フィン。いつも悪いな……ふああ」

 キュアンは、特大の欠伸をしながら自分の馬に騎乗した。フィンも同じように続く。互いの姿も、いまだはっきり見えないほどに、辺りは暗い。

「よーし、眠気覚ましだ。ちゃんとついてこいよ」
「はっ」

 早朝でもフィンは礼儀正しく返事をして、キュアンと共に早足で城下町を抜けた。草原に入ると、一気に速度をあげて走らせる。
 朝の早駆けの伴を命じられるのは、久しぶりであった。そもそも、壊滅的に寝起きの悪いキュアンは、あまり朝は動きたがらない。国王に雷を落とされて、渋々早起きをする、といった具合である。
 ところが、最近、キュアンは言われずとも早くに起きている。それほどまでに、政務が忙しくなったのである。
 早駆けに出たのは、彼の言う通り、連日の早起きですっきりしない頭を冷やすためだろう。フィンはそう思って、粛々と彼の後ろを走り続けた。

 まだすべてが蒼と黒で描かれる時刻である。レンスターに大きな恵みをもたらす田園風景が、薄闇の先に広がっている。
 それだけ見ていれば、平穏な世界の一景色でしかない。はるか地平の果てで、恐ろしい戦乱が起きているなど、ここからは想像もできない。
 だが、そうやって戦いから目を逸らすことは、許されない。レンスターの騎士であれば、なおのこと。
 そう自省し、気を取り直していると、キュアンはなだらかな斜面を登って小高い丘の上に至った。

「お、間に合ったか」

 丘からは、レンスターの広大な土地が一望できた。キュアンのお気に入りの場所だ。
 そのとき、東側の山の向こうの雲間から、まばゆい朝日が差しこんできた。フィンは思わず目を細める。キュアンは、薔薇色に染まる空と大地を、黒々とした瞳に映し出していた。

「フィン。おまえに言っておくことがある」
「はい」

 キュアンの後ろから、フィンは返事をする。背中を見せたまま、キュアンは言った。

「シグルドのやつが動き始めた。やつはすでにシレジアのザクソン城から出撃し、リューベック城の兵と睨み合っているそうだ」
「――はい」

 思いがけず緊迫した話になり、フィンは手綱を握りしめた。

「リューベック城にはドズル家のスワンチカがある。その先でも、レプトールがトールハンマーを手に待っているだろう」
「スワンチカにトールハンマー……。どちらも恐ろしい威力だと聞いています。では、キュアン様も」
「むろんシグルドの加勢に行く。レンスターはシグルドを支持すると、アズムール王に伝えるつもりだ。それに……」

 キュアンは、珍しく言いにくそうに話し始めた。

「レンスターの兵を何人かバーハラに忍ばせているんだが、亡きクルト王子の娘の件で、妙な報告があがってきている。アルヴィス公と結婚したというその娘、名をディアドラというそうだ」
「ディアドラ様……まさか、シグルド様の!?」
「名前だけなら偶然の一致かもしれん。だが、遠征に参加した者が顔を見たところによると、――本人に間違いないということだ」
「そんな……」
「国内でこのことを知っているのは、父上と俺とおまえだけだ。絶対に誰にも言うな。エスリンにもだ。泣かせることになる」
「は、はい」
「シグルドのやつも、バーハラでディアドラを見れば、何を仕出かすかわからん。やつを止められるのは、俺くらいだろう。強行軍になるが、すぐでも出発して、やつがバーハラに着く前に合流する」

 戦いの予感に、フィンの背筋が粟立った。城に戻ったら、すぐにでも遠征の準備をはじめなければならない。
 ところが、キュアンの口からは、予想外の指示がもたらされたのであった。

「フィン。おまえは、今回の遠征には参加させない。レンスター城に残れ」
「…………」

 命令を理解するまでに、数秒を要した。
 きっと自分は、捨てられた犬のような顔をしていたのだろう。朝焼けを背景にこちらを振り向いたキュアンが、苦笑した。

「そんな顔をするな。置いていく理由は、おまえを一番に信用しているからだよ」

 それならなおさら連れていって欲しかった。正式な騎士となった今こそ、キュアンの補佐官として役に立てると思ったのだ。
 彼がフィンを連れていかない理由も――考えられることは、ひとつしかなかった。

「……キュアン様。私が、また、詮ない感情に振り回されることを、恐れているのですか?」

 うつむきながら言う。ラケシスのことを思うと、いまだに息が苦しくなる。だが、それを理由にされるのは、あまりに情けなかった。
 するとキュアンは、これみよがしにため息をついた。

「バーカ。そんな私的なことで決めるか。フィン、おまえ、俺がこの国の王子だっていうこと、忘れてるだろ?」
「っ、そ、そんなことは!」
「おまえ、この世界は十年後、二十年後、どうなっていると思う?」
「えっ……」

 たじろぐフィンに、キュアンは淡く笑ってみせた。

「俺は平和な世であってくれたらいいと思っている。だが、このところ、どうも胸が騒ぐんだ。なにか悪いことが影で進んでいってるんじゃないかってな……」

 後から考えれば、それは聖戦士ノヴァの直系であるキュアンだからこそ感じた直感だったのかもしれない。
 しかし、ただの人間であるフィンには、主の言っていることがよくわからなかった。ただ、世界的に情勢が不安定であることは知っていたため、戦乱がレンスターにまで及ぶことを危惧しているのだと理解した。

「今回は、エスリンも置いていくつもりだ。リーフを産んだばかりで、本調子じゃないしな。――だから、フィン。おまえには俺の代わりに、俺の家族を守ってほしい。俺が教えたとおりに物事を見ていれば……おまえなら、きっと危機を察知できるはずだ」
「…………はい」
「ま、おまえがいないと俺が朝起きれるかどうかが問題だな。寝坊だけは気をつけるよ」

 うなずきながらも、フィンは不満だった。レンスター城に残された王家の人間なら、他の騎士たちがいくらでも守ってくれる。守り手が自分である必要はない。
 それに、キュアンの言う危機が具体的に何なのかもわからなかった。だから、うまく言いくるめられたように思えたのだ。

 キュアンはそんなフィンの胸中を、どこまで察したのだろうか。彼は笑って、もう一度、短く告げた。

「フィン、頼むぞ」

 朝焼けに照らされたキュアンの笑顔を、フィンは、生涯忘れることはなかった。

 後から彼は、このときの会話を何度も思い返すようになる。

 なぜ自分はキュアンの本意を理解せずに、不満に口を閉ざしてしまったのだろう。
 もっと話しておけばよかった。尋ねておけばよかった。この世界で、いまなにが起きようとしているのか。そして、自分はなにをすべきなのか。主君の言葉を、心に刻んでおくべきだった。
 道に迷うたびにフィンは、この日のことを思い出しては後悔するのだった。


 ――二ヶ月後、レンスターには、イード砂漠の悲劇の報がもたらされることになる。


 続きの話(ベオラケの直接表現が入りますのでご注意ください)
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