王子と見習い騎士による恋愛考察 フィンに関する感情を包み隠さずに言えば、友情と信頼と尊敬と、放っておけない気持ち。あとは、ほんのかすかな嫉妬。 グレイドは、そんな親友がシアルフィ遠征に抜擢されたとき、やはりと思い、そしてちくしょうとも感じたものだった。 数年前、共に見習い騎士として仕官したフィンは、大人しく控えめな性格で、栄えあるレンスター騎士への第一歩と喜び勇む同期の中では、目立たない存在だった。元々が親分気質のグレイドは、そんなフィンが孤立しないように声をかけ、友になったのだ。 フィンの槍術は訓練の中では平凡で、グレイドと練習試合をしても、勝敗は五分五分であった。ただ、フィンと戦っているとき、彼は時折、獣のように鋭い眼差しをすることがあって――そういったときは、必ずグレイドは負けてしまうのであった。 フィンが特別視されるようになったのは、キュアン王子が訓練の様子を見に来た日のことだった。 キュアンは、レンスター王国では珍しく血統にこだわらない性格の持ち主で、身分に関係なく素質ありとみなした子供を積極的に見習い騎士に上げることで有名であった。彼に取り立ててもらった見習い騎士たちは、ぜひキュアンに日頃の成果を見てもらうのだと意気込んでいた。 ところが、訓練を視察してまわっていたキュアンは、思いがけない人物の前で立ち止まったのである。 「おまえは確か、フィンといったな」 フィン自身も、まさか自分が声をかけられるとは思っていなかったのだろう。キョトンと瞬きをして、慌てて礼の姿勢をとった。槍術の教師も驚いたようで、「いやこの子は取り立てて筋が良いというわけでもありません」と口をだす。 キュアンは快活に笑いながらも、教師の言い分を否定した。 「一番、実戦を考えた動きをしている。目を瞑らないのもいい。どら、俺が稽古をつけてやろう」 キュアンの見立てが正しかったことは、ほどなくして証明された。 騎士団のおまけで参加したアルスター軍との模擬戦で、フィンは相手の騎士を4名も倒したのである。 一対一での訓練に慣れた見習い騎士たちは、四方八方から攻撃を受ける会戦では散々な結果に終わっていた。しかしフィンだけが、隙のない槍さばきで攻撃を防ぎ、容赦無い一撃を相手に叩きこむことができたのだ。 ただ、フィンはそのことを自慢するでもなく、「運が良かったから」とはにかみながら言うだけだった。 そんな様子がおかしくて、だからグレイドはフィンを嫌いになることができなかった。 シアルフィへの遠征の伴についても、見習い騎士としては異例の命令であった。キュアンはそれだけの期待を彼にかけているのだろう。 グレイドは悔しかった。遠征などという実戦経験の塊によって、さらに差をつけられてしまうように思えたのであった。 フィンが遠征に行っている間、グレイドは負けるものかと訓練や任務に打ちこんだ。なんでもいいから任務をくれとゼーベイア将軍に詰め寄ってつまみ出されたことは、一度や二度ではない。ついでに、「いつも任務を求めて走り回る若造」と城内で噂され、ドリアス宰相の娘セルフィナがその真剣さを見て頬を染めていたことも、知る由もない。 そしてフィンが帰ってくると知ったとき。グレイドは彼の成長ぶりがいかなるものかと、期待半分、怖さ半分で夜を明かしたものであった。 ところが、フィンの様子は、彼が予想していたものとは大きく異なっていた。 はじめ見たときは、別人とさえ思ったのだ。 彼の荒んだ目は、まるで長い冬を一匹で越えて生きてきた獣のようだった。 持ち前のやわらかな空気は、嘘のように消えていた。気安く話しかけられない硬質な雰囲気が、そこにあった。 「よ、よう、フィン。久しぶりだな」 「――ああ、グレイド。元気そうで、よかった」 意を決して声をかけると、フィンは僅かながら親しげな笑みを見せてくれた。ただ、彼の身がまとう仄暗さは、消えることがなかった。 さらに、彼の槍の腕前については、冗談ではない、という域にまで達していた。久しぶりに練習試合をしたとき、グレイドはいつ自分が馬から突き落とされたのかも理解することができなかった。フィンの瞳には、異様な凄みが漂っているように思えた。 彼に、一体なにがあったのだ。 親友の変貌に悶々としていたところ、休憩中に現れたキュアンが、その理由を教えてくれた。 「失恋!!? やつが!!?」 グレイドは王子の前であることを忘れて絶叫した。 「グレイド、キュアン様に失礼よ」 なぜかこのところよく練習場に見学にくるようになったセルフィナが、眉を釣り上げてたしなめる。 「あっ、すみません。でも、自分はもっと、恐ろしい命のやりとりをしたとか、戦の現実を見たとか、そういう理由だと思っていたので」 「ああ。俺も正直、予想外だった。まさかあそこまで引きずるとはな……」 部下の無礼に寛大――というか全くその手のことを気にしないキュアンは、こめかみを揉みながらため息をついた。 「それで、キュアン様。フィンの恋の相手は、どんな人だったんです?」 色恋沙汰とわかれば、興味が湧くのが人の性である。グレイドは目を光らせた。 「あいつはこれまで、どんな美人にも反応しなかったんです。そんなあいつをメロメロにさせた女がいるなんて、気になるじゃないですか」 「よっぽど気立ての良い方だったのではないですか? フィンは、見た目よりも中身を重んじそうだわ」 セルフィナも、下世話な会話に若干眉をしかめながらも、興味津々といった様子だ。 「それがな……」 キュアンは心なしか、げっそりした顔で相手の名を告げた。 「ノディオンの姫ぇ!!? やつの相手が!!?」 グレイドは再度、王子の前であることを忘れて絶叫した。 「ノディオンのラケシス様といえば、聞いたことがありますわ。なんでも目もくらむほどの絶世の美女で、彼女に会った女性はみな恥ずかしさに顔を隠してしまうとか……」 「おおお、俺はいままであいつが面喰いじゃあないと思ってたが、蓋を開ければ最高に程度の高い面喰いだったってことか! ああ、身の程知らずめ! 殴ってやりたい!」 「グレイド、落ち着いて」 どうどう、と馬のようになだめられる。セルフィナはそのまま、気遣わしげに問うた。 「つまりフィンは、振られてしまったということですか?」 「いいや。それがまた、複雑でな」 ため息まじりに、キュアンは事実を並べていった。 「…………あー……」 グレイドは、絶叫する代わりに、気まずげに目を逸らした。 「それは、辛い話ですね……。身分違いと諦めた矢先に、相手が傭兵と恋に落ちてしまうなんて」 セルフィナが胸に手をやって、痛ましげにつぶやく。 「フィンは優しい人です。きっとなにも言えずに身を引いたに違いありませんわ……」 「優しいんじゃない。奥手すぎるだけだ。だから今も未練タラタラなんだろう」 グレイドが憮然と言うと、キュアンが淡く笑った。 「まあ、うまく忘れてくれるのが一番いいんだがな……グレイド。いい女がいたら、紹介してやってくれるか」 「いいですけど、……うーん、あまり心当たりがないな」 ぴくりと、セルフィナの眉が動いた。 「……グレイド。私の目の前で、いい女がいないっていうの?」 「ああ? なんだ、おまえ、フィンの恋人になりたいのか?」 「ちっ、違います! もうグレイドなんて知らないわ!!」 「は? ちょっと、おい、待てよセルフィナ!?」 賑やかな若者たちに苦笑しながら、キュアンは息を抜いた。 (奥手すぎる、か。確かにグレイドの言うとおりだ) もうひとつ、グレイドが口の端に乗せたことは正鵠を得ていた。 フィンがあそこまで変わった理由。それは、クロスナイツとの戦いで本物の死線をくぐったからだ。 彼の才能は、戦場で血を浴びながら目覚めていく類のものだ。キュアンはそう確信している。 なぜなら、――キュアンは見てしまったのだ。 魔剣ミストルティンを前にしたフィンが、放たれる妖気に打ち勝つどころか、顔色ひとつ変えることなく向かっていったところを――。 (ゲイボルグがなければ、3年後には俺が一本とられるかもしれん) もはやフィンの叙勲式も間近だ。レンスターの正式な騎士となるフィンは、きっとこれからレンスター王国を担う存在になっていくのだろう。 だが、その有り様は薄闇に包まれ、いまだにおぼつかない。 だからキュアンは、こう言わずにはいられなかった。 「おまえたち。これからも、フィンの助けになってやってくれ」 突然の王子の頼みごとに、グレイドとセルフィナは言い争いをやめて目を瞬いた。 もしもフィンが影から救われることがあるなら、それはきっと、信頼する仲間が手を差し伸べるからだろう。 それほどまでに、仲間とは尊い。 「はい、もちろんです、キュアン様。フィンは私の弟分ですから」 「任せてください。レンスターの女は、大事な友達を見捨てたりはしませんわ」 どうか、自分たちのように彼らが袂を分かつことがないように。 無邪気に答える二人に、キュアンは心の底から祈りながら、ありがとう、と言った。 続きの話 戻る |