-紫翼-
末章:レーヴェヴォール

23.彼が従える闇



 黒衣に身を包んだ老人は、金属の塊を掴みあげたまま、反対の手で杖を掲げた。
「――出でよ。哀れなる歪みの代価」
 印を切ると、ぱきん、と小気味良い音と共に中央に嵌っていた宝石が外れる。金属の本体が床に落ちるのには見向きもせず、ダルマンは宙に浮かんだ宝石を掴み取った。
「なんです、それ」
「クク。見ていろ」
 摘んだそれを陽光に透かし、魔術をかける。すると覆いが剥がれ落ちるように、宝石の色が変色した。燃えるような紅から、幻惑的な紫へと。
「――えっ」
 瞬間、スアローグは肌を撫でる魔力に身の毛を立たせた。普段目にする魔力を秘めた水晶などとは次元が違う、薄ら寒くなるような強大な魔力に圧倒され、胃の辺りを押さえる。
 そして同時に気がついた。陽光を弾いてまばゆく輝くその色が、友人の目の色にそっくりなのだと。
「宝珠から魔力を抽出し、石に封じたのだろう。巧妙に隠したものよ。クク、セトルド・ヴァレナスめ。己の業を残さずにはいられぬのが学徒の性か」
 スアローグは全ての事情を断片的にしか知らなかった。だが、それでもそれらを積み合わせれば、この歪みの輪郭を悟ることが出来た。
 ある日突然編入してきた奇妙な紫の少年。
 少年の保護者を名乗る学園長。
 頻発する奇妙な事件。
 そして、黒衣の老人が語る、世界をも揺るがす宝珠の力。
「……」
 老人は暫くそれを光に透かして眺めていたが、つと何かに気付いて顔をあげ、スアローグに宝珠を放った。
「わあっ!?」
 心臓が凍りつく思いでスアローグはそれを両手で受け止め、火を触るように遊ばせる。
「やかましい。触れた程度で死ぬわけでもなかろうが」

 泣き出しそうな男子生徒に一瞥をくれて、ダルマンは眇めた目を窓の外へ向けた。色あせた眼光は隙なく都市を睥睨し、そこにある異物を補足する。
「……出来損ないの生き残りか」
 小柄な灰色の影が屋根の上に立ち、南の空を睨み据えている。瓦礫と見間違うほどの小ささでそこにいる子供は、まるで何かが来るのを待っているかのようだった。
「ふむ」
 ダルマンは顎を親指でなぞり、半眼で思案する。一度は杖を振り上げかけたが、それをやめて恐ろしいことを口走った。
「小僧。魔術を用いてあの出来損ないをここへ呼べ」
「はい?」
 腫れ物を触るように両手で宝珠を捧げ持っていたスアローグは、間抜けな返答をして、そして色を失った。
「二度も言わせるでない。もう痴呆でも始まったか?」
「……」
 どっかりと椅子に腰掛けた黒ローブの老人の前で、スアローグは顔の筋肉を弛緩させたままだった。
「な、なにをする気で」
 震える唇では、そう紡ぐのが精一杯だった。ダルマンはフンと鼻を鳴らし、褪せた瞳を眇める。
「私は疲れた。代わりにやれと言っている」
 断るか? と問いかける目線に、スアローグはたじろいだ。断ればどれほどの罵倒が待っているだろう。ここまできて誇りも何もあったものではないが、この眼光に晒されるのは恐ろしかった。
 そんな少年の内心を見透かしたのだろうか。ダルマンは薄く笑った。
「この地を守りたいのではないのか?」
 心臓を直接叩かれた気分だった。スアローグは唇を噛み締め、窓の外を睨んだ。
「石の力を用いて干渉しろ。大した魔力はいらん、波長で向こうも気付くだろう」
 無茶を言う、と内心で毒づく。物質を介して使う魔術は、効果は高いが難易度も高い。そんな高等な技を望むなど、自分はただの学生なのだと反論したくなる。
 だが、開きかけたスアローグの口がそれを紡ぐことはなかった。老人は倣岸な態度こそ崩していないが、その頬は死人のように生気がない。ここに至るまで高等な魔術を行使し続けたのだ。体に負担がかからぬわけがなかった。
 手の中の固い感触を確かめるように拳を握り、スアローグは顎を引いた。世界はもうすぐ終わるのかもしれない。けれど、拙い夢を守るために、何故か体は動いてくれた。


 ***


 世界から切り離された闇に囚われて、小さな子供が膝を抱えている。
 裕福な家庭は、財力に見合うだけの調度品で整えられていた。しかし、それが必ずしも幸福の象徴になるとは限らない。
 複雑な模様を描く絨毯で敷き詰められた床は、足元がふわふわして嫌いだった。純白の卓布は目を焼き、暖炉の炎は地獄の業火のように爆ぜる。絵画はその固い角が死を連想させ、頭上から降り注ぐ光はそんな闇を何もかも暴いてしまう。
 だからあらゆる光を遮断して、暖炉の脇で丸くなっていた。
 銀のナイフを握り締めた手が汗でぬるつく。不快なそれを服で拭いかったが、その間に祖父が帰ってきたらと思うと出来なかった。
 学者の祖父。政治家の父親。傍から見れば輝かしい一家。しかしその実、家庭は煉獄のようだった。
 神経質な祖父は、事ある毎に子供を痛めつけた。気を病んだ母は早くにこの世を去り、子供は母の顔も知らない。父は子供の不幸に無関心で、ほとんど家にいない。
 祖父は出かけると、一ヶ月は帰ってこない。しかし一度帰宅すると数日は地獄が続く。物音を鳴らせた、背筋が悪い、目が合った。あらゆる理由で腕を振り上げられた。
 あれは、悪いものだ。絵本にでてくる、黒や紫で表現されたどろどろと大きなもの。それが祖父だ。
 荒ぶる呼吸を苦心して鎮めつつ、ひたすらそれを屠る時を待ったのだ。

 そして、時は満ちる。カーテンすら締め切った闇の中で、子供は喉を鳴らした。玄関の方で人の気配があった。それは試練の始まりを告げる鐘の音。戦え、と子供に告げる。子供は眦を吊り上げ、牙を剥き、闇が居間に現れるのを待つ。
 扉が開き、廊下から光が差し込んだ。獣のように唸りながら飛び出し、入ってきたものにぶつかった。一瞬の出来事、避ける間もなく大人の腹に刃が吸い込まれる。
 肉を絶つ恐ろしい感触に、子供はぴくりと動きを止めた。しかし、耳元で太い腕が動くのを感じ取ると、全ての感情が消し飛んだ。渾身の力で刃を引き抜き、別のところへ刺す。敵が化け物じみた咆哮をあげている。闇に紛れて、体が踊る。意識は離れた場所にあるようだった。
 何がどうなったのか。数秒だったのか数分だったのか。
 何もかもが重たい闇に包まれる。
 子供はふと顔をあげる。子供は一人で闇に立っていた。一体、自分は何処にいるのだろう。体が妙に冷たい。肌に粘つくものが塗りたくられ、吐き気がするほど不快だった。心臓は今にも破裂しそうで、呼気はヒューヒューとすすり泣くようだった。
 開かれた扉から、光が漏れている。辿っていくと、己の足元に辿り着く寸前に、伏した骸が見えた。
 ああ、ついにやったのだ。
 勝利の雄叫びも、歓喜の震えもなく、ただそう思った。それに、違和感に気付いてもいたのだ。
 祖父はこんなに太っていたろうか。こんなに髪が黒々としているのは血と闇のせいだろうか。
 そのとき玄関が激しく叩かれる音を耳に聞き、子供は我に返った。叫び声を聞いた者がいたのだろう。誰かの名を呼び、玄関に体当たりをしている。赤黒いナイフが絨毯に落ち、大して跳ね返ることもなく横たわる。
 敵を屠った後にすべきことは、予め考えてあった。踵を返して窓に取り付き、荒々しく開く。玄関が破られた音がする。そして雪崩れ込んできた男が居間に辿り着くのと、レンデバーがへたりこむのは同時だった。

 光が弾けた。入ってきた男が居間の電気をつけたのだ。悪夢は瞬時に晴れ、子供は自身の計画の成功を確信した。
 その筈だった。
「――」
 男は口元を手で覆い、凄惨な光景を前にふらふらと後ずさった。部屋は血みどろだった。滅多刺しにされた骸を眼下に、男が生前の名を呟く。男は骸の友人であったのだ。
 そしてその名を聞いて、血にまみれて座り込んでいた子供は琥珀色の瞳を呆然と見開いた。伏していたのは祖父ではなかった。久しぶりに見た父が、臓腑を引き裂かれて事切れていたのだ。
 視界が真っ白になった。
「知らない人が突然入ってきて」
「殺して」
「窓から、でていきました」
「大きな男の人、頭の禿げた」
「僕はただ、怖くて……」
 己の喉が勝手に紡ぐ言葉を、他人事のように聞く。
 そう。それからだ。自分の言葉が、薄膜の向こうに聞こえるようになったのは。物事が心の上を滑るだけになったのは。

 敵を倒すことが出来なかった。

 疵は、その一言に尽きた。
 祖父は煙のように姿を消した。いくら探しても、見つけることは出来なかった。
 闇はまだある。自分はしくじったのだ。恐ろしいものを屠ることが出来なかったのだ。
 抜け落ちた記憶の先、気がつけば己の身柄は家に入ってきた男に引き取られていた。煉獄の家庭は、そうしてこの世から姿を消した。
 しかし、闇があることに変わりはない。
 屠らなければ。とどめを刺さなければ――。


 ***


 グレイヘイズは、はっと目を見開いた。
 体が横に流れ、慌てて足に力を込める。なのに体は風に揺れる火のように頼りなく、今にも崩れてしまいそうな気がした。
『なんなんだ、ここは』
 灰色の胎の魔力は、グレイヘイズでも分かるほどに密度を増していた。一歩一歩が重たく、深海を歩いているようだ。じわじわと肌から侵食してくる魔力の中を行くのは、終わらない悪夢を思わせた。
 主人との唯一の連絡手段であった無線機は魔力の干渉によってその機能を停止し、グレイヘイズは絶海の孤島に取り残されたも同然だ。この状況下では、本来なら外で待機しているべきだった。きっと主人は災厄の予兆に気付き、行動を起こしているだろう。本来は一人で何でも出来る主人のだ。そんな中でろくな装備もなく踏み込むなど、正気の沙汰ではない。
 なのに、気がつけばこうして彷徨っている。何をしているのだと糾弾する理性の傍ら、耐え難い不安が足を突き動かしている。この胎はどちらにせよ時を置かずに滅ぶだろう。だが、それは主人の命まで奪ってしまいそうで。
『それを、恐れている』
 グレイヘイズは自らにこんな衝動があったのかと驚き、同時に戦慄し、そして苦笑していた。主人との主従の仲、それは上辺のものでしかない。実際は監視するものとされるものの間柄だった。故に主人の胸に潜む闇など、知る由もなかった筈だ。彼の昏い瞳が見るものについて考えてはいけない、そう理解していた筈だった。
 そしてそれを実践していたというのに、耐え難い不安がある。
 主人のこの事件への執着ぶりに、グレイヘイズは奇妙なものを感じていた。冷酷な判断の元に動く主人は、今回に限って妙に感情的な面を見せることが多かった。焦燥というのだろうか。何かに急かされるように主人は真相を欲していた。
 それに、あの主人の力を過信するわけではないが――彼がその気になれば、とっくにこの胎の動きなど止められているのではないかとも思うのだ。先ほど発見した首謀者は、戦闘力は素人同然だった。主人が梃子摺るような相手ではない。
 では、彼は何をしているのか。

 主人の後姿を見つけたとき、その頼りなさにグレイヘイズは息を呑んだ。
 終わらない回廊の一角、一つの扉が中途半端に開いていた。その向こうの暗がりに、彼の主人は沈んでいた。
 光を塗せば輝く筈の髪は今や暗闇に沈み、細い体は屈んで何かを調べている。きっと気配でこちらにも気付いていたのだろう。しかし主人は無防備に背中を晒したままだった。
 それはまるで、今すぐこの体を撃ってくれとでも言うようで。
 ――撃つことが出来たらどれほど楽だったのだろう。
 否。その為にこそ、グレイヘイズは主人の心に潜む闇を見ないようにしてきた。いつでも命令を全う出来るよう、視線を背け続けた筈だった。
 そして主人も監視人を懐柔しなかった。己が抱く歪みの根底などおくびにも出さず、ただ勝手気ままな主人として笑っていた。
 ――なのに、気がつけば、あの瞳は何を見ているのだろうと疑問を抱き、考えるなと思いながらも、その歪みが決定的にならぬよう願っていた。
「レンデバー」
 年下の男の名を呼ぶ。主人は答えなかった。ふらりと立ち上がり、持っていた身分証のような札を地に放った。グレイヘイズは頬を歪め、捨てられた札に目を落とした。すっかり古びて茶けたそれは名札のようだ。ヒーザーという名が刻んであるのは分かったが、それ以上は朽ちて読めない。そして主人は無感動な動きで懐から拳銃を取り出し、そこにある何か目掛けて立て続けに引き金を絞った。
 銃声はまるで現実感がなく、ただ重たい響きだけを耳に残す。全て撃ち終わると、細い指は手際良く弾を装填し、再び引き金を引く。銃口が無感動に弾丸を噴く。
「レンデバー。やめて下さい」
 部下の呼びかけに、反応はなかった。
 硝煙の臭いが立ち込める中、きっと主人が撃っているのはこの札の持ち主の遺骸だろう。グレイヘイズは無表情に攻撃を続ける主人の背中を見つめた。
 彼の背を打つべき時がきたのだろうと、彼はわかっていた。しかし腕は鉛のように動かなかった。
 歪みが決定的なものになることを恐れてはいたが、一体境界線とは何処にあるのだろうと思う。何をもって行動は狂気となるのだろう。弾薬が炸裂する音を聞きながら、そこに感じるのは畏怖でも絶望でもなく、ただの悲しみだった。
 決定的な瞬間など訪れはしない。始めは透徹だったものも歪み、風化し、空虚となる。だからだろうか、こんなにも銃声に重みが感じられないのは。
 暫くして、主人は弾を使い果たしたらしい。不気味な反響は細波のように引いていく。
「撃たないの?」
 ゆらりとレンデバーは振り向いた。垂れた腕に、重たい金属の塊をぶら下げたまま。動かない従者を見て、レンデバーの猫のような瞳は歪むように笑った。
「なら、今ここで君を殺したっていい。一発だけね、残ってるんだ」
 美しい形をしたその指は引き金にかかったままだ。グレイヘイズは微動だにせず、レンデバーと彼が従える闇を見据える。主人の足元に打ち捨てられたは、もういつ朽ちたのか分からない骸。こんなものを追い求めて主人は走り続けたのだろうか。そして今、この状況で、こんなものが主人の足を止めさせたというのか。
 そうなのだろう。だからこそ彼は笑っているのだ。その虚無を自覚したからこそ、終焉を願うのだ。
 歪みだらけだった。先ほどの男といい、あの少年といい、主人といい。そして同時に、馬鹿ではないかとグレイヘイズは思う。思い悩むも夢を見るも結構だ。しかしそこに虚無を見たからといって終焉を望むのでは、怠惰の他に言い様があるだろうか。狂気など抱えたこともない自分だからこんなことを考えるのだろうが、それにしたって、そんな甘さを認めるほど世界は優しくない。
 本来なら望み通り息の根を止めて、終わらせてやればいいのだろう。成すべきことを理解した上で、グレイヘイズは重たい口を冷笑の形に開いた。

「あなたらしくもない」
 ぴくりと細い肩が揺れる。闇の中から主人がこちらを凝視する。
「任務はどうしたのです。私情に流されて事態を疎かにするなど。腕利きの諜報員が聞いて呆れますね」
 片方ずつ違う色をした目は淡々と罵るグレイヘイズを映し、暫く不思議そうにした後、鋭く細められた。嘲笑されて黙っているような人間ではないのだ、この主人は。
 それでいい。グレイヘイズは軽く息を吐き出し、更に続けた。
「ユラス・アティルドや宝珠を見つけることは出来たのですか? 見るところ、状況は随分と深刻なもののように見えますが。まさか何もしていなかったとでも仰るつもりですか」
 紡ぎながらグレイヘイズは、己の愚かさに哂った。自分はきっと、見ていたいだけだ。気ままに飄々と生きる主人の自由な姿を。適当なようでその腕に隙はなく、いつだって長い足を踏み出して一番先に結果を掴み取ってくる。無茶苦茶な主人だったが、それでもその下で働くのは楽しかった。
 時に酷薄な色を見せるその横顔は、きっとどのような闇でも切り捌いてみせるのだろうと。
 そんな夢を見て、今もそれを望んでいるのだろう。
 レンデバーは何かを言いかけたが、唐突にその瞳が弾けた。ミシリ、と嫌な音が耳に届いた瞬間、グレイヘイズは腰を低くして地を蹴っていた。機敏な動作で主人の胴を腕に抱くと同時に足元が割れた。天地も割れよと言わんばかりの激動に、胎の崩落が本格的なものとなったのだ。
『間に合わない』
 とって返すように部屋を飛び出し回廊を抜けようとするが、激震の中では大した速度がでない。至るところで揺すぶられた床が崩落していく。人の体重を乗せた足元がそれに耐えられる筈もなく、ぱっくりと階下への穴が口を開く。
「グレイヘイズ!」
 不意に主人の鋭い呼びかけが耳朶を撃ち、グレイヘイズは背後に目を向けた。屈強な腕に固定される形になったレンデバーが、両手で構えた拳銃の引き金を絞る。銃弾は上方を這っていた黒い管の一つを打ち抜き、切れたそれが重力によってこちらに降ってきた。
 肺腑が持ち上がる浮遊感に体温が消し飛ぶのを感じながらも、グレイヘイズは迷うことなう主人を解き放ち、空いた手で管を掴んだ。落下を無理に止められた衝撃が腕を襲ったが、歯を食いしばってこらえる。
 上方を見上げると、レンデバーの靴が見えた。向こうも管を掴んでくれたらしい。どうにか命を繋いでくれたようだ。グレイヘイズはその事実に胸を撫で下ろす。
 管は老朽化して今にも千切れそうだった為、急いで階下に降りると、主人も軽やかに続いた。レンデバーは暫く呆けた顔で虚空を見つめていた。そうして片手に持った銃を眺め、ぽつりと呟いた。
「撃っちゃった。最後だったのに」
「何をやってるんですか」
 グレイヘイズは心の奥底から溜息をつき、懐から新しい弾を出して放った。受け取ったレンデバーは不思議そうな顔をしたが、それも瞬時のこと。表情にはいつもの人を食らう笑みが戻っている。
 それでいい、とグレイヘイズは思った。夢を望むことは己の身勝手だが、それでも望んだことは事実だ。歪みながらも、この主人に立っていて欲しいと。
「レンデバー、指示を」
 足をつけた場所はまだ平坦な床が保たれている。ここから上へ行くか下へ潜るか。眠れる胎は終焉に向けて動きだしているようだ。
 するとレンデバーは、揺れる足元など意にも解さない様子で瞑目した。魔力の流れを探っているのだろう。
「……ユラス君」
 小さく唇を動かした様は、そう言っているように見える。既に轟音の嵐で小さな声など聞き取れないのだ。
「ユラス君の声が聞こえる」
 レンデバーは振り向き、肌を叩く魔力の渦の中で僅かに頬を歪ませた。




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