-紫翼-
二章:星に願いを

18.色のない



 自分のその右手で何をしようとしているのか、分かっているのか。こいつらは。
 それを成す為に、一体どれだけの犠牲が必要なのか。
 そして、成した後には、何が待っているのか。

 許してくれ。私を許してくれ。
 ――ユラス。どうか。

 冷酷な懺悔だ。許せる筈もない。
 だって、その時の俺は。俺は――。
「……何をしようとした」
 低くひび割れたそれが自分の声だとは思えなかった。怒りも度を越すと逆に冷静になるらしい。俺は奇妙に静かな舞台の上で、浮かべるべき表情すらも思いつけずに人間たちを見据えていた。そうだ。普通の人間たちをだ。
「何と申しますと?」
 突然の襲来者となった俺に、始めは呆気にとられていたクラーレットが切り返してくる。

 薄闇に並ぶ試験管。
 半透明の液体で満たされた容器。
 無骨な金属の煌めき、まるで網膜すら焼くような。
 詰まるような息苦しい刺激臭は、同時に胸の底に突き刺さる。
 嫌な耳鳴りがしている。その音を拾うことを拒否しているのか。
 まるで、鋭利なガラス片で額を串刺しにされたようだ。
 何故だろう。目で見ている筈なのに、直接脳に情報が送り込まれる。現実はここにある筈なのに、瞼の裏に映るのは――。

 ――ごぽごぽごぽごぽ。
 ああ。なんて懐かしい。

 口の端を引き結んだままの俺に対峙して、クラーレットは笑う。
「先輩。よくいらして下さいました。歓迎しますよ」
 彼の隣には見知らぬ生徒とよく見知った生徒が一人ずつ。よく見知った奴は、目を見張っていた。俺がここを知っていることも知らなかったようだ。
「よう、エディオ」
 ほぼ悪態に近い呼びかけが、口をついてでた。俺だって驚いている。なんでこいつがこんな場所にいるんだ。
「帰ってこないと思ったら、こんなところにいたのか」
「ああ。先輩とお知り合いだったのですか。丁度今、被験者になって頂いてるんですよ」
「何のだ」
 机に置かれた薬品名に目を通せば、大体やろうとしたことは分かる。それでも問わずにはいられなかった。答えは、見知らぬ生徒の方が受け継いだ。灰がかった茶髪を短く跳ねさせ、クラーレットによく似た顔立ちをしている。兄なのだろう。
「アレナリー法に基づく――いや、難しいこと言っても分からないか。後で論文を読むといい。かいつまんで言えば、人の持つ潜在能力の解放――といったところだ」
「出来るわけがない」
「皆そう言うだろうよ」
 そいつは小馬鹿にするような視線をくれて、肩をすくめてみせた。
「お目出度い脳なしのサルどもはな。口だけ吠えてどうせ何も出来やしない。代わりに俺たちがやるんだよ」
「先輩も論文を是非読んでみて下さい。難解な論理を展開しているので、まだ解読できていない部分もあるのですが。先輩のお力も貸して頂きたいと思います」
 そうクラーレットが紙束を手にする。中身は見たくない――絶対に、何があっても。
「アレナリー法は」
 だから、押し付けられる前に強く言いきった。考えなくとも、勝手に言葉は滑り出した。
「失敗する。その手法はゼル段階で幻覚症状を引き起こす可能性が高い。中脳辺縁系の神経の影響を考慮しないからな。被験者の精神の著しい損傷を招き、最悪の場合、脳の壊死に至る」
「――」
 まさか俺からそんな反論がでるとは思っていなかったんだろう。それぞれが、言葉を失くしてこちらを凝視している。クラーレットが不審げに眉を寄せて、差し出そうとした論文を胸に戻した。それを一瞥して、俺は片頬を引き上げて嗤った。
「言っとくけど。多分、その論文の理論は間違ってる。成功するまでやってると、死人の山でこの部屋が埋まるぞ」
「……先輩は、この論文をご存知だったのですか――いいえ、この研究に関わったことがあるのですか」
 知らない。そんなこと、知りたくもない。
 なのに喜色すら浮かべたクラーレットは、一歩を踏み出してくる。
「ならば尚のこと力を貸して下さい。僕たちには、先輩の力が必要なんです」
 冷水を浴びた気分にさせるような嬉しげな誘いは、耳障り以外の何でもない。
「冗談じゃない」
 だからそう切った。
「そんなもの作って、どうするんだ。そこに行きつくまでにどんな犠牲がでると思ってる、そこまでしてやることなのか!」
 指先がわななく。力任せに全てを壊してしまいたいと願う自分がいる。
「――なんだお前、怖いのか」
 立っている筈なのに、どちらを向いているのか分からない。見開いたままの目には、遠い大地が映っている。
 嘲弄には慣れている。幾重にもぶれて、けれどそれらは確実にここまで届いていたのだから。
「事を成すのに代償は必要だろう、自分の手を汚さずに名を残せるとでも思ってるのか? ああ。それとも、自分よりも良くできた生命が作り出されるのが恐ろしいか」
 どちらも見当外れだ。なのに、時は続く。正しきも間違いも、何もかも飲みこんで。
「でもそれは、それだけのものを俺たちが生み出したってことだよ。優れたものがこの地の支配者になる。劣るものに与えられるものはない、当然の真理だ」
「そう。素晴らしいではないですか。もしも、僕たちを越える能力を持つものが作れたとしたら――」
 ぱっと視界が眩んだ気がした。
「人間はまた一つ、進化するのです」
 右手に力が入った。気がついたら、そこから煌めきが零れだしていた。
 ああ。そうだ、理由などないのだろう。
 人はその先にある絶望など、味わわない限りは知ることもないのだろう。
 そして、俺は。



 こんな奴らによって、生み出されたのだ。



「……けるな」
 奴らに驚愕させる時間すら、俺は与えなかった。
「ふざけるな!!」
 子供騙しみたいな結界など一瞬で突き破る。鼓膜すら破るような破裂音が世界を揺るがす。力まかせに振り払った右手が怒りの波動を生みだして、すぐそこにあった壁がひしゃげてへこむ。
 そう。こんな力を持っていたとしても、優れているなんて思ったことはない。欲しいと思ったことすらない。
 傷つけられれば痛いし、他人の心が分かるわけでもない。
 だから温かい場所を探して彷徨っている。今だって。
 ――こんな自分に取り分けられるものなどあるのかと震えながらも。
「……」
 人間たちは、時を停止させていた。ぱらぱらと破片を舞わせる壁と俺を見つめて。
 こいつらは考えたことがあるんだろうか。何かを背負わされて生まれたものの悲哀を。残されたものの苦痛を。特別であることの恐ろしさを。その孤独を。
「優れたものがこの地の支配者になるだと? 優れたというのはどういう意味だ」
 体の芯が熱い。呼吸を荒げたまま、クラーレットの持つ紙束に意識を集中する。爪を立てて指を握り込み、ほんの少し力を解き放つだけで、ぽっとそれに火がついた。
「――っ?」
「そんなものはいらない」
 言葉に呼応して、小指ほどの火口が炎となり燃え上がる。クラーレットが顔色を変えて手放すと、爆ぜるように瞬時に炭と化した。
「な――」
「お前たちはこうは考えなかったのか」
 ぞわっと全身が産毛だつ。指先を流れる血流すら分かるほど、神経が研ぎ澄まされている。球となり線となった魔力が、体中から溢れだしているのだ。
「生み出された者たちの復讐を――その身に受けないとでも思ったか!」
 甲高い音を立てて、右から左へと硝子が割れていく。液体が零れだし、あるいは飛び散って刃となる。
 同時に机が倒れ、あらゆるものが投げ出される。そう。崩壊は、瞬きほどの時間しか要さないのだ。あのときだって、前触れもなく、そして一晩で事は成った。叩きつける、頬をなぶる嵐の中――。
「やっ……やめろ!!」
 誰かが叫んだ。恐怖を滲ませた声。笑えるくらいに弱々しい。誰がこの元凶となったと思っているのだろう。
 しかし、それが耳に届いたとき、衝撃は確かにこの体を駆け抜けた。


「この、化け物ッ!!」


 ――。
 しゅるっと、何かが耳元で収束した。何かが瞼の裏で弾けて散った。
「あ――」

 あれ。
 視界が白む。
 何かおかしい。
 体が、言うことをきかない。

 どこからこの歪みは生まれたのだろう。始めの歪みがなければ、全てはうまくいったはずなのに。
 ああ、でも。その始まりの歪みを直してしまえば、それが存在していなければ――。
 俺は、ここにはいなかったんだ。

 髪が、額にかかる。魔力を失って、巻き起こる風が消えたのだ。
 その先には、やはり何もなかったけれど。
 本当に、何もなかったけれど。


「……やれやれ、こうなると思ったわい。だから先に吹っ飛ばした方が良かったのだ」
 背後から誰かの気配がした。ぱり、とガラスの破片を踏みつける音。近づいて、隣に来て、黒いローブを揺らめかせる。部屋には、静寂が戻っていた。
「こりゃまた、派手にやったの」
 鼻を鳴らして杖を打ちつける。場違いに冷静な言動に、脳髄まで焼かれて立ちすくむしかない。
 そのまま床の見えないそこを踏みしだいて、黒いローブに表情を隠すまま、その人は呆気にとられる三人に向けて薄く笑ったようだった。
「見逃してやる。金輪際、この少年には近づかないことだ。今度は火傷では済まんかもしれんぞ」
 かつん、と杖で叩いたそこには、黒く焼けおちた論文の跡。
「感謝せよ。これ以上なく愚かなるお主らのことを、こやつは止めたのだ。お主ら、このまま進めていたらどうなっていたか分かるか」
 既に失われたものに想いを馳せるように、とつとつと語る。
「――私が若い頃、お主らと同じようなことをやった学生がおった。ああ、この論文を書いた奴かもしれん。その生徒はな、卒論発表の口頭試問で教授陣にそりゃもうぼろぼろに叩かれての。危うく卒業取り消しになりかけて、予定していた研究所への配属もふいになった。その後の消息は知らん」
 クク、とくぐもった笑い声が漏れた。
「所詮は夢物語なのだ、世間にとってはの。お主ら、それでも戦うかの? 世の中という見えない敵に、生半可な英雄気取りで立ち向かうつもりか」
 兄弟は、黒いローブの塊を見るまま固まっている。一人は自失したような無表情で、一人は恐怖と怒りに体を戦慄かせながら。
「まあ良い。行け。始末はそこの馬鹿に免じて私がしておく」
 感情をむき出しにした方が、もう一人を連れて出ていくまで、さほどの時間はかからなかった。

 言葉っていうのは、本当に刃と同じだと思う。
 心でいくら大丈夫だ大丈夫だと繰り返したところで、刺されたところから血は現実に流れるのだ。
 どれだけ強く保とうとしたって、痛みはある。麻痺から解き放たれれば、尚のこと。
「……」
 立っていられると思っていた。一人でも立ち向かえると思った。否、そうしなければいけないと思っていた。
 唇を噛んだ。鼻と口を手で塞いだ。唾を呑みこんで、目を伏せた。耐えろ、と心に念じた。
 だって仕方無いことだ。この力を人に見せれば、そのような反応が返ってくるのが普通だ。今までがおかしかっただけで。
 だから悲しいなんて思っている暇はなく、痛みを感じる余裕もなくて当然と思っていた。
 なのに。
 それだというのに。

「泣くな、馬鹿もの」

 声のでない俺は、手で顔を押さえたまま、やはり叱られた。
「予想できたろうが、そのように扱われることなど」
「すみ、――ません」
 震えながら紡いだら、もっと辛くなった。それ以上は何も言えなくて、歯を食いしばって目を閉じる。漏れそうになる嗚咽を、必死で押しとどめた。そうして、袖で熱くなった目元を拭う。何度も拭う。
「全く、どいつもこいつも。のうお主、いつまで悠長に座っているつもりだ」
 ダルマン先生の声がこちらに向けられたものでないことに気付いて、顔をあげる。そこにはエディオが、澄んだ宝玉みたいな緑の瞳を見開いてこちらを見つめていた。
 ああ。
「……よぉ」
 笑おうとして失敗して、情けなくも再び目元を掌に押し付けることになる。深く吸おうとした息ですら震えて、嫌になった。なんてところを見せているんだ。しかもよりによってこいつの前で。
「大丈夫か、お前。――何もされてないか」
 精一杯の気勢を繕って、そう尋ねた。エディオは混乱したように僅かに表情を歪ませて、暫くの沈黙の後に頷く。
「そっか」
 肺の奥底から息を吐き出して、ようやく俺は少しだけ笑った。
「良かった。……もう、こんなこと考えるなよ」
 そう、こんなろくでもないことは一晩の悪夢で十分だ。
 何年も何年も続けば、人の心は壊れる。確実に。
 だから、もうこれで終わりでいいのだ。嵐が去った後のような部屋の跡を見て、そう考える。
「……お前」
 エディオが掠れた声で呟いた。続きはなかったけれども。やっと激情が落ち着いてきた俺は、最後に鼻をすすって、ダルマン先生に問うた。
「これ、どうするんですか」
「どうもせんわい」
 非常にさっぱりとした返事を頂いた。
「……や、先生が始末するって仰いませんでしたっけ。それに、このままにしたらまずくないですか」
「所詮誰も見に来ない部屋であろうが。放っておけ。――むしろ、今後あの二人に気をつけることだな」
 ぎょろりとした目で忠告されて、俺は小さく頷いた。ダルマン先生はフンと鼻を鳴らしてぶつぶつ言いながら踵を返し、部屋を一人で出て行った。
 残された俺は、同じくそこに残っているエディオに背を向ける。本当は顔を見て言えれば良かったんだろうけど、それをするには今の俺の顔は酷すぎた。
「帰ろう、エディオ」
 考えていたよりも、すんなりと口にできたのが不思議だった。開け放たれた扉から、夜風が吹き込んでいたことに今更ながら気付いた。
 俺は一度息を呑みこんで、再び口にした。
「――もう、帰ろう」


 ***


 星がとても綺麗な夜だった。空を見上げていると、そのまま消えてしまえないかな、と思うくらいに。
 触れた床が、冷たさを伝えてくる。寮のベランダの隅に座り込んで格子に頭をもたれるまま、風に吹かれる。
 既に心に激情はない。心も燃え尽きると灰みたいになるものだと思う。今はただ、濁って重たいものが胸の奥底に沈んでいる。
 唇が微かに動いて、意味を為さない言葉を紡いだ。特に意味はないけれど、そうすることで溜まったものを少しは外に出せると思ったのかもしれない。
 カラカラ、と小気味よい音をたてて窓が開いたのはそのときだった。俺は、一瞥すらもしなかったけれど。
 ベランダに足を踏み出して、律儀に窓を閉める。そのままそいつは格子の手すりに腕を乗せて、溜息をついたみたいだった。
 暫くの間、無言が続いた。けれどきっと想いを巡らせているのではない。ただ、時が停止しているだけなのだ。ここ最近は、疲れることばかりだったから――。
「物心ついた頃には、母さんしかいなかった」
 数拍を置いて、それがエディオの声だと気付いて俺は生返事をした。もしかしたら初めてのエディオとの真面目な会話だったかもしれないのに。でも、それしかできなかった。
「恐らくは誰かに追われていた。人里から離れたところに隠れて住んでいたから、たぶん」
「うん」
 母親か。優しい言葉だ。知らない温もりではあったけれども。
「誰かに襲われて、銃で撃たれたらしい。俺はそこにいなかった。帰ってこなくて、探しに行ったらもう病院だった」
「――そうか」
 帰ってこない。悲しい言葉だ。知らない痛みではあったけれども。
「犯人は見つかっていない。結局母さんが昔何をしていたのかも、分からない」
 俺はそこで初めて顔をあげて、エディオの横顔を見た。同い年とは思えないくらいに深い闇を湛えた表情に、今は夜の帳が落ちている。
「まともなことをやっていたのかも分からない。通帳には大金が入っていたから」
 慟哭にしては色のない独白は、諾々と風の中に染みわたる。そうして俺の耳の奥にも。エディオはこちらを向いて問うてきた。
「お前には、本当に記憶がないのか」
「……本当は」
 頬をつけた格子の合間から、夜に沈む学園が見える。
「本当は、俺がそうだと信じたいだけかもしれない」
 ぽつぽつと灯りはある筈なのに、それは色のない世界となって広がっている。光と闇しかない世界のようだった。重苦しいそこは空虚だ。絵画となって時を止められたかに見えるほど。
「俺は、自分の過去を知ることが怖かった。今も怖いよ。だから自分で記憶を封じてるのかもな。本当はもう、答えは胸にあるんだろうから」
 投げ出していた膝を抱える。それくらいしか、今の俺には抱くものがなかった。
「だから、俺はお前に怒られて当然だよ」
「――」
 エディオの瞳が見下ろされてこちらを捉える。俺は笑った。今だったら、どんなものでも受け止められる。
「連れて行ってくれないか、俺の罪を知ってる人のところに」
 もう終わりにしよう。この歪みが、更なる輪を広げる前に。
 この身が背負うべき厳罰に打たれて果てることになったとしても、こいつの渇きが満ちるのならそれでいい。
 だって俺は、許されない存在なんだから。

 俺は、誰かによってこの力を持つように作られた化け物なのだから。

「テメエ」
 エディオは呼びかけて、一度切った。処刑を待つ死刑囚って、こういう気分なのかもしれない。静謐な諦観に意識すらぼやけさせながら、黙して待つ。
「何故記憶を失くした」
 ちりっと頭の端が焼ける。ほぼ何も考えることもなく、喉から何かが滑る。
「何も分からない。起きたら川岸に倒れてた。その前のことは全部忘れてた。で、フェレイ先生に拾われてここに来て、様々な難関を乗り越え人間としてそこそこ成長して現在に至る、と思う」
「……」
 エディオの細い眉が潜められるのに、笑えてきて思わず噴き出した。言っている方も、馬鹿らしくなってくる。
「本当、分かんないよな、俺。何がおかしいんだと思う? どこから狂ってるんだと思う? なんか、自分でも分からなくなってきた」
 金属の格子の冷たさが染み入る。このくらい冷たくなってしまえれば、むしろ楽だったのかもしれない。けれど、今の俺は温もりを知ってしまった。暖かな場所がこの世にあることを、もう知ってしまった。こんなにいびつな身体を抱えて。
「それでも普通の日常が欲しかった」
 眼下には色のない世界が広がっている。今は愛おしい、いびつな俺を迎えてくれた白亜の都市だ。
 黙り込むエディオに向けて、苦々しく笑う。
「大丈夫だ。呑みこむものは呑みこんで、ちゃんと裁かれないと、それが享受できないってことがよく分かった。だから」
 エディオはそんな俺を見て、色の消えた髪を夜風になびかせながら瞳を揺らめかせた。
「……まともな話は、もう」
 互いの障壁を失くした、透明な視線がぶつかる。こいつの母親は既に正気を失っているようだったから、確かに俺が行っても何も変わらないかもしれなかった。
 けれど、首を横に振る。
「それでもいい。もう一度会えば、俺が何か思い出すかもしれないから」
 エディオは痛みを覚えたように顔を歪めさせる。ぶっきらぼうで、不器用な奴だったけれど、胸の内では数多の相反する想いを交わしているのだろう。口数が少ない代わりに、いつも何か考え込んでいるような奴だったから。
 だから、僅かに頷いてみせたエディオに、一つ、胸の中の絡まっていた紐がほどけた気がした。
「お前、何も言わないのな。俺の力のことも」
 なんとなく指先に光を灯してみる。ひらりと手を振るだけで雪のような一片の光が生まれるのを見て、エディオは目を逸らした。
「――興味ねえ」
「そっか」
 息を吐くように言って、俺は膝を抱えなおしてエディオを見上げた。
「ありがとな」
 瞳を閉じてしまったから、その後どんな反応があったのかは分からない。俺は、全身から力を抜いて再び冷たい格子に寄りかかった。




Back