-紫翼-
二章:星に願いを

04.俺様、絶対絶命



 闇底の彼方、標本にされた昆虫のごとく捕えられた俺は、絶対的優位にほくそ笑む老人の前で呻くしかなかった。
 ああ。
 俺様、絶対絶命である。
『お主の持つ力がちょっくら欲しくなっての』
 一体、これから何をされてしまうのだろうか。人体実験か。解剖か。生贄か。魔物の餌か。毒殺八つ裂き磔刑のフルコースか。生まれてきたことを後悔させられるんだろうか。
 しかし、俺の持つ力……って、つまりは人間の限界を超えた魔力が扱えることを指しているんだろうけれど。そうなら、何故、この人がそのことを知っているんだ?
 どっちにしろ、ピンチなことに変わりはないんだが。
「お主、この建物で魔術を行使したろう?」
 ニヤニヤと捕食者の眼光を湛えながらこちらを見下ろしてくれる教授(仮)。
「え――そんなこと」
 したっけ、と俺は考えて、冬のことを思い出した。そうだ、確か紫の鳥の文献が見つかって、わざわざ転写室に行くのが面倒臭かったから、研究室でこっそり魔術を――。

 ああ。使っちゃいました。
 俺ってば、なんて不用心。

「み、見てたんですか」
「うむ。素晴らしい力だ」
 ククッとくぐもった声で笑う。人がいないことを確認してやったはずだったが、まさかこの教授(仮)がいるとは――いや、生きているとは思わなかったのだ。だって、一年近く見てもいなかったし。
「お主の力を私が使ってやろうというのだ。感謝せよ、凡民の身に余る名誉に」
 いや、感謝したくないんでここから出して下さい。――とか言っても出してくれないよなあ、こういう場合。
 やっとのことで臭いにも少しずつ慣れてきて、床にへたりと頬をつけたまま半ば現実逃避気味に考える俺である。
「何させる気ですか」
「お主、使える魔力値は最高でいくつかの?」
 獣が唸るような聞き取りにくい声に顔をしかめながら、俺は正直に答えた。
「知らないです」
「なにッ」
「いや――調べたことないですし」
 魔力測定器は通常500までしか対応しておらず、俺が本気を出したら簡単に水晶は砕け散る。だからそう告げると、教授(仮)はのけぞって驚き、目を飛びださんばかりに見開いて迫ってきた。く、臭いです。
「お主ッ、自分がどの程度の力量を持つかも知らずにのうのうと生きていたのかッ」
「ええ、まあ」
「ええまあ、じゃないわ愚か者がッ!」
 ガツ、と杖を床に打ちつけて声を荒げる。臭いも十分荒いでいる。ああ、意識が遠のきそうだ。
 教授(仮)は、ぜえぜえとひび割れた呼吸音を漏らしながら暫く黙りこんだ。こんな愚か者はいらん、と部屋からほっぽりだされることを願いながら、俺は待つしかない。
 だが、俺の切ない願望に反して教授(仮)はその場に座り込んでこちらをしみじみと見下ろしてきた。
「のう。お主、名を何と申す?」
 なんだか哀れまれているような気もしたが、俺はそれよりも自分の研究室の生徒の名前も知らないのかこの人、と内心でツッコんでいた。いや、俺も自分の研究室の教授の名前も知らなかったからどっこいではあるのだが。
「……ユラス・アティルドです」
「妙な名前であるな」
 人の名前を即行でけなしてくれる人柄にひしひしと傷つく。帰りたい。
 すると、真っ黒のローブをまとった老人は一つ息をついて問うてきた。
「ではユラス・アティルドよ。お主、それだけの魔力を扱う才を持ちながら、その才を宝石箱に仕舞ったままでいるつもりかの」
 落ちついた声音に、俺は黙って闇に目をやった。今まで俺は、自分のことを、自分の持つものを、ひたすら隠すようにして生きてきた。俺が求めたのは、数多の人に愛される栄光ではなく、ほんの少しの人と送るささやかな日常だったからだ。
 すぅ、と息を吸う音。淡々と、しかし叱咤するように言葉は次々と降り注いできた。
「一生の間、お主は自らを封じ込めたまま、我が身を飾り立てる術も知らず過ごす気かと聞いておる。能ある鷹は爪を隠すがの、獲物を見つけても爪を見せない鷹はただの間抜けに過ぎんぞ」
「……や。爪を見せる機会なんていらないですし」
 望むのは、失いたくないものを失わない、穏やかな日々だ。今までと同じような日常の繰り返しに、坂道も崖っぷちも欲しくはない。
「情けない男じゃのう」
 しわがれた声が呆れたように呟く。何故俺は突然襲われて縛られて転がされた挙句にここまで罵倒されなきゃいけないんだろうか。だが、見上げた老人の醜い顔は俺を見下して、明らかな軽蔑と嘲笑の眼差しをくれていた。
「愚かで間抜けで情けない。私はお主ほど徹底的に駄目な奴を見たのは初めてだ。人並み以上に魔術を使うもんで、出来る奴かと思ったが、私の見当違いだったらしいのう」
 そこら辺にある石ころにするみたいに、杖で軽く肩の辺りをこづいてくる。流石にむっとして眉を潜めると、老人は口元を歪めて笑った。
「なんだ、文句でもあるのか」
「……」
「沈黙は武器にはならんぞ、小僧」
「……俺が自分のことを知ろうとしないのは確かに怠慢ですけど」
「自虐でお主は救われるのか、薄っぺらな奴め」
 一言いわれるたびに、ふつふつと苛立ちが溜まってくる。なんだこの人、俺に恨みでもあるのか。
「ほれ。悔しいだろう。力がないというのは。名匠の剣を持っていても、使いこなせなければそれはただの重りにすぎん。いつか川に落ちてその重さに動けず溺れるのが落ちだ」
 ぎらつく大きな目の光が、黒いローブの中で一際歪められた。
「お主、爪を見せる機会などいらない、と言ったな? では逆に問うぞ、お主は今の今までに、爪を見せる機会など一度もなかったと申すか。この、今の瞬間でも?」
 俺は唾を飲みこみながら、冷たい床に体温を奪われていくのを感じていた。腕をきつく縛られているが為に、成す術もなく老人の罵倒に耳を傾けるしかないのが今の状況。その事実は覆しようもない。
「自分のせいではない、とでも言いたげだな? だがお主は現実に黄金の卵を持っておる。有象無象の輩がお主目当てに寄ってくるだろうに、よく今日まで無事でいられたものよの。――よほど強い守護者がついていたか」
「そんな人いないです」
 低く反論すると、黒いローブが揺らめいた。笑っているのだ。
「まあ、良いわ。お主が愚かで間抜けで情けなく、武器を持たない薄っぺらな役立たずであることはよく分かった。さて、ユラス・アティルドよ。どうしようもないお主であるが、唯一気に入った点がある」
 老人は俺を頭から足の先まで、見分するように視線で一撫でして、もう一度顔を寄せてきた。僅かな燐光をそのまま宿した瞳が、不敵に笑う。
「お主には傲慢なところがない。ただ臆病なだけかもしれんがな。この学園の連中はお前と違い鼻持ちならぬ奴ばかりじゃろうて?」
 黙り込む俺の目の前で、聖者をたぶらかす悪魔じみた笑みを浮かべて、老人は告げた。

「私がお主を育ててやろう。このダルマンの名にかけて」


 ***


 クラーレット・ユーリズと名乗った男子生徒はシアの予想した通り、この第二考古学研究室を希望したAランクの評価を持つ生徒であった。
 件の扉の向こうでは、何やら話声が聞こえてくるが、詳しくは分からない。争う音がしてこないのが唯一の救いであったが、シアの視線はちらちらと不安げに扉とクラーレットを往復するばかりだった。
 余っていた机を勧めたのだが、彼は首を横に振って研究室に置いてある文献や出土品を眺めている。
 先輩である私がしっかりしなきゃ、と意を決してシアは口を開いた。
「あのぅ、何故あなたはここに?」
「恐らくは先輩方と同じ理由です」
 慇懃な返答に、シアは小首を傾げた。シアがここに来た理由は、桃色の髪のヴィエルがいたからに他ならない。そしてあの紫の少年が来た理由は、今だに謎であった。聞いても彼は気まずそうにして教えてくれないのだ。
 では何か。ヴィエルの知り合いなのだろうか。もしかして先輩は知らないところでこんな男とあれやこれや――!?
「いっ、いけません! 先輩は渡しませんよ、今後先輩と話すときは私を通して下さいっ、ぬけがけは許しません!!」
「え?」
 突如ばん、と机を叩いて立ち上がったシアに、クラーレットは怪訝そうに振り向いた。そのまま顔色ひとつ変えずにシアを正面から見据え、僅かに顎をひく。
「先輩方は、召喚術に興味を持ってここに来たのではないのですか?」
「へ?」
 今度はシアが目を見開く番であった。だが、お互いに不可解そうな表情を浮かべたまま、次の瞬間の出来事に均衡は崩壊した。
 ぞわりと得体の知れないものが背筋を駆けたと思ったときには、ガラスか何かが割れるけたたましい音が壁一枚向こうから鼓膜に吹き付ける。そして間髪いれずに狂ったような笑い声が壁をぶちやぶる勢いで響き渡った。
 動きを止められた二人の目の前で、ぼふっ、と埃と共に扉が開き、闇から人影が前のめりに倒れる――。


「ゆ、ユラスさん!?」
 俺は、本日やたらと縁がある床に再び没しながら、光のまぶしさに目を細めた。シアが駆け寄ってきて肩をゆすってくれる。ああ、ちょっとやめてくれ。吐きそう。
「無茶苦茶だ……」
 ひくひくと殺虫剤をかけられた虫のような体で呟く。あの老人は、突然俺を育てる宣言をしたかと思えば、とんでもないことを要求してきたのだ。
『まずはお主がどれだけ魔力に耐えられるか試さんとの』
 目の前に用意されたのは、ちょっと古めかしい形の魔力計測器。工業用とのことで、目盛は700までついていた。
『やれるところまでやれ』
 命令されて口ごもると、ニタニタと笑いながら杖で腹をつんつんされた。
『お主、魔力が500以上扱えることを隠してるんだったのう? クックック、お主のことをその辺の学者にでも漏らしたら即行で捕獲されて実験体だろうな?』
 完膚なきまでの脅迫と共に迫られて、その臭さと恐ろしさに首を縦に振るしかなかったのである。
 そこでやっと縄をほどいてもらって、俺は魔力測定をやらされた。
 結果、水晶大破。俺だって、高い魔力をあまり扱い慣れていない。どうにか700近くで止めるつもりだったのだが、見事に針は振りきれて壊れた。教授(仮)――いや、もう仮ではない、第二考古学研究室のダルマン教授の高笑いと共に。
『ククッ……ははははっ!! 素晴らしい! これなら私の夢もそう遠くないぞ!! 次は1000までの測定器を用意しないといけないのうククク!』
 そして、俺はとりあえず部屋から逃亡した次第である。ああ、もう何年も見ていなかったような陽光が目に染みる。
 立ち上がろうと思ったが、思いきり魔力を使った為か、空気が粘る液体で満たされたかのように動きを許してくれない。
「大丈夫ですかっ!? 血がでてますぅ!」
 倒れこんだまま見ると、手の甲がざっくり切れて紅い血を滴らせている。今回は予想できたから水晶が砕ける前に顔を庇えたのだが、代わりに水晶の破片は手をかすめたらしい。
「――クク! 素晴らしい出来よの、ユラス・アティルド。明日もまた来るがいい」
「ひっ」
 俺とシアが同時に息を呑む。闇の中からぬらりとダルマン教授が半身をだしてこちらを見下ろしていたのだ。
「明日からは本格的にしごくから覚悟するようにの」
「――あなたがダルマン教授?」
 そんな喜色に満ちた声が被さった。ふらふらしながら首をまわすと、見知らぬ生徒が真剣な顔をしているのが見えた。誰だ、この人。
「今年から入ったクラーレット・ユーリズと申します。あなたの研究する召喚術に――」
「うるさい。話があるのはそこのユラス・アティルドだけだ」
 ぎょっとするくらい簡単に切り捨てられて、クラーレットと名乗った生徒が鼻白み、こちらをちらっと見る。な、なんかちょっと敵意が込められてる気がするのは眩暈のせいだと信じたい。
「逃げたらどうなるか――分からないほど愚かでないことを期待している。黄金の卵よ」
 言うが最後、高笑いを残して扉は荒々しく閉じられた。残されるは、嵐の後の奇妙な昼下がり。しんと静まり返ったまま、俺たちは扉を見つめたまま動けず、そして俺は気を失った。




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