-紫翼-
一章:聖なる学び舎の子供たち

54.マリンバ、恐ろしいところ



「わ、トンネルだ! 窓、窓閉めてっ! ススで大変なことになるよ」
「んん、固いぞこの窓、閉まらん!」
「ユラスのひ弱ーっ! もう、貸してっ」
「ででででっ! 俺の指ごと引っ張らないでくれーっ!」

「……あんたたちね、もう少し落ち着きなさいよ」
 向かいになった席が並ぶリーナディア合衆国の技術の結晶、蒸気機関車の一般客席。更にその片隅――。
 キルナは絶対零度の目線で俺たちを見やり、やる気なさげに果実水を口に運んでいた。どうにか窓を閉めた為、トンネルに入った瞬間に蒸気機関車の吐き出す黒い煙が中に入るという難を逃れたチノは、ふうと息をつく。
 ――俺は。
「おおおっ」
 俺は、トンネルを抜けた瞬間のまばゆさに目を細め、しかしそこに広がる光景に窓にへばりつく勢いで見入っていた。
 見渡す限りの平原。まだらな黄土色と若草色の混沌。もうすぐやってくる雨季を待ちわびるようにあちこちひび割れた大地が、みるみる過ぎていく。冬の薄い雲がかかる空を舞うは、編隊を組む鳥のシルエット。地平線はゆらゆらと山や森によってその姿を歪め、鈍い色合いの大地とのコントラストをくっきりと見せている。思い出したように小さな町や行き交う馬車が、小粒の大きさになって現れて――。
「町がある――おおっ、あれは動物!?」
「あんた、いくつの子供よ」
 後ろから冷たい言葉が投げかけられるが、今の俺はそんな言葉には屈しない。
 だって、――今までの短い記憶の中、こんなに雄大な景色を見たことがあったろうか。
 きっとこうなのだろう、といった予想ならできた。写真もいくつか見たことはあった。しかしそれらはただの死んだ景色でしかなかったのだ。色あせたイメージは今、まばゆい現実の生きた光景となって、鮮烈な色彩で塗り潰されていく。
 グラーシアにいると見えないもの――、こういうことですか。フェレイ先生。
 汽車は矢のような速さで大陸を縦断する。近くにあるものが窓を通り過ぎていくと、とても目には追えないほどだ。とんでもない速さである。機工技術ってすごい。こんなものを人が生み出したのか。

 心配していた嵐の到来もなく、俺たちは悠々とマリンバへの旅路を楽しんでいた。なんでも、今年は春の到来を告げる嵐の足取りが遅れているらしい。だが、今の俺たちにとっては好都合だ。寒さが続くのには閉口するが、旅先で嵐に降られるとこの上なく面倒だし。
 俺の向かいの席には双子の姉妹が並んで座っている。セライムはやはり、ここにはいない。

『アナトール先輩にはよろしく伝えておいてくれ』
 セライムはフェレイ先生の家を出るとき、寂しげにそう言った。きっと、本当は一緒に行きたかったんだろう。だが俺はそれを紡ぐ口を持たず、曖昧に頷くことしかできなかった。そうすることは、セライム自身が決めたのだから。
『前々からこの日に帰ると言ってしまっていたからな』
 大きな荷物を抱えて、ゆるやかに波打つ金髪を肩から払う。けれどセライムは気丈に笑った。
『今度会ったら、お互いに土産話をしよう――』

 セライムは今頃実家でどうしているんだろうか。
 そもそも、セライムが元いた場所というものを俺は知らない。ユルスィート財閥会長の家ってくらいだから、裕福な暮らしをしているんだろうけれど――。
 ごとん、と汽車が揺れて速度を弛めていく。駅に停車するのだろう。次第に線路は町の中に分け入り、大小様々、赤や青の屋根や人の行き交う複雑な町並みが窓の景色を覆い尽くす。
「この二つ先の駅だからね」
「ああ」
 俺は窓にへばりついたまま生返事をして、ごくりと唾を飲み込んだ。
 いや。
 人――多くないか。
「人、多くないか」
 思わず心で呟いて、口にも出してしまった。
「そうー? 別に普通じゃん」
 ちらっと窓の外に目をやったチノが、首を傾げてくれる。
 そうなのか。だって、停車しているここから見える道々は、溢れんばかりの人でごった返している。
 茶髪や金髪の頭が通りを埋め尽くす様子は、まるで巨大な生き物を見ているかのようだ。俺が記憶を無くしてる間に、この世界、こんなに人が増えたんですか。
「まあなぁ」
 確かに血に濡れた11年後以降、国内では大きな暴動や戦争が起きたことはないから、人もガンガン増えているんだろうけれど。チノやキルナの反応を見るに、きっとこれが普通でグラーシアが殺風景すぎるんだろうな。
 でも、実際にそれを目の当たりにすると、小心者たる俺様はそれだけで恐れ戦いてしまう。これから行くマリンバもこんな感じなんだろうか。
「おっと」
 ごとり、と再び車内が揺れた。考え事をしている内に、発車したらしい。汽車はぐんぐんと速度を増していき、人の営みを彼方に追い抜いていく。
 俺は期待と不安がないまぜになった胸中を抱え、飴を一粒取り出して口の中に放り込んだ。


 ***


 鼻をくすぐるインクの香り。
 安っぽい紙のたっぷりとした匂い。
 積み上げられた書物と雑誌。壁一面に貼られたメモ書きや切抜き。
 机はあらゆるもので埋め尽くされて山を成し、黒い電話の線がくるくると尻尾のように床に伸びる。
 入ってはいけないよ、と困ったような音色で念を押された優しい声は、心の奥底の古い古い記憶。
 もう帰ってこない、二度と見ることもない渇望と望郷の中に落ち込んだ、色あせてぼやけた記憶――。
 ひとり汽車を降り立ったセライムは、ぎゅっと唇を噛み締めて、胸の内から流れ出した甘ったるいものをどうにかせきとめた。そうやって、それらを抑え込んで小さく封じる。
 いつまでも夢を見ているわけにはいかない。呆けているわけにはいかないのだ。人の行く雑踏に足を踏み出せば、そこがあの懐かしい場所でも、また見慣れたグラーシアでもないことを噛み締めることになる。
 頬を強張らせる少女を迎えるは、人の営み。そして、そこに必ずあるものたち。
 連れあう恋人。母に手を引かれてゆく子供。服屋を冷やかす娘たち、露天を広げて装飾品を売る若い男。
 賑やかな声。ざわざわ、ざわざわ。耳の内をかき鳴らす。
 そこに追いかけた大きな背中は、今となってはどこにもない。
 これは、現実だ。これが、現実だ。
 心を落ち着けるグラーシアの冷たい手の平は、自分にとってはうたかたの夢でしかない。あの友人たちも。自分をいつだってかばってくれた学園長も。楽しい日常も、みんな、みんな、ひと時の幻だ。
 呼吸が浅くなっているのを感じながら、セライムは大きな鞄を握りなおした。帰らなくてはいけない。自分の、いるべき場所に。
 セライムは海に身を投げるように長い髪を翻して、足早に歩き出した。

 家は、煉瓦造りの長い坂道を登った先にある。吹き付ける冷たい風に目を細めながら、街路樹の下を抜け、ついにその門の下に立つ。
 町の中心部にこれだけの敷地をもつ建物は、他にはない。高さこそないものの、一目みただけで洗練された豪邸なのだと分かる――静寂の家。
 この辺りまでくれば、閑静な高級住宅が立ち並ぶため、下町の喧騒も届かないのだ。
 美しく整えられた庭を遠いもののように眺めながら、セライムは呼び鈴を鳴らした。

「お帰りなさいませ、お嬢様。お申し付け下さいましたら駅までお迎えにあがりましたのに」
「――ぁ、ああ、いや」
 きっちりと髪をまとめた老女の静かな口調に、僅かに肩が震える。口の中で肯定とも否定ともとれぬ返答を呟くと、やんわりと伸びてきた手に荷物を取り上げられた。
「お持ち致します」
 住み込みで働く年配の女性は、枯れ木のようにしわくちゃな手からは思いもよらぬ力で、それを持ち上げる。自分の唯一の持ち物をとられてしまって心細くなりながらも、セライムはなんとか口元に笑みを浮かべて礼を言った。老女は礼節を乱さず、しかし冷ややかな感情を交えた顔で受け返す。
「とんでもないことです。これが私めの務めゆえ」
 それは同時に、務めを果たさぬ者への侮蔑を孕んでいるようでもある。
 老女が自分を良く思っていないことをセライムはよく知っていた。この家の主の血をひかない、なのに娘の地位を名乗る自分。しかも、娘として身につけるべき立ち振る舞いを好まず、学びの都に暮らし始めてからはろくに帰ってもこなくなった。他人から見れば、自分の務めを全うしない、すねかじりの恥知らずに見えることだろう。
 だが実際、そうなのだと思う。養ってもらっているにも関わらず、何ひとつ恩を返そうとせずに家を逃げ出した自分は、きっと糾弾されるべきなのだろう。
「旦那様がご心配なされていましたよ。今はテラスにいらっしゃいます、どうかご挨拶を」
 やわらかく、しかし有無を言わせぬ芯の強さを持ってして、老女は進言した。唇が意図せず強張るのを感じて、セライムは奥に目を向ける。多忙な父は家にいないことが多かったはずだ。今日は偶然帰ってきているのか。
 予感に冷える胸を抱えて、それでもセライムは立ち向かうべく拳を握り締めた。
「ありがとう、――行って参ります」
 頭を垂れる老女にそう告げて、長い金髪を翻す。しっかりとした足取りで、広い屋敷を進んだ。テラスは客をもてなすときにも使用される為、玄関から程なくして辿り着ける。
 セライムは呼気を落ち着け、――扉を開いた。

 大きな窓からやわらかな光が降り注ぐテラスには、質の良い紅茶の香りが一杯に漂っていた。
 その香りに一瞬、書物を読む長身の人を思い出し、僅かに顔を歪めて幻想を振り払う。こちらに背を向けてソファーに座るは、あの優しい人ではない。
 膝が震えないよう、精一杯に背筋を伸ばして、セライムはそこにいる人に声をかけた。
「ただ今帰りました、――お父様」
「ああ、セライム」
 ソファーに座る人が、振り返る。ダークブラウンの髪と髭を丁寧に撫で付けた、恰幅の良い中年の男性。深い知性を湛えた物静かな瞳が、ふっと細まる。落ち着いた色の上等な服を身にまとい、銀糸の縫い取りがされたソファーに優雅に腰掛けるその姿は、まさにその地位にあるものに相応しい成りをしている。
 ヴィシュガー・ユルスィート。現在の、セライムの戸籍上の父親である。
「よく帰ってきた。汽車の旅はさぞかし疲れたろう」
 深く響くねぎらいの言葉に、セライムは微かに笑った。そして気の利いた返事をしなければいけないと思った。
 しかし、それは叶わなかった。
「――」
 向かいのソファーに腰掛ける人の姿を目にした瞬間であった。彼女の思考は凍りつき、全ての機能を停止した。
 そこには、金髪を黒の髪留めで美しく結い上げた妙齢の女性がいた。雪のような肌に気品のある化粧をほどこし、飾られた花のように座している。隣には十を数えたほどの幼い少年。利口そうな彼もまた、膝を揃えてこちらに大きな目を向けている。

 ――駄目だ。
 ――それでも、笑わなくては。

「――お母さ、ま。お久しぶりです。ローランドも、大きくなりましたね」
 消え入りそうな言葉に、少年がまず反応して、にこりと歳相応の笑みを見せた。
「お帰りなさいませ、お姉さま」
 そして、横に座る女性が。――実の母が。

 僅かに目をそばめて、ついと視線を逸らす。

 視界に、ひびが入る。

 その僅かな拒絶に、体の中がじわじわと崩れていく。頭の中にペンキがぶちまけられたように、何も考えられなくなる。
「お姉さま、お姉さまは今回はいつまでいるのですか? グラーシアのお話を聞かせて下さい」
「そうだな、セライム。こちらにきて一緒に話さないか」
 利発な弟の声が、優しい父の言葉が、とても遠い。今にも足元が崩れ落ちてしまいそうだった。セライムは、目を開いたまま返事をすることができなかった。
 ――知っていた。理解していた。母が、自分を見るのを辛く思っていることを。昔の男を思い出させる自分を、目に入れないようにしていることを。この家にきてから、気がつけば母は自分の前に姿を現さなくなった。自分を避けて生活するようになった。探しあてても、悲しい顔しかしなかった。だから逃げた。母が自分から逃げたように、自分も母から逃げた。
 けれど、それではいけないと思って。このままではいけないと思って。
 ここまで、息を詰まらせながらやってきたのに。
 目の前には、穏やかな午後の茶会を楽しむ三人の親子の姿。品の良い家族たち。やわらかな光と豪奢な絵画や調度品に包まれて、笑っている。それは同時に、自分こそが異質な存在なのだと気付かせる。

 ――駄目だ、駄目だ。
 ――それでも、笑わなくては。笑え。笑うんだ。

 ああ、なのにこの足は動かない。
 みじめな胸の内が喉を引きつらせ、お前はふさわしくない者なのだと囁きかける。
 自分さえいなければ。
 全ては正しくまとまるのに。
 自分さえ、この身さえ存在しなければ。
「――申し訳ありません。少し疲れたので、自室に戻らせて頂いても」
「そうか。なら戻って休みなさい。部屋の準備はさせてあるから」
「――はい」
 挨拶もそこそこに、逃げるようにその場を抜け出す。走りたい衝動をこらえて、奥へと分け入る。煌くシャンデリアも、しっとりとした絨毯も、金の手すりも、見たくないのに全てが目に入ってくる。
 動悸がして、息がきれた。母の目が、目蓋の裏に焼き付いて離れなかった。
 半ば力まかせに久々に見た自室の扉を開き、身を滑り込ませて閉める。誰にも開かれないよう、扉に背をつけたままセライムは糸の切れた人形のように頭を垂れた。
 そのまま、ずるずると座り込む。手が無意識に自分を抱きしめるように腕に回り、ぎゅっと力を込める。
「大丈夫」
 念じるように、唇だけが囁いた。
「大丈夫、大丈夫」
 ぽろぽろと胸から零れだす、優しい風景。
『無理はしないでいいんですよ。ゆっくりでいいんですからね』
 降りかかる、じんわりと耳に染む言葉たち。
『お前みたいに過去に恐れることなく立ち向かうには、どうしたらいい』
 自由に生きる、大好きな友人たち。
 その全てを優しい記憶にして生きていこうと思っていた。思い出を胸に秘めたまま、それを糧にどこまでも歩いていけると信じていた。
「大丈夫だから――」
 少女の震える呟きは、今は誰にも届かない。


 ***


 フローリエム大陸の冬は、吹きすさぶ乾いた風の中にある。平原においては地平線の果てまで、氷の礫のような大気が駆け抜けていく。
 俺は体の熱を逃がさぬように外套の胸元をぎゅっと引き合わせ――ることもなく、ただ、目をひん剥いていた。
「わぁ――!」
 チノが目を輝かせて、辺りをきょろきょろ見回す。
「……はぐれそうね、これ」
 キルナもまた、物珍しそうに町並みを瞳に映している。
 ――工業都市マリンバ。技術屋の聖地。
 俺たちはその入り口たる駅前にて、かの町の混沌の呈を俯瞰するに至っていた。
 グラーシアとは比べものにならない広大な町は、鈍色と土色に染まった姿を寒空にさらしている。
 しかし、――俺はきっと、今見たこの景色を一生忘れはしまい。我先にと空へ伸びる煙突から吐き出される煙。道も家も見境なく縦横無尽に通る無骨な金属のパイプ。鉄と火と錆の匂い。
 元より地下遺跡を掘っている最中に、土中から大量の金属が発掘されたために栄えた町なのである。長年大地を掘り返し続けたがため、都市全体が地中に潜るようにして無数の谷と坂道を成している。陽はさすものの、地中の都市といっても過言ではないだろう。古い時代に、大地の民の穴ぐらと呼ばれたというのも頷ける。
 町は奥にいくに従って谷の間に入りこむように低くなっていく。駅が地上と同じ高さにあるからこそ、俺たちはその全貌を目にすることができたのだった。右手に見える崖は、今は冬の穏やかな陽光を浴びてそっけない岩肌をさらしている。
 そして――、この、目の前の人々。
 狭くはない筈の駅前広場を、奇妙な金属製の乗り物が人を乗せ、黒い煙を吐き出しながら渡っていく。洒落っ気のない黒いパイプから垂れ下がる街灯は昼でも僅かな光を宿し、その下を巨大な資材を肩に背負う大男たちが通る。くすんだ色の帽子をかぶった人々が大声で会話しながら歩き、それがそこここで鳴るけたたましい機械音や製鉄の音と合わさって、ぶるぶると都市全体を震わせているようだ。
 そう。ここにあるのは冬の風すら忘れるほどの、人々の熱い息使い。
「……ぼ、ぼく、かえるー」
 俺様、たじたじである。
「何言ってんのよ、肝の小さい男ね。チノ、待ち合わせ場所は?」
「えーと、鐘広場のガラクタ像前だって」
「なにそのガラクタって」
「見ればわかるって手紙にあったけどー? とにかく行こうよ。ユラス、アホみたいな顔してどーしたの」
「お、おお」
 フェレイ先生。グラーシアから一度も出たことのない俺にここはちょっと刺激が強いみたいですフェレイ先生。
 ただただ圧倒される中、心の声で遠い土地の先生に語りかけずにはいられない俺である。
「ほら、ちゃんとして」
 双子に促されて、曖昧に頷きながら駅の階段を下りた。脂汗をかいていたらしい、翻った外套の裾から冷たい空気が入ってくる。グラーシアよりも、ここはずっと寒いのだ。
 しかし、それにしても目が泳いでしまう。街灯に貼られた得体の知れないチラシやら、道の端に落ちた紙屑の匂いを嗅ぐ野良猫など、一歩歩くだけでとにかく目を引くものには困らない。
「うお」
 いかん。そんなことをしていたら、先を行くキルナとチノに置いて行かれそうだ。あいつらは髪の色が珍しいから見失いにくいのではあるけれど、うかうかしている内にもう数歩は先に行ってしまっている。
 砂埃の舞う道にでると、襲いかかる人の流れに足がもつれた。お、おい、なんであの二人はあんなに普通に歩いていけるんだ。グラーシアにはこんな人ごみなんてありえないのに。
「こらユラスー! 早くしないと置いてくよ」
「ちょ、ちょっとまっ……」
 人、多すぎだ。なんなんだ、今日二度目の叫びになるが、本当に人が多くないか。通りは十分な幅と広さがあるはずなのに、そこをばらばらに人々が行き交うものだからまさに混沌だ。人をよけるので精いっぱいになる。
 ――プップー!
「ぬぉあっ!?」
 突然けたたましい音を背中と耳にくらって、俺は目をひん剥いて振り向いた。
「はい邪魔ー! 通るよー!」
 金属製の馬車のような、無骨で巨大な乗り物に乗ったいかつい男の人が、恐ろしい音量をかき鳴らしながら存在を主張し、人をかきわけていく。あんなのに轢かれたら、ぺっちゃんこどころの話ではない。
「ひっ」
 身の危険を感じて道をあけるが、他の人々は全く動じもせず、なんとなく道をあけてやりながら奇怪な乗り物のすぐ傍を通って行く。ワンワン、とか汚れた野良犬までが周囲をのんきに歩き回ってるし。
 ――マリンバ、恐ろしいところ。
 頭の中でそんな方程式を成り立たせてしまう俺である。――と、
「げほげほっ」
 追い抜かされた面妖な乗り物の後ろからは、吐き気がするような酷い匂いの煙が絶えず吐き出されていて、それが俺を直撃した。な、泣きそうだ。
「おい、立ち止まるんじゃないよ!」
「ひっ、すいません」
 立ち止まってむせていると、でっかい籠を抱えたおばちゃんに怒られてよろよろと歩き出す。これはいかん。早くどこかに落ち着かないと。
 俺は前方にあるはずの双子の姿を目で追った。
 どこにも見当たらなかった。
「ん?」
 必死で人をかきわけながら前に進む。
「んん?」
 けれど、どれほど見回してもジャンプしてみても、エメラルドグリーンの頭は鈍い景色に埋もれて一向に見えない。どやどやと鼓膜と刺激する喧噪の中、俺は大きな荷物を抱えたままぽかんと思考を停止した。
 ええと。

 ――どうしよう。




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