-紫翼-
一章:聖なる学び舎の子供たち

53.帰るところ



 魔術科、そして機工科。
 これら二つの科により、世に名を知らしめる聖なる学び舎グラーシア学園は成り立っている。
 ただし、生徒数、規模において二つの科の差は歴然としていた。無論、大きいのは魔術科の方である。
 古よりその有用性を認められ、巨大な力を生みだし無を有にする魔術は、現代の文明の基幹を成すものだ。歴史を眺めても、高等な術を使役する魔術師が地位を上り詰めた例は数多い。この学園の初代学園長である魔術師アッシュ・リンベールも、元はウェリエルに拾われた孤児であった。それが魔術と軍師の才を認められ、歴史に名を残すことになったのだ。
 では、魔術師と対を成す機工師たちはどうか。建築術、細工術、加工術、そして機工術。彼らは有から有を作り出す者たちだ。魔術師が万物流転の法則に沿って術を操るのに対し、機工師は質量保存の法則に沿って万物そのものを操るのである。
 だが古くから機工師とは身分の低い者に与えられた職であった。奴隷の仕事とされた例も少なくない。
 いくら技術が進歩しようと機工が魔術に劣る点は多かったのである。魔術はたった一人で膨大な、そして様々な力を操ることが出来たのだから。むしろ、機工は魔術の進歩の為にあったといってもいい。魔術師が用いる器具を作る為に、彼らは仕える身であったのだ。
 しかし時代と共に彼らのあり方もまた移ろった。何故移ろうに至ったかは、また別の機会に語ることにして、――今や機工師は魔術師と同じく立派に地位を認められている。それは紛れもない事実である。

 チノはそんな機工師の卵であり、グラーシア学園機工科の生徒であった。双子の姉であるキルナは魔術科に所属していたが、チノは父の後を継いでこちらの道を志したのである。父は、建築を専門とする機工師であった。
 製図道具を背負ったチノがその日女子寮の門をくぐったのは、もう夜もとっぷりと暮れた頃だった。
 姉とセライムは部屋に閉じこもって、必死で机に向き合っていることだろう。魔術科の生徒は期末考査期間中なのだ。
 魔術科と機工科では教育課程が異なる故に、試験日程も違う。機工科は既に期末考査を終えたため、チノは一足先に煩わしさから開放された身であった。
 ただ、それでもチノは遅くまで研究室で図面を引いていた。必死で追い込みをかけているだろう姉やセライムの邪魔になりたくなかったのだ。
 門限ぎりぎりで帰宅したチノは、階段を軽やかに登って同じ形の扉が続く回廊を進んだ。何があったというわけではないが、やはり自分の帰るべき家が近付くとほっとする。チノは口元に笑みを刻んで自室の扉を開いた。
「ただいまー」

「……き、キルナ、すまない……。私のことはいいから、一人で先に」
「駄目よしっかりなさい! 二人で最後までやり遂げるって約束したじゃない……っ!」
 玄関にてチノの耳に飛び込んできたのは、そんな逼迫した会話だった。だが決してここは戦場ではない。
 そこにいたのは、体が傾ぎ目蓋が八割ほど閉じてしまっているセライムと、それを必死で揺り動かすキルナであった。セライムは朝が早い代わりに、とことん夜更かしに弱いのだ。
 テーブルの上には教科書やノート、食べかけの菓子の包みが散乱している。絵に描いたような試験前日の様相だった。
「セライム、大丈夫ー?」
「うーん、チノ……? いつ帰ってきたんだ?」
「今だよ。――あ、これ食べていい?」
 菓子の中に目ざとく好物を見つけてねだるチノに、キルナは投げやりに返事をして欠伸をした。いよいよ魔術科の試験も大詰めとなり、疲れも頂点に達しているのだろう。
「ああ、あとチノ。アナトール先輩から手紙が来てたわよ」
「えっ?」
 木の実にチョコレートがかかった菓子を口に放り込みながら制服のケープを弛めていたチノは、驚いて振り向いた。
「先輩から? 見る見る、どこっ?」
「あなたが帰ってきてから開けようと思ってとってあるわ。でもまず着替えてからになさい、待っててあげるから」
「はーい!」
「こらセライム、あなたも寝るんじゃないの」
「うーん」
 うつらうつら船をこぐセライムに笑いながら、チノは急いで部屋着に着替えた。一刻も早く手紙が読みたかったのだ。
 送り主のアナトールとは、去年グラーシア学園の機工科を卒業し、今は大陸の北部に位置する工業都市マリンバで働いている人物で、チノたちの兄のような存在だった。彼も休業期間中は学園長宅で過ごしていたので、特にチノはよく面倒を見てもらったものだ。
「先輩、元気かなあ」
 一度グラーシアを出た人間とは中々会うことが出来ない。特に新入りはろくに休暇を貰うこともできないだろう。前髪をかきあげては得意げに講釈を垂れていた気の良い先輩と最後に会ったのは、マリンバに行く彼を駅で見送ったときだ。ほぼ一年前である。
 彼が恩師かつ永遠のライバルと語るフェレイ・ヴァレナス学園長とは頻繁に手紙を交換していると聞いていたが、チノたちに手紙がきたのは久しぶりだった。何の用向きだろうか。
「セライムー、先輩からの手紙開けるよ」
「……うーん、ジュラード帝国滅亡、821年」
「駄目ねこりゃ。あとセライム、821年じゃなくて812年よ」
「うーうー」
 双子の姉と妹は顔を見合わせて肩をすくめあった。セライムは半分夢路につきながらも手紙の内容が気になるらしく、必死で目をこすっている。
 チノはペーパーナイフで手際よく白い封筒を開き、中から同じ色の便箋を取りだした。早くしないと、本格的にセライムが寝てしまいそうだ。
「じゃあ、読むよ」
 手紙の主は三人にとって馴染み深い人物である。キルナとセライムの視線を浴びながら、チノは高々と読み上げた。
「――親愛なるチノ、キルナ、セライム。麗しき花の乙女たち。僕は予言しよう、この書簡はキルナが受け取りチノが開くことになるだろう。そうそう、今は期末考査の頃であった、セライムは眠い目をこすっているのではないかな?」
「ぷっ」
 少しでも眠気を覚まそうとコーヒーを口に含んでいたセライムは、思わず噴きかけてむせた。
「げほげほっ。な、なんで分かるんだ」
 横ではキルナがこめかみに人さし指をめり込ませている。
「変わってないわね、あの人」
 チノは苦笑して続けた。
「はは、驚くことはない。学びの森で小鳥のように飛び回る君たちのことを考えれば、想像は難くない。しかし僕が船出の日を迎えてからというもの、かの地に残してきた花園に想い残すところは並々ならぬほど大きく、憂愁の念はこの胸を黄昏に染め――」
「チノ。要点だけ読んで頂戴」
「――うん、分かった」
 聞いている内に悪いものでも食べたかのように目頭を押さえはじめたキルナに、チノも笑みをひきつらせて頷いた。本当にあの先輩変わってないなぁ、と内心で呟かずにはいられない。
 チノは必要以上に飾り立てられた文章に一度目を通し、頭の中でそれを要約した。それと共に、苔色の瞳がゆるゆると見開かれる。
「何が書いてあるんだ?」
 怪訝そうなセライムの声に、手紙に目を落としたまま頷く。
「えっとね――」


 ***


 工業都市マリンバ。グラーシアを学者の聖地というなら、マリンバは技術屋の聖地だ。
 元々、地下遺跡の発掘にやってきた人々が興した町で、その歴史は数百年に渡るほど古い。魔術文明によって花開く外界と対立するように技術力を磨いた彼らは、今や俺たちにとってなくてはならない発明をいくつも世に送り出している。
 その最たるものが大陸を南北に貫く蒸気機関車だ。今や首都アルジェリアン、マリンバ、グラーシアとこの国の主要な都市はほとんどが機関車の線路で繋がれている。
 開け放った窓から汽笛の音が聞こえてきて、俺はぼんやりとそんなことを考え、そして盛大にクシャミをした。
 寒い。薄い水色の空が広がる窓の外は、もうすっかり冬景色だ。
「なぁ、閉めないか」
「埃が部屋にこもるでしょ」
 赤くなった手で雑巾をしぼるチノのつれない返事に、俺は肩を落としてホウキを動かした。

 試験が終わってからの日々はあっという間だ。成績を通知されたと思ったらすぐに終業式と卒業式、気がつけば寮を追い出されてフェレイ先生の家にやってきた俺たちは、恒例の大掃除に取り掛かっていた。
 あの先生、俺たちがいないときはろくに家の中も動かないらしい。使った形跡があるのは書斎と寝室、あとは必要最低限の場所のみ。他はすっかり手入れを忘れられていて、掃除をしてやらないととても使えそうではないのだ。
「えーっと、で、何だっけ?」
「だからー、その先輩が久々に休暇がとれたから皆で遊びにこいっていってるの。ユラスにも是非会いたいって」
「んー」
 俺はぽりぽりと頬をかいた。チノに誘われたのは、かの工業都市マリンバへの旅行だったのだ。どうやら、チノたちの先輩がそこで働いているらしい。
「フェレイ先生がいいって言ったら行くけど」
「あの先生がダメって言うと思う?」
「――そうだな」
 フェレイ先生のにこやかな顔を思い出して、いささか視線を遠くに馳せる俺である。あの先生だったらきっと二つ返事で了承してくれるだろう。
「んじゃ、行くかな」
 俺は、今の俺として目覚めてからグラーシア以外の都市に行ったことはない。
 正真正銘、箱入り息子ってやつである。世間知らずのお坊ちゃまである。繊細で傷つきやすく、ナイーブな、
「ユラス、手が止まってる」
「――は、はい」
 チノにギロリと睨まれて、慌ててホウキを動かす。
「もうー、すぐにボケっとするんだから」
 そう文句を垂れる間も子ネズミのように部屋の隅々まで雑巾をかけていくチノは働き者である。
 ええと、それで。そんな俺にとって、他の都市に行くというのはそれだけで人生の一大イベントである。
 だって、マリンバだ。あの山の峰の向こうに汽車に乗っていくのだ。鬼でも住んでるんじゃないかと不安になるし、しかし同時に知らない町への興味に胸がどきどきする。
 どんな光景が広がってるんだろう。
 どんな人がいるのだろう。
 ああ、でも変なお兄さんに絡まれたりしないだろうか。ようあんちゃん、ちっと金貸してくんない? そして哀れな子羊たる俺は身包みはがされて一人路頭に迷う――。
「……ユラス?」
「す、すいません」
 また考えている内に手が止まっていたらしい。ちゃっとチノがスパナを取り出したのを見て、素直に謝った。本気で殺されかねない。
「ところで、誰が行くんだ」
「んーとね、エディオは行かないだろうから、お姉ちゃんとわたしとユラスの三人かなあ」
「セライムは?」
 紡がれなかった名前に反応して尋ねると、チノはふと表情を曇らせた。
 暫く所在なげに視線を彷徨わせ、人目をはばかるように小さく口を開く。
「……セライムは来ないって」
「……」
 俺は、とんっと胸を押された気がして立ち止まった。開け放たれた窓から吹き込む冷たい風が唇を乾かす。
 チノはそんな俺を見て苦笑いのような泣き笑いのような、複雑な顔をして目を伏せた。
「セライム、明日から実家に帰るんだってさ」
「あ――」
 この学園の長期休業は、普段親と会えない生徒が里帰りをする為にある。しかし親元に帰ることのできない生徒は届けを出して都市に残り、今はフェレイ先生の厚意でこの家に集まっている。
 だが、セライムは――本当は、帰るところがあるのだ。
 本来、そのような親元がある場合、長期休業中にグラーシアに残ることは許されない。しかしセライムは本人の強い希望と、国で名の知れたユルスィート財閥の会長たる父親の了承、そしてフェレイ先生の口添えがあって特別に許可が下りていたのだ。
 セライムには、家族がある。
 あいつはそこから逃げ出したくてここに来たと言った。けれど、いつまでも逃げてはいけないとも。
 ――そうか。あいつ、今回はもう家に帰るのか。
「そっか」
「うん」
 俺とチノは多くを語ることはせず、頷きあった。それだけで、互いの胸中は通じた。
 家族――か。
 俺にはそれがどういうものか、よく分からない。
 俺には――。
「うう、いかん」
 ぶんぶんと頭を振る。駄目だ、考えが暗い方向に傾いてしまっている。
 俺には家族がない。でもそれは仕方のないことだ。だって、記憶をなくしてしまったんだから。
 俺は今の俺として、目の前のものを受け入れて生きていかないと。
「前向きに考えよう。セライムだって頑張ってるんだから応援しないとな」
「うん、そうだね」
 俺が笑うとチノも笑った。今の俺には、それだけで十分だった。


 ***


 フェレイ先生の自宅の夜は、心がほっとするような穏やかさに包まれている。幼学院組は先にベッドに入り、年長の者たちは思い思いにソファーや暖炉の前でくつろぐ。
 フェレイ先生はテーブルで紅茶を飲みながらそんな様子に目を細め、俺はその横で同じく紅茶をすすっていた。
「そうですか、アナトール君が。良い機会です、気をつけて行ってらっしゃい」
 チノに誘われた旨を話すと、フェレイ先生はやはり思ったとおりの返事をよこしてくれた。俺はこくりと頷いて返事をし、暖炉の炎に目をやる。
 火は生き物のようにはぜては交わり、生の穏やかな脈動を伝えてくるようだ。
 そんなものを眺めていると、心も自然と落ち着いてくる。俺は心地よさに身を委ねながら、フェレイ先生に尋ねた。
「アナトール先輩って、どんな人なんですか?」
 チノに聞いたところでは、俺たちと同じくこの家に世話になっていた機工科の生徒であったらしいけれど。
 フェレイ先生はふんわり笑って紅茶を置いた。そうですねぇ、と記憶を探るように目を伏せる。
「――とても良い子でしたよ」
 いや、先生。先生にとっちゃ生徒全員が良い子でしょうが。
 そんな突っ込みを口から出さぬよう、カップを急いで口元に運ぶ俺の隣で、フェレイ先生はとつとつと語った。
「機械が好きなのに、文学や史学もよく学んでいました。そうそう、料理も得意で。気に入らないことがあるとその日の夕食は大抵ピーマンの肉詰めを作ってくれましてねぇ、しかも私の分だけ多く盛ってくれるんですよ。あれは困りました」
 へにゃりと眉を情けない形にしながら、フェレイ先生は視線を遠くに馳せる。そういえば、ピーマン苦手だったんだっけか。――先生も色々苦労したらしい。
「でも、優しい子ですよ。彼がついているなら安心です、色んなものを見てきて下さいね」
「は、はい」
 ぎこちなく頷く。八つ当たりに自分の苦手な料理を出してくる生徒を優しい子と評する、フェレイ先生の大物っぷりを噛み締めながら。

「お、おいキルナ! その話は――」
「えっなになに? セライム何やったの?」
「ふふふ。実はね、この前カレンジュラで――」
「わーっ、言うな!」
 向こうのソファーでは女子三人がじゃれあっている。フェレイ先生はそんな様子を眺め、痩せた頬を綻ばせた。
「グラーシアから出るのは緊張しますか」
「――ええ、まあ」
 鈍い光に彩られた広間では、時もまどろんだようにゆったりと進んでいく。俺は息をついて笑った。
「怖いっていう気持ちはあります」
「でも、ここだけにいては見えないこともありますから」
 そんなフェレイ先生の言葉を胸の内に落としながら、俺もぼんやりと視界に映るものを眺める。
 それぞれが、それぞれの日常を過ごす夜。けれどここでのそれは、紙のように薄い均衡の上に成り立つものだ。この家には、わけありの生徒が集うのだから。キルナとチノが両親を失っているように。セライムが家から逃げ出してきたように。――俺が、記憶を失っているように。
 この都市にいて、見えないことか。
 それは一体なんだろう。
「そういえば、先生は学生時代の休み期間は何してたんですか?」
 俺がなんとなしにそう聞いた瞬間だった。
 ひくり、と隣に座るフェレイ先生の体が目で分かるくらいに硬直した。がちゃん、とカップが音をたてる。そう、まるで時が止まったかのように。
「へ?」
 やばい、まずいことを聞いたか――そう青くなった俺が慌てて取り繕うとすると、先生は。
 ……先生は、けほけほとむせて、気まずげに周囲を見回した。
「えっと、あの。先生?」
「……皆にはナイショですよ」
「はい?」
「実は」
「は、はい」
 よく分からないが背筋を伸ばすと、フェレイ先生はごにょごにょ口の中で何かを呟いた後、ごくごく小さな音量で語りだした。
「……本当は帰らなくてはいけなかったんですけど、その、帰りたくなくて、帰るふりして汽車で別の町に行って身分を偽って住み込みで図書館で働いていたんですよ」
「……」
 えっと。
 ええと。
 あのフェレイ先生が。
 実家に帰らず。
 身分詐称して、ふらついていた?
「……不良じゃないですか」
「……はい、不良でした」
 いじいじ、という表現がそのままあう感じに紅茶のカップを弄ぶフェレイ先生。そんな仕草を見てる限り、全くその様子が想像出来ない。
「本当、秘密にしておいて下さいね。特にオーベル先生辺りに知れたら私、二度とお日様が見られなくなるかもしれません」
「い、いやまぁ昔のことですし」
 俺は髪をかき回した。なんだか、俺の中でのフェレイ先生の銅像ががらがらと崩れていく気分だ。先生、若い頃はどんな人だったんだろう。
「でも、ご実家に帰らなかったんですか」
「色々ありましたからねぇ」
 苦笑するフェレイ先生は、遠い日のことをそう語った。その痛みがどれほどのものなのか、俺にはよく分からない。声の穏やかさはまるで他人事を語るようで、そこに傷のようなものは見えなかった。そして、それ以上聞くべきことでないようにも思えた。
 何故だろう――、正直、今のフェレイ先生のイメージをそのまま留めておきたかったのが本音かもしれない。だって、家に帰らずポケットに手を突っ込んでタバコを咥え町をぶらつく先生とか――。
「嫌だ、嫌すぎる」
 そんなの語られたらショックで三日は寝込みそうだ。流石にそこまでではないと信じたいが。
 色々考えては唸る俺に、ふとフェレイ先生はこんなことを言った。
「父は幼い頃に亡くなりましたし、母も学園を卒業してすぐに亡くしました。しかし、今でも気がかりなんです。あの頃、一度でも帰っていれば。母と話すことがあれば――と」
 ――私の、唯一の家族だったんですから。
 そう続けるフェレイ先生の横顔を俺は見上げた。先生はぼんやりと紅茶の水面に目を落としている。そこにはもう届かないものへの後悔と一滴の諦め、それらを秘めたおぼろげな光が宿っていた。
 家族。フェレイ先生も、もしかしたらそれを知らないのだろうか。だからこんな家に住んでいるんだろうか。
 一人で住むにはあまりに大きな家。古い暖炉。団らん用の広間。ささやかな庭。――今は、俺たちが集う家。
 本来なら、本当の家族が住むにふさわしいであろうに。
 しかしフェレイ先生は、広間でじゃれあう生徒たちを、いとおしげに眺める。暖かな灯火にそっと頬を緩ませるように。
 そして帰るべき場所のない俺たちは、ここで僅かな安らぎを得る。
 フェレイ先生は、俺たち生徒を家族みたいに見てくれてるんだろうか。
「帰ったらお土産話を沢山聞かせて下さいね。それから、アナトール君にもよろしくと」
 フェレイ先生の穏やかな笑みに、俺はこっくりと頷いて返事をした。




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