-紫翼-
一章:聖なる学び舎の子供たち 40.青薔薇の庭 「母ですわ」 俺たちが尋ねる前に、マーリアが答えた。 「もう、亡くなってしまいましたけれど」 微かに声に感情がこもる。俺はもう一度、まじまじと写真に写る女性を見た。女性が持つ今にも動き出しそうなほどの鮮烈な輝きは、古びた屋敷の中で異彩を放っている。その顔はマーリアとは瓜二つだが――確かに、何かが違う。年齢という大きな差異がそう思わせるのかもしれないが――。 失礼を承知で言えば、何故か俺の目には、今現実としてここにいる少女より、写真として映っている女性の方が断然人間めいて見えた。表情の差がそう思わせるのだろうか? 女性は、まさに幸福の二文字を具現したように笑っている。隅の方にサインのような走り書きがあったが、部屋自体が薄暗いのでいまいち何が書いてあるのか分からなかった。 母が亡くなっていると告げたことにそれぞれ反応を見せる俺たちの前で、マーリアは写真の中の故人を懐かしげに見上げ、続けた。 「けれど、今の私には伯爵がいますから。寂しくはありません」 小さく頼りない後姿をさらして、マーリアは更に先に進む。 広間を抜けると、長い廊下に突き当たった。だというのに、ぱっと視界が開けたように感じたのは、廊下一面に見上げるような窓が整然と並んでいたからだ。そちらから白い光が溢れるように降り注ぎ、――そして窓の向こうの中庭が、荘厳なまでに美しく俺たちを迎えた。 「すごい――」 窓に一番に飛びついたのはスアローグだ。 「青薔薇! 完成してるじゃないかい!」 そう、見下ろす形になった中庭に、一斉に花開く青薔薇の花畑が、触れられないような完成された装いを持ってして咲き誇っているのだった。ちょっとそこらじゃお目にかかれない光景だ。俺たちも一緒になって窓からの眺めに見入ってしまう。 「すごい、キルナっ、青い薔薇だ!」 「ひゃー、本物なの?」 「伯爵が研究なさっていたものですわ」 科学者の卵としての血が騒いでいるのか、そんな台詞に反応してスアローグが素早く振り向く。 「近くで見てもいいかい?」 「よろしくてよ。後ほど、ご案内しますわ」 「あれってすごいものなのか?」 「すごいもなにも」 信じられないといった具合にスアローグは首を振る。 「青薔薇の栽培はグラーシアでも研究されてるけど、成功した試しがないって聞いてる。もしあれが完成形で論文がでれば――もしかしたらとんでもない科学賞が貰えるかも」 「ま、マジか」 科学系にはややうとい俺が目を丸くするのに、スアローグは感動を共有出来ないのを苛立ったのか頭をかいた。 「伯爵は、そのようなものには興味がおありではないのです」 相変わらず俺たちのやりとりを遠目に眺めるようにしてマーリアが添える。スアローグもそれには唸って眉を潜めた。 「まぁ、研究資金が腐るほどあって地位に固執しないなら、そうもなるだろうけどねぇ。どっかの研究機関に誘われたりしなかったのかい?」 「ええ――昔は外にも出たそうですが。今は全てお断りして、お一人で研究していらっしゃいますわ」 俺はもう一度窓の外を見た。どうやら屋敷は中庭を囲むように建っているようで、見下ろす形になった薔薇園の中庭はそれだけで一軒家が建ちそうな広さがある。広がる色は花弁の青と葉の緑、太陽に照らされて不思議な美しさを誇っている。まるで現実のものではないようだ。 そう思うと、ふいに足元が歪む気がして、慌てて居住まいを正した。――不思議な屋敷だ。なんだか、別世界に来てしまった気になる。 そんな全ての歪みを凝縮したような少女マーリアは、無駄のない完璧な振る舞いで廊下を進んでいった。 「こちらが客室で御座います。二部屋、どうぞご自由にお使いになってください」 間もなく通されたのは、これまた豪奢な部屋だ。ただ、あまり使用された形跡はなく、古めかしい空間は若干空気が淀んでいる。 「突然のご来訪で御座いましたから、このような部屋しかご用意出来ず恐縮ですが」 「――確かに何かでそ――ごへっ!?」 思ったことをそのまま口にすると、後ろから二人に殴られた。 「失礼なこと言うんじゃないわよっ!」 「そんなもの存在するわけないッ!」 キルナとスアローグだった。割と痛い。特にスアローグの拳が本気だ。 セライムはどこか落ち着かない様子できょろきょろ辺りを見回している。 「何かご不便が御座いまして?」 「あ、いや――」 マーリアに問われて、セライムは肩を飛び上がらせた。そのまま間が悪そうに笑う。 「こ、こんな立派な部屋を貸してもらっていいものかな――もうちょっと、こう」 「――申し訳ございません、他の部屋はもう使用していないもので、ここよりも――それこそ亡霊でも」 「ありがとう! この部屋で十分だ、助かったよねぇセライム!?」 「あ、あぁ……」 すごい勢いでスアローグに詰め寄られたセライムも流石にコクコクと頷く。本当にその手の話がダメなんだな、こいつ。 ふとマーリアを見ると、驚いたことに口元に笑みを刻んでいた。ほぼ伯爵絡みのことでしか笑わなかったのに、俺たちの会話を楽しげに聞いているように微笑んでいる。けれど、目を微かに細めて声もあげずに笑む様子は、まるで遠いものを見るそれだった。 そう。先程、母の写真を眺めていたときと同じ。届かないものを、憂愁の色でそっとなぞるような。そして――俺の心の淵をもなぞるような。 「屋敷の中はご自由に見て頂いて結構で御座います。ただ、中庭から入る奥の部屋は伯爵の研究室ですのでご遠慮下さい。夕食時に伯爵もご一緒されますので、お話はその時に」 よどみなくマーリアは告げて、ふわりと頭を下げた。 「久々のご来客で伯爵も大変喜んでおりました。御礼申し上げますわ――失礼致します」 *** そつなく屋根の上に降り立ったシェンナの赤味のない頬が、予感に強張った。 紫の少年を監視していて辿り付いた、この屋敷。住人はやせ細った一人の男と、奇妙な美しさを持つ一人の少女。だが、屋敷の奥底でうごめくかすかな波動は、シェンナの胸中で幾倍にも増幅され、確かに彼女の心を揺さぶった。 「――?」 その正体を探ろうと、灰色のフードの中に己の体を押し込めたシェンナは五感を研ぎ澄ませる。この感覚は――それを手繰り寄せていく内に、全身に雷が落ちたような衝撃が突き抜けた。 「っ!?」 ぶつけられる空気の塊。唸り狂う突風だ。足元をすくわれそうになる。 反射的に腕で顔をかばい、目を閉じた。巨大な刃物のような風の手は、軽々とシェンナの顔を隠していたフードを取り上げた。強い空気の流れに開放された短い灰の髪が弄ばれる。 「――まさか」 まるで灰色の女の容姿を嘲笑うかのように吹き抜けた風の後、波動は一層確固とした形で女の心に干渉してきた。 背筋が冷える。びきびきと凍っていくような視界に、シェンナは何度も瞬きをして、その根源を探そうとした。それはいつか、見失ってしまったものだった。そしてもう諦めていたもの。忘れもしない、懐かしい気配。 「まさか、こんな場所にある筈が」 震えだす拳を握りこんで、瞳のモノクロームを揺らめかせる。さらされた灰色の髪が頼りなげにゆらゆらなびく。 けれど、とシェンナは色のない体に熱を宿し、逆に心には冷や水を浴びせかけた。 冷静にならなければいけない。 思考を集中させる。可能性を考える。現実を加えて、解釈する。 この屋敷全体に漂う空気は、紛れもない。とても懐かしいものだ。 それが指す事実。ろくに噛み砕かなかった塊のように、喉に不快感を残して胸に落ちていく。 呼吸を落ち着けて、辿り付いた結論を飲み込んだシェンナは、歪めるように目をそばめた。 「皮肉なものね。こんな場所で見つかるなんて」 幾年の時を経て、無くしたものが目の前に現れたのだ。今はその真実を受け止めるしかない。 あるいは、もしかしたらあの紫の少年が無意識の内にこの地にひきつけられたのかもしれなかった。 ならば、これも決まっていたことか。 目を閉じて、無駄な思考を散らした。思い出せ、己の使命を。誓いを。歪みの残滓でしかない自分に、唯一出来ることを。 灰色の瞳は、次に開いた時には冷たく研ぎ澄まされた意思で満ちていた。嗤うように満ちては引いていく懐かしい気配を鋭利な感情で迎え撃つ。なぶるならなぶればいい。いくらでも。そう音にせず宣言し、灰色のフードをかぶりなおす。 懐に手を差し込み、ローブの裏に吊っておいたものを取り出した。なめらかな黒に光るそれはすっぽりと手に収まる。 歪みは闇へ。闇は無へ。 この世に、いびつなモノが住まう場所が、取り分けられるはずがないのだから。 右手に拳銃を、瞳に燦然とした輝きを持ってして、シェンナは青薔薇の庭を見下ろした。 そのとき、彼女がもう見ることもなくなった上空を、紫色の鳥が風を切り裂いて横切っていった。 *** 青薔薇の庭は甘ったるい香りの中に沈み、陽光がそこに妙な白さをもたらしていた。 昼食の後、俺たちは真っ先にこの中庭を訪れたのだが、真っ先にスアローグが花に飛びつくようにして、 『本物だ……どうやって作ったんだろう。別の花の色素配列を転写したのかなでもこんな真っ青な色になるなんてうーんトシアン系色素のリアンから元の色を抜いて転換術で』 みるみる自分の世界に埋もれていったので、無視してふらふら庭の中に入ってきた次第である。あのまま聞いてたらきっと日が暮れるだろう。 青薔薇は背よりも高く生い茂り、一度庭園に入ってしまえば迷子になりそうなほどに視界は花と葉で埋め尽くされる。けれど、素人の俺でも分かるくらいに庭は整えられ、美しさを誇っていた。 「本当に真っ青だな」 手近にあった青薔薇の一輪にそっと指で触れて、一人でごちる。花というもの自体こんなにまじまじと見たのも初めてかもしれないが、それにしても不思議な色だった。 海のようでも空のようでもない、絵の具を落としたような鮮やかな濃い青。あでやかにくるくると広がる花弁は、酔ってしまいそうなくらいの甘い香りを漂わせている。 詩人だったらこの花を千の文字を持ってして歌い上げるだろう。確かにこれは綺麗な花だ。 けれど、人の力で作り変えられたものでもある。自然ではありえない存在、ねじまげられた、いびつな色。 何故だろう。吸い込まれる。もっと、もっと近くで見たくなる――。 「お気に召しまして?」 どきりとして振り向く。 長いまつげに縁取られた、人形めいた大きな瞳。 なめらかな白磁のように輝く肌、桃色の小さな唇。 淡い亜麻色の髪はすとんと黒い服に落ちて、強い強いコントラストを。 俺より遥かに背が低いはずなのに、砂糖菓子みたいな少女は背景に無数の青薔薇を従えて、一枚の絵画のように幻想的な存在感を醸す。 「――マーリア」 「失礼致しました。驚かすつもりはなかったのですが」 「あ、ああ」 どもる俺を前にマーリアはゆったりと歩き出して、目の高さにあった青薔薇を小さな手で包んだ。 「伯爵もこの花は気に入っているのです。長い時間をかけて、この庭を全て青薔薇に変えてしまったくらいに」 「でも青薔薇なんて初めて聞いた。スアローグも言ってたけど、ここは誰にも知られなかったのか?」 「ええ」 握れば砕けてしまいそうな白い指が、愛おしそうに青をなぞる。 「この庭が出来てから、あなた方は初めてのお客様になりますわ」 マーリアのその言葉が正しいのなら、この青薔薇は俺たちが見るまで誰にも触れられずにこの地に眠っていたのだろう。学究の徒が見れば、宝の山であろうこの庭は。 「伯爵はなんでこんな場所で一人でいるんだ」 スアローグが言ったことが真実であるなら、この青薔薇は外に出れば伯爵に大いなる名誉を降り注がせることになるだろう。なのに、この屋敷は閉鎖され完結している。そう――やってきた俺たちの存在が異端なのかと思わせるくらいに。 「あの方は……」 マーリアは言葉を濁して、僅かに俯いた。その様子は夜より深い闇が渦巻いているように複雑で、底が見えない。 何故だろう、胸の内にもやもやとしたものが沸き起こる。 この少女は――何かがおかしい。 いや、この屋敷自体が、か。 体が妙に重たく感じる。まるで、足元から何かが這い上がって巻きついてくるかのように。 マーリアは、憂いを秘めた表情で青薔薇に目を落としている。操り手を無くした人形のように、ぽつりと一人。黒い衣装を背景に溶かすようにして。 「伯爵は、寂しい方なのです」 そう呟き、香りを楽しむように目を閉じて、薔薇に顔を近づけた。 体が、勝手に警戒を始めている。何故だか、自分でも良く分からない。けれど――俺は、この少女に。 「伯爵は、美しいものしか愛さないのですわ」 飲み込まれてしまいそうな、気がしている。 「外の世界は、美しくないのか」 「はい」 閉鎖された空間。 誰に知られることもなく、完成されていた研究。 その結果はやはり空間の中で眠る。眠り続ける。 ずっと、ずっと――永遠に。 「学者という立場にまとわりつく地位、名誉、そして沢山の膿――。伯爵には、耐え切れなかったのです」 マーリアは悲しげに呟いた。 人と触れ合うことで生まれる齟齬。複数の人間がいれば、ずれは必ず発生するだろう。研究者という狭い世界の中では、特に顕著かもしれない。 「研究者の世界は、伯爵にとって悪意に満ちたものでした」 一分、一秒を争う研究。一日でも発表が遅ければ、名誉など簡単に他人のものに摩り替わる。そこに生み出される焦り、羨望、嫉妬。 間違いをさも正しく捏造され作られる論文もあるという。 大量の金銭と引き換えに手に入れた情報を元にした論文もあるという。 「誰もが、己を認められたい、己が正しいことを認められたいと願う。そんな世界に、伯爵は絶望していました」 あらゆる感情が渦巻く人の世界は――とても、暗く、歪んでいる。 その歪みを受け入れられないものは、大抵孤独だ。己の興味に純粋になればなるほど、彼らは孤立していく。その先にあるものが、間違いであろうとも――正しくあろうとも。 けれど、大抵の人間は受け入れてしまうのだろう。孤独は甘い香りを匂わすが、しかし絶望と隣り合わせでもある。逆に受け入れるのはたやすい。目をそらして、時にそれをうまく使い、折り合いをつけて生きていけばいいのだ。 それでも『受け入れられない人間』は。 「伯爵は、研究者として疲れきっていました。人との交わりにも。だから、この地で一人で研究を始めたのですわ」 「……孤高なる学者、か」 数多の人が住まう世界を見てしまうから悲しくなるのだ。完結された世界の中に閉じこもってしまえば、もう外の世界に揺さぶられることはない。そしてこの孤高なる学者は、それが出来てしまうほどの環境を持っていたのだ。 「――母は」 ふるりと、声がわずかに揺れた。 「母は、そんな伯爵を救おうとしました。傷ついた伯爵を、自分の世界しか見なくなってしまった伯爵を救おうと」 写真に描かれた女性が、脳裏に描き出された。見る者を幸福にする笑顔で花畑の中に座る一人の女性。 「伯爵もまた、母を愛していらっしゃいました。けれど、母はいなくなってしまった。伯爵は、孤独なのです」 「お前がいるじゃないか」 俺の言葉は予想されたものだったらしい。マーリアはこちらを見ずに笑った。何かを諦めた笑みだった。 「私では、母の代わりにはなりませんわ」 ――確かに、あの写真の中の女性はその顔に聡明さを覗かせながらも無邪気に笑っていた。マーリアは、まるで瓜二つの顔立ちをしているのに、何かが欠けている。 でも、それは別人なのだから当たり前だ。母親のようにはなれなくとも、マーリアとして伯爵の助けになっているんじゃないだろうか。実際、マーリアと会話していた時の伯爵はとても愛おしそうな目をしていた。 それに、あの女性の娘で、姓がオヴェンステーネ、ということは。 「一番近い肉親なんだろ?」 ふるりと、マーリアの体が震えた。 まるで、触れられたくない場所に触れられたみたいに。 「……もう、心は通じていないのですわ」 「え?」 青薔薇に向けて語りかけられたような呟きは俺の耳に届くことなく、聞き返そうとしても――次の瞬間、全ての思考は吹き飛ばされていた。 マーリアの幼くあどけない顔が、こちらに向いていた。 子供の目ではない。 人形のようだと思っていた、けれどそれも違う。 むき出しにされた感情が、初めてガラスのような若草の瞳に宿っていた。 震える唇、微かに上気した頬、強い眼差し。 眠れる姫君といった印象を切り崩し、――ひとりの少女を再形成する。 「ユラスさん」 すがるように、マーリアは俺を呼んだ。甘ったるい青薔薇の香りが、鮮やか過ぎる変貌が、脳髄を焼くように刺激する。 「私を――助けてください」 今にも泣き出しそうな声は、恐れによるものか。 少女は、何かに怯えていた。 青薔薇にまみれた視界の中、少女の願いは俺の全てを簡単に飲み込む。 「――、」 疑問はいくらでも浮かんだ。けれど、ここは全てが現実味を失っている。時代錯誤の屋敷、伯爵という呼称、人形のような少女、青い薔薇の庭。いびつなものばかり。頭がくらくらする。 「――なんで、俺に」 額に手を当てながら、問う。頭に血がいかない。 「あなたは、違う気がするのです」 ここは、良くない場所だ。 「あなたは――」 そんないびつなものを見ていると――。 はっとマーリアが言葉を途切れさせたのは、その時だった。人の気配がしたのだ。 ほどなくして青薔薇に埋もれた迷路の中に、セライムがひょっこりと姿を現した。 「ああ、ユラス。マーリアも。声がすると思ったんだ」 セライムの声。マーリアのものと違って、現実の響きをもつそれは、揺らぎかけた視界をまともにしてくれる。 はっ、と息を吐き出して、初めて呼気が浅くなっていたことに気付いた。 マーリアを見る。――マーリアも、始めに会ったときと同じ、表情の乏しい少女に戻っていた。しかし、何かを言う前にマーリアの口が動く。 「それでは、私はこれで」 失礼します、とマーリアは会釈して青薔薇の中に消えた。 「――」 それでやっと完全に心が落ち着く。そう思うと、頭が急速に冷えて、ほぼ反射的にポケットから棒付き飴を取り出した。包み紙を破くように剥いて口に入れ、甘みを感じて息をつく。 「どうしたんだ?」 「んー」 ぎゅっと目を瞑って、手を顔にかぶせた。 マーリア・オヴェンステーネ。人形めいた容姿の少女。あのガラス玉みたいな瞳が、その奥に揺らめいた感情が、焼きついて離れなかった。 「セライム。お前、マーリアをどう思う?」 吐き出すように、ゆっくりと問う。セライムはきっと不思議そうな顔をしたんだろう。けれど、返ってきたのは予想だにしない答えだった。 「お前に似てる」 指をずらして、俺はセライムを見る。セライムは至極平素と変わりない顔でそこにいる。 「――はい?」 「だから、お前に似てるといったんだ」 「どこが?」 思わず聞き返してしまう。俺は少なくともあんな麗人じゃない。それだったらセライムの方がよっぽど近い。性格も似てないと思うし――。 セライムは考え込むように小首を傾げた。 「なんだろうな。なんて言ったらいいのか――でも、似てると思ったんだ」 わけが分からない。飴を歯で砕いて飲み込む。ポケットから二本目を取り出す。 「こらユラス、あまり食べると夕飯が入らなくなるぞ」 「うーん」 俺は小言を聞き流して新しい飴を口に入れた。なんでだろう。この屋敷に入ってから調子が狂いがちだ。今思えば、先程の出来事もなんであんなに余裕をなくしてしまったのか不思議になってくる。青薔薇の幻想的な装いにあてられたのだろうか。 「それにしても、綺麗な庭だな」 セライムは笑って高い場所に咲く青薔薇を仰ぐ。マーリアと違うのは、そこに生気が満ち溢れていることか。 「豪華なものは苦手だが、こういったものは悪くない」 ――ああ、こいつは実家が苦手だったんだっけか。豪奢なものは、どうしても実家を思い出すんだろう。 けれど。 セライムの楽しげな声に頷きながら、俺はぼんやりと考えていた。 なんて不気味な庭だろう、と。 Back |