-紫翼-
一章:聖なる学び舎の子供たち

17.ヘンベルク研究室



 グラーシア学園の生徒は制服の着用が義務付けられており、学園内では上着や作業着であっても、定められたものを身に着けなくてはならない。そんな学園の高等部周辺を歩いていると、制服の上から白衣を羽織っている生徒に出会うことがある。主に科学系の研究室に所属する生徒である。
 彼らの中でも化学や物理学、地学を専攻する生徒が集まる科学研究棟は、高等部の教室棟から渡り廊下で繋がった先にある。反対側にある医学研究棟と双璧を成す、研究棟でいえば学園最大規模を誇る建造物である。
 ちなみに、何故科学系の研究室同士がこのように教室棟を挟むように離れて建っているのかというと、その理由は学園が出来たばかりの頃までさかのぼる。
 当時、この都市には学園に教員として招かれた二人の高名な学者がいた。一人は化学を専門とし、もう一人は医学を専門としていたらしい。二人の仲は非常に良く、時には熱く議論を交わし、時には共に同じ研究に携わり、研究者として充実した生活を送っていた。
 ――が、二人の友情は後に脆くも崩れ去ることとなる。
 何故か。

 女である。

 真実は定かでないが、どうやら二人は同時に一人の女性を愛してしまった故に袂を分かつことになってしまったらしい。
 しょうもない話だが、いくら学究の徒とはいえ二人とも人間である。とにかく、この時の二人の険悪さといったら目もあてられず、すれ違ってしまった日などは聖なる学び舎の廊下にお互いを罵る声が高々と響き渡ったそうだ。
 だが、それだけで済めば他の教員から『あーまたやってるよあの二人』『元気ねえ』と囁かれて終わったのだが、悪いことにこの二人、双方とも学会では相当な地位があった。その為、当時建設が予定されていた研究棟に大きな発言力を持っていのである。
『冗談じゃないッ! こんなヤツと隣で研究が出来るかー!』
 二人が声を揃えてそう主張した為、似通ったところもある筈の化学と医学の研究棟は、中央棟を挟んで睨み合うように建設された。ついでに二つの研究棟は二人の対抗意識によってみるみる増築され、今尚学園の研究棟の中で最大級の規模を誇る。ちなみに結局どちらが女性の心を射止めたのかは諸説があり、今でも学生たちの間で暇つぶしに話し合われていたりもする。
 そんなわけで、ハタ迷惑な研究者によって建立した学び舎の科学研究棟には、今日も化学を筆頭として様々な研究室がひしめきあっているのである。
 無論、まともな人間がまともな研究をやっているところもあるが、一部の熱心すぎる研究室では『ズボンは二日はいて裏返せば計四日洗濯せずに済む』『この前床で寝てたらゴキブリに指かじられて起きましたよ結構アレ痛いですねアハハ』みたいな己の研究に没頭しすぎて既に人間的な生活を忘れてしまったような人々がたむろするところもある。

 スアローグ・クシュラマ、現在16歳。神父の子として生まれた男三兄弟の次男坊である彼は才能を認められてグラーシア学園に入学し、家で聞かされた説法よりもずっと好きだった化学の道を歩むことを心に決めていた。
 が、流石の彼も研究室を選ぶに当たって明らかに人の暮らすところでない環境の研究室を避け、ひとまずまともに思えるところへ落ち着いていた。あんなところに入ったら、研究やめますか人間やめますかなんて問いかけが頭を過ぎりそうだ。素晴らしい論文は生まれるかもしれないけれど。
 彼の所属している研究室は、化学研究棟の最上階である四階にある。教員でもある研究室主任は、ヘンベルク教授という際立った個性のない中年の男であった。中背で若干太っているが、太い眉毛と険のある目が研究者としての知性を湛えている。学園長のように親しみやすいというわけではないが、多少神経質なことを除けばいたって普通の教授であるといえる。
 彼が率いる有機合成化学研究室――通称ヘンベルク研究室は、学園内でもまずまずの地位の研究室であり、このままいけば更に上を目指せる前途有望な場所でもあった。どこぞの考古学研究室とは大違いである。
 ――といってもスアローグ自身はまだ入りたての高等部一年生なので、下っ端も良いところだ。研究室には学生たちの他に、卒業しても留まって研究する助手などもいて、スアローグは彼らの手足となりつつ勉学を習うのであった。
「スアローグ。これ揃えといて」
 壁には一面の本棚、並べられた机の上にも零れ落ちそうなほどの本と紙が散乱した部屋で、スアローグは返事をして助手から小さな紙を受け取った。内容を確かめると、薬品の名前がいくつか走り書きされている。あとで実験に使うものだろう。
 元から化学を学びたいと思っていたスアローグは、研究室に入る前から勉学に力を入れていたつもりだが、最初は飛び交う会話が全く知らない言語に聞こえたものだ。今でも新たな知識を覚えるのに忙しい。だが幸いなことに、今回貰った走り書きに知らない単語は見当たらなかった。
 研究室では二つの部屋を所持しており、片方が机上の作業をする部屋、もう片方が実験室となっている。スアローグは息をつくと、淡い金髪をかきあげて薬品の入れ物を片手に隣の実験室へと向かった。

 実験室に入ると薬品独特の匂いが鼻をつく。そう狭い実験室ではないのだが、器具や棚が所狭しと置いてあるので、本来よりもずっと狭く感じるのだ。
 見回すと、棚の薬品をいじっているヘンベルク教授の後姿があった。
『そういえばさっき入ってったっけ』
 一瞬立ち止まって、スアローグは肥えた感のある白衣の背中を眺める。あまり愛想の良い教授ではないが、とにかく挨拶をしなければと口を開いた。
「お疲れ様です」
「――ああ、実験の準備か」
「はい」
 ちらりとヘンベルク教授はこちらを見やると、表情も変えずに己の作業に戻った。まあ、入ったばかりで実力も定かではない生徒には当たり前の対応であるな、とスアローグは内心で肩をすくめる。さっさと頼まれごとを終わらせてしまうために、スアローグは用のある棚へと歩み寄った。
 年季の入った木製の棚は窓からの陽光に照らされているが、夜になればきっと肝試しにぴったりの演出をしてくれるだろう。引き戸も若干さび付いていて、開くと軋む音がする。
「ええと、クラルフィルと――」
 棚の中には大小様々な瓶が並んでいて、ラベルを一つ一つきちんと確かめないと間違えたものを手にとってしまいそうだ。どこぞの高名な学者がつけたんだろうが、薬品名には似たような名前が多い。もっと個性のある名前をつけてくれよ、と新米の科学者は誰でも思う。
「――うん?」
 スアローグの意識がふと止まった。走り書きにあった薬品の小瓶を手にとったときのことだ。そこに違和感を感じて、まじまじと見入る。
『まただ。この前使ったときより随分減ってる』
 数日前の実験でもこの瓶の中身を使ったことはしっかりと覚えている。しかしこの薬品は一回に使う量が非常に少なく、その時も耳かき一杯ほどの量しか使わなかったのだ。助手のルークリフにも、高価な薬品だから扱いに気をつけるようにと言われたものである。なのに、その時九分目まで入っていた瓶には、既に三割ほどしか残っていない。誰かが間違えてひっくり返しでもしたのだろうかと首をひねるが、そんな話は聞いていない。一体誰がこんなに一気に消費したのだろうか。
 こういうことはスアローグがこの研究室に入ってから度々ある出来事だった。しかし周囲に目をやっても答えらしきものは見つからなかったので、スアローグは違和感を抱えながらも準備を続けた。主任はまだ棚の薬品をいじっているようだった。

「終わりました」
 机に向かうキツネのような顔をした助手にそう告げると、彼はご苦労様と一声かけてきた。机には図書館から借りてきたのだろう本が積まれている。読み込んだのだろうか、付箋が張られたり資料が挟まっている本もある。
「ああ、そういえば今日が返却日だったか」
 スアローグの視線を察したのか、助手のルークリフは頭をがしがしとかいてつまらなそうに本の山に目をやった。
「後で返しにいかなければいけないな。スアローグ、実験は二時からだ、それまで予習をしていてくれ」
「はい。あと、なんか妙に薬が減ってる気がするんですけれど」
 気になっていたことをそれとなく聞くと、心なしかルークリフの表情が暗くなる。彼はスアローグの顔を見ずに短く答えた。
「気にしなくていい。最近実験が立て続けに行われているだけだ」


 ***


「――ってことがあってさ」
「それ、そんなに使わないモンなのか?」
 俺がそう訊くと、スアローグはこめかみを指で押しながら頷く。
「そうだね、実験でたまに使う程度だよ」
 唸るスアローグの横で俺は腕を組んだ。食堂に行った帰り道のことである。ジャイアントフルーツパフェさっぱり夏風味に舌鼓を打ち、幸せ気分で食後の棒付き飴を咥えながら聞いた話は、スアローグの所属する研究室で妙に薬品の消費が激しいというものだった。
「他の研究室が足りなくなって分けてもらいにきてたとか」
「あのね、僕の研究室は君んところと違って、そういう管理はちゃんとしているのだよ。第一、あんな高い薬品、他の研究室に分けてたらお金がいくらあっても足りないよ」
 スアローグは呆れた目で一度こちらを見やって、解せないと言わんばかりの顔で息を抜いた。一度気になると、いても立ってもいられなくなるようだ。
 中等院と高等院の境にある食堂から教室までは、そう長い距離ではない。しかし中庭の道は人も多く、俺たちを追ってきている人がいることに気づいたのは、声をかけられてからだった。
「君、そう、そこの君」
 背後からの呼びかけに、俺とスアローグは同時に振り向いた。一瞬人違いかとも思ったが、その人は、しっかりと俺たちを見据えて早足で歩いてきていた。急いでいるのだろうか、少し息が乱れている。
 俺たちを追ってきたその人は――ええと、どこかで見たことがあるぞ。中年の男の人だ。白いものが混じる茶髪をしっかりと整え、眼鏡をかけた面立ちはちょっと厳しい。顔に刻まれた皺もその印象を助長しているのかもしれない。服はしっかりとした礼服で、研究者というよりは営業者といった風体。汗をかいたのか、白いハンカチで額を拭っているその人はああ、何処で見たんだっけ、思い出せない――。でも、お偉い人であることには間違いなさそうである。
 スアローグと俺はお互いにちらっと視線を交し合った。こういうお方に呼び止められるようなことしでかしたかい?という確認だ。俺が微かに首を振って否定の視線を送ると、スアローグは非常に疑わしげな目を寄越してくれた。まあ、反論は出来ないんだけれども。
 しかしその人が口にした言葉は、予想に反するものだった。
「いやあ、若者は足が速くていいね。追いつくのも一苦労だ――君、ヘンベルク研所属のスアローグ・クシュラマ君だね?」
 ……。
「はぃ?」
 どうも急な振りに頭がまわらなかったようで、スアローグが三拍ほどおいてから間抜けな返事をする。だが俺も正直自分が呼ばれたのだと思っていたので、五十歩百歩の表情をしていただろう。
「む、違ったかね」
「あ――いえ、僕がスアローグですけれど」
 突然の事態に声を上ずらせるスアローグに、その人は一瞬周囲を伺うようにしてから、笑みを刻んだ。
「ああ、突然すまないね。緊張しなくていい、少し聞きたいことがあるだけだよ」
 手を広げるようにしてそう言うその人をまじまじと見つめて、そして俺はようやく誰なのか思い出した。
『――ライラック理事長』
 そうだ。始業式のときにフェレイ先生の隣に座っていた、グラーシア学園の理事長その人ではないか。学園内でもかなり上の役職の人が一体何の用事だろう。スアローグが学園の資金をちょろまかすようなことでもしでかしたのか。いや、こいつにそんな度胸は多分ない。では何か、君の友人ユラス・アティルド君についてだが妙な噂でも聞いてないかね――とか言う気か。俺、隣にいますけど。
 ――思考がものすごい勢いで負の方面に動き出した辺りで、ライラック理事長は声を潜めるようにして問いかけた。
「君の研究室で、最近おかしなことはなかったかね?」

 今度こそ、俺たちは顔を見合わせた。


 ***


「ふう」
 学園長は紅茶のカップに口をつけ、目の前の書類の内四枚にサインをして一枚に書類不備、と書きつけた。
 これからの予定は目が回るほどに詰まっている。今日の夕方には機関車に乗って首都アルジェリアンまで赴き、一泊して翌日の式典に出席して、そのままとんぼ返りでグラーシアに戻り学園内での会議だ。前任の学園長にこの立場を譲られた時に、『この役職は体力勝負じゃよ』とニヤリと笑われたことを思い出す。
「この書類は――ヘイルマン先生のですか。理事長に渡してもらいましょうかねえ」
 不備があった書類を眺めながら、そういえばと明日の式典の詳細に目を通していなかったことに気付く。機関車の中ででも読もうかと思っていた辺りで、人の気配を感じて学園長は顔をあげた。
「失礼します」
 規則正しい靴の音と共に学園長室に入ってきたのは、長い青の髪を切りそろえた教師レインだった。
「おや、レイン先生。どうしましたか? ――あ、今日はピーマン残してませんよ」
 学園長が聞いてもいないのに若干逃げ腰の発言をする。レインは眉間にしわを寄せて「当然です」と溜息まじりに言い放った。
「学園長が給食を残すと、好き嫌いが子供たちにも伝染します。食べれないんだったらそもそも幼学院に行かなければいいんです」
「でも、子供たちと食べると楽しいですから」
 執務用の机を挟んで学園長はにっこり笑った。まるで子供のような表情である。この顔が聖なる学び舎グラーシアの学園長がするものかと考えると頭痛がする。
 どうやったらこの学園長がその地位にふさわしい威厳を持てるようになるのか。子供の教育の前に学園長の教育について審議しなければいけないとつくづく感じながら、レインは書類を差し出した。
「この前の魔力測定試験時の事故の報告書です」

 レインから紙束を受け取って、学園長は密かに苦笑した。これは確かにレインが担任をもつクラスで起きたことだから彼女が書類を作るのは分かるが、持ってくるのは高等院の教頭辺りを通してでも構わないのに。きっと、ちゃんと仕事をしているのかの確認も含めて自分で持ってきたのだろう。
「わかりました、お疲れ様です」
 しかし、その報告書の中身についてはあまり歓迎できるものではない。何故なら、それは――。
「結局、装置に異常は見られなかったのですか?」
「はい。十分点検しましたし、それまでの測定でも何一つ不具合はありませんでした」
 レインは報告しながら、ぎゅっと拳を握りこんだ。その表情に苦いものが混じる。
「――でも事故は事実です。危うく生徒に大怪我をさせてしまうところでした」
 先日の魔力測定試験での事故――それは、ある生徒が試験を行ったところ、突然装置が暴走し、水晶球が破裂したというものだ。その生徒は飛び散った水晶の破片で頬を浅く切っただけで済んだが、少し上には目が、また下にいけば大きな脈の通る首があった。少しでもずれていればと思うと、その程度で済んだのは不幸中の幸いだ。
 しかし調査の結果装置に異常はなく、またレインが不手際なく試験を行っていたことも証明され、彼女は不問に処されることになった。だが、それと本人が感じる責任はまた別物だ。
「その後の再測定ではどうなりましたか?」
 心なしか学園長の声がいつもと違う気がして、自己嫌悪にふけりそうになっていたレインはふと意識を取り戻した。
 何故そんなことを聞くのだろう。まるでそれは、測定装置でなくその生徒に問題があったという風にも聞こえる。
「え、ええ。数日前に再試験しましたが、特に問題はなかったです。結果は確か――350程度、平均的な数値でした」
 その生徒は、今年高等院に編入してきた変り種だ。だが、中等院からあがってきた生徒に混じってしまえばレインにとっては特別でもなく、さして気にとめていなかったのだが……。
 そういえばと、例の事件の時、妙な感覚に襲われたのを今更ながらにレインは思い出した。その後の慌しさに、今まですっかり忘れてしまっていたのだ。
 そう、あれは彼が魔術行使を始めた瞬間のことだったと思う。彼を中心として巻き起こった魔力に、何故か背筋が冷えた気がしたのだ。まるで拳が振り上げられた瞬間、びくりと体をすくめるのにも似た畏怖の感情――。
 そうですか、と表情を変えずに返答する学園長はあの生徒の保護者だった筈だ。もしかすると、何か思うところがあるのだろうか。
「あの、学園長――」
「失礼します」
 問いかけようとしたレインは、後ろからの声に口をつぐんで振り向いた。
 開けっ放しになっている学園長室に、礼服を着込んだ茶髪の男がハンカチで額の汗を拭いながら入ってくる。はっとしてレインは道をよけて会釈をした。
「やあ、レイン先生。また学園長にお説教ですか」
 そう苦笑っぽい声をかけてきたのは、彼女が見上げても届かないくらい目上の人間だ。
 ライラック理事長はこちらの姿を見止めて、風格のある笑みを見せる。若くはないが物腰も穏やかで、眼鏡の奥には理知的な光が静かに宿っている。こちらの方がよっぽど学園長っぽいと思う職員も少なくない。
「いえ、もう用は済んだので。失礼します」
 若いとはいえ、レインとて自分の立場は弁えている。学園長の様子が気がかりだったが、小さく会釈するとすぐにその場を辞した。学園長と理事長の打ち合わせを含む会話に、ただの高等院の教師が加わるべきではない。
 レインが出て行くと、学園長はにこりと笑って不備のあった書類を手にとった。
「ライラック理事長、丁度良かった。これ、ヘイルマン先生に渡してもらえますか。資料が足りないんですよ」
「ああ、またヘイルマン先生ですか」
 厳のある顔に深くしわを刻み込んだライラック理事長は、書類を受け取って不満げに呟いた。学園長も苦笑して立ち上がり、応接用の椅子に理事長を促す。
 ライラック理事長は学園長がこの地位に就任した三年後に理事長になった男だ。顔つきは一見近寄りがたいが、非常に誠実で常識人なので周囲からの信頼も厚い。若くして地位を上り詰めた学園長がその手腕を評価されているのも、彼が横で動いたことによる功績が大きかったろう。
 椅子に座りハンカチを仕舞うと、ライラック理事長は膝の上で手を組んで、自分よりも若い学園長を正面に見据えた。
「今日の夕方からはアルジェリアンでしたかな」
「ええ。お土産は何にしましょうかねえ」
 呑気に言いながら紅茶を差し出す学園長に、ライラック理事長は肩の力を抜いて笑う。この学園長は手腕は確かなのだが、何処かのんびりしたところがある。しかし同時に滅多にたじろがない姿に助けられることも多かった。――ちなみに学園長が落ち着きをなくすものはいくつか知っているが、どれもしょうもない。いつだったか、連れ立って参加した国の要人との会食で料理にセロリが入っていたときの学園長の様子は、墓まで持っていくつもりである。グラーシアの名誉の為に。
「では手短にいきましょう。先程、今年ヘンベルク研に入った生徒から話を聞いてきました。――やはり、妙なことがあるそうです」
 学園長室の扉が開いていることを意識してか、声を潜めるライラック理事長に学園長の瞳がぴんと跳ねた。そうして学園長は暫く思案にふけるように目を伏せて、ぽつりと呟く。
「高等院の理事会には?」
「信頼出切る方にのみ話しました。内通者がいるかもしれませんから」
「――ふう、身内を疑わなければいけないのは悲しいことですね」
 学園長は眉根を寄せて小さく嘆息した。ライラック理事長も、硬い表情で出された紅茶の水面を見つめる。
 高等院の生徒から聞きだした話によると、ヘンベルク研究室ではやはり薬品などの減りが早いらしい。この研究室にかけられた――資金着服と薬品横流しの嫌疑を揺るがぬものにする重要な証言だった。
「でも、あなたが動いているとは珍しいですね?」
 学園長がそう問うと、ライラックは更に難しい顔になって唇を引き結んだ。

「ええ。思っていたよりもこの件は裏がありそうでしてね」




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