-紫翼-
一章:聖なる学び舎の子供たち

03.第二考古学の研究室



 グラーシア学園は学術都市グラーシアの北、広大な敷地に両翼を広げる巨大な学術施設だ。その最も奥に存在する高等院には、数多の研究室がひしめきあっている。
 そこで生徒たちは専攻した教科を学ぶことになるのだが、それぞれの研究室の大きさは生徒の集まり具合によって変わってくる。
 例えば人気の高い魔術や機工系を専攻にとると、中央棟の広い教室や設備のそろった施設で勉強をすることができる。特にランクAがついていないと履修できない第一魔術学はその最上階、最も広い研究室に陣取っていて、学生なら誰でも憧れるとキルナが言っていた。
 続いて中堅どころは中央棟の隣の棟に、それぞれ独立した研究室を貰っている。人が多くない教科が使っているのは余った教室などだ。
 だが、それらの中でいくつか規格外とされているものがある。
 専攻する生徒が多くない、いわゆる弱小教科でも、独立した建物を丸ごと貰うことができる場合があるのだ。
 それがどんなものかというと。
 ――例えば、爆薬を多く研究する教科とか。
 ――危険を伴う生物実験を行う教科とか。
 つまり、あまりお隣でやってほしくない教科である。
 そういった研究室は学園の一番奥、どこか廃れた雰囲気がある空き地にぽつぽつと小さな建物を構えている。簡単に言えば臭いものには蓋をしましょう、危ないものは隔離しちゃいましょう、ということだ。
 もちろん、そうやって危険が一杯な研究室を隔離したところで爆薬が誤って炸裂したら学園ごと吹き飛ぶだろうし、未確認生物が逃げ出したりしたら都市ごと消滅しかねないから、実際のところこういう処置はあまり効果がないように思えるが、ようは気持ちの問題である。俺だって岩をも吹き飛ばす爆薬を使った実験を壁一枚隔てた隣の部屋でやっていたら逃げ出したくなる。
 というわけで、俺はそんな研究室が建つ人気の少ない学園の外れを一人、とぼとぼと歩いているのだった。
 何故か。
 それは、俺がこれから行く第二考古学の研究室がこの辺りにあるからである。
 何故考古学の研究室がこんな危険といわれる建物が立ち並ぶ中にあるのか。
 それは、俺の方が聞きたい。
 正面から見れば雄大で壮麗で、見るものを圧倒するグラーシア学園だが、一番奥まで来てみればもうどこぞの廃れた村みたいだ。掃除が行き届いていないのか、その辺にゴミやらスクラップが転がっているし。壁のらくがきはそのままだし。
 そこに距離をおいてぽつぽつと研究室が建っているのだが、それらも古ぼけて黒ずみ、パイプがむき出しになった煙突からは怪しげな煙が噴出している。あまり近寄りたくない。ちょっとでも近寄ってみれば『危険! 関係者以外立ち入り禁止!』とか汚い字で書かれた看板がチラホラ見えるし。本当にここは世界の最高学府なのだろうか不安になるくらいだ。
 学園の地図を頼りに歩いていく俺の頭に、別れ際の皆の顔が浮かんでは消えていった。

 キルナ曰く。
「あんた、気は確か?」

 セライム曰く。
「なにがあったかは知らないが――そうか、……そうだな、お前がそう決めたのなら、強く生きてくれ」

 何もかも諦めた表情のキルナと、まるで戦場に息子を向かわせる母親のような顔をしたセライム。だからどうして、高々教室に向かうだけでこのような反応をされるのだろうか。

 俺は、地図に書かれた通りの建物の前に立って、それを背筋を伸ばして見上げた。きっと逆光だからという理由では済まされない、黒ずんだ建物を。
 そしてそこが、俺が選択した第二考古学の研究室であった。
 周囲を見回せば研究室がぽつぽつと間を置いて建ってはいるが、この建物だけが何か常軌を逸している気がする。
 それは例えば、ひび割れてテープで補強がしてある窓ガラスとか。
 それは例えば、クモの巣が張ったパイプとか。
 それは例えば、……心なしか感じる得体の知れない異臭だとか。
 いかにも『怪しげな授業やってまーす』といわんばかりの雰囲気をまとい、その研究棟は建っていた。見たところ一階建てのようだが、これが地下の秘密教室に繋がっていても驚きはしまい。
「どうして、こんなところで授業やってるんだ?」
 素で感想を呟いてしまった。
 とりあえずここまで来てしまったのだから、中に入るべきだろう。毒をくらわばなんとやらだ。
 恐る恐る近付いていって、ノブに触れてみる。今にも外れそうなそれを回して、少しだけ扉を開き中を伺った。
 だが昼間だというのにやけに薄暗く、片目をこらしただけでは様子がよくわからない。声は聞こえてくるみたいだが――?
 だから、もっとよく中を見てみようとして。
「……ん?」

 ――どがっ!!

 扉が目にも留まらぬ速さで開いたのは、同時だった。
 ご多分に漏れずドアの目の前にいた俺は鼻を平らにされるようにして、後ろに飛ぶ。
「がふっっ!?」
 頭の中で火花が散った次の瞬間には、強烈な顔面の痛みと共に空が網膜に映った。――無情だった。
 するとざり、と砂を踏む音と人が外にでてくる気配が伝わってくる。その人が恐らくは扉を蹴破るように開いてでてきたのだろう。慌てて体を起こすと、その人は吹き飛ばされた俺に気付かずタバコに火をつけるところだった。
「……」
 自分の鼻がまだ整った場所にあるかどうか確認しながら、その人を観察する。まず目につくのは、ぎょっとするくらいに奇抜な桃色の長い髪。服は白いケープに赤と黒の上着。そう、グラーシア学園高等院の制服を着た女生徒だ。
 ……と、認識するのに30秒かかった。
 それの意味するところは、つまりその人の制服の着方に問題があったのだ。
 ゆるゆるにくっついているケープだとか。だらしなく胸元があいた上着だとか。かなり危ない線までひきあげているスカートだとか。その上首飾り腕飾りその他装飾品がジャラジャラくっついていて、これを瞬時に学園生と看破するのは限りなく困難だ。このまま繁華街の外れにでも突っ立っていそうだった。目のやり場にも困る。
 ふーっ、と紫煙の塊をふき出した彼女は、気だるそうに髪をかきあげて……そこでやっと、俺の存在に気付いた。
 これまた、化粧がこってりと乗った顔である。セライムと正反対だな、とどこか遠くで思った。
「んー?」
 艶かしいという言葉がぴったりな視線に一撫でされて、思わず後ずさる。
「んー」
 溜め息とも考え事ともとれない気だるげな奇怪音を発しながら、彼女はじっくりと俺を観察して。
 そのまま、興味を失ったのかふいっと意識をそらした。
 再びタバコを口にくわえて視線をさまよわせる彼女の横、俺は突っ立っている他にない。一体何なんだ、この人。確かこの学園、禁煙じゃなかったけか。いや、そういう問題ではなくて。
「……」
 このまま再び話しかけるのもためらわれたので、他に誰かいないかともう一度扉のノブに手をかけた。そうして今度こそちゃんと中に入ろうと、ノブに力を込めて――。

 ――ばがっっ!!!

 再度、扉が目にも留まらぬ速さで開かれたのはやはり、同時だった。
「ごぶっっ!!?」
 できそこないのハリボテが倒されるように再び仰向けに吹き飛ぶ俺。のびやかに広がる青い空が恨めしい。
 だが先ほどと違ったのは、俺が健気にも起き上がろうとしたときのことだ。
「先輩っ、先輩ーーー!!! 何やってるんですかぁ、タバコはいけないとついさっき言ったじゃないですかぁ!! ちょっと目をはなした隙にこれですか!? この惨状ですか!? 三分前の出来事も忘れてしまうんですか! 酷いです酷い酷い、私の心は凍てつく吹雪の中で今にも木っ端微塵に砕け散りそうですぅ!!」
 鼓膜の方が木っ端微塵に砕け散りそうになる絶叫に直撃されて、俺は再び地に叩きつけられる。どれもそれも、俺を吹っ飛ばして中から飛び出してきたもう一人の生徒のものらしい。
 根性で起き上がってみれば、そっちの生徒は見たところ普通の身なりをしていた。いや、どちらかというときちんと整えている部類に入る。茶髪をひとくくりにまとめた、おおよそここの背景にあっていない女生徒である。
 すると桃色の髪をした女生徒は溜め息まじりにタバコを壁に押し付けて火を消した。
「――なに、アンタが中で吸うなっていうからこっちに来たのにサ」
「この学園は全校舎及び敷地を含め全面禁煙ですぅ!! そもそも先輩! あなたは一体何を吸っていると心得ますか? タバコですよ? 百害いえ万害あってミジンコほどの利もない毒薬をあなたは口にしているんですぅ!! 一本のタバコでイチゴ三つ分の栄養素がなくなってるって知ってますか!? そんなことしたら世界からイチゴが消滅しイチゴ生産高はうなぎのぼり、農家の人たちが大喜び……あれ? えーと、とにかくぅ!!」
 なんだか聞いていてとても疲れる講釈をわめく女生徒は、だん、と足を踏み出した。
「ほら、あなたからも言ってやってください!!」
「え、俺?」
 噛み付くように言われた俺は思わず一歩後ずさってしまう。この子、俺の存在に気付いていたんだろうか?
「シア、落ち着きな」
 不意に桃色の髪の女生徒がそう呼びかけて、ちらりと俺に視線を投げてきた。相変わらずの艶かしい目つきだ。変わってもう一人の茶髪の女生徒は小柄でこざっぱりとした顔に眼鏡をかけた優等生という雰囲気。この二人、こうして並んで立ってみてみると相当にちぐはぐだ。
「あれ……そういえばあなた、いつからそこに?」
 やっとそこで俺のことを認識したのか、小柄な女生徒は不思議そうに目を丸くして首を傾げる。やっぱり自分が蹴飛ばしたのだと気付いていなかったらしい。
「ああ、えっと、俺は」
「ユラス・アティルドね」
「いっ?」
 慌てて名乗る前に桃色の髪の女生徒に正体を見破られてしまって、思わず前につんのめりそうになった。恐る恐る見上げてみれば、化粧の濃い顔がにんまりと怪しげに笑っている。
「シア、連れてきなよ」
 そう言って奇抜な色の髪を翻し、先に研究室へ戻っていってしまった。
 俺はシアと呼ばれた小柄な女生徒と二人で取り残される。
「……あれ?」
 するとシアはぱちぱちと目を瞬かせて――。
「もしかして、ユラス・アティルドさん? 本物ですかぁ!?」
「あ、ああ。偽物じゃないぞ、もちろん」
 俺の真似なんかする奴がいるのか、と考えながらも頷いてみせる。シアはぱっと表情を明るいものにさせて手を叩いた。
「お話は聞いてますぅ! ユラス・アティルド16才、今年の唯一の編入生で主席の座をも脅かす鬼才の持ち主、学食では毎日プリンパフェを欠かさずかなり運動神経がニブくて身長は平均値よりも低め、その髪は染めているのか地毛なのか怪しいと評判で実家は名のある魔術学者の家とかいや実は犯罪組織の一員とかいえいえ実際夜な夜な怪物に化けて森を徘徊しているとかで有名な、あのユラス・アティルドさんですね!?」
 ……。
 この世で噂ほど恐ろしいものって、きっとどこにもないだろう。
 それにしてもよく喋る子だ。これだけを一息で言って一呼吸も乱していない辺り、かなりの強者とみえる。
「どうぞ入ってください! 賞味期限が二年ほどきれたものでよろしければお茶もだしますぅ!」
 有無をいわさぬ勢いで俺は黒ずんだ怪しげな建物に押し込まれてしまうのだった。


 ***


 昼間だというのに妙に薄暗い部屋は、まあ、考えていた最悪の状況よりはちょっぴりマシな方だった。
 茶髪の小柄な女生徒シアが片付けをしているのか、とりあえずは研究室の成りを留めている。机の上には雑多なプリントやペンが転がっていて、周囲の棚には考古学の研究室らしく文献や出土品などが置いてあった。
 奇抜な桃色の髪の女生徒――ヴリュイエールと名乗った彼女は、椅子にだらしなく座ってライターを弄んでいる。長い名前だからヴィエルと略せ、と言ってくれたその人は俺の一つ上の先輩らしい。ちなみにシアは同学年とのことだった。
「あの、授業は?」
「んー、んなもん適当」
 俺が恐る恐る質問すると、やる気のない答えが返ってくる。
「そうなんです。ここに所属してる生徒は結構いるんですけど、結局授業なんてあってないようなものですから皆外に遊びにでちゃったりで」
 困ったものです、とシアはお茶を入れながら嘆息した。
 確かにこの研究室には俺たち三人以外には誰もいないし、先ほど教室というものも見せてもらったが狭い教室は寂れているばかり。使われた形跡など全くない。
「……一体主任の先生は何やってるんだ」
 ぼつりと呟くと、ヴィエル先輩がにやりと笑ってマニュキアを塗った人差し指で奥の扉を指してみせた。
「そっち、行ってみなよ」
 俺は座った椅子から振り向いて、先輩が指す扉を見てみた。
 何故かそこだけ片付けの手が遠のいているのか、汚れていて怪しげなものが大量に落ちている。しかも扉自体もさび付いているのか黒くて、いかにも『開けてはいけない』という雰囲気を漂わせていた。もしも俺がこの扉の命名権を許されるのなら、開かずの扉、と迷うことなくつけるだろう。
「……あの?」
 片頬をひきつらせながらヴィエル先輩に顔を戻すと、先輩は机に頬杖をついた。
「大丈夫、刺激しなけりゃ命までとられりゃしないよ」
 更に不安になるようなことを言わないで頂きたい。
 恐る恐る近寄るが、ノックする勇気もでずにそっとドアノブに手をかけた。
 ここで命を落としたらスアローグが骨を拾いにきてくれるのかなあと思いを馳せながら、扉をほんの少し開く。

 中を見た。

 暗黒が、広がっていた。

 ――ばたんっっ!!

 俺は黙って扉を閉めた。
 一瞬見えたものは、亜空間だった。
「な、ななななななななな」
 そのまま一刻も早く扉から離れる。
 落ち着け。待て。落ち着くんだ、俺。
 にやにや笑っているヴィエル先輩の前で、俺は今さっき見た光景を整理してみる。
 狭い部屋だった。締め切られた窓ひとつない部屋に明かりはランプが一つだけ。そこにひしめくようにして文献や魔術器具などが散乱していたのは、まあわかる。
 だが、あの壁にぶらさがっている得体の知れない干からびた物体は一体何だろうか。
 いや、それより香の臭いにも似たあの不気味な香りは何だろうか。
 その上――部屋の中央に描かれたあれ、魔方陣……?
 しかも中央に影があった。
 くるくると奇声のような声で呪文を唱えながら踊って、い、た……?
「まだ生きてた?」
 ヴィエル先輩がものすごい質問をしてくれた。
「狂ったように踊ってらっしゃいましたけど……」
「あーアレ。気にしない方がいい」
「先輩、ちゃんとご飯持って行ってあげてるんですかぁ?」
 お茶を持ってきながらシアが更にものすごいことを問う。
「四日前に持ってったサ」
「四日前!?」
 もちろんツッコんだのはシアではなく俺だった。
「そんなもんサ。あの先生、もうここ五年くらい外にでてないってウワサだし」
「五年!?」
「あんなのがウチの主任やってるから、こんなに研究室自体が廃れちゃうんですぅ」
「何の研究やってるんだ……」
 聞けば、どうやらここの主任は本来はそこそこ名のある学者で召喚術というものについて研究しているらしかった。召喚術とは今まで誰一人として完成した者はいないという幻の技だ。何故考古学の先生がそんなものを、と訊くとどうやら死者の魂を召喚して実際に昔の話を聞こうとしているのだという。お陰で研究室にこもりっきりで夜な夜な召喚術を試してみているらしい。だが、その成果は今の研究室の有様が何よりも雄弁に物語っている。
 ついでにその先生というのも超絶な人嫌いで滅多に外にでないので、生徒間では生死すらわからない、とか囁かれているらしい。
「私なんて友達に『あの先生、本当に実在するの?』なんてこの前訊かれたんですよぉ」
「近くにいれば、時折奇声がきこえるから、ああ生きてるってわかるんだけどサ。ま、この研究室に近寄る生徒なんてそうそういないし」
「だから私はここにきたんですぅ!! こんなに廃れた研究室なんてどこにもありませんよぅ!! 汚名を返上すべく私たちは戦わなければいけないのですぅ!」
 シアはぎゅっと拳を握って力説した。後から聞いた話だが、シアは本当はBランクを持っていてもっと上の教科を受けられるらしいのだ。だがこの研究室の復興の為にランクをかなぐりすててやってきたらしい。
「よってユラスさん! 私たちはあなたを歓迎します。私たちが卒業する頃には、この研究室を誰もの憧れにしてみせましょう!!」
 横ではヴィエル先輩が賞味期限二年切れのお茶を躊躇もなくすすっていた。
「はあ……」
 なんだかすごいところに来たな、と思いながら曖昧に頷く。
 外から扉が荒々しくノックされたのはその時だった。
「いるのか!? ってうわっ、なんだこの扉!! タバコの灰がついてるじゃないか――汚い!」
 不機嫌そうな声が壁ごしに聞こえてくる。ヴィエル先輩は面倒くさそうにライターをいじったまま。きっ、とシアがその顔に険しいものを混ぜて腰を浮かせる。
「来ましたね!」
「え? なんだ、誰が来たんだ?」
 おろおろする俺のことなど目もくれず、シアは立ち上がって足音荒く外への扉へと向かっていく。
 ばん、と勢いよく開いたその扉の向こうから光が差し込み、そうして来訪者の姿を映し出していった。




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