-紫翼-
一章:聖なる学び舎の子供たち

02.国立魔術センター



 鷹目堂は学園正門から大通りを歩いていくと、すぐに看板を拝むことができる位置にある。老舗ならではの堂々とした空気を醸す、昔の空気をそのまま引き継いだ古本屋だ。
「ちーっす」
 俺はその戸を開いて普通の客と同様に中に入った。ちりんちりん、と頭上で鈴が涼やかな音を奏でる。
 この古本屋に働きにくる学生は俺だけだ。俺が来る前に働いていた学生は今年の春に卒業したらしい。普段から一人しか働き手をとらないのがハーヴェイさんの意向なのだ。
 夕方になれば混んでくる二階建ての本屋も、昼下がりの今は客といえばその辺をちょろちょろしている子供一人くらいしか見られない。
 俺の仕事といえば客が少ないときは本の整理や掃除、混む時間帯には二階での会計だ。ちなみに一階の会計所にはどーん、と千年前からそこにあった岩のような貫禄を湛えて鎮座するハーヴェイさんがいらっしゃる。きっと、初めて来る客はビビる。
 だが一ヶ月近くここに働きに来てみて、俺はこのいかついおっちゃんが思ったよりも怖くないことに気付いていた。そりゃその眼光に睨まれれば石化しそうなくらいに恐ろしいけれど、だからってドギツい仕事をやらされたり失敗したら指を詰められるなんてことはこれっぽっちもない。あったら俺はとっくに逃げ出してる。
 寡黙で無愛想だが、書籍の知識はぎょっとするものがあり、ついでに本人もフェレイ先生並の読書家だった。ただ、あの会計所で黄色いエプロンをまとったあの巨体が暇さえあれば本を黙々と読んでいる様に慣れるのには一週間を要したことを加えておく。
 そんなわけで、俺は中々この仕事を気に入っているのであった。
 入ってきた俺をハーヴェイさんはちらっと見てすぐに読書に戻る。そんなことも当たり前だったから、気軽に近付いてカウンターを越え、棚に入っている俺用――どうやら前に働いていた学生が置いていったというエプロンを着ようと、行動を起こした。
 だが、そんな俺の踏み出された足は、たった数歩で止まることになる。
「待て」
 地獄の釜がもしも開いたとして、その奥から聞こえてきそうな低い声に俺は慌てて立ち止まった。いくら慣れたとはいえ、突然止まれといわれたら怖い。
「……な、なんでしょう」
 もしかして昨日にミスでもしでかしたかなー、とか冷や汗をたらしながら高い声で訊いてみる俺である。
 するとハーヴェイさんはふいっと本から目を離して続けた。
「今日は、仕事はいい」
「……はい?」
 その言葉を認識するのにたっぷり十秒かかった俺は、間抜けな返事を返すことしか出来ない。
 ハーヴェイさんは普段から座っている目をこちらにやって、再び髭をたくわえた口を開く。
「別件で頼みだ」
「別件……ですか」
 というと、仕事に代わる何らかの用事を渡されるということだろう。一体何の用事だろうか。もしかしてハーヴェイさんが仕切るマフィアに顔をだせ、とかそういう話だろうか。怯える子羊のような顔して俺はそこに向かうことになるんだろうか。ざけんなコラ、ガキが何いきがってやがる売っぱらうぞクソが、ってな展開になるんだろうか。
「俺の人生もそろそろ終わりってことですかね」
「聞け」
 ハーヴェイさんから豪速直球のツッコミを頂く。
「うちの息子の相手をしろ」
 ……。
 ……。
 えーと。
 今、ハーヴェイさん、何て言った?
「……はい?」
 首から下を完璧に硬直させたまま、かくりと首だけを横に傾ける。
「や、兄ちゃん」
 突然くいくいと下の方から服の裾を引っ張られる。ぎしぎし、と錆びきった首を回転させると、そこには先ほど入ったときに見えた子供がいた。
 だがその子供の顔を見た瞬間、俺はぎょっとして後ずさる。それが見覚えのある顔だったのだ。
「そそそ、空から降ってきた少年!?」
 そうだ。そこにいたのは、いつぞやの空から降ってきて俺の顔面を潰してくれた少年だった。
「空から子供が降ってくるわけないだろ、ユラス兄ちゃん」
 少年は呆れたような顔をして腰に手をやる。栗色の巻き毛を短く切った下で、こげ茶の瞳が悪戯っぽい光をはらんで俺を見上げていた。
 そういえばキルナが、屋根の上を通るのはやめろと言っていたっけか――それにしてもその運動神経はすごい。俺には逆立ちしたってできそうにもない芸当だ。
 ……さて。
 俺は気を取り直してハーヴェイさんに向き直った。
「それでハーヴェイさん。そのお子さんってのはどちらに?」
 ハーヴェイさんの息子。ということはやはりガタイがいいのだろうか。既に背丈が俺の倍くらいあるんだろうか。
「そいつだ」
 顎でハーヴェイさんがしゃくった先を、俺は見た。
 例の空から降ってきた少年が、己を指差しながらにっこりと笑っていた。
 俺はハーヴェイさんを見た。
 少年を見た。
 再びハーヴェイさん。
 少年。
「……」
 何度か、視線を往復させて。
「んなぁ!!?」
 飛び上がるようにして更に後ずさった。
「親子!?」
「言ってなかったね、兄ちゃん。はじめまして、オレはティティル。ここはオレの家、だから兄ちゃんはオレの後輩ってことになるねっ」
 少年――ティティルは手下ができたと喜んでいるのか、きゃっきゃとはしゃぐように飛び跳ねた。
「ティティル、埃が立つ」
「父さんっ、んじゃあもう行っていい? 誰か一緒に来てくれる人がいたら行ってもいいんだよねっ?」
「ああ」
 どうやら、本当にこの二人は親子らしかった。普通の子供だったら、まずハーヴェイさんにこんな口をきかない。
 ここにきてから既に一ヶ月が経っていたが、休業期間中は鷹目堂の営業時間も短く、ハーヴェイさんに子供がいることすら俺は気づかなかった。奥さんがいるらしいということは知ってたんだが、それにしてもこの少年がお子さんだったとは。
「やった! 行こう、兄ちゃんっ」
 ティティルの手が俺の腕をがっちりと掴む。
「っておい、ちょっと待てうわっ引っ張るな! 転ぶ転ぶっ、待てーーーー!!」
 ろくに状況説明もされぬまま、俺は外へと引っ張り出されていくのだった。


 ***


 キルナの言った通り、生徒の戻ってきた大通りは学術都市グラーシアの本来の顔をみせていた。青空の下に華やぐ大通りをティティルに先導されながら歩いていく。
「それで、何処に行くんだ?」
 俺はずんずん前を進んでいくティティルに大きめの声で話しかけた。でないと人ごみの中で伝わりそうにもない。
「国立魔術センターだよ」
 このような道を歩くのが日課なのだろう、ティティルは人の間をすいすいと歩きながらそう返してくる。
 国立魔術センター、都市の中でも特別に魔術の使用を許可される施設。それは確かキルナに都市を案内してもらっているときに聞いた名だ。
 俺たちがいるリーナディア連合諸国では、都市や町などでの許可のない魔術行使を法律で禁じている。そりゃ魔術というシロモノは個人の力で建物一つを吹き飛ばせるくらいの威力をも秘めているのだ、野放しにはできないのだろう。このグラーシアもご多分に漏れず、聞けば都市自体に巨大な結界を張り魔術の行使ができないようにしてあるらしいのだ。使うことが出来る場所は国から特別な許可を得た施設や、これから行く場所のような魔術センターなどがある。
 だが、俺自身その魔術センターなる場所が実際どういうところなのかはよく知らない。
「なにするんだ、そんなところで」
「むふふ」
 ティティルはくるりと振り向くと、子供っぽい顔という点で半分が相殺されてしまうような、それでも不敵な笑みを走らせた。
「聞いて驚けっ」
 器用にも後ろ向きで歩きながら、ティティルは胸を張って見せた。
「この前の誕生日でオレは10歳になったんだ」
 嬉しくてしかたない、という風に顔一杯に笑顔を弾けさせる。
「ああ、そういうこと」
 俺は納得した。再びこの国の法律の話になるのだが、幼い子供の魔術行使は体の負担となるという理由で10歳未満の子供の魔術行使は禁じられているのだ。つまりティティルはやっとこの春に魔術行使が公的に許可されたのだろう。
「でもお前、いきなり使えるのか?」
「今日この日の為にちゃんと勉強はしたよっ、本なら家にいくらでもあるし」
 確かに鷹目堂だったら魔術系の書籍が腐るほどおいてある。ここを離れる卒業生や、部屋を片付けた学生などがごまんとそういった本を売りに来るのだ。
「ふーん、お前みたいのでも使えるんだなあ」
「なんだよっ、子供扱いしてさ――あ、オレにもちょーだい」
 ティティルは俺がポケットから棒付き飴を取り出したのを目ざとく見つけてせがんできた。仕方ないので一本やることにする。
「俺の精神安定剤だ、ありがたく食べろ」
「兄ちゃんってば大げさだな。一つくらいいいじゃん」
 嬉しそうにティティルは包みをといて口に入れた。俺も同じように飴を舐める。ティティルはそう言ったが、俺にとって甘いものは生きていくのにかかせないものだ。なんというか、食べていると妙に落ち着く。
 広場にでてから大通りを南下し続け、しばらく歩いていくと魔術センターが見えてきた。この都市には学園や図書館など巨大施設が嫌になるほどあるので、それに比べれば小さく見えるが、規模としてはかなり巨大な建物だ。
 スキップまじりの足取りで建物の中に飛び込んでいくティティルの後姿を眺めながら、コイツ本当にハーヴェイさんの息子か、と改めて思う。この年頃の子供としては別段背が高いわけでもガタイがいいわけでもないし、顔立ちだって歳相応だ。無口なわけでもないし、眼光が鋭いわけでもない。こんな子が将来はあんなおっちゃんになるんだろうか。
「……歳をとるってすごいことなんだな」
「なにやってるのさ、早く来いよーっ」
 センチメンタルに呟いた俺をティティルがせかした。
 中に入るとまずはロビーが広がっていて、受付の人が見える。あそこで受付をして始めて中に入ることができるらしい。
 ティティルは早速そこに駆け寄っていって役所で発行される証明書を提示し、受付を済ませる。俺も慌てて受付を済ませて後を追った。
 扉を勢いよく開いたティティルに続いて中に駆け込み、そうして愕然とする。
「……うお」
 国の施設と聞いていたから随分とお堅いイメージの内装を想像していたのだが、そこに広がっていたのはまるでおもちゃ箱をひっくり返したような遊び場のような光景だった。
 至るところに設置されているのは照明の代わりとなる水晶球。壁一面に張り巡らされているのはそれぞれ不思議な外装をした機械だ。
 立って利用するもの、座って利用するもの、機械の大小も様々で、都市の人々や制服を着た学生――多くは若者たちが使用しているというより遊んでいる。中央の台座にあるのは純粋な魔力測定器だが、その他に目につくのは魔術を応用して楽しめるものばかり。
 人間ってつくづく、ものすごいものをつくるものだと思う。
「っあー、やっぱここは空気が違うなあ、やっぱ開放感あるよね」
「ん……開放感っていうか、圧倒されるぞ」
「何言ってるのさ、兄ちゃんも魔術科行ってるんだからわかるだろ? 都市で感じてたぴりぴりした感触とかがもうないってこと。ここ、結界無効の魔術が働いてるんだよ」
「――は?」
 俺は、反射的に聞き返していた。
 確かにここは魔術を使う場所なんだから、都市全体に施された結界は特別な装置を使って無効にされているのだろう。
 だが、別段外と中で感じられる空気に変化などない。
「普通じゃないか? そんなに違いとかわからないんだけど」
「えっ」
 初めて入る魔術センターに目をきらきらさせていたティティルだったが、俺のそんな感想に顔をひきつらせる。
「兄ちゃん、わからないの?」
「んー、都市でのぴりぴりした感触からもう全然」
「うわっ、鈍感。それでホントに学園生?」
 ぐさりと胸に突き刺さることを言ってくれる。
「お、お兄さんちょっと傷ついたぞ……」
「だってさ、わかるだろ? あの結界の感触。外から都市に入った瞬間、むわっとした感じがして、ぴりぴりって感じのが肌にくるんだ。魔術やってる人ならすぐにわかると思うんだけど」
「むわっとして、ぴりぴり……」
 俺は、フェレイ先生とはじめて学園に来たときのことを思い出してみる。
 そう、確か二人して外から門をくぐって――。
 何か違いがあっただろうか?
「よっぽど感知が鈍い体してるんだね」
「認めたくないが、そうみたいだな……」
 二人して腕を組んでため息をつきあう。
 確かに魔術には得手不得手があって、人によってその感知や技能の才も変わってくる。俺は人に比べるとかなり感知力が鈍いらしい。
「じゃ、行ってきたらどうだ? 怪我に気をつけるんだぞ」
「わかってるってば」
 ティティルは子供扱いされたことに不服そうに頬を膨らませたが、すぐにひとつの機械に走っていった。だが、こんなことを言わなければならない俺の気持ちも察してほしい。ここでティティルに何かあったら、きっと俺はハーヴェイさんに首をへし折られる。
 立っているのも暇だったので、俺はとびついた機械に熱中しているティティルの後ろから何をやっているのか覗いてみた。必死で両手を前に突き出して印を結んでいるティティルの視線の先には、的のようなものが奥の方に見えている。横の説明書きによれば、魔術を行使して矢とし、的の中央に正確にあてれば高得点がでるという遊びであるらしい。
 魔術というものは瞬時のものよりは長期に渡るもの、発散するものよりは集中するものの方が難易度が高い。単純に魔力を放つだけなら簡単だが、それを矢のように引き絞って的にあてるとなると中々難しい技術が必要なのだ。
 初めて扱うにしては随分と慣れているようなティティルの手にみるみる力が収束していき、ぽろぽろと光の粒がこぼれる。
 それが一瞬消えたかと思った次の瞬間、光の一閃が放たれた。風を切るような音と共に魔力の塊が的に当たって更なる光を生んだ。
 すると中で魔力が測定され、俺たちの手元に測定結果が表示される。
 魔力値は146、収束度は50。10歳でこの数字は中々のものだと思う。
 いや、中々――というか。
「……お前、本当に魔術使うのは初めてか?」
「あははっ、初めてに決まってるじゃん」
 ティティルは目をそらしながら口笛を吹いてくれた。あらかたこっそり結界のない都市の外で使いでもしていたのだろう。
「に、兄ちゃんもやってみなよ」
 こいつなりの際どい状況の打開策なのか、さっと横によけて俺を前に押し出す。
「兄ちゃん、魔術を使ったことは?」
「そういやないな」
 学園ではまだ魔術の実技授業は行われていない。そもそも10歳以上は法的に魔術行使が許可されているとはいえ、若い内からの度重なる魔術行使は体に良くないといわれている。そのことに配慮してか、生徒は魔術について理論や使用法を習うが、実際に魔術を行使する授業は少ないのだ。
「ぶっ」
 ティティルは、素で噴いた。
 そりゃ天下のグラーシア学園の生徒がまだ魔術を使ったことがないとほざいたのだ、当たり前だろう。
「ま、マジで!?」
「いやー、アレだ。お前と同じだ。使い方ならわかるぞ」
 そうだ、俺には知識だけがある。
 実践を伴わない、不安定な情報の渦だけが。

 ――もしかしたら。
 ――記憶を失う前、使っていたのかもしれないけれども。

 どくん。

「ったく、しょうがないな。緊張してるの? ほら、やってみなよ」
 気が付けば手の平が汗ばんでいる。何故だろう。
「そ、そうだな……」
 自分でも不思議なくらいに、声が揺れた気がした。
 恐る恐る小銭を機械に投げ込む。すると目の前のランプが赤から青へと変わった。後は魔力を注ぐだけだ。なのにどうしてこんなに指が硬直しているのか――紛らわすように手を握ったり開いたりしながら、どうにか笑う。
 そうだ。何を俺は予感しているのか。
 不安に思うことなど、何一つとしてないはず。
 恐怖を感じることなど、何一つとしてないはず。

 ――何故なら。
 ――俺は……、

 ぐっと歯を食いしばるようにして、前を見た。
 そのまま手を前に掲げる。

 ――考えるな。
 ――考えるな。
 ――何もかも、考えてはいけないことばかり。

 心臓が、一際高く波打った。

 かざした両手に息を吹き込むようにすると、周囲の世界が変化していく。
 魔術とは、世界の流れを操ること。
 世界は動いている。目に見えない細かい単位で刻々と変化を重ね、そして流れてゆく。一瞬たりとも留まることなどありえない。
 そんな力を、世界が動く力を、この手にとる。

 ――いけない。
 ――いけない。
 ――その一歩を、踏み出してはいけない。

「――?」
 嫌な予感がした。血液が流れる様まで感じられる体が、ゆっくりと冷たくなっていく。
 手の中に収束するものさえ氷のようだ。横で誰かが何かを言っている気がする。だけれど、なにもかもが遠いもの。

 ――いけない。

 ――いけない。

 ぞくりと背筋が凍っていく。何が起こっているのかわからない。耳鳴りがする。空気だけが、ひゅうひゅうと手の中に集まってくる。
 集まる。
 一瞬。
 血が。
 騒ぎ散らす。
「……っ」
 それは、たった一瞬のことだった。
 神経の奥底が激昂する声が、頭の中を支配するのは。
 俺が、それを声として認識するのも。

 ――いけない!!

 どくり。

「――っく!」
 世界がちかちかと点滅する。色と光の情報が踊るようにかき乱れる。
 目の裏に直接映し出される、息を呑むほどの情報、情報、情報。
 それが不快だったから歯を食いしばって、無理矢理元に戻した。
 俺がいるのはこの世界。俺がいるのは、この世界。
 離れることなど、許さない。
 途端に気持ちが悪くなって、手の平のものを適当に放り投げた。
 解放された力の渦が大した勢いも持たずに散ってゆく。
 それもどれも、どうでもよくなって俺は肩の力を抜いた。緊張が抜けていく様が心地良い。
「……ふう」
 肺にわだかまった息を吐き出して、落ち着く。そうして横にいたティティルに顔を向けた。
 ティティルはこちらをじっと凝視していた。
「ん?」
 首を傾げる。
 そういえば俺、一体何をしていたんだっけか?
 ……。
 少し考えて、そういえば何かの魔術を使っていたんだと思い当たって。
 ティティルの口が、言葉を形作って――。
「……へたっぴ」
「ぐは!?」
 俺は鋭利な言葉の暴力を受ける羽目になったのだった。
 ティティルは呆れ返った顔で測定結果を指差す。その先を辿ると、魔力値193、集束度13という文字がみえた。
「俺のくらいの歳での平均値っていくらだっけ?」
「まあ学園生だったら300、80ってとこだね」
「……」
「……」
 はああ、とティティルは谷底に落ちて行くような溜め息をついてくれる。
「兄ちゃん、途中までかなり良かったのにさ、最後の使い方が無茶苦茶だよ。適当に魔力手放しただろ」
「ん、したかも」
「したかも、じゃないよ! ったく、それでよく学園に入れたね?」
 ああもう、といわんばかりにティティルは髪をぐしぐしとかいた。
 俺は思わず苦笑いを浮かべた。先ほどのことを思い出したのだ。現実が突然切り離される、あの感触を。
 それは何処かあの頭痛と似ていた。魔術を使うときには皆同じような感覚を味わっているのだろうか?
「ほら、俺なんぞに構ってないで遊んでこい。まだ色んなのがあるだろ?」
 適当にティティルの説教を打ち切らせて、俺は身を引いた。今はなんとなく、口を動かすのが億劫だ。
 隣の機械へと走っていくティティルを見送って、軽く壁に背をつける。見失わないように視線だけをさまよわせたまま、俺は知らない内に拳を握り締めていた。
 先ほどの俺は、一体何をしたのだろうか。
 魔術の使い方は知っていた。だからその通りにやったつもりだった。
 なのに、途中で突然体が冷たくなったようで――。
 その嫌な予感をどこかに隠すように押し込んで、俺は小さくかぶりを振った。振るしかなかった。

 その時はまだ、それがどんなに恐ろしいことなのか知るはずも、なく。




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