-黄金の庭に告ぐ-
<第二部>1話:娘、襲来

04.狼は、ついに心を語り



 道に人通りはなく、以前は賑わったであろう酒場や宿も、今は頑なに門戸を閉ざす夜のミューレイ。誰もが息を詰めて潜んでいるような不穏な空気が、寂れた都市を包み込んでいる。
 シニオンの屋敷に戻ったフィランとジャドは、夜が更けてもオーヴィンが戻らないので、先に休むことにした。ちなみに夕食はシニオンがこっそりと厨房から持ってきてくれた。

 藁の塊を作って身を預けていたフィランは、ふと気配を感じて目を開いた。
 ジャドは気付いていたらしく、既に身を起こしている。眠りを妨げられたジャドの形相は、激しく凶悪であった。
 一度目配せを交わし合って、得物を手に立ち上がる。
「結局こうなんのかよ、クソが」
 ジャドの呟きと同時に、戸が軽くノックされた。フィランが溜息をつきつつも返事をして外に出ると、無頼の男たちが数十人、ずらりと小屋を取り囲んでいた。恐らく狼虎団の面々であろう。
「どうも。全くもって良くない夜ですね」
 思わず真顔で挨拶してしまうフィランである。
「んのヤロォ、オレを叩き起こしたからには覚悟はできてんだろうな……?」
 こちらは人数差より怒りが勝っているようだ。
 どうしたものかとフィランが考えていると、人の合間から寝着に外衣を羽織った男が現れた。家主たるエルフェレス家当主、セルデルス。シニオンの父親である。
「夜分にすまないね。少々彼らに同行してもらおうか。大人しくしていれば危害は加えない」
「貴族にしては随分とお付き合いの幅が広いみたいですね?」
 セルデルスは、その辺の汚物を見るような視線をフィランにくれた。
「どうしても彼らが諸君に用事があると言って聞かないものでね。不用意に手を出した諸君に非があると判断したのだ」
「フィラン、あの野郎殴ろうぜ」
「後にしましょう。しかし、ご当主。それでしたら、あなたの息子も引き渡せと言われているのではないですか?」
 セルデルスの頬が、引きつった。狼と虎の仲間割れの現場には、シニオンの姿も確認されていた筈だ。
「……あれは、貴様が無理に連れて行ったのだろう」
「折角取り戻した大事な跡取りだとは思いますが、あなたとは随分と思想が違うようですよ?」
 すると僅かにセルデルスの口元が歪み、笑った。禍々しい笑い方だとフィランは思った。大方、狼虎団に金を積んでシニオンだけ見逃してもらったのだろう。
「あれはまだ子供だ。これから本物の貴族としての教育を施せばどうとでも変わる」
 フィランは顎を引いた。こういう人間を諭してやろうと思うほど、フィランは暇でも善人でもない。ただ、シニオンを哀れに思った。
 無頼の一人が、棍棒で肩を叩きながら言う。
「テメェらにはじっくりと聞きたいことがあってな」
 続く言葉は、二人に衝撃を与えた。

「――裏切り者の狼の手下どもが」
「「ハア?」」

 フィランとジャドは揃って間抜けな面を晒し、顔を見合わせ、そして。
「いやいやいやいやおかしいでしょう!? あんな得体の知れないのと仲良くなった覚えはこれっぽっちもありませんよ!?」
「つーかあの状況でどこが共闘してるように見えたんだよ、テメェどこに目ぇつけてやがる!?」
「言い訳は後でじっくりと聞いてやる」
 無頼は醜悪な笑みを満面に浮かべた。
「観念しな。テメェらの連れのでかいのは先に捕まえてある」
「何やってるんです、あの人!?」
 フィランは顔を手で覆いたくなった。
「おい、フィラン。どうする? やっちまうか?」
 ジャドが小声で聞いてくる。無頼どもは、こちらが手練と知っているのか、じりじりと距離を詰めてくる。
 瞬間であった。
「父上!? これは一体どういうことですか!」
 止める奴隷たちの手を振り払って、中庭からシニオンが駈け出してきた。
「ジャド!」
「面白くなってきやがったぜ!」
 フィランの呼びかけに応じて、ジャドが地を蹴った。包囲網を軽々と飛び越え、獣が獲物を狩る速度で疾駆する。方向の先にいるのは、シニオンだ。
「つ、捕まえろ!」
 ジャドに敵の意識が集まった瞬間、フィランも槍を右手に動いていた。ジャドほど速くはないが、瞬き一つほどの時間でセルデルスに迫る。
 驚愕を浮かべるセルデルスの顔を間近にして、フィランは人好きのする笑みを浮かべた。
「歓待の礼です」
 左手が鋭く唸り、セルデルスの顔面に拳が打ち付けられる。利き腕でなかったため骨は砕けなかったが、無様に吹っ飛ぶ様は見ることができた。
 後方を確認すると、目を白黒させているシニオンを横抱きにしたジャドが塀を越えるところであった。流石に速い。
 鼻と口から血を流したセルデルスは、尻餅をついたまま顔を赤黒くさせている。これまで、他人に殴られたことなどなかったのだろう。
「き、貴様。ベルナーデ家の下郎が、ただでは済まさんぞ! 当主もろとも滅してくれるわ!」
「どうぞご随意に。あなたに『アレ』が倒せるとも思いませんが」
 フィランは事務的に告げて、その場を離脱するのだった。


 ***


 調べれば調べるほど、妙な話であった。
 オーヴィンは牢屋内で座り込んだまま、集めた情報を頭の中で整理している。

 狼虎団の一件である。
 狼と虎は社会の底辺で兄弟同然に育った男であり、残虐であるものの、結束は固かったそうだ。彼らはミューレイの混乱に乗じて台頭し、他の無頼を追い出して、この地に覇権を打ち立てた。
 ところが今月に入り、突如として二人の仲は破綻したのである。狼が、攫った子供を独断で連れ出し始めたのだ。虎は怒りより驚きが勝ったようで、とにかく狼の情報を集めたがっている。離反した狼は、以前の根城には一切戻っていないらしい。
 ヨルドには悪いが、都市の民から情報を集める限り、過去の狼の暴虐は真実だ。ならば、何故狼は改心の構えを見せたのだろうか。
 とにかく、狼虎団は混乱の只中にあり、人身売買の流れは停止しているようだ。
 そこでオーヴィンは、ギルグランスの娘が囚われたまま、彼らの根城に軟禁されている可能性に思い当たったのだ。
 直接確かめるのが得策と思い、適当に賭博場で問題を起こして捕まってみた。そして今に至る。
「んん」
 辺りが静かになったら脱獄しようと思っていたが、人の出入りが激しく、中々静まらない。抗争でも起きているのだろうか。外の気配は妙に慌ただしかった。
 じっと機を伺っていると、不意に足音が近づいてきた。表向き気取られないように、オーヴィンは緊張を張り巡らせた。
 すると、オーヴィンが入れられている牢の前で、足音が止まった。
 視界が暗く、そこに立つ影の全貌は定かではない。足音の主は、オーヴィンの顔をじっと見つめているようだった。
 そして、思いもかけない声があった。

「オーヴィンではないの」

 心臓を直接まさぐられたような衝撃に、さしものオーヴィンも硬直した。
 まさか。まさか。目を凝らしてその人影を注視し、更に驚愕した。
 くすり、と。愛らしい笑い声が、粗末な牢内に場違いな響きをもたらす。
「丁度いいわ。手を貸しなさい」
 軽やかな命令は、しかし思考を白く焼き切るには十分で。
 オーヴィンはただただ、空気を食むことしかできなかった。


 ***


 一方、フィランたちは、裏路地の物陰に隠れていた。
「夜明けまで待機して連中をやり過ごしましょう。オーヴィンが合流したらここを出ます。申し訳ありませんが、シニオン。それまであなたは人質になってもらいます」
「父上……」
 シニオンは人質であることに文句こそ言わなかったが、膝を抱えて銷沈している。父親と無頼が、こうまで親密に繋がっていたことが、よほど衝撃だったのだろう。
 そんなシニオンを見て、フィランは眉を下げた。
「都市がここまで荒廃すれば、仕方のないことかもしれません。ああしないと、自分の身が守れませんから。人は誰もが正しくはあれないものですよ」
 するとシニオンは俯いたまま、むずがる子供のように言い返す。
「ならば、貴族の腐敗によって旅人が襲われるのも、民が犠牲になるのも、仕方ないというのか」
 仕方がない。それが残酷な真理であると、フィランは理解している。この世に起きるあまたの悲劇を、全て消すことは叶わないのだ。
 ただ人間は、運命を受け入れ、あるいは歯向かい、そして乗り越えることができる。それが生きるということだと、フィランは考えている。
 しかし、そんな自分の思いを他者に押し付けようとも、フィランは思わなかった。
 ――もしも全ての悲劇を消す方法が何処かにあるのなら。そうも考えるからだ。
 そのとき、外を伺っていたジャドが、猟犬のように顔をあげた。夜闇に紛れて壁を叩く音がしたのだ。
 シニオンが立ち上がり、身構えるジャドを制した。
「待て。これは物乞いたちの合図だ。騒ぎを聞きつけたのだろう。匿ってもらえるかもしれない」
「罠じゃねぇのか?」
「彼らと私は長い付き合いだ。信じられぬというなら、私だけでも行く」
「ちょっと待ってください。大事な人質なんです、僕らもついていきますよ」
 シニオンの指示に従い、身を屈めながら小路を走っていくと、闇夜からみすぼらしい老人が現れた。老人はシニオンを見ると、敬服するように頭を下げた。シニオンは顔見知りのようで、駆け寄っていくつか言葉を交わす。
「この者に頼んで、私とお前たちを呼んだ女人がいるそうだ」
「はい?」
 眉を潜める同時に、老人の後ろの戸が開いた。
 そろりと顔を出したのは、少女であった。顔を半分だけ出して、おっかなびっくりフィランたちを見上げてくる。年頃はティレとそう変わらないだろう。
「あなたは?」
「えっ、は、はい。あの、その、えっと……」
 少女は頬に手をやり、狼狽も露に言い淀む。そうして、ようやく決意を固めたのか、外に聞こえるほどにごくりと喉を鳴らし、全身を露にした。
 気の弱そうな面立ちだ。明るい橙色の髪を二つに分けて結いあげている。衣服は下働きのものだが、それなりに上質そうであった。
「ベ、ベルナーデ家の方です、よね?」
 両手を胸で合わせ、つっかえながら問いかけてくる。
「あぁ? そうだが、何か用か?」
 ジャドがぶっきらぼうに返すと、少女は泣き出しそうな面持ちで後ずさった。
「ちょっとジャド、怖がってるじゃないですか。もっと優しく言わないと――?」
 フィランはふと彼女の腰元から垂れ下がる印に目を留め、そして目を見開いた。

 印に掘られた絵柄は、天に挑むがごとく嘶く一角獣。
 それは間違いなく、ベルナーデ家の紋章であった。


 ***


 虎は根城の広間で忙しなげに足を組み替えていた。本来ここは神殿の祭壇であったが、今やそこは玉座とも見紛う立派な椅子が設えてある。そこに腰掛けた虎は、つい最近までは、間違いなくこの都市の二人の支配者の内の一人であった。通り名に沿い、頭からは虎の毛皮を被っている。荒廃したミューレイでは、今や貴族であろうとも、彼に媚びへつらうのが常であった。
 もう一人の支配者は、無論狼である。元々、彼は無口で何を考えているか分からない男だった。だが、血と若い女を好み、容赦なく暴力を振るう一面があった。
 狼が暴力で相手を制圧し、集まってきた得物を虎が売りさばく。全てがうまく行っていた筈であった。
 しかし、今や狼は、物も言わずに自分と敵対している。
 ならば、こちらも相応のやり方で落とし前をつけなければならない。

 狼に向けた布告を、都市全体に出した。
 夜明けの時刻、虎の前に今一度姿を現せ。さもなくば、人質として捕らえたミューレイの民を子供から先に、一日十名ずつ殺していく。
 狼は乗るに違いないと確信があった。手下の報告によると、捕らえた人質を横取りした狼は、彼らを売らずに保護しているというのだ。
 正気の沙汰とは思えない行動であるが、その意味もようやく明らかになる。

 夜明けが大地を染める頃、手下から、狼が現れたと報告があった。一人だという。
 捕らえようかとも思ったが、狼は一度暴れだすと手がつけられない。彼の性質を良く知る虎は、手を出さぬよう命令を出した。逃げ場のないこの広間で真偽を正し、総攻撃をかければ、流石の狼も屈服する以外あるまい。

 かつかつと、足音がした。
 取り巻きの手下たちにまだ動くなと手で合図をして、虎は立ち上がった。
 自ら扉を開いて、狼が姿を現す。
 違和感に、虎は眉を潜めた。禍々しい狼の頭を被り、ボロ布を接ぎ合わせたような服を着ている。それは虎の知る狼と相違ない姿だ。
 しかし、違った。何が違うのだろうと虎は考えた。狼は、何が変わってしまったのだろう。
「よお。久しぶりだな」
 広間に中央に立ち止まった狼に、虎から声をかける。狼は答えない。虎は、ゆっくりと歩き出した。狼をもっと近くで見たいと思ったのだ。その違和感の正体を確かめる為に。
「まずはどういう心変わりがあったのか、簡単に教えてくれるか? 俺ぁこれでも、頭はいい方だと思ってんだ。お前の説明でも、十分に分かってやれる筈なんだが」
 五歩の距離まで近づいた。虎は狼ほど武術に秀でてはいないが、その分狡猾だと自負している。広間の壁には十名以上の手下が、いつでも得物を抜ける体制で待っている。狼とはいえ、無茶な行動は出来まい。その状況が、虎に余裕を与えていた。
「女にでも転んだか? お前がこうまで変わるってなら、女くらいしか考えられねぇからな。どういう女だ。俺にも会わせてくれ。分かるか? 俺はお前とまたうまくやりたいって思ってんだ」
 それは事実であった。狼の武力は惜しい。今回の件の落とし前として指の一本でも落として、再び頭領として迎えたいと虎は考えている。
「脅されてんなら、俺が助けてやるよ。ひひ、お前の選ぶ女はいつも上物だからな。ムカついてるなら、一緒に嬲り殺してやるよ。勿論、その前にたっぷりと可愛がってなあ。良かったよなあ? お前と品のいい女を攫ってやりまくったこと、俺は忘れてないぜ。どうせ今回もそういう甘ちゃんの頼みで子供を助けるなんざしてるんだろう?」
 狼が微かに首を傾ける。頷いたのかもしれない。だからその被り物はやめろ、と前に何度か言ったことがあった。虎は毛皮を被っているものの、顔を出すようにしている。そうでなくては、相手に正確な意思を伝えることができないからだ。狼のように完全に頭を覆ってしまうと、不気味さばかりが目についてしまう。
「やっぱりそうだな? これだから正義を振りかざす女ってのは気に入らねえ。お前が転ぶくらいだから頭が良いのか? それとも体がいいのか? そら、黙ってねえで言ってみろよ」


「――申し訳ありません。よく、聞こえませんでしたわ」


 凛とした声が通った。
 誰もが停止した。濁った空間に清涼な風が吹き込んだにも関わらず、その根源を探ることができなくて。
 必死に視線を巡らせる手下たちの中、虎だけが狼を凝視していた。
 狼の腕がゆるりと持ち上がる。禍々しい狼の被り物に指がかかり、それを上に引き抜く。
 すとん。軽やかに、腰まで髪が落ちた。朝日が染めた東の空のような、赤みのかった淡い橙色の髪だ。
 その合間から、娘の顔が覗いている。白磁の肌に、すらりとした鼻梁、やわらかく閉じた目蓋、上品な口元。掃き溜めに突如日の光が差し込んだかのように、鮮烈な印象を残す。
 そうして閉じていた目蓋がゆるりと開き、炯々と輝く鳶色の瞳が現れる。

「もう一度初めから、じっくりと聞かせていただけますこと?」

 娘はにっこりと微笑み、同時に凶暴な眼光を以ってして、自らの細剣を引き抜いた。




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