-黄金の庭に告ぐ-
<第二部>1話:娘、襲来

03.交錯



 都市ミューレイの周辺は、ヴェルスと違い殺風景な荒野が広がっている。見渡す限り起伏の激しい丘が続くため、強風で土が乾いてしまうのだろう。合間にぽつぽつと田畑らしきものが見えるが、今はどれも物悲しく荒れ果てている。
 馬を駆るシニオンには、不用心なことに伴がいない。曰く、家出の件もあって家内で孤立しており、信頼のおける従者がいないためであるという。
「お主らベルナーデ家の者に付き添ってもらった方が、よほど安心できるというものだ」
 そう笑うシニオンに、フィランとジャドは同じ笑みを返せなかった。
「大丈夫ですか。一人では身が持ちませんよ」
「……そうだな」
 シニオンは目を伏せ、顔を前方に向けた。
「しかし私が進まねば、誰がこの都市を救えるのだ。今は、進む内に同志が増えることを祈るしかないのだ」
 シニオンどんな顔で語っているのか、フィランには見えなかった。シニオンは、中々の手綱さばきで馬を巧みに駆けさせる。ジャドは何を言っていいか分からないようで、小さく肩を竦めている。
 フィランも鼻から息を抜いて、後を追うことにした。

 子供の足跡を見つけたのは、二つ目の森に差し掛かったときであった。数が多く、真新しい。自然と三人の顔に緊張が走った。
「ちなみにテメェは戦えんのかよ」
「いや。武具は持たないと決めている」
「では僕たちの後ろにいてください。矢には注意を。いざとなったら離脱を最優先にお願いします」
「……分かっているつもりだ。お主らには迷惑をかける」
 下馬し、慎重に歩を詰める。すると、長閑な子供たちの笑い声が聞こえてきた。
 反射的に走りだそうとしたシニオンを、フィランは肩を掴んで留めた。
「見張りがいるかもしれません。まずは偵察が先です」
「フィラン。テメェは左から行け」
 フィランは頷いて、シニオンにその場で待つように言うと、槍を携えて屈んだまま進んだ。ジャドは分かれて右方へ消える。
 子供たちの声が近づいてきた。そのとき、不意に前方の茂みから鋭い殺気が突き刺さった。
 フィランは跳ねるように後退し、槍を構えた。途端、灌木の奥から飛び出してきた影の一撃を、フィランは目を剥きながら、すんでのところで避けた。鋭い一閃が虚空を薙ぎ、遅れて敵そのものが着地する。
 敵は、ゆっくりと膝を伸ばして立ち上がった。
「狼――ッ?」
 フィランは、刃で牽制しながら、唸るように呼んだ。
 一目見て、それと分かる風体であった。その頭を覆うように、狼の毛皮を被っているのだ。男性としては小柄で、襤褸布を張り合わせたような服を着ている。
 狼の名で呼ばれる、悪名高き盗賊団の統領の一人。狼は悪人ではない――そんな少年の声ですら霞む禍々しさが、フィランの肌を粟立たせる。
 狼は怖じる様子もなく、フィランに向けて再突進をした。
『早い!?』
 ほぼ直感だけで身体を捻る。チッ、と杏色の髪が数本舞った。目を動かすと、こめかみすれすれを銀の刃が貫いていた。いつ間合いに入られたのかも見えなかった。
 素早く後退して距離を取る。フィランは唇を舌で濡らし、改めて眼前に狼の全身を見据えた。
 狼は、だらりと下げた腕に獲物を持ち、水のような静けさで立っている。狼の被り物をしているため、表情は見えない。しかし、猛々しい武の気配がその奥から伝わってくる。
 更に異様なのが、その手に持つ剣である。
 形状こそ剣であるが、恐ろしく細い。指幅二本分しかないそれは、細剣と呼べば良いだろうか。その細さと軽さが、あの素早い薙ぎを生み出しているのだろう。
 ならば。フィランは顎を引いた。
 とっ、と狼が軽やかに大地を蹴った。次の瞬間、フィランは槍の柄を剣に叩きつけようとした。あれほど細いなら、容易く折れる筈だ。
 だが、狼の方が上手であった。剣の肌を槍に滑らせながら力を殺し、再び間合いに飛び込んでくる。
「ちょっ」
 フィランは迷わず槍を手放し、腰の短剣を引き抜いた。立て続けの刺突を間際で避け、短剣で弾く。
 一瞬、至近距離で目が合った。穴の開いた目の奥から覗く眼光の鋭さは、まさに凶暴な狼そのものであった。
 全身の肌が粟立った瞬間、狼が僅かに後退した。石が草むらを打つ音。
「大丈夫か!」
 剣戟の音を聞いたシニオンが駆けつけ、狼に小石を投げたのであった。
 生まれた僅かな隙を、フィランは逃さなかった。踏み込んで腕を伸ばし、狼の胴を抱く。刺突に特化した細剣は、こうすれば用を成さない。
「舐めるんじゃありません――よ?」
 体格差を利用してそのまま引き倒そうとしたフィランは、腕に場違いな感触を覚えた。強烈な違和感に、思わず狼を凝視する。あれ、と思った瞬間、引き倒されたのはフィランの方であった。
「がっ!?」
「フィラン!」
 地面に倒れると同時に、顎を足で蹴り上げられ、立ち上がろうとしたところで鳩尾に足の裏がめり込んだ。呼吸が止まり、藪に背中から突っ込む。
 激しく咳き込みながら、フィランは敵影を捉えようとした。滲む視界の先で、狼は細剣を構え直している。
 立ち上がらなければ、殺される。頭の中で警鐘が鳴っているのに、身体が動かない。短剣を手放さないので精一杯だ。
 そのとき、突然狼が殺気を消した。狼は何かに気付いたように鼻先を子供のいる方向に向けると、細剣を収め、そちらへ走りだした。
「フィラン……!」
 代わりにシニオンが駆け寄ってくる。暫く痛みに耐えていると、身体が動かせるようになった。
「追いましょう、子供たちが心配です」
「お主は大丈夫なのか?」
「ええ。情けないところを見せました」
 フィランはそう言いながら、先ほどの違和感について思い巡らせていた。その予感が真実だったところで大した話ではないが、しかし――。
「どうした?」
「……いえ」
 とにかく、今は目の前の出来事に集中すべきだ。口元の血を、フィランは雑念と共に拭い去った。


 ***


 子供たちの遊ぶ声が、悲鳴と泣き声に変わっていた。
「んなロォっ!」
 ジャドが一人の盗賊と切り結ぶ間にも、他の盗賊どもが子供を次々と攫っていく。
「おいガキども、とにかく逃げろ! チビってんじゃねぇぞ!?」
 そう子供たちに逃亡を促すが、恐怖にかられた子供には、その場に座り込んでしまう者も多い。
 子供の様子を伺っていたところに、突然盗賊がやってきて子供を捕縛し始めたのだ。ジャドは迷わず飛び込んだが、敵は二十近くいるようだった。対する子供は三十人以上もいる。ジャドが庇いきれるのは、三人がいいところだ。
 混乱の最中、不意に、一陣の風が通り抜けた。次の瞬間、泣きわめく子供を抱えていた盗賊の首から次々と血が吹き出した。
 ジャドは呆然と立ちすくんだ。
 降り立つだけで他を圧倒する武人というものが、この世には存在する。そして今立った狼が、正にそれだった。
 ジャドでさえも怖気を覚える怒りを放ち、狼は瞬く間に盗賊どもを切り払った。
「嘘だろ!? ど、どうして、アンタが……!」
 濃く血の臭う戦場で、盗賊の一人が唇を戦慄かせる。
「獲物を横取りするなんざ、虎の兄貴が承知しねぇぞ!? 一体どうしたんだ!?」
 狼は答えなかった。代わりに殺戮を織りなす右腕を脇に構え、次の獲物を目指して駆け出す。
 盗賊どもは恐怖にかられ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
 静寂が戻ると、狼は小さく鼻を鳴らしたようだった。鮮やかな手つきで細剣の血を拭い、鞘に収める。
「オイ、テメェ」
 ジャドは思わず声をかけていた。狼がこちらを――見る。
 既に闘気の失せた、静かな佇まいであった。
 子供を助けたことといい、敵とは思えない。しかし、味方とも判断しにくい。
「テメェ、これはどういうこった。答えによっちゃあ、ただじゃおかねぇぞ」
 凄みながらも、ジャドは冷や汗が首筋を伝うのを感じた。今ここで戦ったとして、勝てるだろうか。
 だが、通う狼の視線は和らいだ。笑ったのだと、遅れて気付いた。
 次の言葉を口にする前に、子供が泣き声をあげながら、狼に縋りつく。一人、二人、次々と集まってくる。
 狼は視線を下げ、集まってきた子供の頭を、慈愛の仕草でそっと撫でる。

「どういうことです、これ……?」
「知るかよ」
 追いついたフィランはジャドに問うたが、ジャドは苛立たしげに髪をかき回すだけだ。
「オジサ――お兄さんたち!」
 子供たちの中から、ヨルドが駈け出してきた。フィランとジャドの眼光を見て、呼び方を途中で言い直したようだ。
「どうしたの? なんでここにいるの?」
「いえ、あなたたちを助けにきたつもりだったんですが……」
「だから大丈夫だって言ったでしょ? 僕たちには狼がいるんだから。今だって僕たちのことを守ってくれたの、お兄さんたちも見たでしょ」
 心底安心しきった顔で、ヨルドは笑う。
 フィランとジャドは顔を見合わせたが、それ以上の混乱に陥った者が他にいた。
「どういうことだ、狼! 貴様、子供たちをどうするつもりだ」
 シニオンが肩を震わせて、攻撃の意思を露にした。狼は恐怖から脱せずにいる子供を一人一人立たせており、シニオンの声には反応しない。
 代わりに答えたのはヨルドであった。
「狼は僕たちが家に帰れるまで、ここに匿ってくれてるんだよ」
「世迷い言を。こやつが重罪人であることを忘れたのか!」
「違うよ。全部、皆の勘違いだったんだ。狼はいい人なんだよ。本当に優しいんだよ!」
 狼が立ち上がらせようとした子供の中に、狼の身体に付着した返り血を見て悲鳴を上げた者がいた。怯える子供を、狼は暫く見つめると、何もせずに立ち上がる。そして、別の子供の肩を軽く押した。子供は心得たように、怯える子供の側に寄って慰め始める。
「どういうことだ……」
 シニオンは片手で口元を覆って呻く。
「ひとまず、ここは狼に任せましょうか」
「何を言う!」
 フィランは腕を組んで目を眇めた。
「仮に狼からこの子たちを救い出したところで、これだけの人数を保護できますか? 都市はあんな状態なんですよ」
「だからといって狼を信用できるものか!」
「いや、信用してもいいかもしれねぇ」
 ジャドは不機嫌そうにしながらも、フィランに同意した。
「本気で何かしようってなら、ガキどもを見つけたオレらも殺すだろ。それにな、ムカつくが……なんだろうな、ありゃあ」
 そう狼に視線を流す。フィランも、ジャドの言わんとするところが、なんとなくだが理解できた。狼の放つ優しさは、どうしても虚妄に見えないのだ。
「……改心したというのか、本当に」
「シニオン、あなたは狼の残虐性を実際に見たことが?」
「いや、話で聞いただけだが」
 シニオンは服の裾を掴み、俯く。
「……分かった。しかし、なんとかして保護の手筈は整えるようにするぞ。その時は子供たちを返すと誓えるか、狼よ」
 それまで無視に徹していた狼が、こちらを向いた。
「僕たちが証人になりましょう。もしも約束を違えることがあれば、僕らの主の名にかけて僕たちがあなたを世界の隅々まで探して殺します」
「けっ。周りくどい言い方すんなってーの。とにかくガキに何かあったら構わずぶっ殺す。それでいいだろ」
 狼は静かに頷いた。ヨルドに暮らし向きを訊ね、シニオンはようやく満足したようだった。
「まずは食料と物資を運ばせる。私の手の者と分かる印を決めておこう」
 話がまとまると、ヨルドは別れを告げて狼の元へと走っていく。フィランたちも、一旦都市へ戻ることになった。
 念のため子供の中に十八歳の娘がいないか確認したが、見つけることはできなかった。



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