-黄金の庭に告ぐ-
<第二部>1話:娘、襲来

02.狼の噂



 陽の御子イオを守護神に戴く都市ミューレイは、見るからに神の祝福が向けられている様子ではなかった。
 正午に到着したベルナーデ家一行は、閑散とした小都市の有様に痛ましげな視線を交わしあった。都市は静まり返っており、どの店も空いている気配がない。たむろする人といえば、道端に虚ろに座り込む浮浪者ばかりだ。女子供は家に閉じこもっているのだろう。
「……帝国内とは思えません。この世の終わりって感じですね」
 フィランは小声で呟きつつも、周囲の気配に注意しながら慎重に歩を進める。こういった貧困に喘ぐ場所を歩く危険を、彼は重々承知しているのだ。

 実際、都市に入って早々に、彼らを狙おうとするならず者の一団があった。彼らは都市の城壁近くに張り込んでは旅人を襲い、身包みを剥ぐ悪行を常とする。貴族などであれば、息のかかった宿屋へ案内して人質にすることもあった。
 舌なめずりをしたならず者たちは、ベルナーデ家の一行を、その外貌から前者の刑に処すと決定した。
 そうと決まれば、まずは一人を殺してしまい、残りが怯んだところを押さえつけて金目のものを奪うだけだ。
 初めに殺す相手は弱い者である方が失敗が少ない。彼らはその目星を、一番後ろを歩く杏色の髪をした若者につけた。背丈は平均的だが、連れの中では最も低く、背に携えた長槍は真新しい。しかも顔つきは柔和そうで、他の二人と比べて明らかに荒事向きではない。獲物としては上等である。
 彼らは残虐に口元を歪め、若者の背中へと迫った。

 ……。

 数分後、四人いた内の最後のならず者が、顎の骨を砕かれて地に伏した。
「口ほどにもない」
 無表情に吐き捨てるフィランの横顔は、どこぞの当主に似てどちらが悪役か分からなかった。
 彼は槍すら抜かず、ならず者を返り討ちにしたのである。ジャドとオーヴィンなどは、頭の後ろに手をやって肉弾音を聞いているだけで良かった。
「どうすんだ、こいつら?」
「可哀相になぁ。俺たちの中でも一番凶暴なのに手を出しちゃって」
 言葉上だけで心配しながら、オーヴィンは逃げようとする男の一人の前でしゃがみ、首根を「よっこいしょ」と掴んだ。
「ちょっと教えてくれ」
「ななな、なんだクソ!?」
「人をクソ呼ばわりするのはよくないよ。ついでに俺もお前さんをクソ呼ばわりしたくないから、素性を教えてくれないか」
 眠たげな熊のようにのっそりと、顔を近づける。ならず者は肩を脱臼しているらしく、痛みに顔を青褪めさせた。
「お前さん、狼虎団か」
 ならず者はカクカクと首を縦に振る。傍から見れば正悪が逆転した光景であるが、周囲の浮浪者たちは気にもとめない。そういう都市と知っての行動であった。
 その、筈であった。
「んじゃあ、最近貴族の娘が現れたって話は――」
「やめてよっ!」
 場違いなほど幼い声であった。見ると、十歳ほどの痩せた少年がオーヴィンの腰元に掴みかかっていた。
「アン? どうした、坊主」
 ジャドの細い目に睨まれて、少年は一瞬怯んで顔を歪めた。しかし勇気を搾り出すように口を開く。
「そいつら、悪い奴じゃないよ」
「無防備な旅人を平気で襲うような連中がですか? ――何か訳があるんですか」
 相手が子供であることに気付いたように、フィランが口調を和らげる。
「狼の方はいい奴なんだ、僕を助けてくれたんだ。とにかくっ、そいつを離してあげて……よ」
 そこまで言うと、少年は突然へたりと座り込んでしまった。見ると、様子がおかしい。顔色が死人のようだ。苦しげに浅い呼吸を繰り返している。
「お前さんの知り合いか?」
「し、知らねぇよ、そんなクソガキ」
 ならず者の反応を見ても、嘘の気配はない。オーヴィンはうん、と頷くとならず者を離してやった。まずは子供の手当てが先だ。ならず者はフィランの一睨みで、捨て台詞も言えずに逃げていった。


「こいつ、二日も喰ってなかったらしい」
 ひとまず大通りの閉まった店の前に陣取り、オーヴィンたちは少年に水と食糧を分けてやった。少年はヨルドと名乗り、獣のようにパンを食らい尽くすと、ようやく落ちついたように息を吐いた。
「ありがとう、おじさんたち」
「オイテメェ、誰がおじさんだ?」
「ジャド、やめとけ。不毛な会話になる」
 割と本気で傷ついた顔をしているジャドを押しのけて、オーヴィンはヨルドの前にしゃがみこんだ。
「んで、さっきの話の理由を聞かせてもらえるか? 俺たちはここに来たばっかで、何も分からないんだ」
「うん……」
 ヨルドは満ちた腹をさすりながら、おずおずと話し出した。
 オーヴィンの調べのとおり、ここ最近のミューレイは狼虎団を名乗る無頼の支配下にあった。
 狼虎団は『狼』と『虎』の二人を首領とする盗賊団だ。彼らは都市内の自警団を壊滅させてからというもの、貴族へ凄惨な要求をしているのだという。奴隷として売り払うため、毎週五十名の民を供出せよ。さもなくば、同額の金を払え、と。
「それで金のある市民が助かり、貧しい人が売られていく。そういうことですね?」
「チッ。腐ってやがる」
 ヨルドは哀しげに目を伏せた。初めは元々奴隷であった者が供出されたらしい。しかしそれも日数が経つと、身代金を払えない民が無理矢理引き立てられるようになった。
「僕もこの前、父さんと母さんに売られたんだ」
 その言葉を口にすることがどれほど悲しいことか。ジャドが拳を握り、フィランが頬を歪める。
「でも……僕は、狼に助けてもらった」
「狼? 頭領の一人か」
 ヨルドは強く頷いた。
「夜中の内に、僕と同じくらいの子供はみんな、狼が抱えてこっそり外に出してくれたんだ。狼は言ったよ、少しの間、みんなで隠れて暮しなさいって。きっと、お父さんとお母さんのところに戻れるからって」
 聞けば、ヨルドたちは都市の外の森に隠れて住んでいるらしい。しかも狼がそこで食糧などの世話をしているそうなのだ。
「今戻ったら、お父さんとお母さんが迷惑するのは僕も分かってるよ。でも……元気にしてるか、見にいきたくって」
「それで都市に出てきちまったわけだな」
「ねえ。分かったでしょ。悪いのは虎の方で、狼はいい人なんだ。狼がすぐにあいつらも改心させてくれるから……」
 オーヴィンたちは顔を見合わせた。狼虎団は残虐非道で通っているが、首領の狼は疑問を抱いているということなのだろうか。
 しかし、いま知りたいのは別のことだった。
「信じてよ! 本当に狼は優しかったんだ」
「分かっていますよ。ところで、あなたは狼虎団に捕まったとき、貴族の女性を見ませんでしたか?」
「ううん。貴族は人を出す代わりにお金を払ってるもん。あんなところにいるはずがないよ」
 当然のように答えられる。ベルナーデ家の配下たちは益々考え込んだ。ギルグランスの娘は、ミューレイへの街道を進んだところで消息が途絶えている。狼虎団に囚われていないとすると、ミューレイへ入る前に何らかの問題に巻き込まれたのだろうか。
「ちなみにお前さん、親には会えたのか」
「うん。遠くからだけどね。母さんは泣いてて、父さんは酒を飲んでた……」
 荒廃した都市の片隅に取り残された少年の頭を、オーヴィンはそっと撫でてやった。
「とりあえずお前さんは住処に戻りな。俺たちも、もう行くよ」
「うん。ご飯、ありがとう」
 ヨルドは素直に立ち上がって去っていった。森での暮らしは死と隣り合わせであろうが、余所者に都市の問題を解決してもらえるなど端から期待していないのだろう。絶望の味をよく知った、悲しく聡明な少年であった。
「どうするんです?」
「んん。あとひとつ、立ち寄りたい場所がある。そこで今晩は泊めてもらって、情報がなかったら明日から街道に出てみよう」
「そうですね。途中の中継地で足止めをくらっているかもしれません」
「この都市もなんとかしてやりてぇけどな……」
 ジャドがやるせなさそうに地を軽く蹴る。フィランやオーヴィンも思いは同じであった。
 しかし、彼らにできることはない。虚しく晴れ渡った空の下で、ただ溜息をつくばかりである。


 ***


「申し訳ない。一家を代表して謝罪する」
 ミューレイの貴族エルフェレス家の息子セルニフェイト――ヴェルスではシニオンと名乗っていた少年の、再会の挨拶はそれだった。
「ああ、うん。とりあえず久しぶりだな」
 オーヴィンが手をあげて挨拶をしても、シニオンの表情は強張ったままだ。着ているものは司祭服ではなく、貴族用の上等な短衣だったが、淡い褐色の巻き毛と賢そうな面差しは変わっていない。
 ベルナーデ家はシニオンをエルフェレス家に帰した縁を頼り、情報の提供と一泊の宿を求めたのである。その申し出に対する当主の反応は、極めて冷淡であった。当主はオーヴィンらに離れのみすぼらしい小屋を与えたかと思うと、忙しさを理由に質問の一つも許さず背を向けたのだ。
 それを聞きつけたシニオンが小屋に吹っ飛んできて、深々と頭を下げたのである。
「ここは薪の貯蔵庫なのだ。こんな場所で眠れなど、奴隷以下の扱いではないか。なんとか私が掛け合うから……」
「別に構いやしねぇよ、こっちのが慣れてら」
 薪を枕に体を投げ出したジャドが、はらはらと手を振る。
「そうですね。少なくともジャドの家よりは片付いていると思います」
「うるせえ!」
「とにかく、あのいけ好かないご当主と一緒の屋敷というのも気分が悪いですし。僕も構いませんよ」
「というわけで、俺たちはここでいいよ。それよりシニオン、お前さんは元気だったか」
 シニオンは顔をあげると、ようやく微かな笑みを浮かべた。しかし、どこか疲れた笑みだともオーヴィンは感じた。
 シニオンは薪の上に座り、両手を組んだ。
「ミューレイの惨状は見ただろう。我々貴族は愚かだ。都市を荒廃させる盗賊どもに金を払って、己の安寧を得ているのだからな」
「前はこんなに酷くなかったんだろう」
「ああ。もう少し活気があったし、自警団も機能していた。しかし本国の内乱で商人の足が遠のいてしまったのだ。宿場町として成っていたミューレイは、それでは立ち行かない」
「そういや、なんでヴェルスは大丈夫なんだ? 世の中不況なんだろ?」
「周辺都市へ食糧を輸出しているためです。本国への輸出が減っても、その分だけ他を増やせば採算がとれますからね。そこはご当主がうまく采配を振るっています」
「ミューレイには、ヴェルスのような肥沃な土と水はない。本国と属州を繋ぐ中継地としての価値しかないのだ」
 眉を曇らせ、シニオンは首を振る。
「私が父に内密で民に身代金用の金を配っているが、彼らはそれすら酒代にして子供を奴隷に差し出してしまうのだ。真に都市は神の加護から外れてしまった」
「相変わらず一人で走り回ってるんだな。大丈夫か?」
「売られる民の苦しみに比べれば、この程度何でもない」
 相変わらず自己犠牲の精神は健在のようだった。そして年齢に見合わず聡明で慈悲深い少年だ。シニオンは取り繕うように目尻を拭って、オーヴィンを力強く見上げた。
「フォロヴィネス、話は聞いたぞ。お主たちは、ベルナーデ家の娘御を探しに来たのだろう」
「ああ、そうだよ。知ってることがあれば、話してもらえると嬉しい」
「期待に沿えず申し訳ないのだが、この都市へ他所の貴族が来訪したという話は聞いていない。――尤も、その方が喜ばしいことであろうが」
 皮肉げに頬を歪めるシニオンに、オーヴィンは後頭部をかいた。
「んん。それじゃあ、ここから次の都市までの中継所の情報を貰えるか? どこかの宿舎にいるかもしれない」
「分かった。地図を用意させよう。そこまで数は多くない故、虱潰しにもできると思う。お主たちも明朝には出ていった方がいい」
「その狼虎団とやらはミューレイの外には出ているんですか? もしそうなら、街道の途中で襲われた可能性もありますが」
「それは……」
 シニオンは苦しげに言葉を切り、押し出すように続けた。
「確かに彼らは街道まで荒らしに出ることもある。もしそこで捕らえられていれば、残念だがもう手の出しようがない……」
「つまり考えるなということですね」
 冷静にフィランは返したが、その表情は固かった。今だ状況は予断を許さないのだ。
「すまない。私にもっと力があれば……」
 握った拳に爪を食い込ませるシニオンを、痛ましげに見やったフィランは、ふと思い出したように眉をあげた。
「そうそう。力を貸してあげる当てならありそうでしたよ」
 フィランは狼に助けられた子供たちが森の方に保護されている話をした。するとシニオンはぎょっと目を剥いた。
「馬鹿な」
「んん、本当だよ。根はいい奴かもしれないから、お前さんと気が合うかも――」
「そんなことがあるわけがない!」
 ベルナーデ家の者たちが驚くほどに、シニオンは強く反論した。
「狼は神をも恐れぬおぞましい男だ。あやつは旅人を襲っては嬲り殺しにしているのだぞ。あやつに狼藉を働かれ自害した貴族の娘すらいるのだ」
「んん? 俺たちの聞いた話と違うなあ」
「狼虎団は残虐な狼が人を狩り、狡猾な虎が売りさばく。そうやって敵勢力を排し大きくなった盗賊団だ。善人だなど冗談ではないぞ」
 立ち上がって訴えるシニオンには、先ほどの子供と同様に嘘をついている様子はない。
 オーヴィンは唇を親指でなぞりながら目を細めた。
「つまりだ。狼が子供たちを森へ逃がしたなら、それも悪巧みの一環ってことか?」
 一同が、はっと顔をあげる。
「……まずいんじゃねぇのか、そりゃ」
「当たり前だ! すぐに向かわなくては」
 シニオンは言うなり奴隷を呼びに外へ飛び出していった。残された薪小屋で、フィランがオーヴィンに小声で問いかけた。
「僕たちはどうします? 子供は助けるべきですが、娘御を放置して無闇に首を突っ込むのも得策ではなさそうです」
「お前さんはどうした方がいいと思う?」
 問うと、フィランは小さく笑みを浮かべた。
「出発は明朝です。それまで情報収集がてら手を出す分には問題ないかと」
「決まりだな」
「ええ」
 その不敵な表情と言葉の力強さは、彼がヴェルスに来たばかりの頃にはなかったものだ。
 変化は、確かに訪れている。この状況にあっても、オーヴィンは何処かでほっとしていた。
「注意しねぇとな。あの貴族のガキ、たぶん先走るぜ」
「ああ。全く以てそうなんだが……」
 立ち上がった二人の仲間に対し、オーヴィンは本質的な問題へ思考を向けた。
 ヨルドは、狼虎団に引き渡されたときに貴族の娘は見ていないと言った。しかしそれは、狼虎団に娘が捕まっていないとは証明していない。
 やはり、狼虎団が怪しく思える。狼虎団の頭領の一人、『狼』にも、聞く限り妙な様子が漂っている。注意しておくに越したことはないだろう。
「俺はもう少し都市で情報を集めてみたい。お前さんたちはシニオンと行ってくれないか」
「ああ? 別に構わねぇが、一人で大丈夫なのか?」
「こういうのは慣れてるよ。夜明けまでには戻る。お前さんたちも気をつけてな」
「はい」
 フィランはにこりと微笑んだ。
「うっかり盗賊どもを殲滅してしまわないように気をつけます」
「……なあ、お前さん」
 オーヴィンは間をおいてから、しみじみと告げた。
「段々言動が親父に似てきたよ」
「……」
 フィランは一瞬瞠目し、心の底から嫌そうな顔をするのだった。




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