-黄金の庭に告ぐ- <第二部>1話:娘、襲来 01.晩冬の出立 抜けるような晴天であった。 世の無常を思わせる伸びやかな青空。そして、そんな空に思いを馳せずにいられぬこの惨状。 一体、何が起きたのだ。 今一度思いを巡らせてみるのだが、その悲劇は遍く天を知ろしめす神々が悪戯を起こしたとしか言いようがない。 「このような下種共が平然とのさばっているなんて。地方荒廃の噂は本当だったのね」 怪異の元凶たる声が風にのって聞こえてくる。恐る恐る顔を向けると、離れた場所で、その元凶は不機嫌そうに眉を曇らせていた。 仲間は残らず地に斃れ、自分も伏したまま指先一つ動けずにいる。血を流しすぎた。たぶん、もうすぐ死ぬだろう。 ふと、怪異の元凶がこちらを見た。その足が、絶望の足音を以て軽やかに歩き出す。 美しい足捌きで遠慮なく近付かれると、死の間際だというのに恐怖が込み上げた。その細腕が戦慄と破壊の権化であると思い知らされたからこそ、全身から脂汗が噴き出る。 寄るな。そんな祈りと裏腹に、ぴたりと目前で足は止まった。そして、顔をあげると。 伸びやかな青空を背景に、影の落ちた口の端が愉しげに吊りあがるのを――見た。 「良いものを持っているではないの」 視界が、真っ暗になった。 -黄金の庭に告ぐ- 1話:娘、襲来 *** 「フィラン、神に祈れ」 「何です。藪から棒に」 ベルナーデ家の配下たちの間でそんな会話が繰り広げられたのはヴェルスの寒空もようやく和らいだ季節である。 「――奴が、帰ってくるぞ」 フィランはオーヴィンの表情に浮かぶ深刻さについて、なんとなくは理解できた。ベルナーデ家当主ギルグランスの一人娘が本国から解放され、近日中にヴェルスへ戻ってくるというのである。 繰り返して言おう。『あの』『当主の』『一人娘』が帰ってくるのである。 「まあ、マトモな娘御が出てきたらそれこそ驚きますが」 「アレが二人になるのかよ。冗談じゃねぇな」 ジャドが欠伸をしながら会話に入ってくる。ここのところ平和が続いているため、なんとなく新鮮な話題が足りなかったのだ。 「オーヴィン、テメェは会ったことあるんか」 「んん。一度だけ本国で会ったよ。その頃はまだ子供だったが」 「今はいくつなんでしたっけ?」 「十八。レティオの二つ上だ」 「やっぱオヤジに似てんのか?」 オーヴィンは瞑目すると、ぼりぼりと頭をかいた。 そして、重たい溜息をついてから、遺憾そうに呟いたのであった。 「んん。あんまり思い出したくないなあ……」 そういうわけでベルナーデ家の配下たちは、平穏の女神に祈りを捧げながら、来るべきその日を待った。しかし予定日から数日が経っても、一向に災厄が訪れる気配はなかったのである。 *** 春も近いベルナーデ家中庭にて、セーヴェは静かに進言した。 「旦那様、少々落ち着かれては」 「焦ってなどおらぬ」 振り向いたギルグランスがぴしゃりと返す。だが佇立したまま考え込んでいた主人は、暫くすると再び列柱回廊をうろうろし始めるのだ。 娘が帰宅予定日を過ぎても一向に戻らぬ父親の、これが正しい姿ではある、とはセーヴェも思う。邪神と揶揄される当主とて、子を持つ親なのだ。 しかも六年ぶりの再会である。大人にとってですら短くないその年数。十八歳になった娘御は、めざましい変貌を遂げていることだろう。当主の胸には万感の思いがあるに違いない。 「セーヴェ」 「はい」 中庭に設えた水鏡に向き合って立ち止まったギルグランスは、重々しく告げた。 「……生え際は、少し下がっただろうか」 声音は戦場にいる時に増して真剣である。 セーヴェは深く溜息をついた。 「さあ。私も毎日のように見ておりますゆえ」 「貴様、真面目に考えているのか。毎日見ているからこそ気付くものだろう!?」 こうなると、もはやただの面倒臭い親父だ。トランヴェードを平気でハゲ呼ばわりする割に、自分の頭髪に対しては並々ならぬ執着があるのである。そりゃ六年ぶりに再会した娘に「お父様、ハゲました?」とか言われたらその場で自刃したくもなるだろうが。 すると中庭へ配下たちが姿を現した。去年の事件で受けた傷も、妖精による治療の甲斐あってすっかり癒えている。 「遅いぞ。どこで道草を食っていた」 配下たちは当主の不機嫌を察知したようで、気付かれない程度に肩を竦めたり苦笑する。ギルグランスはどっかりと椅子に腰掛け、いつものように頬杖をついた。 「して、状況は掴めたか」 「んん。本人に会ったって奴と話ができた。やっぱりミューレイで足取りが途絶えてるよ」 オーヴィンたちはヴェルスの商人に、当主の娘の消息について尋ねて回っていたのである。 「よりによってミューレイか……」 ギルグランスは声には、僅かな焦燥が込められていた。 ミューレイはヴェルスから馬で二日ほどの距離にある小都市だ。しかし、昨年のレティオの報告によると、凶悪な無頼が力をつけたらしく、治安が急激に悪化しているのだという。 ギルグランスはこの報告を受けて、本国から旅をする娘にミューレイを避けて通るように書簡を送ったのだが、手違いで届かなかったのかもしれない。オーヴィンたちの調べによると、他の商人たちが止めたにも関わらず、わざとミューレイ行きの街道を選んで進んでいったのだという。そしてそのまま、消息を絶ったのだ。 *** 「で、結局こうなるんですね」 馬上で揺られながら、フィランがぼやく。 「まあ最近暇だったろ。このくらいで丁度いいぜ」 隣で同じく騎乗したジャドがニヤリと笑った。先頭のオーヴィンは、くあーっと気のない欠伸をしている。 ベルナーデ家の配下三人は、ミューレイへ続く街道へ馬首を向けている。無論、消息不明の娘を探しに行くためである。 危険な地へ配下を送ることについて、ギルグランスはこう告げた。 『喜んで行くか嫌々行くか、選ぶ権利をやろう』 『結局行けってことなんですね』 そう言っても、子供に恵まれなかったギルグランスにとっては、最後の妻との間に授かった一粒種である。当主の意を汲んだ配下たちは、支度も早々に豊穣の女神の加護あるヴェルスを発ったのである。 「復興もずいぶん進んだなあ」 オーヴィンは丘の上でヴェルスを振り返り、しみじみと感想を漏らした。遠くに見える豊穣の都の爪跡はすっかり修復され、港は以前と変わらぬほどまでに機能を回復した。また、破壊された灯台は今度こそ都市の内側に作られることになり、これも半分ほどまで出来上がった様子が丘からも見てとれる。 ちなみに破壊された灯台島の住民は、新しい灯台の麓となる旧市街の酒場を改造して住むこととなった。各々好きなところへ住居を持つこともできたが、なんだかんだで全員が同じ場所に集まることを望んだのだ。お陰でフィランは相変わらず泊まりの時はティレをマリルやクレーゼの元へ預けている。 ついでに灯台島の植物が失われたことにポマス博士は深く嘆き、一ヶ月ほど引きこもって出てこなかった。研究の対象がなくなったため、リュケイアに帰るのではと噂もされたが、助手のペペス曰く、「人探しをしていたことを思い出したそうで」とのことで、今は相変わらずヴェルスの騒ぎの種となっている。 無事に二人官に就任したギルグランスは、娘を気にしつつも次々と復興事業に手を伸ばしている。動乱に揺れる広大な帝国の中にあり、ヴェルスは強かに再興を始めつつあった。 そして逆方向への転落を辿っているのが、これから行くミューレイである。 「今日は宿営所でたらふく酒を飲んどいた方がいいよ。ミューレイに着いたらたぶん飲めないと思う」 「ハァ!? マジかよ!?」 「そこまで酷いんですか」 「んん……聞いた話だけど、ちょっとまずい感じだ」 オーヴィンの得た情報によると、ミューレイでは『狼虎団』を名乗る盗賊団が都市の実質の支配権を握り、悪事の限りを尽くしているのだという。昨年の事件の中でもミューレイの抗争に敗れて流れた無頼がヴェルスの近辺にたむろっていたが、敗者はそのようにして容赦なく追い出されるそうなのだ。 「ミューレイの自警団は壊滅。貴族は盗賊の言いなり。今じゃ商人は絶対に立ち寄らないらしいよ」 「……行きたくなくなってきました」 フィランが虚ろに告げると、オーヴィンも情けなさそうに眉を下げた。 「まあ、ちょっと前のヴェルスと似たようなもんだよ。さっさと目的を果たしてさっさと帰る。俺たちに出来るのはそのくらいだ」 「胸糞悪ぃ話だなオイ。オヤジが面倒見るわけにゃいかねぇのかよ」 「んん。ヴェルスの外になると流石に難しいよ。そういう問題を解決するのが総督の役目なんだけどなあ」 州都の肉塊、ではない、州都の総督の顔を思い出すだに無理そうな話である。 それにしても、そんな場所で消えた当主の娘は無事なのだろうか。流石に護衛がいないわけがないだろうが、久しく戻っていない故郷への旅途中である。最悪の想像だけはしないようにしていたフィランだが、オーヴィンの話を聞いて自然と唇を引き縛った。 丘を越えるとなだらかな平野となり、一杯に開けた視界に砂利の街道が続いている。ベルナーデ家の配下たちは一気に速度を上げてミューレイを目指した。 Back |