-黄金の庭に告ぐ- <第一部>12話:生者の行進 05.そして命は続いていく かつてヴェルスの岬を湖に引き込んだと言われる姫神は、灯台を飲み込んで再び湖の中へ立ち消えた。 想像を絶する事件を前に、人々は「とうとう姫神様が灯台の思い人を連れ去りに来たのだ」と語り合った。 姫神が去った後の湖には平穏が戻ったが、湾岸部の建物は軒並み津波で壊滅し、船がいくつも流された。地震によって倒壊した建物もあり、人々にとっては災厄の一日であった。 ただ同時に、彼らは神々の御技を見たのだと不思議な感慨を持った。その日は雲ひとつない晴天となり、穏やかな気候となったことも、彼らから災いの印象を拭い去る一因となったのかもしれない。 しかし、それを己の器量で受け止めて思考を巡らせることのできる者がいた。来年の二人官を任ぜられるベルナーデ家のギルグランスと、アメストラ家のトランヴェードである。 ギルグランスは津波を察知した妖精クロイスを議会場に呼ぶと、詳しく話を聞いた。 「――うーん。この都市は、妙に強い魔力が渦巻いてるんだよ」 クロイスは自分でも完全な理解に至っていない様子で、難しげに答えた。 「たぶん、あの化け物も元は湖に住むただの魔物だ。それが都市の魔力の影響であそこまで育っちまった」 「確かに、この都市の周辺には巨大化した魔物が時折出没するな。今回も同様だったということか」 トランヴェードが顔をしかめながら言うと、クロイスに同伴したルシェトが言葉を継いだ。 「まあ、あそこまで巨大化すれば知能も発達してるかもしれないけどね。魔物だけじゃないよ。豊かな農作物、効能の高い薬草。全て、渦巻く魔力に感化されたものだ」 卓に座ったまま、反応を楽しむようにルシェトは陰鬱に笑った。ごくりとトランヴェードが喉を鳴らす。 「なるほどな。して、その魔力とやらが渦巻いていることに原因はあるのか」 ギルグランスが核心をついた質問を投げると、ルシェトはこてんと首を傾げた。 「さあ、分からない。地下の方から渦巻いてる気がするけど、はっきりしないね」 気のない返答にトランヴェードは物言いたげであったが、ギルグランスはふむ、と瞑目して考え込み、そして顔をあげた。 「分かった」 「……どうするのだ?」 禿頭の当主に問われたギルグランスは、重々しく告げた。 「どうもせぬ」 「……」 こいつは馬鹿か、とトランヴェードの表情が雄弁に語る。そんなトランヴェードを目を眇めて見やって、ギルグランスは腕を組んだ。 「ガルダ人は殲滅した。灯台や都市は修復すれば良い。我々は来年の二人官だ。この上で何の問題がある?」 「あの化け物が再び襲ってきたらどうするつもりだ」 「どうせ次に来るのも百年後だろう。ならば百年後の子孫たちにせいぜい頑張って貰えば良い」 「貴様な」 わなわなと手を震わせるトランヴェードである。ギルグランスは生温く息を吐き出して続けた。 「では魔力の源を見つけてどうする。滅するのか? この妖精の言う通りであれば、農作物の生産に致命的な損害を生むぞ」 トランヴェードは鼻白んだが、顎を引いてギルグランスを睨めつけた。 「農作物については貴様の意見が正しいが、正体だけでも掴んでおく必要はある。今回の亡者を生成する薬草の件も、その魔力とやらの影響なのであろうが」 ガルダ人が生み出した死体を起き上がらせる秘薬は、灯台島でとれる薬草が原料にになっていることがダナラスの手記から明らかになっている。今回の姫神の襲来で灯台島はその面積の半分が湖に沈み、残りも水に浸かっている。固有の植物はほぼ死滅するであろう。 しかし、都市周辺の植物が魔力の影響を受けている限り、同様の脅威が消えることはないのだ。 今は少しでも情報を集めておきたい。トランヴェードの思いに、ギルグランスは妙案を思いついたとばかりに頷いた。 「では、分業することとしよう。幸い二人官はその名の通り二人だ。貴様が魔力の調査、私が執政。良いな」 トランヴェードは己の立場を弁えていなかったらギルグランスを殴り飛ばしていたかもしれなかった。 「んじゃー、俺様はもう帰るぜ。流石に今回のは疲れた」 クロイスが足をばたつかせて退席を乞う。ギルグランスは満足げに笑ってそれを許した。 「ああ、よく力を貸してくれた。どうだ、この機会に私の配下になる気はないか」 「は!? 冗談じゃねーよ! 今回はティレのためだったし。人間の下で働くなんてまっぴらだ」 「ふむ。いつでも席は空けておくぞ」 「そんなんいらねーっつーの!」 力いっぱいに喚いて出ていくクロイスである。含み笑いしながら追従するルシェトを、ギルグランスは一度だけ呼び止めた。 「ディクルースは貴様が始末したと聞いたが」 ルシェトの陰鬱な瞳と、当主の老いて尚輝く瞳が交差した。 口の端を吊り上げたルシェトは、耳のリングピアスを揺らして答えた。 「直接手は下してないよ。でもあれは奇跡的に生きていても、使い物にならないだろうね」 感情の欠片も残らぬ返答を残し、ルシェトはさっさと出ていった。 ディクルースは灯台島ごと災厄に飲まれ、死体もあがっていない。フィランなどは「次会ったら絶対に串刺しにするので手伝ってください」と怒りも露に息巻いているが、やはり死んだとする方が現実的だろうか。 首を振って、ギルグランスは歩き出した。 「おい、何処へ行く。これから復興に関する会議だぞ」 ギルグランスはなんだというように振り向いた。 「どうせ開始は昼過ぎだろう。貴様もその前にするべきことがあるのではないか」 眉根を寄せるトランヴェードである。ギルグランスは呆れたように溜息をついた。そして灰色の髪をかきあげる。 ギルグランスは微かな笑いと共に、トランヴェードに背を見せて告げた。 「まずは配下を労わねばならぬ」 *** 被害確認と復興の手配に騒がしいヴェルスで、取り急ぎティレをベルナーデ家に帰したフィランがまず初めに行ったことは。 ――新しいサンダルの購入であった。 裸足では瓦礫の上を歩けないため、復興の手伝いどころか都市を歩くのにも支障をきたす状況だったのだ。不恰好だったので無事な片方も脱いで、フィランは急ぎ足で都市の市場を訪れた。流石に今日はほとんどの店は閉まっているが、いくつかは奇跡的に開いている。オーヴィンから勧められたサンダル屋も、木陰に敷物を広げているのを見つけることができた。 しかし敷物の上に置いてあるサンダルはどれも未完成品で、店の親父はあぐらをかいて卓に頬杖をつき、瞑目している。 恐る恐る、フィランは声をかけた。 「あの、これは売り物ですか?」 薄く目を開いた親父は、面倒そうに口を開いた。 「好きに持っていきな。だが金は置いていけ」 「それは売っているというんですよ」 しかし完成品を貰わねば困る。どうしようかと考えていると、親父はフィランの持ち物を見て陰険そうに頬を歪めた。 「それ、履いてたんか」 「え?」 フィランは右手に持っていた片方のサンダルを見て、不思議に思いながらも肯定した。 「はい。片方が壊れたので、新しいものが欲しいんですが」 「酷ぇサンダルだな」 初対面の客に向かって中々の台詞である。先ほどとは別の意味でどうしようかと考えていると、親父は近くの木箱をこつこつと金槌で叩いた。座れということらしい。 腰掛けたフィランの足を持って暫く観察した親父は、敷物の上から未完成のものを一つ取り上げ、足に合わせた。 「足、乗せな」 そう言って革張りのサンダルの上にフィランの足を乗せ、革紐を通していく。フィランは成程と思った。自分の足に合わせて紐の位置を調整してくれているのだ。初めからそう言えよ、と十人中九人の客はきっと内心でツッコむと思う。 親父は無言で作業を続けている。手持ち無沙汰のフィランは、なんとなく空を見上げた。 本来なら、まず初めに灯台島の人々に謝りに行かねばならないところなのだ。しかしその前に一人で心を落ち着けたかったというのが、サンダルを買いにきた本当のところだった。 顔を戻し、親父にこき下ろされた古いサンダルを見やる。故郷を逃げ出すときから変えていなかったため、新しいものと比べると確かに見るも無残だった。皮の色は変わり、あちこちに傷がつき、鋲を打った底も磨り減っている。 変えた方が良いとは薄々思っていたのである。しかし、旅用のサンダルを脱いでしまったら、もうこの都市から出られなくなってしまいそうで。だからといって再び旅用のサンダルを買えば、仲間を裏切るようで。どちらに行くこともできず、古いものを使い続けていた。 馬鹿らしいこだわりだった。しかも、その迷いを捨てられなかったせいで、戦闘中にあるまじき失態を犯したのである。以前であったなら、フィランはそれを唾棄すべき過ちと断じ、自らを責めただろう。 しかし、その過ちはフィランを救ってもくれた。 世界は正しいことをしたものに幸いを降り注ぐわけではない。 悪事を働いたものに幸いを降り注ぐことすらある。 絶対など何処にもない。それが真理。だからいつでも足元は不安定で、今にも溺れてしまいそうで。 にも関わらず、今も人は生き続く。 理想郷足りえぬ大地に、その不条理を問いかけながらも生き続く。 耳を澄ませば聞こえてくる、自分の名を呼ぶ声。 ――フィラン。 誰かが呼びかける。こちらも呼び返す。それは、今そこにいてくれることを願う行為だ。同じ道を歩んでいるか、同じものを見ているか。――そこで、待っていてくれるか。 壊れかけた心を繋ぎとめる、ただの呼び声。それが、この地には確かにある。そしてフィランを呼び止めてくれたのだ。 「……呼び止められたんじゃ、しょうがないですよね」 苦し紛れに口の中で呟くと、何故か嬉しさばかりがこみあげて。ただ人に欲されたかっただけなのだと気付いて、フィランは顔を手で覆った。 親父は黙って両足分の靴を仕上げた。閑散とした市場で、時間はゆっくりと進んでいく。 言われた代金を払うと、釣りを取り出しながら親父はぼそりと呟いた。 「ずいぶん、色んなところを歩いた足だな」 フィランは思わず苦笑した。 「はい。本当に」 釣りを懐にしまって、立ち上がる。数歩歩いて、フィランは立ち止まった。 「どうした」 硬直していると、親父が怪訝そうに声をかけてくる。 フィランは自分の足元を凝視して、呟いた。 「軽い、です……」 新調したサンダルはフィランの足に吸い付くように合っていた。しかも鋲で補強されているのに重さが感じられない。まるで裸足で歩いているようだ。 「そりゃな。あんな重たいの履いてた後だ、どんなのだって軽く思えるさ」 「いや、それにしたって……」 フィランは頭をかいた。オーヴィンの勧める店は大抵間違いない、これまでヴェルスで学んだことの一つである。 親父に向き直って、会釈した。 「どうもありがとうございました」 「調子が悪くなったらまた来い」 心底面倒そうに頬杖をつく親父にもう一度礼を言うと、フィランは歩き出した。復興の手伝いに入る前に、まずは挨拶をせねばならない人々がいる。 青空の下で履かれた新しいサンダルは、まるで羽根が生えたかのように、しかし強く大地を咬んで、若者を前へと押し進める。 ベルナーデ家に戻ったフィランは、ジャドがまだ高熱を出して眠っていると聞いて、先にクレーゼの元へ向かった。中庭に立っていたクレーゼに、フィランは深々と頭を下げた。 「大変ご迷惑をおかけしました」 「いやだわ」 クレーゼは眉を下げて微笑み、フィランの肩に手を置いて頭をあげさせてくれた。 「あなたたちが無事に戻ってきてくれたことを、心から嬉しく思います。去ってしまった人が、今回は多かったから……」 微かに俯いて、ふんわりと目を閉じる。エル、パンデモウス、そしてディクルース。それぞれの想いを以て灯台島を去っていった彼らを、しかしクレーゼは等しく愛していたのだろう。そして灯台島の住居でさえ、今は失われてしまった。 このため、灯台島の住民たちは暫くベルナーデ家に留まることになるだろう。恐らくはギルグランスが新しい住処を手配するだろうが、特に灯台島に長い間住んだクレーゼの心痛は計り知れない。 しかしクレーゼは凛と背を伸ばしたまま、改まった様子でフィランを見上げた。 「フィラン、あなたに返しておくものがあります」 差し出された小さな麻布の包みを見て、フィランは思わず表情を消した。 「……中身を見ましたか」 「ええ」 クレーゼは穏やかに微笑んで続けた。 「今は何も問いません。けれど、これはいつかあなたが使いなさい。少なくとも、気軽に捨てて良いものではないわ」 そう言って、フィランの手を取って包みを乗せてくれる。冷たくさらりとした老女の両手は、包みごとフィランの手を握り締めた。 「いいわね。いつか、必ずけじめをつけるのよ」 「……はい」 まさか再びここに戻ってくるとは思わなかったのである。一度は放り投げたそれをフィランは手にして、覚悟と共に頷いた。クレーゼは褪せた色の瞳に強い光を宿し、若者の意志を確かめると、安堵したように溜息をついた。 「良かったわ。私が持っているには、少し重過ぎるものでした」 「申し訳ありません」 「そうね、今度何か手伝ってもらうわ」 童女のように悪戯っぽく口の端を吊り上げたクレーゼにフィランも頬を緩ませる。その時、小柄な少女がぱたぱたと駆けてきた。 「フィラン」 ティレである。その横にはクロイスがついており、彼女が立ち止まると当然のように肩口に降りた。慣れた仕草に内心眉を潜めるフィランである。 しかしティレの様子はどうも切迫していた。何を説明したいのか、口を開いて言い淀み、視線を足元に這わせている。 「どうしたんだい、ティレ」 「カリィが」 「カリィ?」 「カリィが……」 「ああ。そうだわ、フィラン」 ティレの言わんとしたことを察知した様子で、クレーゼが目を瞬かせた。 「あなたにも伝えておかなければいけないわね」 改まった表情を向けられ、自然と背が伸びる。 クレーゼは微笑んで、その事実を告げたのであった。 *** 「来年の初夏ってところかね」 神妙な顔つきのフィランとオーヴィンに、ミモルザがそっけなく告げる。その内容を聞いた二人は、深刻そうに顔を見合わせ、そして同時に口を開いた。 「え、あの、カリィの容態は大丈夫なんですか? 随分塞ぎこんでましたし」 「いま会えるか? あ、今のうちに言っちゃまずいことは教えておいてくれ。あと持ってった方がいいものと」 「一緒に喋るんじゃない、うるさいね」 日中にこの事実を聞いたフィランは衝撃の余り本人への挨拶も忘れ、まずは当主への報告にと飛び出したものだった。そうして日没後にオーヴィンを掴まえて戻り、なんとかミモルザに経過を聞くことに成功したのである。 「会いたいならついてきな」 荷物を持ってスタスタと歩いていくミモルザにくっついて、灯りの漏れる一室に至る。ミモルザが先に入り、暫くすると顔だけ出したミモルザの凍えた眼差しが二人に突き刺さった。 「騒がしくするんじゃないよ」 「は、はい」 操り人形のように頷いてしまう二人である。そして簾をめくって中に入ると、寝台で身体を起こしているカリィ、そしてマリルにティレ、クロイス、クレーゼとダール、クレーゼに遣える奴隷、ペペス――島民の面々が集まっていることに気付く。 「フィラン、オーヴィン……」 カリィは掛布を握り締めて、泣き笑いのような表情を浮かべた。 「えへ。生きなきゃいけない理由、できちゃったよ」 その手が、自身の腹部へとやられる。フィランは硬直したまま唾を呑んだ。カリィのそこに、新たな命が宿っていることが分かったのだ。 「あ……ね、寝てなくていいんですか」 何を言っていいのか分からず、しどろもどろに返してしまう。すると横からマリルの茶々が入った。 「フィラン。そういう時はまず、おめでとうって伝えるんです」 「おめでとう。後で好きなもんでも持ってくる」 「ちょっとオーヴィン、先に言わないでくださいよ!」 カリィはくすくすと笑い、目尻を拭った。 「もう、変わらないんだから。ありがとね。あたしは大丈夫よ。むしろ、ちゃんと働いて稼がなきゃって気合が入ったくらいだわ」 「安心せい、いざというときは爺がなんとかしてやるのじゃ」 「あなたに何とかできるのですか?」 「は、はうっ!? 妻よ、爺だってやるときはやるのじゃ。例えば……えーと」 「身売り?」 「ティレ! どこでそんな言葉覚えてきたんですかっ」 「俺様は教えてねーからなっ。おい、そんな目で見るなよ!?」 「皆さん、お静かにー! ミモルザさんがすごい顔でこっち見てますー!?」 狭い室内に温かな笑い声がさざめく。カリィはその空間を噛み締めるように、何度も目元を拭った。 フィランは笑いながらも眉を下げる。カリィの瞳に浮かぶその涙が嬉しさだけのものでないことを、彼が、そしてこの場にいる全員が知っていたからだ。 生まれてくる命を祝福すべき父親は、もうこの世にはいないのである。 暫くするとギルグランスも帰宅し、カリィへの見舞いを申し出た。当主直々の対面にミモルザは母体を気遣って難色を示したが、カリィの意志もあって渋々承知した。ちなみにその頃島民の面々はミモルザの「いい加減にしろ」の一言で叩き出されていた。 「夜分に申し訳ない」 訪れたギルグランスに、カリィはやや緊張した面持ちだったが、そっと頭を下げた。ギルグランスはカリィの手をとって挨拶をすると、妊娠への祝辞を述べた。 「出来ることなら、子供が成人するまでは面倒を見てやりたいのだが」 カリィは背筋を伸ばしてギルグランスを見据え、ゆっくりと首を横に振った。 「ありがとうございます。でも、あたしも稼げるし、なんとか二人で生きていけると思います」 そして、思い沈むように瞑目し、再びギルグランスを見上げる。 「貴方を恨んでるわけじゃないんです。もちろん、貴方のことを恨んだ日もありました。貴方に出会わなかったら、あいつはまだ生きていたかもしれないって。でもそれは、ただ生きているだけだったと思うんです……」 貴族と話す経験も乏しいのだろう、途中でつっかえながら、しかしカリィは言い切った。 「あいつは貴方に出会ったから、ちゃんと笑うことができたんです。良かったら、これからもあたしたちのこと、見守ってください」 静謐な意志が宿ったカリィの眼は、淀みなく灯を弾いている。ギルグランスは降参したように苦笑して、ふっと目を細めた。 「それでは、せめて出産までは気を遣わせてくれまいか。身重で働くのは辛かろう」 カリィは微笑んで深く頭を下げ、当主の申し出を承知した。 「――ということだそうですよ」 月明かりがあるため、部屋の灯は消えていた。寝台に仰臥したジャドにカリィの件を伝えたフィランは、壁に背をつけた。 ジャドはようやく反応を返せるまでに回復したが、高熱のために起き上がることもできなかった。カリィの元へ挨拶に行くのは先になるだろう。 「ああ、そうか」 ジャドは目蓋に手を乗せたまま、短く返答した。再会してから色々と経緯や謝罪を口にしたが、大抵それしか返ってこない。喋るのも辛いのだろうと思ったが、月明かりにその口元が笑っているのを見て、フィランは目を瞬いた。 「ったくあのヤロー、調子いいぜ。やるこたやっていきやがって。クソが」 「……そうですね」 肯定すると、蚊が鳴くように弱々しく、ジャドは喉を鳴らして笑う。フィランは目を伏せる。粘ついた疲労が全身を苛んでいたが、静寂の空間は不思議と居心地が良かった。 「なあ、フィラン。今日は星が綺麗なんだろうな」 「はい?」 出し抜けに奇妙なことを聞かれる。フィランは顔をあげた。そして、ふと眉を下げた。 「綺麗なんだよな。なあ、そうだよな」 縋るように問う声は震えて掠れて。闇に沈みながら、フィランは頷いた。 「ええ。とても綺麗ですよ」 まるで許しを得たかのように、ジャドは小さく嗚咽を漏らした。 「想像しただけで涙が出やがる。畜生」 不意に迷い込んできた風が、肌を撫でる。その合間に、微かに懐かしい笑い声が聞こえてくるようで、フィランは壁に頭をつけたまま、天井を仰いだ。 そこに星空はないけれども。暗闇に輝く満天の星々を思うと、何故かジャドの言うとおりに涙が浮いたのだった。 Back |