-黄金の庭に告ぐ-
<第一部>12話:生者の行進

02.夜明けの反撃



 ベルナーデ家が齎した「兵器」は瞬く間に効果を表し、亡者たちは次々と斃れていった。相次ぐ戦闘に疲弊した自警団の前は同時に、それらを散布する者たちの姿に驚愕した。
「おかしら! こっちにもまだいやすぜ!」
「アタシが行く! お前らは怪我人の搬送を手伝いなッ」
「あいさ!」
 馬を駆って旧市街を駆け回るは美貌の女盗賊。豊かな栗毛を翻して黄金の粉を撒き散らすルディに、自警団の一人が叫んだ。
「貴様、この後に及んで何様のつもりか!」
 かつて数多の貴族の家を荒らした女盗賊ルディは、自警団には目の仇にされていたのだ。しかし剣を向けられたルディは、その形の良い眉をぴくりとも動かさずに言った。
「刺したければ刺すがいいよ。でもその時はアンタが代わりにこの粉を配るんだ、いいね」
 剣の代わりに持っている麻袋を突き出すルディに、自警団の団員は気圧されたように口を噤んだ。自由気ままに手下を従えて暴れまわっていた頃の輝く眼はなく、代わりに冴え冴えとした意志がその輪郭を際立たせている。
 ルディは鼻を鳴らして小分けにした粉をいくつか放ると、次の地区へと馬を走らせた。亡者どもの不穏な叫びが、風に乗って聞こえてくる。しかし闇夜を突き進むルディに迷いはなかった。
「アタシは逃げたりしない。安全な場所で何も知らずにいるのは、もう沢山だ」
 無頼たちが包囲網を縮める中、自警団は戦力の半分を割いて地下水道への包囲を進めていった。そちらには亡者ではなく、本物のガルダ人と出くわす可能性がある。このため精鋭が選ばれたのは勿論だが、もう一つギルグランスは策を練っていた。
 彼は包囲網にわざと穴をあけたのだ。それは唯一灯台島近くまで続く道であった。


 ***


 髪を切って欲しいと遠慮がちに言われたのは、本国から逃げ出して間もない頃だ。
 見知らぬ街道脇で野宿をしていた時、フィラン――否。当時はまだラルディであった若者は、申し訳なさそうに短剣を渡してきたのだった。
 その頃の自分の髪は、膝の丈まであった。これほどの長さになると、確かに目立つ。
 ――背中……、い、いや、腰くらいまででいいから。
 若者の困った表情が、焚いた炎に照らされていた。
 座ったまま短剣を受け取って、自分の髪を見た。淡い藤色の髪が、長く地に散らばっている。生気を失った細い手足に絡む老人のような色合いのそれは、まるで茨のようで。
 世界に縛られて、流されるままであった己の様がまざまざと見せ付けられた。そう思った途端、剣を髪の根元に入れていた。
 ――ちょっと!?
 切り落とされた髪が地に落ちて渦を巻く。露になった首元がひんやりとした。絶句した若者が、混乱に手を上げ下げしている。
 ただそれも収まると、若者は眉を下げて、短剣を取り上げた。
 ――前から短くしたかったのかい?
 俯く。前は、何も考えていなかった。今は、ただ消えてしまいたいだけだ。
 ――うん、そっか。その髪型も似合ってるよ。
 若者は何を思ったのか、それじゃあと声をあげた。
 ――名前も変えよう。ラルディとティアルじゃ、すぐに見つかってしまうから。
 ――僕はフィランでいいよ。実家でそう呼ばれてたから。
 ――君の名前はティアルティレジアだから、ティレがいいかな。
 ティレ。そう呟くと、フィランと名乗った若者は、そっと頷いた。
 ――別人になったみたいだよね。僕もそうだったよ。
 ――ラルディっていう呼び名は、本国に来たときに育て親に付け直されたものなんだ。
 ――その時も、別の世界にきてしまったような気分だった……。
 呟いて、若者は炎を瞳に映した。ゆらゆらと炎が闇の中で揺らめいている。
 それでも若者はこちらを見て、ふんわりと笑ってみせたのだ。
 ――改めてよろしくね。僕の名前は、フィラン。君はティレだ。


「ティレ」
 呼ばれて振り向くと、ディクルースに手招きをされる。ディクルースは険しい表情で周囲を探っていた。地上では大きな動きがあったようで、ガルダ人たちは何らかの決定的な打撃を被ったようであった。そんな中、ディクルースは彼らの気配を避けながら水路を進んでいた。
「地上へ出る道はほとんど包囲されていて、ひとつだけ開いてるんだ。恐らく罠だと思う」
 彼の横顔を見ながら、ティレはフィランに似通った印象を受けていた。目的のために冷静に判断を下し、最善を選ぼうとするその気構え。しかし、と眉を寄せる。フィランとは決定的に何かが違う。
「今は逃げることを考えよう。ガルダ人に紛れて、途中で離脱するんだ。まずは灯台島へ」
 そう言うと、ディクルースは松明を持って、反対の手でティレの腕を掴んだ。思っていたより力が強かった。
 歩きながらティレは、ディクルースへ問いかけた。
「あなたが皇帝の血筋なら、どうしてヴェルスにいたの」
 言葉を放つたびに、自分の胸がどくりと波打つ。刃を咬み合わせるような会話は、問いかけでさえも口が重たくなる。
 しかしディクルースの返答は淡々としていた。
「うん。僕も言われるまでは気付かなかったんだ」
 彼の片耳には、小さな銀の耳飾りが光っている。精巧なそれは、歩くたびに揺れている。
「僕は物心ついた頃には何かから逃げるように旅をしていた。あまりよく覚えていないけど、身分の高そうな人に掴まって鞭を打たれたり、目の前で人が殺されたことはなんとなく記憶にある……」
 そしてディクルースは連れとはぐれ、嵐の日に灯台島の近くで倒れていたところを灯台守のパンデモ爺に拾われたのだという。
「何年か前に偶然、僕のことを知っている人に会ったんだ。僕は幼い頃に、暴君だった兄を引き摺り下ろすための駒として使われて、政権争いに失敗して本国を逃れたそうだよ」
 そうやって自分の過去を他人事のように話すところも、フィランに似ている。ディクルースは表情を浮かべることなく続ける。
「ただ、ティレ。僕は自分の血統を利用するけど、それを信じてるわけじゃないんだ。僕は望んだ世界が欲しいだけだ。誰もが平等な、平和な世界を」
 ディクルースはこちらを見て、その瞳を歪ませた。
「君みたいに、特別な力を持っているからといって差別されることもない世界。僕が作って、君にあげるよ」
 その輝きだけは本物で、ティレはこくりと息を呑んだ。
「ガルダ人の蜂起は失敗に終わってしまった。でも、僕の元に兵が集まりつつある。来年には挙兵するよ。――この腐った帝国は、僕が滅ぼす」
 それは、豊穣の神殿にいた頃の自分であれば燦然と輝く理想として聞こえたろう。しかし、今のティレには正しいと断ぜられない。
「戦争が起きれば、たくさんの人が死んでしまう」
「うん、でもそれは必要な死だ。今の社会を続けていた方が犠牲者は多いんだよ、ティレ」
「ヴェルスの人たちが、傷ついてもいいの」
「それも仕方ないことだ」
 ふと神々に首筋を撫でられたかのように、ティレは反応した。ディクルースは当然のように語る。きっとフィランも同じ答えを紡ぐであろう。犠牲は必要だと。だが、もしもフィランが同じことを言うのなら――。
 その光景は、何故だかまざまざと脳裏に想像された。
 きっとフィランは一瞬だけ痛みを堪えるように息を呑んで、空虚に告げる。その心の内に、迷いを含んだまま。奇跡を願う心を、何処かで抱えたまま。
 しかしディクルースは迷わない。彼は真の意味で、この世界を見限っている。黄金の庭など世界の何処にもないと、判断している。
 不意に風を感じた。外が近いのだ。
 ティレは開いた手を胸に当てた。ディクルースの言う理想は正しいのかもしれない。世界は変わらねばならないのかもしれない。そんな世界があれば、親友は死なずに済んだのかもしれない。しかし――。
 ぎゅっと指を握る。ここまでの道筋は、大体覚えている。隙を見計らって神殿まで戻り、フィランの元へ行くのだ。
 自分を迎えにきて血に塗れて倒れた彼を、助けなければ。


 ***


 夜明けまでにヴェルス旧市街の地上部分の制圧が完了し、ヴェルスの民は歓喜に包まれた。夜通し立ち続けた豊穣の巫女ナディアはその報を聞いた瞬間に薄く笑って倒れ、ダリアに抱えられて幕屋へと入れられた。
 その間にも地下からの包囲網は狭められていき、ガルダ人は一方の通路に追い詰められた。彼らは決死の覚悟で地上に躍り出、背後にあった灯台島への浅瀬をひた走った。灯台島の鬱蒼と茂る森に入ればまだ篭城戦に持っていけると踏んだのだ。
 しかし、灯台島へ足を踏み入れたガルダ人を待っていたのは大量に仕掛けられた罠と自警団の迎撃であった。
 機会を伺って切られた弩弓の風音を皮切りに、あっという間に灯台島の集落は血生臭い戦場と化した。自警団を率いていたのはトランヴェードであったが、彼は騎馬できる者を自警団の団員を問わず呼び寄せ、初動の蹂躙に当たらせた。ガルダ人は対人の白兵戦には驚異的な強さを誇るが、騎馬兵との戦いには民族柄慣れていない。その隙をついたギルグランスの策である。
 トランヴェードは先陣の騎馬兵にはガルダ人と直接交戦させず、代わりに馬の間に綱を渡して全速力で駆け抜けさせた。ガルダ人はある者は馬に轢かれ、ある者は縄によって引きずられたところを歩兵によって討ち取られた。
 戦闘経験に乏しいヴェルスの民がそのような奇策を用いる一方、武術に優れた者たちは直接彼らを討ち取っていた。
「フィラン!」
 自警団とまともに刃を交わそうとするガルダ人を優先的に屠っていたフィランに、馬でオーヴィンが駆けつけた。
「地下の制圧は完了したよ。包囲網の突破者はなし。つまり、ティレとディクルースは、この島にいる」
 予めそのような想定でいたが、改めて緊張に頬が強張るのをフィランは感じた。
「お前さんはティレを探しに行きな。ここは俺が援護しとく」
「――すみません」
「かまわんよ」
 オーヴィンが戦場とは思えぬ様子で笑う。フィランは口を開きかけたが、待ちきれずに飛び出した光の筋が大きく叫んだ。
「さっさと行くぞ! 今度こそ絶対に連れ戻すんだろっ」
 それまでフィランの肩口に止まっていたクロイスである。昨晩は流石に動けずにベルナーデ家で休息を取っていたが、一晩休んですっかり元気を取り戻したようだった。フィランはオーヴィンに会釈した。
「詫びは全てが終わってからに」
 オーヴィンは片手を挙げて返した。フィランは槍を持ち返ると、手綱を取って馬首を返した。

「どっか当てはあるのか?」
 併走しながら問うクロイスに、フィランはこくりと頷いた。
「包囲されたこの島から脱出する方法は船しかない筈だ。僕は海岸線を時計回りで走る。そちらは反対周りで頼む」
「しししっ、任せとけ!」
 クロイスはニッと八重歯を見せると風のような速さで島の反対側へと飛んでいった。フィランも馬の腹を蹴って加速した。と、馬が岩の上を跳ねる衝撃に脇腹に痛みが走る。昨日の傷の多くはクロイスの治癒魔法で治してもらったが、全快とは言えない状態なのだ。
 クロイス曰く、治癒魔法は傷を治す代わりに身体へ負担をかけるため、これが限界だったらしい。それでも槍が振るえるだけで十分だ。
 巧みに手綱を操り、切り立った崖を飛び越えて海岸沿いを走る。ギルグランスの手配で沖にも監視船を置いてもらったが、陸で捕らえるに越したことはない。
 感覚を研ぎ澄ましていると、微かに耳鳴りがあった。
「――?」
 沖の方に目を向ける。海にも見紛う水平線が、夜明けの淡い光に揺らめいている。
『何か、いる……?』
 その時フィランの脳裏に過ぎるものがあった。ぞっと胸が凍りつく思いだったが、今は自分のすべきことをするしかない。異様に冷たい風を受けながら、フィランは砂浜を疾駆した。


 ***


 灯台島の反対側から海岸を回るクロイスも、同じ異変を嗅ぎ取っていた。だが得体の知れない恐怖に脂汗をかきながら飛翔を続ける彼には、空から話しかける智者があった。
「調子はどうだい、クロイス」
「るっ、ルシェト!」
 身を強張らせたクロイスであるが、ルシェトに力ずくで捕らえにきた様子はない。羽根をはためかせてこちらと併走しつつ、相棒の妖精は湖へと視線をやった。
「あれは、この都市の魔力に誘き寄せられてるんだな。もうすぐこっちに到達するよ。こんな島、あっという間に飲み込まれるんじゃないかな」
「飲み込まれる……!? おいっ、まさか」
 クロイスは思わず前進を止めてルシェトに詰め寄った。ルシェトはクロイスの反応を伺うように目を細める。
「さあ、クロイス。君はどうする? この状況から、一体何を救う?」
 どうせ何も救えないのだろう。言外に呟きながら、ルシェトは卑屈に笑う。
 しかしクロイスの返答は素早かった。
「俺様が退治してやる!」
「君は本当に愚かだな」
「なんだよ、文句あんのか!」
「君に太刀打ちできる相手じゃないと言っている」
「そんなんやってみなきゃ分かんねーじゃねーか!」
「……」
 溜息をついたルシェトは、ふと背を向けた。一刻を争う中、何故か辺りから音が死んだように感じられて、クロイスは思わず口を噤んだ。
「クロイス。君は本当に人間と関わる道を選ぶのか。理の異なる連中と共にあることで、いらぬ苦しみをわざわざ抱いて生きる覚悟が君にはあるか?」
 ルシェトの表情は見えない。けれどその問いが特別なものだとクロイスは直感した。
 クロイスはルシェトと共に故郷を出たわけではない。この大陸で偶然行き会ったため同行しているだけで、クロイスはルシェトが故郷を出た理由も、その胸の内に抱えているものも知らないのだ。
 しかし覚悟を問われるなら望むところだった。初めからやらずに投げ出すなど、臆病者のすることではないか。
 クロイスは口の端から短い呼気を出すと、答えた。
「決まってんだろ。俺様はティレを救う」
 ルシェトの眼がこちらを向く。ルシェトの鋭い眼光は、それまでのクロイスであれば視線を逸らしてしまっただろうが、今の彼は頬を撓ませて睨み合った。
「……分かった。それじゃあ、ゲームだ」
「なんだよ」
「君はこれから、好きなだけ人間に関わるといい――ゲームの終わりは、君の心が壊れるまでだ」
 それは陰鬱な神が背筋に手を触れてくるかのようだった。クロイスは思わず唇を噛んで震えを止めた。
「君の心が壊れた瞬間が、僕の勝ち。それまでは力を貸すよ、クロイス」
 ルシェトは不気味なほど優しげに笑うと、もう一度水平線の彼方に顔を向けた。
「君は人間どもに一刻も早く島から出るように伝えろ。具眼の娘は僕がどうにかする」
「ルシェト……?」
「いいね」
 ルシェトはそれだけ言うと、ふわりと飛び上がった。クロイスには出来ない、優雅な布が宙を舞うような飛翔であった。しかしその姿は突然フッと消えてしまう。魔法を使っているのではない。そんな飛び方を心得ているのだ。
 クロイスは真意の見えない相方の不可解さに拳を握った。しかし、今はそれどころではない。汗が風に冷えていくのを感じつつも、身を翻した。
 そして彼は、一人になったルシェトが皮肉げに呟いた言葉も、無論、耳にすることもなかった。

「君は一体何処まで行けるのだろうね。僕が行けなかったその先へ、君は行くんだろうか……」
 ルシェトは首を振って、自分の言葉を否定した。
「君もきっと壊れるんだろう。僕のように」
 ならば最後まで見届けてはやろう。そして絶望する彼の前で言ってやるのだ。
 ――人間に関わると不幸になるのだ、と。




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