-黄金の庭に告ぐ-
<第一部>11話:眼を開いて

03.生まれてきた意味もなく



 自分が生まれてきた理由など、考えたこともなかった。
 生まれてきたから、生きる。薪を割り、灯を保つ。
 変わらぬ日常。質素だが、喰うものにも、寝る場所にも困らない。灯台守とは、そういう仕事だ。
 世界に包まれて諾々と生きる。それは誤りではないのかと、ぼんやりと考えながら。
 当代の灯台守がまだ頑健であった頃、湖を見下ろしながら語られた話がある。
 広がる湖に浮かぶ島のいくつかには、罪人が流されているのだという。
 帝国ファルダで罪を犯せば、大抵は闘技場送りとなる。しかし貴族の女や政治犯などは、辺境の孤島に幽閉されるのだと。
 罪人が流された島では何が行われているのだろうと思い、あくる日、船を出して行ってみた。特に意味はない。ただ、捕らわれた貴人がどのようなものか、興味があったのだ。
 島に近付くと監視を行っていた獄吏に拿捕されたが、漁猟中に波に流されたので暖をとらせてほしいと適当に言い訳をつけて上陸した。自分の気弱そうな顔立ちが、獄吏の警戒心を解くのにいくらか役立ってくれたようだった。
 四方に陸影のない監獄島は、廃墟のような場所であった。罪人はこのようなところに連れてこられるだけあって、小奇麗な立ち振る舞いをする者ばかりであった。枷もなく、鞭打つ獄吏もおらず、誰もが岸辺で静かに書を読んでいる。それは牢獄というより、呪われた楽園であった。生ぬるい風に吹かれて緩慢と生きる彼らを見やって、なんだ、と呟いたものだった。
 なんだ、僕と同じじゃないか。
 獄吏に追い出されるように島を出るとき、自分を食い入るように見つめる男の姿が目に入った。彼は愕然とした表情を浮かべ、異様な光をその眼に宿らせていた。
 悪夢の残り香のような感覚を抱きながら、何くわぬ顔で灯台島へ戻った。
 数日後、森で薪を割っていると、草陰からおぞましい風体の人間が現れた。
 服はないも同然、目は半分潰れ、片腕はだらりと弛緩し、全身が汚物で塗れている。声も出せずにいると、その人間は近付いて跪き、足の甲に口付けをしてきた。
「よくぞ生きていてくださいました」
 気が触れているのか。まずはクレーゼを呼んだ方が良いかと視線を巡らせたが、その人間が懐から取り出したものに衝撃を受けた。
 自分が右耳につけている精巧な銀の耳飾り。その片割れが、彼の汚れた手の中で煌いていた。
 その男は、監獄島から脱走してきたと語った。彼はあの時こちらを見つめていた小奇麗な男であったのだ。
 そして、彼はこの耳飾りを持つ意味を教えてくれた。

 生まれてきた理由などなく、ただ飯を食らい、薪を割り、眠る日々であった。
 誰からも望まれず、誰からも必要とされない。それが当たり前だと受け入れるふりをしていた。
 自分はいつからか、生きる理由を欲していたのかもしれない。
 男が語る物語が生まれてきた理由を教えてくれたとき、目の前が開けるような錯覚を覚えたのだ。
 もう、小さく丸まっている必要はない。欲しいものが出来た。
 一つ欲しいものができると、欲しいものはいくつにも増えた。学問。魔術。武術。彼は手を尽くして自分にそれらを用意してくれた。
 そして、たまらなく欲しくなったものの一つが、槍使いと共に灯台島にやってきた少女だ。
 熱い風が己に向けて強く吹きつけている。
 生きる糧とは食らいの腹を賄う麦だけではないのだと気付いたディクルースは、そうして呼吸を始めた。


 フィランを見つけたとジャドをおびき寄せて刺すところまでは順調に行ったが、勝負はこれからだった。ディクルースは秋にも関わらず額に浮いた汗を拭った。
 ディクルースは用心深く妖精との待ち合わせ場所を訪れた。本来は妖精がティレの処置を済ませてから事を起こすつもりであったが、夕刻になっても姿を見せなかったため、もう一芝居打つ必要があったのだ。
 槍使いが戻ってこないかと周囲を伺いながら待つと、果たしてクロイスが人間用の腕輪を重たそうに抱えてやってきた。自分を見てあからさまに不審げにするクロイスに、ディクルースは気押された風を装って説明した。
「フィランに頼まれたんだ。ティレがまだ目を覚まさないから、二人でいると目立つって。ティレはこっちだよ」
 フィランの知るところではないが、ディクルースはクロイスに例の隠れ処を教えるにあたり、ティレの正体について聞き出していた。ティレの身を案じているのだと訴えたところ、クロイスは他言無用、と言い含めた上で教えてくれたのだ。ディクルースにとって世間知らずの妖精は、簡単に手の内で転がすことができたのだった。
「そっか。俺様もかなり遅れちまったからな……」
 納得した様子のクロイスを見て、ディクルースは影で薄く笑った。


 廃屋からヴェルスの地下水道へ入り、小部屋へ入る。ヴェルスの地下にはこのように暗黒時代に管理を放棄された倉庫が数多く残っていた。更にそこから梯子を伝って地上へ上る。
 出た先は粗末なあばら家である。とうに捨てられたそこは屋根が半分落ちているものの、八方の建物が崩れかけているため、地上からは侵入できないのだ。誰にも教えていない、ディクルースが都市内に作った拠点であった。
 残った屋根の下に毛布で包まれ横たえられているティレを一目見たクロイスは、待っていられない様子で飛んでいった。持っていた腕輪を置くと、灯火に照らされたティレの頬に甲斐甲斐しく手をあてて、何度か声をかける。触れるなと言いたかったが、今はティレを助ける方が優先であった。
「どうかな」
「ああ。今、魔法をかける。ところでアイツはどうしたんだ?」
 アイツ。槍使いのことだろう。
「別件で用事だって、出ていったよ。じきに戻ってくるんじゃないかな」
 クロイスの耳がぴくりと動いた気がしたが、ややあって彼は「そっか」と返答し、振り向いた。
「じゃ、お前でいいや。この腕輪、つけてやってくれ」
 頷いて目配せされた腕輪に触れると、触れた部分から衝撃が走った。
 危うく取り落としそうになり、慌てて持ち直す。
「どうした?」
「これ、魔力が込められてるのかな」
「……そうだよ。ティレの具眼の力を発動させないように、ありったけの魔法を込めたんだ。うまくいけば、普通の具眼持ちくらいの力になるだろ」
 ディクルースは妖精の持つ知識と魔術の技に内心で驚嘆した。
「早くしろよ」
「う、うん」
 急かされつつも、ティレの右手首に腕輪を嵌める。銀製で人差し指程度の幅があり、単純な彫刻の彫られた腕輪だった。ティレの華奢な腕にはやや無骨に見える。するとクロイスは一つ頷いて詠唱を始めた。
 ディクルースが知るどの魔法より長い詠唱が続く。そして、紡がれる言葉の一つ一つに痛切な想いが感じ取れた。光球が舞う中、張り詰めた妖精の羽は微かに震えている。
「精霊の御名において――」
 魔法の発動と同時に、ティレの体が腕輪ごと七色の輝きに包まれた。光の筋が幾重にも走る音が、耳朶を痺れさせた。
 その全てが溶けるように失せ、夜の暗さが戻ってくると、クロイスは呻いて膝をついた。
「大丈夫?」
「る、るせー……平気だ、こんくらい」
 それが一目で虚勢と分かるほどにクロイスは憔悴していた。汗にまみれた顔は血の気が失せ、呼気は乱れに乱れている。
「ティレはどうなったの?」
「もう平気だ。しばらくは目ぇ覚まさないと思うけどな」
 その言葉さえ聞くことができれば、もう十分だった。
 いかに妖精とはいえ、ここまで弱っているなら始末は容易い。ティレを気遣う風を装って背後に立ち、短剣に手をかけたその時、クロイスがぼそりと呟いた。
「やっぱり。お前、魔法使いだろ」
「え?」
 クロイスの鋭い眼光がこちらを向き、その腕が掲げられていた。いつでも魔法が使えるという合図だ。その全身から、烈火のような敵意が放たれていた。
「お前、さっきからずっと魔法使えるように身構えてただろ。そんなんで腕輪に触るから魔力が逆流するんだ」
 クロイスは口早に続けた。
「流れてる魔力で分かるんだよ。お前、何日か前にも現れやがったな」
「……何を言っているの? 僕は」
「フィランは何処だ」
 遮ってこちらを見上げるクロイスの瞳は怒りに輝いていた。
「アイツは無茶苦茶で何考えてるか分かんねーけどよ、今のティレを絶対に一人にはしねーって俺様にだって分かるぞ!」
 クッ、と喉の奥が鳴った。
「おい、答えやがれ。あいつはどこに――」
「精霊の御名において」
 魔法の顕在化を告げる祈りが、歌うように紡がれた。『あの男』に習った、詠唱を経ずに魔法を発動させる技であった。
 ぶん、と空気が唸り、さしもの妖精も顔に驚愕を浮かべる。詠唱を使わない封印魔法は効果が薄いが、僅かな間、動きを封じることができるはずだ。
 しかし刃を閃かせた瞬間、尾を引いた煌きが飛び込んでくる。刹那、視界が白く染まった。
「っ!」
 とっさにティレの身柄を優先して抱きかかえる。突如現れた光は、熱く輝いて眼を灼く。それが次第に消えていき、ようやく目が開けるほどになった時、妖精の姿はそこにはなかった。
 静寂が戻った隠れ処で、ディクルースは舌打ちをした。あの状態から何をして脱出したのかは分からないが、これで自分は下手に表に出るわけにはいかなくなった。この隠れ処も、放棄せねばならない。


 ***


「君は一体どれだけ一族の面を汚せば気が済むんだ」
 何度も視界が回転して、ようやく感覚が戻ってきたころ、クロイスはそんな呆れ声を聞いた。眩暈に歪む目線を苦労してあげると、ルシェトの冷淡な視線とぶつかった。
「わ、わり……」
「何度も言うが、君のためじゃない。妖精族が人間ぶぜいに殺されたなんて事実を作りたくないんだ。まあ、君のマヌケぶりに言いたいことは山ほどあるけど」
 クロイスの首根を持ったまま、ルシェトは屋根の一つに降り立った。夜のヴェルスは不穏な気配に満ちており、静寂からは程遠い。
 するとルシェトは、思っても見なかったことを突然口にした。
「潮時だ。このままヴェルスを出よう」
「は……?」
 割れるような頭痛に苛まれながら、クロイスは相棒の横顔を見た。ルシェトはこちらを見返しもしなかった。
「島の連中はあの当主の家に集められた。いつ逃げたかなんて分かる筈がないし、知ったところで、それどころじゃないだろうからね」
「ま――オイ、ふざけんじゃねーぞ!?」
 噛み付く勢いで詰め寄ったが、ルシェトの表情はぴくりとも変わらなかった。
「君は本当に愚かだな。下手に人間に関わるから、逆に苦しむことになるんだ。実際、君は不用意に具眼の娘を苦しめて、挙句の果てにいいように使われただけじゃないか」
 氷の刃で胸を切り裂かれた気分で、クロイスは言葉を詰まらせた。
「幸い、あの娘の処置は終わったんだろう? なら、この辺りで手を引いた方がいい」
「そ……それでも、まだ放っておけねーよ」
「君はこれから千年以上の間を『放っておけない人間』を一々救いながら生きるのかい? 妖精族の言い伝えを知っているだろう」
 辛辣な問いが薄暗い口調で放たれ、そして次の一言は確かにクロイスを打ちのめした。
「人間に関わると、不幸になる」
 一族の古い言い伝えを、ルシェトは静かに唇に乗せる。それは故郷の森で何度も聞かされた言葉だ。風に吹き散らされて消えていく言葉はしかし、クロイスの耳に重たく響いた。
「これだけは、老人どものたわ言じゃない。僕らと人間どもは生きる世界が違うんだ。戯れに遊んでやるならともかく、救ってやるだなんて考えているなら、裏切られるのは君のほうだ、クロイス」
 服の裾を握ったまま俯いていると、一際強い風が吹き、髪がはたはたと靡いた。ルシェトは、鼻から息を抜いたようだった。
「まあ、君にはいい勉強になったろう。適度な感覚はじきに身につくさ。今回のことを反省して――」
「もういい」

 それまで闇に沈む都市を睥睨していたルシェトは、ふと隣を見た。
 そこには、ぼろぼろに弱った妖精族の少年が、しかし敵意を露にこちらを見上げていた。抜き払った剣のような鋭い印象に、思いがけず呑まれそうになる。
「さっきからぺらぺらぺらぺら、うっせーんだよ」
 力なく垂れていた七色の羽根に、何時の間に煌きが戻ったのだろう。クロイスはすっくと立ち上がった。
「ごたくはたくさんだ。人間と関わると不幸になるだって? そんな年寄りのたわ言信じてる時点でルシェト、お前自身が紛れもねぇ老人じゃねーか!!」
「クロイス! 君は人の話を聞いていたのか?」
「うるせーや! 俺様だって頭にきてるし悔しいんだよ。散々人間どもにいいようにしてやられて、俺様だけひとりバカみたいじゃねーか!?」
「だから実際馬鹿だと言っているだろう!」
「ふざけんな、バカって言った奴がバカなんだ、バーカ!! 俺様はもう決めたんだよ、絶対にティレを幸せにしてやる。あいつの笑顔を見るんだってな。だから俺様のやることに一々知った顔で口出すんじゃねぇ、この万年高見の見物野郎!!」
 一体どこにそのような力が余っていたのだろう。閃光が抜けるように、クロイスは飛び出していった。
「クロイス!」
「せいぜい俺様の勇姿にみとれるがいいぜ! もう助けなくていいからな、べーだっ!!」
 知識でも魔力でも相方に勝るルシェトであったが、飛翔が巧みなクロイスに全力で飛ばれると追いつくのは難しい。追いかけたものの、あっという間に見失ってしまい、ルシェトは一人夜空で停止した。
 クロイスの喚き声が頭の中で繰り返されている。正しいのは自分の方であるのに、打ちのめされたような心地になり、思わず顔が歪んだ。
「あの馬鹿……!」
 残されたルシェトは拳を硬く握りこんで、夜空に漂っていることしか出来なかった。


 ***


 夜の帳が暗闇でヴェルスを包み込むも、かの都市は安らかな眠りから程遠い緊張に満ちていた。旧市街に程近い広場には、闇を切り裂いて松明が煌々と焚かれている。
「ナディア様、風が出てまいりました。せめて幕屋にお入りください」
「ありがとう。でも大丈夫よ」
 気丈に錫杖を持ち直して微笑むナディアに、ダリアは同じ笑みを返せなかった。
 報じ手が立つ演説台に立って香を焚き、人々を励ます巫女の姿には、多くの民が心を打たれ、その胸に平常心を取り戻させた。夜になっても、困りごとを訴えにくる市民が立ち代わり訪れている。
 しかし、明るい性格の割に虚弱なナディアの体質を良く知るダリアは、冷たい風に身を晒すナディアが心配でならなかった。そんなダリアに、ナディアは明るく笑って言うのだ。
「これはわたしがみんなの見えるところに立っているからこそ効果があるのよ。わたしが隠れちゃったら、巫女が屈したって思われちゃう。頑張るわよ、負けたくないもの!」
 ナディアの強かな意志と、現実を見通す眼差しは確かに正しい。ダリアは眉を下げて、それ以上の進言を控えることにした。
「……分かりました。それでは私もお供いたします」
「うん。ありがと。ダリア」
 突然、人々の間に悲鳴があがった。にわかに広場の者々が浮き足立つ。横手の議会場から何事かと二人官がまろび出てきて、目の前の光景に蒼白になった。
 旧市街の大通りに次々と血の斑紋が穿たれている。飛び出した人々を薙ぎ倒しながら、犬型の腐った魔物がこちらに接近してくるのだ。
「自警団はどうしたんだ!?」
「逃げろ! 奴らの足は速くないぞ!」
 吹き荒れる怒号に、ダリアは瞬時の硬直の後、己の役目を思い出した。
「ナディア様、逃げましょう!」
「逃げないわ」
 ナディアの横顔は眼前に迫り来る地獄の呼び声に引きつっていたが、腕は錫杖を前に構えていた。それを見て、民の一人が叫んだ。
「まさか巫女、武術の心得が!?」
「そんなのないわ」
 さらりと答えたナディアの林檎色の髪を、風が大きくはためかせる。凛と前を向く瞳が強く輝いた。
「でもわたしは逃げない。ここから先へは進ませないわ!」
「いい度胸だ、手を貸すよ」
 ナディアの横で声をあげたのは、薄底の片手鍋を手に駆けつけていたベラであった。
「ガルダだか何だか知らないけどね、アタシが旦那と過ごしたヴェルスで、これ以上好き勝手をさせるもんかね!」
 ダリアが唇をきつく噛み締めていると、突然ベラに腕を引かれ、口早に耳打ちされた。
「アタシが少しでも食い止める。その間にアンタは巫女を担いで逃げるんだよ」
 ダリアは目を見開いてベラを見つめた。頷いて返すベラの瞳は静まり返っていた。
 その思いに、涙が溢れそうになった。ダリアは心を決め、頷いた。
 逃げ遅れた人々へ殺戮を繰り広げながら魔物たちは近付いてくる。広場の松明に刺激されたかのように、一匹が甲高く吼えた。
 いよいよだ。ダリアが唇を噛み締めた、その時だった。
 後方から黒く大きな影が風のように飛び出した。
「――」
 それはまるで、神が齎した奇跡を目の当たりにするかのようだった。見開いた瞳に映るは、――栗毛の見事な馬に乗った緋色の髪の少年。
 あとは、瞬く間の出来事であった。抜刀した少年は正面の一匹を馬の突撃で粉砕すると、飛び掛るもう一匹を一閃の元に切り払った。背後からの追撃を巧みにかわし、鞍につけていた投げ槍を引き抜くと、反転しざまに投擲し、二匹の魔物を一気に串刺しにする。
 見上げると、ナディアの瞳から、涙が零れ落ちていた。
「少年君――」
「巫女殿、無事か!」
 残りを他の奴隷に任せたレティオが、馬首を返して巫女の元へ駆けつける。四肢に幼さの残るその姿はしかし、光輝に溢れた天の遣いのようであった。
「失礼だが平素の挨拶は省略させていただく。巫女殿、叔父上――我が主ギルグランスの所在をご存知ないか」
 馬上の少年はナディアに力強く問う。その様に今一度覇気を取り戻した面持ちで、ナディアは頬を拭い、気丈に答えた。
「ええ、わたしからも感謝は別の機会にするわ。ギルグランス様は先ほどまでそちらの議会場にいたけど、突然出て行ってしまって……」

「レティオ!」
 騒ぎを聞きつけてようやく自警団が集まる中、騎乗したオーヴィンを見つけたレティオは、ナディアや鍋を掲げて健闘を称するベラに会釈してからそちらへ向かった。相変わらずオーヴィンは呼ばれねば気付かぬほど、人ごみに溶け込んでいた。
「こっちだ」
 反転して闇に消えてくオーヴィンに、レティオは連れの奴隷たちに声をかけて共に追いかけた。
 オーヴィンの横に馬をつかせても、彼は速度を緩めようとしない。レティオはたまらず問うた。
「オーヴィン、状況の説明を頼む。見たところ良くないことが起きているようだが」
「んん。良くないねえ。非常に良くない」
 声こそ平坦であるが、その顔には只ならぬ気配が漂っている。そしてその口から語られた事実の数々は、それだけでレティオを打ちのめした。中でも、フィランとジャドの件は、馬に乗っていることを忘れるほどの衝撃を受けた。
「とりあえずベルナーデ家に集まることになったんだが、ところでお前さん、戻ってくるのはもう少し先じゃなかったか?」
「急ぎ叔父上に報告することがあるのだ」
 いつの間にか、風に雨粒が混じるようになっていた。しかし夜空を見上げる余裕もなく、レティオは状況を飲み込もうと頭を働かせた。
 ただ、その先にある恐ろしい仮定だけは受け入れがたく、遠くに見えるベルナーデ家邸宅の灯をレティオは縋るように見つめた。




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