-黄金の庭に告ぐ-
<第一部>9話:運命の悪戯への私的見解とその対策

09.狩猟祭-2



 それは、この場にある筈のない声。
 フィランが、レティオが、オーヴィンが。そしてサナーが、動作を止める。
 力を漲らせた足が大地を蹴り、飛ぶように戦場へと迫る。
「弱いものいじめは嫌われるぜ、っと!」
 オーヴィンたちに迫ろうとしていた盗賊を横薙ぎに斬り払い、その足で蹴り飛ばす。勢い良く飛んだ男一人の体重をもろに食らった盗賊は体勢を崩し、斜面を転がり落ちていく。
 正面から襲い来る盗賊を相手にしながら、フィランがその名を叫んだ。
「ジャド!!」
「よぉ、雑魚相手に苦戦しやがって」
 ジャドは背中を見せたまま笑うと、腕でフィランたちを庇うようにして立つ。
「ちょ、遅刻しておいてなんて言い様ですか!」
「るせーなバカ。ボコんぞ」
「はっ。昨日あれだけやられておいてよく言えますね」
「ハァ? ありゃ引き分けだっつーの!」
「こんなところで喧嘩をするな!」
 一喝するレティオを合わせ三人でオーヴィンとサナーを敵から守るが、それでも雲霞のごとく攻め立てる敵には分が悪い。
 そのとき、別の場所で鬨の声があがった。

「やれやれ。私の専門は防衛戦だというに」
「硬いことはなしだ、当主様」
「まあな。この程度、私を以ってすれば造作もない」
「で、次は?」
 武具を手に一斉に走り出すヴェルスの無頼者。剣闘士を家業とする者が多くを占め、その戦闘力は流れの盗賊など目ではない。彼らの背を見送るのは、ギルグランスとトージだ。
 本来であれば屋敷で待機している筈のギルグランスだが、フィランたちが出発した直後、トージから帳簿を盗んだ女がフェガンドの森をうろついていたところを盗賊に捕まったと急報が齎されたのであった。話を聞いたギルグランスは、すぐに女の救出に向かうべくトージが手配した無頼たちと共に森に入ったのである。無論、女から帳簿を盗んだ真犯人を聞き出すのが目的だったが、それ以上に女がジャドの知己であることがギルグランスに迅速な行動をさせたのであった。
 呑気に腕を組むトージの隣で、ギルグランスはふむ、と半眼になった。
「そろそろ放射状に展開した頃合だな。よろしい、そのまま挟み撃ちにしろ。頭を逃がすな」
「分かった」
 トージは唇に指を挟み、鋭く口笛を吹く。
「進路を中央へ!」
「中央へ!」
「傾斜に気をつけろ!」
 その意味を察した者が次々と叫び、矛先を中心へと向ける。視界の悪い樹海では多少ばらつくだろうが、盗賊からすれば左右から敵が現れたように見えるに違いない。ギルグランスとトージも包囲網を狭めるべく移動を始めた。
「ところで奴らの根城の方はどうなっておる?」
「根城と言うほどでもない掘っ立て小屋だがな。俺の手下を何人か向かわせてる、じきに制圧されるだろう」
「ふむ、さっさと片をつけたいところだな」
 にわかに進行方向が騒がしくなる。盗賊たちの下へ、一気にトージの手の者が襲い掛かったのだ。
 巨大な岩の上から上々の戦果をその目で確かめたギルグランスは、視界の端にあるものを見つけた。
「うむ? あれはまだ生きているではないか」
「大きいな。動き出したら厄介だ」
 顔をしかめたトージは、隣を見た。
 が、既に名望高き当主はそこにいなかった。
 トージは戦場に視線を戻して、言葉を失った。ギルグランスは高所からの跳躍もなんのその、剣を抜き払って戦場へと突撃していったのだ。
「お、おい!」
「ふはは! 面白いことを思いついた!」
 トージが止める間もなく、混戦の最中を獰猛に走りぬけ、ギルグランスは香を焚かれて大人しくなった魔物の元へと至る。その口元をにぃっと禍々しく歪めると、ギルグランスは剣をざっくりと魔物の足に突き刺したのであった。


 衝撃波のような獣の雄たけびに、その場にいた誰しもが肩を飛び上がらせた。ずぅん、とそれまで弛緩していた触手が大地を叩く。
 最も青くなったのは、サナーを守りながら戦っていたベルナーデ家の配下たちであった。
「何やってるんですあの人……!?」
 フィランの声がその場にいる全ての者の想いを代弁する。叩き起こした魔物の上に堂々と立つベルナーデ家の現当主は、状況を俯瞰すると大声を張り上げた。
「ジャド!! そ奴を逃がすなッ!」
「っ!」
 はっとしてジャドはギルグランスの剣が指す方を見る。ライズを背負った盗賊の頭領が、仲間を盾に逃げ出すところであった。
「オーヴィン、サナーを頼む!」
「ジャド!」
 名を呼んだのはサナーだった。ベルナーデ家の者に守られて無傷であった彼女は、思いつめた顔でジャドを見つめている。
 ジャドは、それを笑い飛ばすようにニッと笑った。
「なんて顔だよ。猿っぽい顔がもっと猿っぽくなってやがる」
「な!?」
「安心しな。旦那は助けてやる」
「――」
 サナーの反応を確かめる前に、ジャドの俊足は大地を蹴って敵を追い始めた。
 同時に魔物が再び雄たけびを上げて暴れ始める。ギルグランスは魔物の上に乗ったまま、剣を振り上げた。
「これはとんだじゃじゃ馬だな、面白い!」
 がん、と頭部についた二本の角の左方に思い切り斬りつける。すると魔物は体勢を傾け、嫌がるように明後日の方向へ暴走を始めた。
「ああ、もうちょっと右だ右!」
 ギルグランスが今度は右の角を剣で叩くと、勢いで体勢を傾けた魔物は進路を右にずらす。
「ちょ、ご当主!? 何処行くつもりですっ!?」
「後は任せた!」
 ばきばきと木々を砕きながら、あっという間に当主と魔物は森の奥へと消えていく。
「え、えぇー……?」
 倒した盗賊の頭を足でぐりぐり踏みつけながら、フィランは空恐ろしい気持ちでその方向を見つめるのであった。


 ***


 幼い頃、誰よりも早く走れた時があった。
 全身を風にして、冷たい風の吹きつける山間を駆け巡る。
 そのとき己の目に映った世界は、広く、力強く、何よりも眩く。
 未来に求めたものはきっと得られるのだと、愚直なまでに信じていた。
 だから世界を相手に、自らの足で何処までも走っていこうと。
 希望ばかりを胸に抱き、己が道の行く手を信じきって、自分は生きていた。

 山犬のように体勢を低くして、放たれた矢のごとくジャドは疾走する。足場の悪い樹海といえど、その足には障害にすらならない。背の低い藪を片手で振り払い、岩を軽々と飛び越えて彼は走る。先を行く頭領をしっかりと視界に捉えて。
「んのヤロォッ!」
 怒りを込めて叫ぶと、焦ったのか頭領は蔦に足を引っ掛けて転びそうになる。その隙に、ジャドは一気に距離を詰めた。
「ちぃっ!」
 盗賊は足で逃げることは敵わないと悟り、ぎらつく眼差しで振り向く。そして担いでいたライズの喉元に刃を当てた。
「止まりやがれッ! こいつがどうなってもいいのか!?」
「……」
 ジャドは眉を潜め、足を緩めた。そして十歩ほど離れた場所で、盗賊と対峙し、ハッと息を吐き出した。
「何バカ言ってやがる、このバカ。そいつから帳簿の在り処を聞き出すまでは殺せねぇだろーが」
 盗賊は鼻を鳴らして卑屈な笑みを浮かべた。
「帳簿の情報なんざなくたって、魔物使いの技がありゃいくらでも生きていけるからな」
「……テメェ」
 ジャドの声が低くなる。やはりこの男はガルダ人と繋がっているのだ。
「ケッ。魔物使いの技っつったって、せいぜい眠らせた程度じゃねぇかよ。けしかけることも出来ねぇくせしてよく言うぜ」
「なんだと」
 ジャドは顎を引いて盗賊を正面から睨みつける。ジャドはガルダ人の技を何度も間近で見ている。今はいない友が、寂しそうにその効能について教えてくれたこともある。だからこそ、盗賊の慢心が許せなかった。
「まがい物もいいとこだぜ。本物のガルダ人の術は魔物を口笛一つで乗り回せんだっつーの」
「そんな伝説を信じているのか。お目出度いにも程がある」
「どっちがお目出度いんだよバカ。ああ、こんなところに出張してきやがった時点で十分バカか。どーせどっかで抗争に負けてここに流れてきたんだろうが?」
 冷笑に盗賊の殺気は一瞬膨れ上がったが、暫く考え込んだ後、彼は余裕ありげな表情に戻って告げた。
「……てめぇの言うとおりだ。オレたちはミューレイでの小競り合いに敗れてヴェルスに来た」
 残忍な光を宿していたその瞳が、狡猾そうに色を変える。
「取引をしようじゃないか。この男と引き換えに、この都市の庇護を求める」
「ハァ?」
「これは正当な申し出だ。オレたちがどんな境遇にいたか分かるか?」
 盗賊はぐったりしたライズに刃を当てたまま過去を語り始めた。

 ミューレイはヴェルスから北東の位置にある地方都市だ。しかしヴェルスのような特産品もない都市は、皇帝の失政から続く混乱の影響をもろに受け、治安は荒れる一方であった。力を保持したい貴族はこぞって無頼者と手を組み、街中では武装した者の抗争が激しくなる。不景気で仕事を失った者たちは、酒に明け暮れるうちにこれらの世界へと足を踏み入れ、事態は悪化する一方なのだ。
 このような現象はミューレイだけでなく、多くの地方都市に広まっており、各地の街道や森にはあぶれた無頼者が獲物を求めて徘徊するようになったのだという。
 そしてこの盗賊団も、混乱下での勢力争いに破れ、立ち行かなくなってヴェルスまで流れてきたのだ。
「分からねえだろうな、貴族の下でぬくぬく生きてるような奴には。元いた場所を失って放浪する苦しみ、何よりも――てめぇらみたいな綺麗どころがどれだけ憎ましいか!」
 盗賊は声を張り上げると、卑屈に片頬を歪めた。
「だからここに地盤が必要なんだ。てめぇらみたいのに、いつか吠え面かかしてやるためによ! だからこの男は返してやる。その代わりにこの土地をよこせ」
 暫くの間、ジャドは無表情でその様を眺めていた。その変わらぬ様に、盗賊は怪訝そうに眉を持ち上げる。
「何とか言えよ、聞いてんのか?」
「……ああ」
 ジャドの返答は突然気のない生返事になった。
「いや、しかし……んっと、勉強になるぜ」
「あ?」
 ジャドは心底嫌そうに頭をかき回すと、肩を竦めてみせた。
「いや、よーく分かった」
 その口元が笑みを形作る瞬間、足が――大地を蹴る。
 盗賊が目を剥く暇すら与えぬそれは、正に光が瞬く間のこと。
「――っ!?」
 何が起きたか判断のつかない内に、ぐしゃ、と鈍い音と衝撃が走る。体が宙に浮き、仰臥する形で地に叩きつけられる。
 明滅する視界に、蹴りを放ったジャドが鞘に収まったままの剣を振り上げていた。

「格好悪ぃな、テメェ」

 その昔、誰よりも早く走れた少年がいた。
 少年はやがて運命に牙を剥かれ、無様に地を這いずることとなる。
 涙で滲む世界を、そして彼は拒絶する。
 世界の全ての輝きが憎たらしくて。
 自ら闇を被り、自ら歩くことを拒絶した。
 自らがあるように世界を作るのではなく、世界がそこにあるように、自らを作り変えた。

 バカだな。
 ジャドは失笑する。そんな生に意味などない。意味などない生を歩むのは――。

「そんなんじゃフラれて当然だっつーの!」
 振り下ろす剣は、彼に残った一重の希望。それは名を変えれば、誇りとも言うのかもしれない。
 顔面すれすれに剣を突き出され、昏倒した盗賊の頭領を軽く蹴飛ばすと、ジャドは隣に倒れて咽るライズを見やる。
 そして、その胸倉をおもむろに掴み上げた。
「っ……?」
 ライズは息も絶え絶えに、ジャドを正面から見つめる。そこに怯えが宿っていることに、ジャドはケッと鼻を鳴らす。
「なんてザマだよ」
「うぅ」
 涙を滲ませて、ライズは苦悶に顔を歪める。ジャドはそこに目を近づけ、貫くようにライズの双眸を睨みつけた。
「いいか、耳かっぽじって良く聞けよこのバカ。――金輪際テメェの女房を他人に投げ渡すんじゃねぇ」
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったライズは、呆然とその続きを聞く。
「テメェの女房はテメェで守れ。不幸にさせたらただじゃおかねェ」
「……っ、」
 唇を震わせて、ライズは涙を溢れさせた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
 何度も頷きながら謝り続けるライズをどうしたものかと眺めていると、背後から大声があがる。
「ライズ!」
 豊かな髪を振り乱したサナーは、状況を見ると眉を吊り上げた。
「あんた何やってるのよ!?」
「おぉ、悪い」
 ほれ、とジャドがライズを胸倉を掴んだまま差し出してやると、駆けつけたサナーはそれを引ったくり、頭を掻き抱いて崩れ落ちた。
「痛、痛いよ、サナー」
「良かった……本当に」
 人目を憚らずに涙するその姿にジャドが肩を下ろしていると、フィランとオーヴィンも続いて駆け寄ってきた。
「ジャド!」
「よぉ、こっちは終わってんぜ」
「そのようですが、ご当主を見ませんでしたか?」
「アァ?」
 フィランは焦燥にかられた様子で森の奥に目をやる。
「全く、ぶちかますだけぶちかましておいて、一人で何処まで行ったんだか」
 そのとき、大地を激震させるかのような咆哮が響き渡った。
「……」
「……」
「……」
 三人の配下たちはそれぞれ意味ありげに視線を交わし、力なくかぶりを振った。
「な、何……? 奴らの根城の方からだわよ、今の」
「とりあえず行ってみますか」
「仕方ないなあ」
 心棒の外れた荷車のような胡乱さで、配下たちは盗賊を縛り上げ、のろのろと音の方向へと向かう。
「ちょ、どういうことよ?」
 ライズを腕に抱いたまま、サナーが不安そうに辺りを見回す。恐ろしい魔物の雄たけびを聞いたなら、これが一般的な反応であろう。
「あぁ、気にすんな」
 ジャドは鷲のように逆立てた髪を撫で付けると、僅かに振り剥いて告げたのであった。
「……うちの邪神の仕業だ」


 ***


 彼らのいた場所は思いがけず根城から近かったようで、歩けばすぐに辿りつくことができた。
 その様を見て、フィランは虚ろに目を逸らし、オーヴィンは掌で目頭を覆い、ジャドは「あー」と意味を成さぬ音列を漏らしながら頭をかく。想像が目の前に現実化していることを、彼らなりに誤魔化そうとしているのであった。
 しかし噴煙を上げて壊滅を呈す木造の家屋、目を剥くトージの手の者たち。そして濛々と巻き上がる砂煙の中、ゆらりと巨大な魔物が立ち上がるそれは確かな現実。その上に堂々と立つは神にも見紛う一人の偉丈夫。
「皆の衆、宴だ」
 朗々と響く声に続いて禍々しい笑い声。これを邪神の哄笑と呼ばずに何と呼ぼう。壊れた建物からばらばらと逃げ出す無頼どもを眼下に、ギルグランスは高々と告げるのであった。
「進めぇッ!」
「だー、もう!?」
 即座に反応できたのは勿論ベルナーデ家の配下たちだ。彼らにとっては慣れすぎた状況なのである。
「フィラン、左から回り込め! ジャドは右から勝手口を押さえろ! 他の者は私に続け!」
 本来であれば入り口を突破するところから始めなければならなかったが、魔物の体当たりによって家屋の半分が踏み潰されたのでその必要もないのである。家屋に立てこもっていた連中は戦意を喪失する者と逃げ出す者とで混沌の呈だ。
「あぁ、くそ」
 当主の指示通り走りこむジャドは、悪態をつきながらも妙な気分であった。ちらりと顔をあげると、魔物の上の当主と目が合う。当主はこちらを試すように笑う。体が妙に軽い。歯列の間から笑みが込み上げてくる。
「バカみてぇだ」
 肘ほどの長さの剣を抜き払う。大地を蹴って進み、疾走の風に包まれて、ジャドは深く息を吸った。
「本ッ当に、散々もいいところだぜ!」
 当主は愉しげに笑い、長剣で魔物の触手を切り落とす。すると魔物は更に激情に身を滾らせ、建物の破壊に走る。そして当主は勝利を宣言するかのように、口元を歪めたのであった。

「安心しろ。――今宵は鍋だ」




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