-黄金の庭に告ぐ- <第一部>9話:運命の悪戯への私的見解とその対策 08.狩猟祭-1 夜明けの女神が真紅の扉を開いて光を差し掛ける早朝、フィランとオーヴィンはヴェルスの旧市街を訪ねていた。 建物が密集しているこの地区は道が狭く、朝の活気の中では僅かな先ですら見通せないほどだ。しかも今日は狩猟祭、人通りは普段に増して華やかだ。 「よく道が分かりますね」 のっそりと、しかし淀みない足取りで進むオーヴィンに、後続するフィランが感心したように言う。 「んん。まあ、何年も歩いてるからなあ」 オーヴィンはとぼけた様子で頭をかいた。彼は五年前の荒廃したヴェルスの旧市街に派遣され、無頼どもの終わりなき抗争に終止符を打った男でもあるのだ。旧市街の住民たちの多くがオーヴィンを見ると無言で敬意を払うように道を避けたり会釈するのを見て、フィランは素直に感銘を受けるのであった。 二人が向かう先は旧市街の外れにある一際巨大な家屋である。古ぼけた板張りは所々朽ちており、一見すると時代から取り残された宿屋にしか見えない。しかし軒先にたむろするのは頭を刈り上げた大男であったり、剃刀のような目つきをした用心棒であったりと、とても一般人が立ち寄る空気ではなかった。 「どーも」 フィランが一人であれば絶対に近寄ることのないその宿に、オーヴィンは軽食を食べにいく気軽さで近付き、入り口の爺さんに銅貨を渡すと、トントンとその掌を指で叩いた。世の影に生きる者に通じた挨拶の仕方だ。爺さんはニヤっと笑い、銅貨を懐に仕舞いながらオーヴィンから目を離す。オーヴィンはフィランに目配せをして、中に踏み込んだ。 「ぅ……わぁ」 入ってすぐフィランが控えめに上げた感嘆の声は、決して壮麗な内装に圧倒されたものではない。 一階の酒場は宴の後特有の退廃した空気が蔓延する只中にあった。鼻をつまみたくなる濃い酒と汗の臭い。卓の料理はことごとく喰い散らかされ、床に零れた酒は始末されておらず、ある者は寝転がり、ある者は未だちびちびと酒を舐めている。卓に突っ伏して寝ていた半裸の娼婦が物音に反応して起き上がり、気だるそうに階上へと引き上げていく。狩猟祭の前夜というのもあったのだろうが、その狂騒を伺わせる様は、彼らの行き付けである雲雀亭など足元にも及ばない。 「あーあー、相変わらずだねえ」 オーヴィンは呆れたようにぼりぼりと頭をかくと、奥の席で話し込む男たちの方に足を向けた。その内の一人が、冷静に手をあげて挨拶する。 「オーヴィン、来たか。今日も良い朝だな」 「……俺には呪われそうな朝に見えるよ、トージ」 「なんだ、新しい冗談か?」 肩をすくめるトージは、左目に走る傷を除けばとても無頼には見えない小柄な若者だ。しかし後ろに控える筋肉隆々の大男と行きずりに刺してきそうな目つきの男との対比が、その無表情を空恐ろしいものにしている。冴えない学者といった容貌と裏腹に、この若者こそがヴェルスの無頼の元締めでもあるのだ。 「適当に座るといい。ディア、酒を持ってきてくれ」 「ありがとうございます、ただ酒でなく水で」 さりげなく訂正しながらフィランとオーヴィンはトージの向かいに腰掛けた。 「それで、連中に動きがないってのは本当か?」 早速オーヴィンが話を切り出すと、トージは是を示して難しげに腕を込んだ。 昨日ジャドがその辺をほっつき歩いていた間、フィランはオーヴィンに協力して貰い、モライド商会の帳簿が盗まれた件について調べていたのだ。そんなとき、モライド商会が今日の昼間に貴金属などの高価な商品をヴェルスに運び込む予定だという情報がトージ経由で齎されたのであった。 帳簿にもその情報は漏れなく載っているに違いない。ならば街道の途中で襲撃するまたとない機会である。しかも狩猟祭を控え、普段は立ち入りを禁じられたフェガンドの森も解放されている。街道沿いに鬱蒼と茂るフェガンドの森は、彼らにとって最上の隠れ蓑となろう。 問題は誰が帳簿を盗んだかである。 フィランはライズと直接顔を合わせているが、彼が一人でこの暴挙を決意したとは考えていなかった。必ず裏に糸を引いている者がいるはずだ。そんなとき、フェガンドの森に居を構える一団の話が彼らの話題に上った。ごく最近、近隣の都市から流れてきた盗賊団が森の外れに住み着いているのだそうだ。 そこで、トージの手の者がその盗賊団を被疑者として見張っていたのだが、大した動きはなかったのだという。 そのとき、入り口から別の声があった。 「こっちも妙なほど落ち着いてるぜ」 今しがた店の敷居を跨いだ中年の男が、くたびれた様子で頭をかく。その顔に見覚えがあって、フィランは声をあげた。 「あれ、あなたあの時の……!」 「よぉ、兄ちゃん。この前は店に来てくれてありがとな」 手を上げながら話の輪に入ってきたのは、少し前に公衆浴場で出会った串焼き屋のモーレンであった。あの時の縁で、フィランは彼の店に顔を出したことがあったのだ。――が。 「なんだ。知り合いか」 トージが意外そうに眉をあげる。この男と懇意ということは、つまり。 「……あなたもそっち方面の人でしたか」 ジト目で問うフィランを見て、モーレンは豪快に笑った。 「ははは。ちと運び屋をな。なに、この都市の連中は大体こんなだぜ」 五年前まで魔都の様相を呈していたヴェルスにおいて、今でもそういった裏の顔を持つ者は少なくないのだ。モーレンは徹夜明けのようで、大仰な欠伸をしてから事の次第を話した。 「うちの界隈を見張ってたがよ。ヴェルスの運び屋一同、昨日と今日じゃ表裏関係なく変わりないぜ。帳簿の情報なんざこれっぽっちも出てきやしねぇし、妙な動きをしてる奴もいない」 「ゴモドゥスの方も変わりないか」 オーヴィンの発言に、トージは深刻そうに頷いた。 「ああ。相変わらず行方不明だ」 「根城の方は酷い有様だぜ。ありゃあ近いうちに自滅する雰囲気だ」 モーレンが首を振って言い添える。ゴモドゥスが突如姿を消したのは数日前のことで、その原因はゴモドゥスの手下でさえ知らないようなのだ。何かと悪事を企む連中だが、そのような状態で今回の件に関わっているとも思えない。 「帳簿の情報が失われたか、奪われたか……。誰も動かないというのは、どうにもおかしい」 トージが呟くと、卓を囲んだ男たちは、一様に考え込んだ。情報とは鮮度が重要だ。帳簿を盗まれたモライド商会とて馬鹿ではない。商品出荷の予定変更や取引先への根回し等、対策に尽力する筈である。そんな中、今日の午後を予定している貴重な商品の運搬のみ納期の関係で取り消せなかったのだ。ならば、運び屋を雇って襲撃し、戦利品を運ばせない手はない筈なのに――。 「仕方ないな」 トージは鼻から息を抜いて、今日の夕飯を決める軽やかさで告げたのであった。 「とりあえず、奴らを潰そう。一々目障りだ」 *** 真新しい武具で身を固めたレティオは、馬上で形の良い眉を潜めた。 「本当に帳簿を盗んだ輩がフェガンドの森に潜んでいるのか?」 「まだ可能性でしかありませんが」 同じく馬上のフィランが、目を眇めて深い森を見つめる。 「妙な真似事を企んでいないか、確かめる必要があるということです」 「そもそも何故森などに拠点を置く? 普通は都市の内部に置くだろう」 「そりゃ都市内はトージの支配下にあるからなあ」 後ろからオーヴィンが口を挟む。 「賊にも上下関係があるからな。あいつは元締めとして、弁えた賊しか都市に入れない。勝手な連中が入ろうもんなら――トージもああ見えて、やる時は凶暴だよ」 トージ本人の発言を実際に耳にしたフィランは、無言で遠い目をした。フィランとて、盗みで生計を立てる者に生きる資格はないと思っているが、あそこまでアッサリと殲滅を決めるとは。 「つまり、それだけフェガンドの森に潜む者は悪辣ということか」 「ええ。ですからこの狩猟祭に乗じて『調査』しに行くんです」 先ほどの会合で、『今日は狩猟祭なんだから、魔物もろとも狩ればいい』と殺る気満々のトージを、フィランはオーヴィンと二人がかりで宥めたのであった。狩猟祭の横で無頼どもの抗争が起きた様子など想像もしたくない。 『とりあえず、殲滅は連中の動きを見てからにしましょう。少なくとも例の商隊が都市についてからで』 問題の商品がフェガンドの森の周辺を通るのは正午。こちらは慎重に様子を見ることとし、代わりに魔物狩りのついでとして賊の様子を探ってくることになったのだ。彼らが商隊を襲う気であれば、そこで止めれば良い。もし都市側で動きがあった場合には、トージとモーレンから屋敷の当主に連絡をつけてもらう手筈とした。 ちなみに、そうと決まった朝のベルナーデ家中庭では当主と配下の間で下記のようなやりとりが交わされた。 「冗談ではないぞ!? なぜ私が留守番などしなくてはならない!?」 「ワガママ言うんじゃありません! 大御所なんですから、じっとしててくださいよ!?」 「くそ、この日の為に折角剣を研いでおいたというのに。貴様の首でも狩って慰みにすれば良いのか? そういうことか!?」 「あーもう、ですから商隊が無事に到着したら好きなだけ狩ってきてくださいよ!?」 「こなくそー!?」 不機嫌を露にする当主であったが、トージたちから情報が齎されればすぐに動かなければならないし、何より懇意の商隊が襲われたときに当主が呑気に魔物狩りに興じていましたというのは流石に呈が悪い。よって、狩猟祭を心待ちにしていた当主は渋々屋敷に残る羽目になったのであった。 「ところでフィラン、昨日の怪我はもう大丈夫なのか?」 「この程度、怪我の内にも入らないです」 憮然と口を尖らせたフィランは、怪我を負わせた張本人への苛立ちを露にした。 「全く、あの人ときたら。こんな大変なときに、待ち合わせにも来ないで」 「んん。昨日の今日で顔合わせろってのも気まずくないか?」 「何を言ってるんです。任務の前じゃその程度の感情なんて殺せて当然でしょうが」 醒めた口ぶりで語るフィランを前に、オーヴィンはやれやれと首を振った。 今でこそ開拓が進んだものだが、ヴェルスが興る以前、この辺りは一面の森林地帯だった。農園と都市の建築によって崩された森は、しかし未だにその一部をフェガンドの森という名に変えて残っている。そんな立ち入りを禁じられた魔物の巣窟は、狩猟祭でのみその門戸を開くのであった。 「……また気味の悪いところですね」 馬を下りて森に分け入ったフィランは、濃密な香りに顔をしかめる。魔物が多く現れそうな匂いだ。月の女神イェーナの神殿では早朝から鹿が生贄に捧げられ、狩猟祭の開始が宣言されている。周辺には、武装した男たちが獲物を求めてたむろしているようであった。 「行くぞ。オーヴィン、先導を」 「はいよ、了解。戦闘はなるべく避けてくよ」 「分かっている」 トージから予め根城の位置を聞き及んでいるオーヴィンは、太陽の方角を確認してから獣道を進みだす。レティオは狩りに集中できないことにやや不服そうだが、貴族の責務は弁えているらしい。わざと魔物の気配を避けて進むことに文句はないようだった。 しかし、この深い密林ではオーヴィンの索敵能力にも限界がある。 ぐるるる、と低い唸り声が聞こえた瞬間、三名は身を翻して周囲に散った。寸刻遅れて、天地をも震撼させるような地響きが鳴り渡る。 「んな!?」 木の枝に引っ掛けないように注意して槍を構えたフィランは、襲ってきた魔物を見てぞっと血の気を飛ばした。 「で、でででででっ!?」 歴戦練磨の軍務経験者とて、ビビることもある。――象のように巨大な魔物が頭部から二本の角を突き出して無数の目を光らせ、人どころか小型の戦車ならまるごと飲み込めてしまえそうな中央部の孔から咆哮してくれたなら。 「でかい!? こんなの見たことないですよ!?」 「いや、だからこの森は普段封鎖されてるんだよ」 「どうなってんですかこの都市!?」 「うろたえるな。交戦は避けて目的地に急ぐぞ」 オーヴィン、とレティオが短く呼ぶと、オーヴィンは詠唱を始めた。 「――精霊の御名において」 結ばれた術式が力を成し、青い光がその指先に集まった瞬間、弓矢のように放たれる。それは魔物の頭上を掠め、後方の木々を潜り抜けて大岩に衝突し、凄まじい轟音をあげた。 その音を聞いて、魔物は興奮したように咆哮をあげると、体を翻して砕けた大岩の方に向かう。くい、と指を曲げて先に行く合図をするオーヴィンに、二人は小さく頷いて続いた。 「あれは縄張り意識が強い魔物だ。ああやって別の固体が侵入したと思わせれば気を逸らせる」 「よく知ってますね」 「……狩猟祭の度にここで親父と過ごしてれば嫌でも分かるよ。そういやあの種類のは去年狩ろうとして結局無理だったんだっけなあ」 遠い目で語るオーヴィンである。 「とにかくここはもう連中の根城に近いから、慎重に――」 途端、女の悲鳴が聞こえ、男たちは顔を見合わせた。 *** 全身を氷のように冷たくしながら疾走するサナーは、追っ手との距離がみるみる縮まっていくのを振り返らずとも感じていた。自分は元から走るのがそう得意ではないのだ。 「んの、アマッ!」 「きゃっ!?」 思いがけず至近距離で叫ばれ、途端に引き倒される。長い髪を捕まれたサナーは、仰向きにされて追っ手の顔をその目に映した。まるで鹿を追う狼のように興奮した醜悪な顔だった。 「ったく、手間かけさせてくれやがって。どうせ旦那と二人で仲良くあの世行きってのになァ?」 「……ぐっ」 喉を絞められて苦悶に頬を歪めると、男の眼差しに好奇が浮かんだ。その手が服を剥ごうとすると、サナーはかっと顔に血を上らせる。 「っ!?」 唾を吐きかけられた男は、みるみる顔を赤黒くさせて腕を振り上げた。 「ちょっくら躾が足りないみたいだな!?」 「……っ!」 最後まで目は閉じるものかと歯を食いしばったその瞬間、ドッ、と鈍い衝撃が走る。 「え」 視界が瞬時に明るくなる。血の線がなびいて、ぴしゃっと胸の上に落ちる。 「朝っぱらから悪趣味に興じるんじゃありませんよ、外道!」 脇腹から心臓に向けて一突きに槍を繰り出した若者は、死体に足をかけて槍を引き抜き、血糊を振り払った。 「すみませんね、あなたの幼馴染じゃなくて」 ちらっと金の目を向けて告げると、若者は腰を落として槍を横に構え、追随する者の迎撃に向かう。それは本物の命のやり取りを知る軍人の動きだ。オーヴィンが素早く援護に続き、駆け寄ってきたレティオがサナーを助け起こす。 「怪我はないか、ご婦人」 「……え、ええ」 一目で貴族と分かる装束を着た少年は、混乱するサナーの背を支えながら口早に告げた。 「追っ手は倒す。私から離れるな」 「あ――」 レティオの上衣の止め具に刻まれた一角獣の家紋に、サナーははっとする。ベルナーデ家の人。理解した瞬間、サナーはそれまでの恐怖を思い出したように蒼白になった。 「助けて」 「分かっている。だから安心すると――」 「ライズを、夫を助けてっ!」 立ち上がることを拒んで、サナーは頭を地に伏せてレティオに懇願した。 「あの人、帳簿を勝手に何処かに隠したらしくてっ、昨晩奴らに捕まって、あたしは助けようと思ったんだけど、それで、それでっ!」 「ま、待て。落ち着いて話を」 してくれ、とレティオは言いかけて、はっと顔をあげた。その頬から血の気を吹き飛ばさせながら、レティオは巨木の合間からこちらを覗く魔物と視線を通わせる。 「来い!」 レティオは一瞬で判断を下した。サナーの腕を無理矢理引っ張り上げ、踵を返して走り出す。すると、先ほどの魔物は巨木をめきめきと割って前進する。 フィランは残る二人の盗賊どもを追いながら、見えない状況に歯噛みしていた。 この森を隠れ蓑とする盗賊が帳簿を盗んだ黒幕だったとして、サナーがこの森にいることはそう驚くに値しない。しかし、ならば何故彼女がその盗賊に追われているのか。 とにかく戦闘を長引かせて増援を呼ばれるとまずい。さっさと盗賊どもをしとめ、サナーに話を聞かなければ。 「フィラン、下がれ!」 「えっ」 オーヴィンの鋭い警鐘を聞き、フィランは反射的に飛びのく。瞬間、耳が割れるような破裂音と共に飛び込んできた巨大な魔物がフィランの目の前を横切った。先ほどの魔物だ。密林の中にあって、岩の一つに全身を叩きつけて停止するものの、禍々しい雄たけびを上げて触手を振り上げている。哀れな盗賊たちは、その魔物の進路にいたため、踏み潰されて目を背けたくなるような死に様を晒した。 フィランは眉を潜めながらも魔物と向き合う。魔物は向きを変えて牙を剥き、敵意を露にしている。その先にはレティオとサナーがいた。襲われたのだろう、レティオは剣を抜いて魔物の動きを牽制している。 魔物を振り切るか、撃破するか。考える間に、フィランは不意におかしな匂いを嗅ぎ取った。自然界ではありえない、人為的な香の匂いだ。オーヴィンやレティオも気付いたらしく、張り詰めた意識を周囲にやっている。 すると、驚いたことにそれまで唸り声を上げていた魔物の声が揺らぎ、毛に覆われた触手がへたりと地についた。 「な……」 フィランの眼前で、みるみる魔物は力を失っていく。その術は、フィランたちベルナーデ家の者にとって因縁深すぎるものだった。 「きっ、気をつけて! 奴らが近くにいるわ」 震える声でサナーが喚呼する。 「待て、お前を追っていた者たちは――」 「レティオ、警戒を!」 サナーに気を取られたレティオを庇うようにフィランが駆け寄り、槍を構える。オーヴィンも猫のように走るとレティオの背後に身を屈め、いつでも魔法を紡げるように緊張を張り巡らせる。配下たちの只ならぬ様子に、レティオは言いようのない不安にかられた。 「な、何が起きている」 「囲まれています」 「っ?」 フィランの短い返答に、レティオは眉を跳ね上げた。同時に、魔物の背後から無頼の者たちが舌なめずりをしながら姿を現す。 「あーあー、こりゃ大当たりだ。トージの奴を連れてくるんだった」 ぼやきながらオーヴィンは背面から近付く敵に、気付いているよという風に牽制の視線をやった。 「ガルダ人……ではなさそうですね」 フィランの呟きに、オーヴィンが小さく返答する。 「あぁ、近隣から流れてきた賊ってのに違いない」 二人の密談を他所に、正面に立った頭領らしき盗賊は大仰にせせら笑った。 「これは、思わぬ獲物が引っかかったな。貴族の坊ちゃんか、良い値がつきそうだ」 残忍な光を目に宿し、剣を引き抜きながら前に進み出る。すると、サナーが憎悪を露に声を張り上げた。 「あんた、絶対に許さないわ! ライズは生きてるんでしょうね!?」 「許さない?」 ぴくりと、それまで傲岸に笑っていた盗賊は、眦を吊り上げて凶悪な怒りを露にした。 「許さねぇのはテメェだ、サナー! 裏切りやがったその顔の皮を剥いでやろうか!」 「あ、あたしは裏切ってなんかないわ! ライズが……っ」 「ハッ、罪を夫に被せるたァ随分なタマだな? なあ、聞いたか?」 盗賊が仲間に合図すると、彼らの一人が縄に縛られた男を引きずりだす。ぼろ着れのようなその姿を見て、サナーは悲鳴のように叫んだ。 「ライズ!」 駆け寄ろうとしたサナーを、レティオが慌てて押さえる。拷問を受けたのだろう、血まみれになったライズは意識が混濁しているようで、ぼんやりと視線を虚ろに彷徨わせている。 「クク、これを見せればテメェも大人しくなるかと思ってよ、サナー。どうだ? 自分の夫がクソみたいになった姿は」 フィランはそれを見て、気分が悪そうに目を細めた。 「これはまた胸糞の悪い方々ですね。モラルド商会の帳簿は仲良く分け合えなかったんですか?」 「へっ。獲物の小鹿は黙っててもらおうか。これは仲間内の裏切りの制裁だからよ」 「仲間ですって?」 フィランは槍を構えたまま冷たく笑った。 「そこであなたの配下が無残に死に晒しているのに、顔色一つ変えない時点で下種の集まりであることは明白でしょうが」 「おーいフィラン、挑発は程々にしてくれーい」 オーヴィンの虚しい制止を他所に、ぴくぴくと盗賊のこめかみに青筋が浮かぶ。 「決めた。テメェから先に皮ァ剥いでやる。コイツからは剥ぎたくても剥げなかったんでよ……!」 「何があったんだ?」 オーヴィンがサナーに問うと、サナーは硬く目を閉じて首を振った。 「ライズが、盗んだ帳簿を何処かに隠しちゃったのよ。それで一人で捕まって……」 「えぇ?」 「ライズ、お願い、もうやめて! 帳簿の在り処を言ってよ! じゃないと、本当に殺されちゃう!」 妻の声に反応して、ライズがゆるゆると面を上げる。 「サナー……?」 「どうしてこんなことするの? 帳簿をそいつらに渡して金を貰うだけで良かったじゃない。何があったの? ねぇ、教えてよ!」 悲痛なサナーの訴えに、ライズは殴打され続けて腫れ上がった顔を、悲しげに歪めた。その背に、盗賊が足を振り下ろす。ライズは呻きをあげ、苦悶に頭を下げる。 「ほら、テメェの可愛い嫁も言ってるじゃねぇか。さっさと吐いちまいな。そうすりゃ楽にしてやるぜ」 不安定な呼気を繰り返しながら、ライズは掠れた声で返した。 「……めだ」 「あぁ?」 「だめだ、そんなの……」 見えない糸に縋るように、ライズは繰り返す。サナーは見ていられないというように首を振った。 「何言ってるのよ! 今までも同じことをしてきたでしょ? たかが帳簿一冊、こいつらに渡ったって、どうってことないじゃない!」 「ちがう!」 思いがけぬ覇気を孕んだ声にサナーは怯む。 「僕は聞いたんだ。こいつらは盗みの為に帳簿を盗んだんじゃない――っ!」 ガッ、と鈍い音がした。下から蹴り上げられたライズは、そのまま胸倉を持ち上げられた。 「テメェ、聞いてたのか……?」 盗賊の目に浮かぶ焦燥を無視して、ライズは叫び続ける。 「こいつらは商会の荷物に紛れさせてヴェルスに危険なものを持ち込もうとしてた! 魔物を操る術だって、変な奴らに教わって――うぁあっ!」 「ライズ!」 膝蹴りを腹に打ち込まれたライズは、激痛のあまり暫し言葉を失う。盗賊は度を越した怒りに狂ったような笑みを浮かべ、崩れ落ちたライズを見下ろした。 「それを知っちゃあ、生かしちゃいけねぇな?」 「や、やめて!」 サナーは目尻に涙を浮かべて、レティオの腕を振り払おうとする。しかし少年はそれを許さず、彼女は激情を叫ぶことしか出来ない。 「どうしてよ!? こいつらの目的なんてあたしたちに関係ないでしょ!? こんな都市がどうなったっていいじゃない!」 「……ぅ、だって」 唇から血を垂らしながら、ライズは弱々しく起き上がり、サナーを見る。その大人しそうな目が、ふっと緩んで。 「ここには、サナーの幼馴染がいるでしょ」 殴られたように、サナーは停止する。その瞳が、驚愕に揺れて――。 「……は」 「サナーが何度も、泣きながら話してくれた大切な人なんだから。その人のいる都市を、危険に晒しちゃいけない」 サナーは口を開いた。しかし言葉は紡がれず、唇がわななくばかり。 「そこにいる皆さん、お願いです」 ライズは頭を垂れて、祈りを告げる。 「サナーを、守ってやってください」 それは、覚悟を決めた者の透徹な願い。 血と共に語られた懇願は、けれど野蛮な暴力によって塗りつぶされる。 「貴族は生け捕りにしろ! あとは殺せっ、残らずだ!!」 指令と共に、解放された獣性が鬨の声となり、ベルナーデ家の者に襲い掛かる。 舌打ちをしたフィランたちは、覚悟を決めて武具を手に迎撃しようとする。しかし残忍な笑みと共に押し寄せる盗賊たちとの人数差は埋めようもない――。 「……あぁあ。見てらんねぇな」 「うむ、全くだ」 Back |