-黄金の庭に告ぐ- <第一部>7話:少年と豊穣の巫女 04.中庭の乙女たち ヴェルスの守護神が祭られる豊穣の神殿の一室に、ふわふわと頼りない光が浮かんでいる。同時に、秘めやかな二つの声も。 「――全く君も物好きだな。無駄なことばかりして楽しいのかい?」 「昼寝ばっかしてるお前に言われたくねーよ」 「僕は動きたいときに動く。それだけだ」 「はぁー、分かんねぇな。こんなに楽しい遊び場だってのに」 「僕と君は違うということだよ。そもそも、君がこんな田舎町に寄り道しようなんて言い出すから面倒なんだ」 「だってな、お前も分かったろ。この都市の魔力がさ――」 七色の煌きを宿す四枚の羽根が、闇にひらひらと幻惑的な色彩を齎す。 そして、鼻から息を抜く音。 「別に僕たちに関係あることじゃないだろう」 「いいじゃねーか。また今日も活きのいい人間がきやがったし、からかったら絶対おもしれーぜ」 ししし、と悪戯っぽく笑う声。 「君のそういうところが僕にはさっぱり理解できない」 「なー、お前も一緒に来いよ」 「嫌だね。僕は特等席でも探して君の愚かなゲームを見守っていることにする」 「……捻くれた奴」 「それから、クロイス」 「うん?」 僅かな間、部屋はしんと静まり返った。 「一つ忠告しておこう。人間を見くびるな、とは言わない。僕らがあんな連中に遅れを取るわけがないからね。でも過ぎた慢心は自らを滅ぼすこともあるよ」 「へへっ。ルシェト、俺様はそんなヘマはしないよ」 暗がりの小部屋で、影は心を閉ざすように薄暗く告げた。 「そうかい。じゃあせいぜい楽しむといい」 *** レティオは足を止めて顔を横に向けた。壁の向こうから、少年の声が聞こえた気がしたのだ。 「……」 じっと耳を澄ますが、それ以上捉えられるものはなかった。空耳だったのだろうか。辺りをゆっくりと見回し、眉を潜める。 「あん? どうした」 振り向くジャドとフィランの視線を受け、レティオは壁に片手を這わせた。 「この向こうは何の部屋だ?」 「おっ、女官の声でもしたか――でっ!?」 思い切り足を踏みつけてやると、ジャドが悲鳴をあげる。 「てめぇ今本気で踏みやがったな!?」 「やめなさいジャド、大人げない。あなたもですよ、レティオ。いくら女性に興味があるからといってゴフッ!?」 回し蹴りを背中にくらわせ、フィランをその場に沈没させた。 「さっさと行くぞ」 スタスタとレティオは歩き出したが、曲がり角に差し掛かったところで人の気配を感じて足を止める。すると、ぬっと巨竜のように現れた人影がこちらを見て目を丸くした。 「あら、ベルナーデんとこの坊ちゃんじゃないかい! こんなところで何してんだい?」 その体格で他を圧倒し、機織で生計を立てるベラである。ジャドとフィランが、げっと顔を引きつらせた。大量の糸が盛られた籠を丸太のような手で持つ彼女は、叔父からは都市の最重要人物として聞き及んでいる。例え天地が割れようと彼女を敵にしてはならぬ、と。 「女神の名の元に挨拶を。――巫女の用命にて、神殿内の調査を行っています」 「あぁ? あれか、例の変なイタズラのことかい。それにしても勿体ぶった話し方するねえ、若いのに!」 ばちんと肩を叩かれて、その場に踏み留まるのに全力を費すレティオである。 「貴方こそ、何故ここに?」 「なんだいアンタ、貴族のくせしてそんなことも知らないのかい!?」 逆鱗に触れかかり、僅かに青褪めるレティオである。するとダリアが助け舟を出してくれた。 「神殿で手伝いをしていただいているのです。ベラさん、貴方の周りでは何かおかしいことはありませんでしたか?」 「なんだ、ダリアも一緒かい。話だけは色々聞くけどね。あぁ、アタシよりあの娘らの方が詳しいだろうよ、ついてきな」 「はい、お願いします」 ダリアはベルナーデ家の面々に目配せをして、階下の奥へと案内した。ジャドは訳知り顔だったが、ベラの手前で問い質すこともできず、レティオは不可解ながらも後に続いた。すると次第に喧しい女の声が聞こえてくる。中庭に出ると、眼前に広がる光景にレティオは瞠目した。 広い中庭は端から端までを日よけ用の天幕に覆われ、数十名の少女から老婆までが手作業に勤しんでいるのである。そこは聖所らしく彫像や池などで静かに整えられた一般的な中庭の面影がまるでない。代わりに糸紡ぎから機織、染物に刺繍、袋作りなどの道具がひしめき、水桶を運ぶ少女や出来上がり品を目踏みして歩く中年女たちが行き交う。途切れることのない会話と仕事歌に満たされた中庭は、初めて足を踏み入れる者を圧倒するに十分であった。 「こ、これは一体」 目を剥いているのはフィランも同じであった。するとダリアは少しだけ誇らしげに笑みを浮かべた。 「ナディア様のお力の賜物ですわ」 「ほらほら、新しい糸を持ってきたよ! 今日中に織り上げられなかったら承知しないからね! ああ、力を入れすぎだよ、それじゃあ端がよれちまう!」 ベラはずかずかと分け入り、機織機の前の娘たちに次々と糸を配る。仕上がった布を持ち上げて何事か言うと、作り主らしき少女が嬉しそうにはにかむ。誰かが囃したのか、続いて華やかな笑い声があがった。 「……この者たちは何をしているのだ?」 思わず率直な疑問を口にすると、ダリアは嬉しそうに答えた。 「彼女らは都市の貧しい家の女たちです。売ってお金になるものなら、何でも作っていますよ。毎日交代で市場に売りに行っているんです」 「何故そんなことを豊穣の神殿でやってるんです」 呆然としたフィランのそれは問いというより独り言に近い。ダリアは苦笑すると、眉を下げた。 「ヴェルスは少し前まで、働く場所にも困るほどの有様でしたから」 彼女曰く、腐敗した財政により貧窮に陥ったヴェルスでは、一時期は浮浪者が都市中に溢れるほどであったという。そんな時、ナディアは職のない女を神殿に集めて仕事を与えたのである。 初めは少数の慎ましい労働だったが、安全な場所で働くことができる上、賃金が不正なく払われるため、老若問わず貧しい女性たちはこぞって神殿に駆け込んだ。ナディアが受け入れなかった女性は一人もいなかったという。 無論、本国から与えられる神殿の運用費は決して多くない。そこでナディアは祭事を縮小し、自らの衣服や装飾を売り払って、彼女らが働くのに必要な機材を買い揃えた。そして自らの顔を使って貴族に掛け合い、市場への参入を成功させたのだという。 「あぁ、ちょっとあんたら! こっち来な!」 少女を何名か集めて事情を聞いていたベラに手招きされて近付くと、ベラは首を横に振ってみせた。 「直接この場所でイタズラされた子はいなさそうだよ。お前たち、そうだね?」 集まっていた三人の少女は深く頷いて見せた。 「当たり前だよ、商品に手を出されてたらこんな冷静にしてられないし。まあ、夕方に地下から変な声が聞こえたときは気味悪かったけどね?」 「壁のらくがきも面白い柄だったしねー。案外、近所の子供でも入り込んでるんじゃないの?」 「でも司祭のハゲジジイは持った壷がモモラに化けたらしいよ。悲鳴あげて壷落として割っちゃったんだって。いい気味よね!」 無邪気な笑い声がさんざめく。それを聞いて、レティオは顎に手をやった。巫女の話と合わせても、子供じみた悪戯をしているようにしか思えない。 そのとき、反対側の階上からナディアの声があがった。 「みんなー、おやつ持ってきたよー!」 ぎょっとして見上げると、階上の窓から身を乗り出したナディアが小さなパンの入った籠を得意げに掲げている。かと思うと後ろから慌てた女官たちに引きずり込まれ、ほどなくしてナディアは一階から中庭に現れた。女たちがにわかに色めき立ち、仕事の始末をして巫女を取り囲む。 「今日のは果物入りなの。おいしそうでしょー、ひとりひとつね!」 ナディアは女たちにパンを渡しながら、レティオに気付くとひらひらと手を振った。配り終えると、自分も同じものを取って休憩の輪の一つに入り、女たちと会話に花を咲かせる。 「……」 絶句しながら戸口に戻ると、戸柱にもたれかかったジャドがニヤリと口元を吊り上げた。 「な。だからここの巫女はすげぇって言ったろ」 「あの歳で大した娘っ子だよ。アタシの若い頃にそっくりだねえ」 ベラの発言の後半部分には、男たちは曖昧に頷くしかない。 「ベラ。貴方は行かないのか?」 「アタシはここで働いてるわけじゃないからね。たまに来て機織を教えてやってるのさ」 集めた織物を畳んでやりながら、ベラはふふっと笑った。 「初めは巫女が直々にアタシん家に来て、力を貸してくれって頭を下げたんだ。巫女が直接だよ、信じられるかい。ここの子たちがいい子なのは、きっと巫女がいい子だからだろうね。いつもああやって飯を食ったり歌ったりしてるよ」 「……そうなのか」 レティオはベラの話に驚きながらも微かな悔しさを覚えた。彼女の行いは、まさに貴族以上だ。女性の身で、何故ここまでのことが出来るのだろう。 「えっ、あそこの人たちベルナーデ家の人なんですか?」 「そうなのよー! 特にあの赤毛の子、可愛いでしょー!? ギルグランス様の甥っ子さんなんだって。わたし、もう気に入っちゃって」 「そうですか? ちょっと怖そうじゃないですか。私、ギルグランス様の方が優しくて好みです」 「あれはあれでいいわよー、むしろ眉間に皺寄せてるところに胸がときめくっていうか!? 良くない、眉間の皺!?」 「もう、巫女様ったら!」 ……本当に、何故ここまでのことが出来るのだろうか。 頭痛を覚えながら周囲を見やると、フィランもこの世あらざるものを見る眼差しを女性たちに向けていた。 「驚きました。巫女が機織をする話ならよく聞きますが」 「ええ、ナディア様はあれで交渉事が得意ですから。逆に手作業は見ていられませんよ。布を織らせれば蜘蛛の巣、刺繍は血みどろです」 ダリアがにこやかに言う辺り、相当なのだろう。すると不意にダリアは眉を曇らせた。 「……でも、もうすぐこの作業場がなくなってしまうかもしれないんです」 「どういうことだ?」 「エウアネーモス様に、作業場を移すよう勧められているのです」 ベルナーデ家の者たちは、それぞれ眉をあげてダリアを見た。 「商会のつてで、もっと立派な建物を斡旋してくださるそうです。中庭では作業場として手狭になってしまって、収入が伸び悩んでいるのは確かですわ。だから、場所を変えればもっと沢山の品を作ることが出来るかもしれないのです」 賑やかな女たちの休憩時間を見守りながら、ダリアは溜息をついた。女の作業場所が神殿内から移るということは、ナディアからも離れることを意味するのだ。 「ナディア様の巫女としての任期もあと四年か五年です。次の巫女が同じ考えを持つとは限りませんし、活気がある内に独立させた方が良いのは分かっているのですが……」 「先ほどエウアネーモス卿が言っていたのは、その件か」 ダリアはこくりと頷いた。 「やめとけ。あん野郎、汚ぇ商売もやってっから女だけじゃ危ねぇぜ」 「そうだ。せめて別の商会を頼った方が良い」 「私もナディア様もそう考えてはいるのですが、色々と親切にしてくださるものですから、無下に断ることもできないのです」 「嫌な手合いですね。厚意を押し付けて強請っているんじゃないですか。今回の件で勢いづかせたら、もっとまずいですよ」 フィランの意見は辛辣であったが、レティオも異存はなかった。妖精を捕まえて功を立てれば、エウアネーモスは更に強気で巫女にこの件を迫るだろう。 ふと頭に浮かんだ疑念に眉をしかめたその時、神殿らしからぬ慌てた足音が立った。振り向くと、気の弱そうな女官が泣き出しそうな顔でダリアの元に駆け込んでくる。 「ダリア様、よろしいですか」 二三言耳打ちをされると、ダリアはさっと顔色を変えた。 「申し訳ありません、こちらでお待ちを」 ベルナーデ家の反応も見ずにナディアの元に走り寄ると、同じように小声でいくつか囁く。するとナディアは瞠目して立ち上がり、錫杖を取って駆け出した。 「なんだァ?」 それまで暇そうに戸口にもたれかかっていたジャドが怪訝そうに体を起こす。レティオは僅かに迷ったが、縮こまっている女官に尋ねた。女官は唇を震わせながら、小声で告げた。 「そ、それが、入り口の方に怖い男の人が沢山来て、巫女様に会いに来たって言っているんです」 *** 「よぉ、巫女さん。久しぶりだな」 「ゴモドゥス! これは一体どういうことですか」 壮麗な女神の織物が垂れ下がった参拝堂に踏み込むと、この場に似つかわしくない無頼の男たちが十名ほど、視界に飛び込んできた。土くれのついた足で遠慮なく敷物を踏みつけて、美しい神殿の装飾に欲望の眼差しを向ける彼らを前に、一般の参拝者は姿を消してしまったようだ。代わりにナディアとダリアが険しい顔で向き合っている。 獅子のように髪を逆立てたとりわけ大柄な男がゴモドゥスだ。彼は数年前まで都市の暗部で幅を利かせていた無頼者で、人々からも疎まれている。今はトージが元締めとして都市の暗部を取り仕切っているが、その座を虎視眈々と狙っているとも言われていた。ルディの件で揉めたときも、ラドルはゴモドゥスの庇護の下で動いていたのだ。 「あん野郎、何やってやがる……!」 「待て。抑えろ」 今にも飛び掛っていきそうなジャドを制す間にも、ナディアは黄金の錫杖を立てて告げた。 「用向きはここで聞きます。お願いです、弁えてください。あなた方がいると他の方が怖がるんです」 本来であれば一般者には顔すら見せない豊穣の巫女の懇願に、はっとゴムドゥスは侮蔑を含んだ笑みを漏らした。 「そりゃあ悲しいね。別に俺たちぁあんたらの飯事をどうこうしようなんて思ってねぇよ」 「飯事ですって」 聞き捨てならない放言にダリアが眉を潜める。 「気にしたか? 悪いな、しかしこう悪者扱いされると俺だって傷つくんだぜ。折角いいもん持ってきてやったのに」 ゴムドゥスが合図をすると、手下の一人が大きな荷物を下ろす。覆い布を剥ぎ取ると、中から禍々しい檻が現れ、ナディアは僅かに怯んだ。 「これは……エウアネーモス様が手配したものですか」 「ああ、頼まれてな。だが驚くのは早ぇぜ。中、見てみろよ」 腰の高さほどの檻を指し示され、ナディアは恐る恐る中を覗きこみ、瞠目した。 「妖精……! あなた、これを何処で!?」 その呟きに、ベルナーデ家の者たちは互いに顔を見合わせた。 「そういうこった。こいつ、入り口の女神像の台座で倒れてたぜ? エウアネーモス様から巫女に協力するように言われたのに、全く、肩透かしだぜ」 ゴモドゥスは獣のように醜悪に笑い、巫女に詰め寄る。 「詳しく話してやるよ、巫女さん。奥への案内を頼めるかい?」 「ま、待ってください! ここは豊穣の女神ヴェーラメーラの聖地です。エウアネーモス様には後日改めて――」 「ベルナーデ家の犬は入れて、俺たち人間は駄目だって言うのか? 巫女さんよ、自分の立場を考えて物を言った方がいいぜ」 奥にいるこちらに下卑げた視線を投げながら、ゴムドゥスは口角を吊り上げる。ナディアがどの組織にも属さぬ中立でなければならない立場であるのは事実だ。返答に窮してナディアは唇を噛み締める。まさかエウアネーモスがこのような無頼を使ってくるとは思わなかったのだろう。 「で、ですが……」 「嫌われたもんだ。いいか、オレはアンタを助けたいんだよ。奥でこの妖精叩き起こして、一緒に詳しく話を聞こうや」 ゴムドゥスは巫女に顔を近づけて囁くと、ダリアが険しい眼差しで巫女の腕を引き寄せた。ゴムドゥスはハッと笑い、手下たちに告げた。 「よし、野郎共、仕事だ」 善良な人が見れば顔を顰めるだろう無頼の男たちは、巫女やダリアに好色の目を向けながらそれぞれ足を踏み出そうとする。 ナディアが今一度口を開こうとした瞬間、ごん、と場違いな音があった。 Back |