-黄金の庭に告ぐ- <第一部>7話:少年と豊穣の巫女 03.小さき賢者 妖精族。それは小さき賢者とも呼称され、古の記憶を伝える謎多き精霊の一種である。 森深くに分け入らねば見えぬ精霊と違って街中でも姿を現す彼らは、人に魔法を教え、太古の歴史を語るため、神の遣いとして敬われている。あるいは子供を魔物から守るという伝説から、一部の都市では幼子の守り神として守護を請う儀式が行われることもあった。 彼らの出自や正体については学者の間で活発に論議されているが、解明は進んでいない。学問の都リュケイアの学者は妖精が訪れる度に取り囲んで質問を浴びせるのだが、おっとりした彼らとの会話はいつもこんな感じだ。 「お前らは一体何処から来たんだ!?」 「遥かなところ」 「ハァ!?」 「海の向こうだよー」 「どの方角の海だ!?」 「えーと、こっち?」 「疑問系かよ!? そんな適当で故郷に帰るときはどうするんだ!」 「匂い」 「匂い!?」 「あとは雰囲気で」 「ふっ……」 ……と、脱力して崩れ落ちた学者は数知れず。大丈夫ー?、と当の妖精からのほほんと尋ねられれば、立ち上がれる者はそうはいない。 「妖精? わあっ。一度見てみたかったんだ、わたし」 ナディアは錫杖を握り締めて目を輝かせた。その隣でフィランがうーんと首を傾げる。 「でも、彼らがこんなあからさまなイタズラをするなんて聞いたことありませんよ」 「んだな」 呼ばれてやってきたジャドも状況を聞くと、深く頷いた。 「あいつらすっげぇ臆病だしチビだしピーピーうるせぇし、オレたちに喧嘩売る真似なんてまずしねぇよ」 「ジャド、お前は妖精を見たことがあるのか」 「子供の頃、故郷の村でな。羽根掴んだら泣いて逃げられたなぁ」 「ええっ、ずるいー! わたしも遊びたかったな」 ナディアが不満げに口を尖らせる。豊穣の巫女になる娘は、幼い頃にその資質を見抜かれると、すぐに親元から引き離されてリュケイアの『塔』と呼ばれる施設に幽閉され、徹底的な教育を受けることになっているのだ。ナディアの爛漫な様子を見るとそんな過去など想像できないが――フィランは僅かに目を伏せた。 「んでもヴェルスで妖精なんて見たことねぇぜ?」 「妖精族は争い事を嫌いますからね。ヴェルスにやってきたなら、都市の治安が回復した証拠でしょう。ご当主の努力の賜物かもしれません」 「へぇーっ。後でギルグランス様にお礼を言わなきゃいけないわね」 「すると、やはり分からないのはイタズラの理由ですね。何がしたいんでしょう?」 フィランが改めて首を捻ったその時、穏やかな声が一同の耳を打った。 「失礼。少々よろしいですかな」 振り向くと、浅黒い肌に髭を蓄えた恰幅の良い商人風の男が、丁度祭壇の間へと入ってくるところであった。狡猾そうな眼をしたその姿に、レティオははっとした。 「ちょ、ちょっと! 誰の許可を得てここまで入ってきたんですか!」 顔を強張らせたナディアが進み出ると、彼は動じずに笑った。 「これは、巫女殿。ご無礼はお詫びします。約束の時間を過ぎたもので、何かあったのではと思いましてな」 「えっ、あれ」 「ナディア様! 何処をうろいついていたんです、長いことお客様がお待ちで……あら?」 商人の後ろから入ってきた女官ダリアが、状況を見て気まずげに立ち尽くす。自らの非に気付いたナディアは、錫杖を持ち替えながら視線を泳がせた。 「ご、ごめんなさい。もうそんな時間だったのね」 商人は気を悪くした風もなく、穏やかに笑いかけた。 「とんでもないことで御座います。それより、先ほど妖精を見たと仰っていましたな。お役に立てるかもしれません、詳しくお聞かせいただけますか。――ああ、よろしければベルナーデ家の方々もご一緒に」 さらりと家名を出されたことに、レティオの頬に緊張が走る。思わぬところで開いた戦端に、しかしレティオはベルナーデ家の貴族として屈するわけにはいかなかった。商人に向き直ると、鷹揚に頷いて、剣戟を打ち返すように彼の名を口にした。 「分かった。同席しよう。エウアネーモス卿」 彼は成人したての少年が自らの顔を知っていたことに僅かに驚いたようだったが、すぐに笑みを浮かべ、手を胸に当てた。 *** 「はて、この都市に妖精が入り込んでいる――と。あなた方はそう思われているのですね?」 神殿の一室にて、恰幅の良い身体を座席に納めたエウアネーモスが、一同を見回して結論付ける。後ろに奴隷を侍らせて権威を誇示しつつも、その強かそうな顔からは真の表情を読むことは叶わない。 「それは少し困ったことになりましたな」 「困ったとは?」 叔父が最も危険視する相手を前に、レティオが慎重に問う。エウアネーモスは、僅かに首を振って続けた。 「妖精は本来我らに幸を齎す存在です。それが豊穣の神殿という神聖なる御所に災いを為している。これが真実であれば、不吉な兆候ではありませんかな」 先ほどのフィランとは反対の意見であったが、一理あると思いナディアに顔を向ける。 「巫女。妖精の恨みを買うようなことは?」 「ええっ。わたしは何もしてないと思うけど……ダリアは?」 ダリアは首を横に振りかけて、何かに思い当たったように目を瞬いた。 「そういえば、少し前にナディア様が寝ぼけて錫杖で豊穣の女神像を殴りました」 「……衝撃的なお話ですね」 虚ろな笑みを浮かべて返すフィランである。 「巫女の寝起きの悪さは筋金入りですから。信心深いお方なら、お怒りになるかもしれませんわ」 「つーか、人間は誰も腹立てなかったのかよ」 「ええ。我に返ったナディア様が大泣きして女神に土下座するお姿を見たら、なんだか笑いをこらえるのが難しいくらいで」 なんとも平和な豊穣の神殿である。 「だが書物に妖精は我々の神を崇めぬとあった。現実、奴らの振る舞いも女神に対して随分と不遜だ」 レティオの反論を聞くと、一同はそれもそうだと頷いた。 「タペストリに落書きがされていたんでしたっけ? 確かに信心深くはなさそうですね」 「ええ――そうですね、やはりナディア様に反感を持つお方なんて、そうはいないと思いますわ」 ダリアが結論付けると、エウアネーモスは愉快そうに笑った。 「ほっほ。巫女殿の前では誰もが毒気を抜かれますな。それでは早急に彼らから直接話を聞くしかありますまい」 「しかし妖精ははっきりと姿を現していない。こちらの呼びかけに応じるだろうか」 「我々に手立てがあります。先日入荷した商品でお役に立てるものかと」 「商品……ですか?」 怪訝そうなナディアを安心させるように、エウアネーモスは微笑みを向けた。 「左様。後ほど運ばせしょう。妖精を無害化する特別な檻です」 「お、檻って! もしかして捕まえる気なの?」 ナディアの声が険しくなる。非難の眼差しを受けて、エウアネーモスは重々しく頷いた。 「巫女殿の生活を脅かしたのなら当然のことでしょう。それに妙な噂が広まる前に事態を収拾せねば、お困りになるのは巫女殿の方では?」 言葉に詰まったナディアが、目を伏せる。 「それに、お力添えが叶った暁には、例のお話について改めて考えていただきたいのです」 「そ、それは……」 ナディアは膝の上で指を合わせ、表情を翳らせた。レティオが不審げな目を向けるが、エウアネーモスは無視して優しく微笑んだ。 「良いのです。巫女殿。ごゆっくりお考えください」 改めて遣いをやると約束したエウアネーモスが、その場を閉めようとしたとき、別の方向から声があがった。 「すみません、一つだけいいですか」 エウアネーモスは声の主である槍使いの若者を黒い目で見据えた。フィランはそっと目礼してから、念を押すように問いかけた。 「その檻とは、そんなに特別なものなのですか」 「ええ、無論です。リュケイアから輸入したものでして、魔力を一時的に封印する魔法陣が描かれておりますゆえ」 「中に入った妖精は、魔法が使えないということですね」 「左様です」 「……そうですか」 怪訝そうな仲間の視線を受けつつ、金の目を瞬いて若者は淡く頷いたのであった。 *** 「フィラン、何か気付いたのか」 階上の庭園に戻ってくると、レティオはフィランに問い質した。 「ええ。ちょっと解せないんですよね」 思い悩んだ様子のフィランはうーんと目を瞑った。 「ジャド。あなたは小さい頃に妖精の羽根を掴んだと言いましたよね。そのとき妖精はどうしました?」 「あぁ? ……んだな」 ジャドは干し果物をつまみながら、記憶を手繰って頷いた。 「そうだ。確か突然すげぇ光が見えたんだよ。それで驚いて手ぇ離しちまって」 「魔法を使われたんでしょうね。彼らは詠唱なく魔法を放つことが出来るそうですから」 それを聞いて、レティオがピンときたように顔をあげた。 「つまり、妖精を無力化することは難しいと?」 「んだがちょっとやそっと光ったくらいじゃ子供しか騙せねぇぜ」 「彼らの力はそんなものではない筈なんです。檻で掴まえるなんて、到底できるとは思えません」 「どういうこった?」 怪訝そうにする面々の前で、フィランは顔を歪め、言いにくそうに口をもたげたのであった。 「――実を言いますとね、僕も昔、妖精を捕まえようとしたことがあるんですよ」 それはまだフィランが生家で暮らしていた、六歳にも満たない頃のことだ。 一人で川遊びをしていたフィランは、そこで偶然妖精に出合った。温和で表情豊かな妖精を、フィランはすぐに好きになった。 しかしその妖精は夕暮れまで遊ぶと、彼が引き止めるにも関わらず姿を消してしまったのだ。翌日になって、小都市で妖精が目撃された話を聞くたびにフィランは駆けずり回ったが、結局再会することは叶わなかった。 妖精は人と交わっても、その心まで許すことは多くない。それは、百年足らずで死んでいく人間と幾百の時を越えると言われる妖精、双方の在り様があまりに違うからだ。 だがそんな理屈では子供の心は納得しない。フィランは自ら妖精を捕まえることにしたのである。 「まず都市中の聞き込みから始めました。そうしたらどうも川辺での目撃例が多くて」 興味深く耳を傾ける他四名を前に、フィランは淡々と続けた。 「実家の台所から大鍋を持ってきて、縄を切るとそれが落ちてくるような罠を作りました。兎で何度か実験して、それを川辺の道に仕掛けて」 「中々本格的ねえ」 思わず感心してしまうナディアである。 「まあ子供ながらに本気でしたからね。後は家の貯蔵庫から食料を拝借しましてね、草むらに潜んで我慢比べでした」 「食料……って、家に帰らなかったのかよ?」 「ええ、その間に見逃しては元も子もありませんから。結局四日ほどそこにいました」 「四日!?」 「深夜に盗賊らしき人影が辺りをうろついてるのを見たときは流石に死ぬかと思いましたが、体が小さかったですからね、気付かれずにすみました」 「……すげぇな、てめぇ」 流石は恋人を連れて殺し屋集団に追われながらはるばるヴェルスまで逃げ込んだ若者である。並々ならぬ根性は生まれつきらしい。 するとフィランは古傷に触れたようにふと眉を潜めた。 「そう、あれは忘れもしない。四日目の朝、丁度目の前を妖精が通ったんです。僕は時を見計らってロープを切って、鍋を落としました」 ごくり、とナディアは喉を鳴らした。 「で、で? 捕まえたの?」 「ええ。妖精は降ってきた鍋の中。鋼鉄製ですからね、持ち上げることだって出来なかった筈です」 四日の間草むらに潜み続けて野生児のようになったフィランは、歓喜に踊りだしたい気分で鍋に駆け寄ったのだ。 「その時です」 あの出来事は未だに忘れられない。フィランが鍋に手をかけようとすると、突然耳鳴りがした。空気が氷結したと思った次の瞬間、閃光と共に亀裂が走り、分厚い鉄鍋がカボチャのように吹き飛んだのである。 「全身に破片が突き刺さって、ついでに爆風で飛ばされました。流石にああ死んだって思いましたね」 「……何をやっているのだ、お前は」 「つぅか、そんなんでよく生きてたな」 「多分、あのまま放っておかれたら死んでいたでしょうね。でも不思議なことに大人たちに発見されたとき、僕は血まみれだったにも関わらず、かすり傷ひとつ負ってなかったんですよ」 ジャドとナディアが目を見開いたが、レティオは納得したように頷いた。 「書物にあった通りか。――妖精は傷をたちどころに治す奇跡の技を持っている」 フィランは目を伏せて是を示した。恐らくレティオの言う通り、鍋の罠から脱出したものの罪悪感にかられた妖精が助けてくれたのだろう。 ちなみにその後、家の鍋を壊した上に四日も帰らなかったため乳母にこっぴどく叱られて大泣きした記憶は、流石に黒歴史として彼の胸の内だけに封じられた。 「まあそんなことがありましてね。妖精というのは僕らが考えてる以上の力を持ってるんですよ。いくら魔術をかけた檻とはいえ、僕には信じられません」 「どちらにせよ、我々は別の手段で妖精と対話する策を考えねばならない。あ奴に貸しを作ると厄介だ」 そうだろう、とナディアに目配せをすると、ナディアはこくりと頷いた。やはり巫女も抜け目ない商人の扱いに苦労しているようだ。 「妖精の本来の目的が分かれば、打つ手も考えられるだろう。聞き込みを続けるぞ」 「んだな。ちゃっちゃと終わらせようぜ」 「ありがとう。助かっちゃうわ」 嬉しそうに笑うナディアを見て、フィランは先ほど抱いた疑念を口にした。 「巫女殿。エウアエーモス卿が言っていた例の件って何なんです?」 「あ、それはね……」 ナディアが表情を曇らせたそのとき、女官が屋内から姿を現した。 「巫女様、三つ鐘のお時間です。次の来賓の方がいらしていますわ」 「あら。ありがとう。もうそんな時間なのね」 ナディアは立ち上がり、ダリアが差し出した黄金の錫杖を手に取った。 「ごめんなさい、その話は後でするわ」 「お勤めですか?」 「えへへ、わたしってば人気者だから。神殿内は歩き回っていいから、好きなようにやってて。ダリア、後の案内をお願いね」 「かしこまりました」 はらはらと手を振るとナディアは歩き出しかけ、ふと顔だけ振り向いた。 「あ、でも女官の着替え室は覗いちゃだめよ少年君?」 「っ!?」 「じゃあよろしくねー!」 膝まである髪をなびかせて、巫女は元気良く部屋を出て行った。 「……」 「……」 「……」 ベルナーデ家の男三人は呆然とそれを見送って。 「着替え、覗くんか?」 「覗くか!」 「まあそういう年頃ですしね。レティオ、今のうちにかける恥はかいておきなさい。年齢がいってからやるよりは数倍マシです」 「待て、私は……!」 「とりあえず巫女さん以外にも話を聞こうぜ。妖精を見たって奴がいるかもしれねぇ」 「同感ですね。行きましょう」 「っ……!」 勝手に頷きあって歩き出す大人たちを、レティオは憤然と追いかける。その後ろを、ダリアがくすくす笑いながら続くのであった。 Back |