-黄金の庭に告ぐ- <第一部>3話:ポペラユプポピュポマルス博士 01.オヤジの依頼 夜の静寂を切り裂いて、馬蹄が土を踏み鳴らす。それを聞いた鳥たちが耳障りな声で鳴き叫べば、森全体が不穏な空気にざわめいた。深い森は月光も届かぬ枝葉の天蓋によって塞がれている。炎の灯りがなければ神々さえも恐れる真の闇に包まれていたことだろう。そんな夜更けにそれぞれ反対方向から落ち合った男たちは、性急な手つきで手綱を引いた。乗り手の感情が伝わったのか、馬たちは止められてからも鼻息荒く前足で大地を小突いた。 「いたか?」 「いや」 短い会話には汗ばむような焦燥と苛立ちが滲んでいる。 「くそ。絶対にこの辺りにいるはずなんだが……」 男の一人が闇の奥に鋭い視線を投げたそのとき、そちらの方向から松明を煌々と輝かせた一騎が現れた。騎手は声が届く範囲に入ると口早に告げる。 「いました! こっちです」 「何だと」 辺りの空気が彼らの動揺を吸い込めば、馬たちは野太く鼻を鳴らして首を振った。朗報を知らせた一騎は巧みに手綱を捌き、来た方向にとって返す。場にいた男たちも頷き合うと、馬の腹を蹴ってそれに続いた。 後には、夏の夜に鳴く虫たちの声だけが残った。 -黄金の庭に告ぐ- 3話:ポペラユプポピュポマルス博士 *** きっかけは、ギルグランスのこんな申し出であった。 「ポペラユプポピュポマルス博士を探して欲しい」 「……ポペパペ?」 「ポペラユプポピュポマルス博士だ」 「ポペプ……なんだ?」 「ポペラユプポピュポマルス博士」 「ポペラ……プペポ」 「んでそのポペポペがどうしたよ」 不毛な会話を続けるギルグランスとオーヴィンの間に、うんざりした様子のジャドが割って入る。盛夏の日差しが降り注ぐ日中、ベルナーデ家の美しい列柱回廊に集まったのは当主と配下、そして奴隷のセーヴェといったいつもの面々だ。ギルグランスはうむ、と頷いて優雅に髪をかきあげた。 「この辺りの植物の研究をするためリュケイアから来たそうなのだ。我が家に逗留することになっていたのだが」 「リュケイア? それはまた遠いところから」 フィランは驚いて思わず口を挟んだ。遥かなる魔術師の都市リュケイアは、帝国ファルダでも極東近く位置する海辺の都市だ。かつてはそこもヴェルスと同じように独立し、学問と魔術を中心に華やかな文化を栄えさせていたのだが、野蛮嫌いな住民たちは真理が議論の中にのみあると信じ込んでいた。その為、猛威を揮う帝国が大軍を率いて攻め込んできたとき、リュケイアの民は対処の手筈を審議するため会議場に篭ったは良いものの、議論が長引きすぎて反撃の機会を失うというとんでもない失敗をやらかしている。そんなこともあって帝国の前に惨敗を期したリュケイアは、ヴェルスと同じように属州に組み込まれることになった。 だがリュケイアはヴェルスと違い、属州化された後でも異彩を放ち続けたのである。何しろ学問と魔術の発祥の地なのだ。このような都市の特質を帝国ファルダはそのままの形で許したため、帝国の庇護の下、リュケイアは益々の発展を遂げることになった。都市が擁す大図書館は本国のそれを凌ぐ規模であり、今でも帝国の学術的な会議はこの都市で行われている。また国の魔術師を保護するために設立された協会の本部もここにあり、魔術師の養成も盛んだ。軍人になりたければ本国へ、魔術師になりたければリュケイアへ、というのが帝国ファルダの常識なのであった。 そのような東の果てから西方のヴェルスまで来ようと思うと、海風に恵まれても半年はかかるのではなかろうか。天と地を手中に収めたと謳われるこの国はとにかく馬鹿でかいのだ。 「そこまでして来るようなとこだろうかねえ、ここは」 オーヴィンが頭をかきながら言う。かつて栄えたのは同じでも、魔術の都として高名なリュケイアと違って今のヴェルスはただの農業が盛んな地方都市だ。ギルグランスも流石に否定出来ないようで、整えられた中庭に苦い顔をやった。 「未だにここにはかつての二つ名を求めて来る者が多いからな。そういう手合いかもしれん」 地方都市ヴェルスにつけられた偉大な二つ名、黄金の庭。本国ではこの危険すぎる呼称に警鐘を鳴らす番付が出版されているのだが、まだまだ帝国全土にその事実が伝わっているわけではないのである。 「で、そのポパレーだっけか? オヤジとどう関係があんだよ」 「ポペラユプポピュポマルス博士だ。私の父と書簡のやりとりをしたことがあるそうなのだ」 この国で旅をしようと思えば、向かった先での宿の取り方は二つある。一つはそれぞれの都市にある宿屋を使う方法だ。しかしこれは場所によって質がまちまちだったり、無頼に襲われる危険も孕んでいる。そこで身分のある者は、各地で縁者の家に厄介になるのが一般であった。ギルグランスの父親は十年以上前に死去しているのだが、件の博士は渡来にあたってその切れかけた糸に望みをかけたらしい。相手がリュケイアでも高名な学者と聞いては依頼を受けたギルグランスも否やの言いようがなく、今回の逗留を受け入れることにしたのだそうだ。 ちなみにギルグランスの父親は息子と違ってヴェルスを出ることなく、普遍的な都市議員として一生を過ごした。都市中の民から「何故この親からこの息子が」と言われるほどに穏健で読書好きな男だったらしい。若かりし頃のギルグランスはそんな父親を「視野の狭い男」の一言でばっさりと斬り捨て、兄共々都市を飛び出して帝国軍に入ってしまったのだが。 「物好きな人なんでしょうね。それか、本当に夢を見てしまった人か」 「まあ良い。この都市に来るのも何を思うも彼の自由だ。……だがな」 ギルグランスは深く溜息をつき、肘掛にもたれて眉間を揉んだ。どうやら相当困り果てているらしい。厄介事の予感にそれぞれ顔を見合わせる配下に向け、当主は膿を吐くように告げた。 「行方不明になったのだ」 「単に来るのが嫌になっただけじゃないんですか」 「遠いしな。腹が減って行き倒れる可能性だってあるよ」 「都市のボロさにビビって帰っちまったんじゃねぇの」 「途中できれーなお姉さんに捕まっちゃったのかもねー」 言いたい放題の配下たちに、ギルグランスの苦悩の皺が更に深くなる。 「貴様ら、勝手なことを言ってくれるがな。確実に都市までは到達した証拠があるのだ」 主人の合図を受けて、セーヴェは端の方で小さくなっていた少年を促した。奴隷の証である木札を首から下げた少年は、ふっくらとした顔についた丸い目をくりくりと動かして不安げにフィランたちを見上げた。特に人相の悪いジャドやオーヴィンを見る視線には、明らかな怯えが混じっている。ジャドがふっと目を細めると、少年は小さく叫んで縮こまった。 「んだよ、新入りの奴隷か?」 「違う。件の博士の奴隷だ」 このような面々に囲まれていること自体が恐ろしいのだろう。怖気付く奴隷は、セーヴェに促されてようやく事の次第を話し始めた。 「ご、ご主人様は確かにこの都市にいらっしゃいました。でも、すぐに研究がしたいと仰って、そのう、お一人でふらふらと行ってしまいまして」 「なんで奴隷を置いていくんだよ!?」 ジャドが突っ込んだのも無理はなかった。学者にとって奴隷とは助手代わりでもあるため、研究をするのに置いていくわけがないのだ。荒言にすくみあがった奴隷の少年は頬を赤くし、涙ぐんで俯いた。 「まあまあ、落ち着いて聞きましょう。それでどうしたんです?」 フィランが優しく尋ねると、奴隷は涙ながらに続けた。 「あのご主人様は研究に熱心になると周りが見えなくなってしまうんです……僕が馬車屋と会計を済ませている内にいなくなってしまって、探しても何処にもいなくて」 それで大泣きしているところを通りがかりの住民に保護され、ベルナーデ家に連れてこられたのだという。事情を聞いた当主は、ひとまずは様子を見ようと奴隷を引き取ったのだが、待てど暮らせど当の博士が帰ってこない。それも三日目になって、いよいよこれはという事態になり、そして現在に至るのである。 「……で、どうしろと?」 少年の話を聞いている内に段々と事の面倒臭さが身に染みてきたフィランが、渋面で当主に問い質す。そして当主本人も、真に遺憾ながら、と前置きをして命を下した。始めに言ったのと全く同じ指令であった。 「ポペラユプポピュポマルス博士を探して欲しい」 「な、冗談じゃねぇぞ!? 向こうが勝手に来て勝手にいなくなったんだろーが」 「同感だなあ。誘拐でもされてたらとっくに身代金の要求が着てるはずだ、どっかで研究に没頭してるだけじゃないのか?」 ジャドとオーヴィンに噛み付かれるのも予想してのことだったらしい。ギルグランスは設えられた椅子に体どころか心まで沈みこませながら、やる気なさげに首を振った。 「残念なことに、放って置くわけにもいかんのだ」 彼にとってその客人は亡き父の友人であり、敬意を払うべき高名な学者なのである。それに、研究に没頭しているにしろ事件に巻き込まれたにしろ、来ないからといって有名人を放ったらかしにするのは世間体が悪い。博士本人の責任はさておき、ベルナーデ家には少なくとも「動いた」という事実が必要なのであった。良い子には聞かせられない大人の事情である。 「それに、気になることがある。最近裏が騒がしくなっているそうではないか」 顎をさする当主の指摘に、配下たちは各々眉を持ち上げた。裏とはきっと都市の暗部のことを指すのだろう。特に深刻そうに考え込むオーヴィンを横目で見て、フィランは後で詳しく聞かねばなるまいと思った。 「とにかく二三日は歩き回ってみてくれ。日頃の民との交流も大切な役目だ」 「けっ。たまには自分で歩き回ってみやがれよ」 ジャドが面倒臭そうに頭髪をかきむしると、ギルグランスは優雅に足を組み替えた。 「現場の判断を信じているのだ。それに私は私で忙しいのでな。仕事が山のようにある」 「全くで御座いますね」 突然口を開いたのはそれまで影に徹していた奴隷のセーヴェであった。うん、と目を瞬く主人の前に、何処から出したのかセーヴェはどかっと巻物の束を置いた。 「旦那様の本日の執務、方々からの陳情書と来週から始まる神殿の改修工事概要です。対処下さいますよう。午後から会議ですから、それまでには終わらせましょう。あと今度の演説の草稿も書きかけでしたね。こちらも今日中に完成させて下さい」 にこやかな口上を述べられるにつれて、みるみる当主の顔が青褪めていく。だがこの当主が木の棒を振り回して遊んでいた年齢の頃から仕え続けたセーヴェである。その微笑は容赦というものを知らなかった。 「現場の判断は全て彼らが下してくれるのですから、旦那様に至ってはご自分の仕事に専念することが出来ますね。そうそう、良い機会です。来月の予算についても今日決めてしまいましょう」 その目には微笑みつつも「逃がしゃしねえ」と雄弁に語る光が爛々と輝いている。流石のギルグランスの表情もひきつり、ぱくぱくと口を開け閉めする。 「せ、セーヴェ。私は腹が痛くなってきたのだが」 やっとのことで出てきた反論も虚しいものだ。セーヴェはそよ風でも受けたかのように微笑んだ。 「畏まりました、ではすぐに薬をお持ちしましょう。良う御座いましたね。書類仕事は横たわっていても出来ますよ」 「……」 剛勇で名を馳せたベルナーデ家当主の頭が、がっくりと落ちる。配下たちは目配せをしあうと、主人を憐れみつつも背を向けるのだった。 *** まずは情報収集にオーヴィンたちが向かったのは、いつぞやフィランが殺し屋たちと大乱闘を繰り広げた雲雀亭という酒場であった。 「アンタも結局当主様に捕まったか」 可哀相にと屈強な外貌の店主ベーカーに苦笑されて、フィランは全くだと深く頷いた。乱闘時に荒れた店内は、ギルグランスの計らいですっかり元通りになり、活気を取り戻している。 それにしてもとフィランはくつろぐ仲間たちに微妙な眼差しを注いだ。無頼の溜り場でもある酒場を貴族の配下が利用するなど、本国で聞けば噴飯ものの非常識な話である。そもそもこの外貌の男たちが貴族に仕えているという事実が非常識だし、元を質せばあの当主が一番非常識だ。 「アン? んだよ、ジロジロ見やがって」 眉を上げるジャドに、フィランは深々と溜息をついた。 「あのですね。普通、情報収集っていったら一般人の聞き込みから始めるでしょう? なんでこんなガラの悪いところに来るんです、というか何故こんなガラの悪い店とお付き合いがあるんです」 「はっはー。テメェ、まさかこういう店が怖いクチか?」 「そ、そんなわけがありますか! だから、こんな暗黒組織が利用しそうな店をどうして貴族家が使うんです」 「フィランだって使おうとしてたじゃん」 「あれは仕方がなかったんです!」 「おう、元気がいいねぇ」 注文の料理を売り台ごしに出しながら、ベーカーは小気味良く笑った。前回の一件でフィランの豪胆さを気に入ってくれたらしく、若干量が多めだ。好意をありがたく受け取って木の実のパンと肉のスープを手元に寄せたフィランは、つとエルに気をとめた。オーヴィン、ジャドの前に皿が置かれたが、エルの前には何も置かれていないのだ。本人は不満のそぶりも見せずに空の水飲みを手でいじくっている。 「食べないんですか?」 「うん。ぼくはいーや。あんまりお腹すかないんだ」 にへらと顔を崩すようにして笑うエルに、フィランは同じ笑みを返すことができなかった。服から覗く彼の四肢はぞっとするほどに細い。出会って間もないものの、フィランは彼が食事をするところを見たことがなかった。病気なのかもしれないが、気軽に尋ねるのは憚られて、フィランは今だ深い事情を知らない。 元奴隷剣闘士、とギルグランスが彼の過去を説明したことをフィランは思い出した。闘技場で剣を振るい、血と惨劇の饗宴によって人を楽しませることを生業とする者たち、それが剣闘士だ。なのにエルからはそのような者たちが持つ独特の血生臭さが全くない。正直フィランには剣闘士であったという彼の過去が想像出来なかった。そして、そんな底辺の階級に身を落とした理由も。 『変な人が多い都市だ』 しみじみと感じ入ってしまうフィランである。 気を取り直してオーヴィンとベーカーの会話を聞いている内に、フィランはオーヴィンが考えなしにこの酒場へ食事を取りにきたわけではないことに気付かされた。オーヴィンは博士が誘拐された可能性を考えて、無頼たちの動向を探りにこの店へ訪れたのである。無論、単に腹が減ったことも要因の多くを占めるだろうが。 博士の話をふられたベーカーは、いかつい肩を竦めて首を振った。 「そんな奴が誘拐されたなんて話は聞いてねぇな。ここ数日で大金せしめたって奴の話も聞かんし――まあ、例のどさくさに紛れてってのはあるかもしれんが」 「どさくさ?」 フィランが聞き返すと、オーヴィンは訳知り顔で考え込んだ。頬杖をついたジャドが軽薄そうに口の端を引き上げる。もしかすると、当主が言っていた裏の混乱というやつだろうか。若干の疎外感に、眉を潜めるフィランである。 オーヴィンは、声の調子を落として屈強な店主を見上げた。 「ルディは見つかっていないのか?」 「強情な奴だからな。まだ湖のど真ん中だろうよ」 「全く、運命の女神さんたちはどんだけ楽しむつもりなんだか」 頭が痛い、という風にオーヴィンは掌を目の上に乗せた。フィランは顎を姿勢悪く卓上に乗せているエルに、そっと尋ねた。 「どういうことです?」 エルは猫のようにぴくりと目だけ動かせた。 「んっとねー」 んー、とエルは少し唸って、にっこりと笑った。 「ぼくもよく分かんない」 「……あなたに聞いたのが間違いでした」 肩を落としていると、不意に物騒な怒声と破壊音が聞こえた。店の表からだ。 目をやると、明り取りの窓の間から争いの様子が垣間見えた。集団同士の喧嘩のようであった。 「止めなくていいんですか?」 パンの最後の一切れを口に運びつつ問うと、ジャドはスープを掻き込みながら「ほっとけ」と言い捨てた。オーヴィンもやれやれといった様子で肩を下げ、ようやく事の次第を教えてくれた。 「ここ最近、荒くれ者たちの元締めをやってた男が死んでな。小競り合いが絶えないんだ」 そう言って悩ましげに外を見やる。無頼の輩といえど、統率があるとなしとでは振る舞いは天と地ほどに違うものだ。ヴェルスでは元々有能な元締めが彼らを束ねていたため、無頼といえど目に余る行為は為されなかったのだという。しかし元締めが消えた今、次の元締めの座を争って抗争が起きているそうなのだ。 「つまり、跡継ぎ候補が何人かいるんですね?」 胡散臭そうにフィランが尋ねると、オーヴィンは溜息交じりに頷いた。 「そういうことだ。ついでに前の元締めには一人娘がいる」 「ああ。その娘を手にした者が次の元締めってことですか」 「そうなんだけどなあ」 真に遺憾だという面持ちで、オーヴィンは言った。 「その娘も例の博士と同じく、行方不明なんだよ」 暫くすると、興奮冷めやらぬ様子の男たちが店に入ってきた。受けた傷を武勲だという風に見せびらかせ、卓の一つを取り囲んで大声で女中を呼びつける。その内の一人の顔を見て、フィランは眉を上げた。ティレと共にこの店に来たときに絡んできた男だ。 「フィラン、構うなよ」 オーヴィンは彼らの方に見向きもせず、自然な口調で告げると席を立った。頷きながらフィランも続く。食事は終わっているため、血と汗の臭いのする連中とこれ以上同じ店にいる必要はない。 無視を決め込んだフィランに、男の方が気付いてニタニタと笑った。フィランはそれに気付かないふりをして、店の外へ出た。 「殴りたいです」 「落ち着け、フィラン」 開口一番に暴力衝動を露にするフィランに、オーヴィンは静かな表情で言った。 「あれは物を言う芋だ。芋に対して怒るなんて不毛だろう」 「わけがわかりませんよ、その例え」 「しっかし、相変わらずけったくそ悪ぃ連中だなオイ」 ジャドは砂を蹴っ飛ばすと、ケッと喉を鳴らした。 「で、何者なんです、あの調子付いた芋は」 不機嫌そうに尋ねるフィランに、オーヴィンは薄く笑って答えた。 「やっこさんの名前はラドル。ゴモドゥスって跡継ぎ候補の手下で、奴自身も元締めの娘を狙ってる。見ての通りあんまり応援したくない手合いなんだがな。今は増長して背伸び葉伸びって感じだ」 「是非今後とも関わりあいたくないですね。それで、その娘の行方の手がかりはあるんですか?」 「船で湖に出たって情報だけだ。やっこさんを含めて都市中の荒くれもんどもが血眼で探し回ってるよ。居場所に煙でも立ってくれればお迎えにあがるんだがなあ」 「ねーねー。あれ、煙じゃない?」 「はい? そんな簡単に居場所が分かるわけ――」 不意にエルが指差した方向を見て、男たちは眉を潜めた。青空に似合わぬ白煙が一筋、遠くから立ち上っている。ジャドが、状況の深刻さを逸早く口にした。 「オイ。あれ、灯台島の方角じゃねぇか」 「……まさか」 フィランはみるみる青くなった。灯台島にはティレがいる。一人では危ないのでマリルに面倒を見てもらっているが、馬の事件があってから彼女は妙に好奇心が旺盛だ。まさか香を袋一杯に燃したとか、竈の火を布に燃え移らせたとか、「なんとなく火が見たい」と言ってその辺に放火――。 「ぼ、僕見に行ってきます!」 「エル、お前さんも行ってこい」 「はーい」 のんびりと返事をしたエルがフィランに続いて姿を消すと、同時に道の向こうから並々ならぬ存在感を放つ中年の女性が走りこんできた。ジャドがげっと顔を引きつらせ、オーヴィンはやばい人に遭っちゃった、と目頭を手で覆った。 「アンタたち、こんなところにいたのかい!?」 そのふくよかな体格で他を圧倒する市民ベラである。ギルグランスの元へ様々な『市民の声』を届けてくれる彼女は、配下たるジャドやオーヴィンとも顔見知りなのであった。 見目いかついベルナーデ家の配下たちも何のその、家事の途中だったのだろうか、洗って重たくなった洗濯物を軽々と脇に抱えた彼女は猛る牡牛のように突進してきた。 「ちょっと来とくれよ! 大変なんだ!」 「え?」 「なんだい、市民が困ってるってのに手の一つも差し伸べないのかい!?」 「い、いやそういうことではなくてベラさん」 「オラさっさとしな!」 「ひえっ」 喉を引きつらせながら後ずさろうとするジャドだが、腕をむんずと掴まれては抗いようもない。オーヴィンはと横目で見ると、彼は既にベラに出会ったという時点で諦めの境地に達していたようで、虚ろな目をしながら薄く微笑んでいた。傍から見ると気持ち悪いことこの上ない顔であったので、ジャドはすぐに目を背けた。 「……ああ、チクショウ」 初夏の日差しが惜しみなく注ぐ豊穣の都市ヴェルス。今日も事件は山積みである。 Back |