-黄金の庭に告ぐ-
<第一部>2話:老人のうたうたい

04.市場、大混乱



「おーい、大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないです」
 大の字になって倒れるフィランの横で膝をついたオーヴィンは、思わず苦笑を漏らした。
「んん、まあこれで分かったろう。あの親父に歯向かうもんじゃないよ」
「なんで最初に教えてくれないんです」
 よろよろと体を起こすフィランは心の底から不機嫌そうだ。当主の悪巧みの片棒をかついだ身としてはやや後ろめたく、さりげなく視線を逸らすオーヴィンである。
「あれだ、まあ、アレに仕える為の洗礼ってことだな」
「こんな洗礼あってたまりますか! 僕は苦行僧じゃありませんよ……つつ」
 強かに打った背中をさするフィランを見て、オーヴィンは内心で謝っておいた。それに例え洗礼でなくとも、この一騎打ちは無意味ではない。今や彼の胸の内では先ほどの疑念が確信となっていた。

 そんなオーヴィンの複雑な心境など露知らず、フィランは乱れた髪をかきあげて陰険な視線を当主に向けた。だが、既に当主はフィランの方を見てもいない。
 何故か。
 ――婦人たちに囲まれていたからである。
「ギルグランス様! 素敵でしたわ、なんて勇ましい」
「やはり貴方様に適う者などいないのですね」
「今度わたくしの屋敷に来て下さい。歓迎致しますわ」
 当主の戦いっぷりに感極まった女たちは、ある者は頬を赤らめ、ある者は目を輝かせて威勢を誇る偉丈夫を見上げている。ギルグランスはそんな彼女たちの手をひとつひとつ取っては口付けた。
「いや、これは恥ずかしいところを見せてしまった。野獣と戦うところでもお見せできればお嬢さん方の目を楽しませることが出来たものを。メリア、ティアラ、それにラナ」
「まあ。名前を覚えていて下さったの!?」
「ははは、見る度に美しくなるものだから間違えそうになるがな。ラナ、君は三丁目の商人の娘だったな。父君は元気にしているか?」
「ええ……とても」
 うっとりと目を潤ませる娘は腰砕け状態だ。仏頂面でフィランは問うた。
「あの、オーヴィン」
「なんだ」
「刺していいですか、あの人」
「やめとけ。きっと返り討ちだよ」
 ぼりぼりと頭をかくオーヴィンの横で、フィランは立ち上がって砂を払う。そんなとき、衣の裾を摘んで優雅に階段を下りてくる女性の姿をギルグランスは目ざとく発見した。取り巻く女たちに優しく笑いかけてから体を離し、美しく着飾った彼女の元へ向かう。
「ギルグランス様」
 深みのある声で呼びかけるのは、艶かしい色気と気品が絶妙に調和した妙齢の女性だった。どんだけ愛人がいるんだ、とフィランは手で顔を覆いたくなった。
「これはアルティディア。どうしたね、こんなところに」
 薄絹のヴェールから艶のある唇を覗かせる女性は恐らくは貴族なのだろう。駆け寄った彼女はギルグランスの胸にほっそりとした指を絡め、物憂げに睫を伏せる。今は真昼間でそしてここは広場ですよアンタたち、と言ってやりたくなったのはフィランだけではないだろう。
「どうかお助け下さい。困っているのです」
「何でも力になろう。言ってみなさい」
 二人のやりとりを遠目に眺めながら、オーヴィンは深々と溜息をついた。「誰がその始末に奔走する羽目になると思っていやがる」と雄弁に語る表情であった。内務を取り仕切るのはベルナーデ家の奴隷頭たるセーヴェの役割だが、外回りの仕事となるとそれはオーヴィンたちの管轄なのである。
 案の定、女性と別れたギルグランスは配下たちに向けてにこやかに告げた。
「皆の者。火急の用件だ」
「んだよ。てめぇの顔に蹴り入れる仕事なら喜んでやんぜ」
「残念ながらそうではない。至急露店市場の方に向かってもらいたいのだ」
 ジャドの険悪な視線を軽く受け流し、当主は髪をかきあげて目を眇めた。
「暴れ馬が出たらしい。行って対処出来そうなら対処しろ。あの辺りには懇意にしている商会も多い。貸しを作っておくにこしたことはない」
「暴れ馬だって? その程度なら俺たちが行くまでもないことだと思うが」
 オーヴィンが眉を曲げて問い返す。フィランも同感だった。金を武器にする商人たちとはいえ、街道を渡り歩く彼らに武術の心得がないわけがない。馬一頭が暴れだした程度なら、現場の者だけで取り押さえることが出来るだろう。
「それが商人たちでも太刀打ちできないほど狂暴らしい。とりあえず行ってくれ。判断は貴様らに任せる」
 セーヴェ、と当主が呼びつけると、奴隷の当人は素早く持っていた上衣を差し出した。それを手際良く身につけ、ギルグランスは少しだけ表情を緩めた。
「――まあ、私も大したことはないと思うがな」


 ***


「大したことあるじゃねぇかよっ!?」
 現場に到着したジャドは開口一番、目を剥いてそう叫んだ。
 賑やかなヴェルスの市場は今や酷い有様だ。散乱して土埃にまみれた作物。壊れた荷車と割れた壷の数々。横倒しになり、ぴくぴくと足を痙攣させているのは荷運び用の水牛だ。建物の壁は巨大なものに幾度も衝突されたようにひしゃげて煉瓦の屑を散らし、人々は蜂の巣を突付いたように怒号の中で逃げ回っている。まさに地獄絵図であった。
「わー、大変だあ」
 このようなときでも間延びした調子のエルが呟くと、にわかに悲鳴が近くなった。濛々と砂埃が舞い上がり、嘶き声と何かが衝突しあう轟音が響き渡る。逃げ惑う人々を見てフィランとジャドが同時にそれぞれの武器を手にとり、オーヴィンとエルは一歩下がって土煙の向こうに目をこらした。
 そこから弾け飛ぶように踊りでたのは、黒々とした毛並みをした塊――巨大な一頭の馬であった。狂ったように一直線に突き進んだ暴れ馬は、その見事な巨躯ごと壁に激突し、跳ね返った勢いでまたあらぬ方向へと走り猛る。その間の障害物はたちまち踏み潰されて粉砕され、無残な破片を周囲に散らせる。
「すげー……」
 戦慄を通り越して感嘆の溜息を漏らしてしまうオーヴィンである。感服してしまったのは他の者も同じようで、四人の男たちは顔を見合わせて頷きあった。
「あんなでけぇ馬見たことねぇよ」
「多分ミレイユ地方の山間でとれる馬でしょう。あそこの馬は体が大きいと聞きます」
「どうするー? 足折るにしても普通の人がうろついてるから難しいよねえ」
「そうだな。フィラン、良い考えは思いつかないか?」
「難しいですよ。エルの言うとおり、対処するにも下手をすれば一般人が巻き込まれかねません。うまく人気のないところに誘い込むしか……」
 顎に指を添えて首を捻るフィランの腕を、突然明後日の方向から掴む者があった。
「ちょっとアンタたち! ベルナーデのとこの人たちでしょ!? アレなんとかしとくれよっ」
「わっ!?」
 慌てて振り向くと、眦を吊り上げた中年の女性と目があう。機織で生計を立てるベラであった。
「あいつのお陰で折角織った商品が無茶苦茶だよ! こういうときの為にアンタたちがいるんだろう!?」
 メリメリと長年機を織り続けた指で腕を締め上げられ、フィランは悲鳴をあげないようにするのが精一杯だ。見かねてジャドが仲裁に入る。
「ベラさん、これから対処すっからよ、今作戦を」
「何とぼけたこと言ってんのさ! アンタらが悠長に話し合ってる間にも町は壊されてんだよ!?」
「……す、すいません」
 馬より恐ろしい剣幕に、ジャドは思わず謝罪した。するとオーヴィンが涙目で腕をさするフィランの肩をそっと叩く。
「そういうわけだ、フィラン。行け。行って男らしく散ってこい」
「散ったら駄目でしょう!?」
「何女々しいこと言うのさ! アタシの死んだ亭主は若い頃ね――」
「ねー、こっちくるよー?」
 盛り上がっていた会話は、エルの間延びした声で打ち止められた。稲妻のような勢いをもってして、砂煙にまみれた暴れ馬がこちらに向けて突進してきたのだ。
 一瞬の沈黙の後、弾けた緊張が彼らを四方に散らせた。オーヴィンはベラを庇いつつ壁の裏に避難し、エルとジャドも馬の進行方向とは直角の方向に疾走した。
 運が悪かったのはフィランだった。
「ええっ!?」
 彼も身を翻して逃げ出したのだが、何を思ったか馬がフィランを追って進路を変えたのである。落ちていた樽が踏まれてバラバラに弾け飛ぶのを見て、フィランは額に冷や汗を走らせた。あの暴れ馬の足はどこぞの当主の一撃並だ。喰らったらひとたまりもないだろう。
 冗談じゃないと心の中で毒づいて、フィランは近くにあった枝に捕まると地を鋭く蹴り上げた。太い枝は彼の体重を受けて大きくたわんだものの、折れることなく体を上方へと押し上げてくれる。馬より上の高さまで死ぬもの狂いで上ったフィランはようやくほっと息をついたが、本日の運命の女神は彼に更なる試練を課してくれていた。
 めしょん、と猛り狂う暴れ馬が木の幹に体ごと激突する。枝が大きく揺れて、フィランは慌ててしがみついた。一体何の恨みがあるのか、暴れ馬は口から泡を吹きながら体当たりを繰り返す。
「おい、あそこで若いのが襲われてるぞ!」
「大丈夫か兄ちゃん!?」
 それまで逃げ回っていた商人たちが、遠くから叫んでくれる。心配するなら助けて下さいとフィランは心から思ったが、彼らとてどうしようもないのだろう。
「何やってんのさ!! そんな暴れ馬、ボコボコにしちまいなっ」
「ベラさん落ち着いて」
 オーヴィンは暴れ馬に増して猛り狂うベラを取り押さえるのに精一杯であった。ジャドとエルも手を出しあぐねているようだ。フィランは何かないかと辺りを見回すが、市場の真ん中に生えた木の近くには飛び移れそうな屋根も別の木もない。いよいよ青くなった彼の横顔は、群集の中に一人の少女を見つけて凍り付いた。
「ティレ」
 青褪めて立ち尽くしているマリルに手を繋がれ、ティレは呆けたようにこちらを見つめている。市場を案内して貰う途中だったのだろう。暴れ馬の餌食になっていなくて良かったと思うと同時に、暴れ馬が彼女の元へと方向を変える様がまざまざと脳裏に浮かび、フィランの心を熱く満たした。何よりも、恋人の前でこの様では情けなさ過ぎるではないか。
 奥歯を噛み締め、フィランは眼下に視線を向ける。元々人に飼われていたのだろうか、幸いなことに暴れ馬の首には手綱がついたままだ。一呼吸を置いた彼は、唾を呑んで覚悟を決めた。逃げることで精一杯だった金色の瞳が輝きを取り戻し、頬が烈火を含んだように熱く震える。
「あっ」
 群集の一人が叫んだ。樹にしがみ付いていた若者が、突然その手を離し、宙に身を躍らせたのである。ある者は目を背け、ある者は食い入るように見つめた。誰もが次の瞬間、若者が馬の餌食になることを予想したのである。
 ふざけるな、とフィランは口の中で呟いた。悲鳴と歓声が交錯する。次の瞬間、その体は狙い違わず暴れ馬の上に落ちたのである。全身に突き上げるような衝撃の痛みも忘れ、フィランは目の前で宙に舞う手綱を取った。素早く体勢を立て直した彼の動きは素人のそれではない。先ほどエルに問われて言えなかった答え。武術以外に彼が得意とすること、それは馬術なのだ。
 背に若者が落下した衝撃に甲高く嘶いた暴れ馬は、前足を高々とあげる。フィランは鬣を掴んで落馬を防ぎ、起き上がると手綱を鋭く横に凪いだ。無理矢理向きを変えられた馬は再びそちらに疾走を始め、群集がにわかに色めき立つ。
「すげえ! 見たかよ今の!?」
「兄ちゃん頑張れ! やっちまいな!」
「皆さん、どいてーーー!!?」
 手綱を嫌がって首を振りながら無茶苦茶に走る馬の上で、フィランは力一杯に叫んだ。予想以上に力のある馬では、振り落とされないようにするだけで一苦労なのだ。蛇行し、壁に何度も身を打ちつけながら人気の少ない方向に馬を誘導しようとするが、中々うまくいかない。


「……」
 恋人の手によって御される馬をじっと見つめ、ティレはふっと睫を伏せた。そこに苦しげな表情が僅かに揺らめいたが、隣にいたマリルですら場の空気に圧倒されて気付くことはなかった。
 ティレは呆然と立ち尽くす老人の服の裾を引いた。逃げた馬がまさかこのようなことになっているとは予想していなかったのだろう。絶句していた老人は、暫く小さな呼びかけには気付かなかった。やっとのことで気付いてもらえたティレは、湧き上がる歓声と悲鳴の中、静まり返った様子で悲しげに目を閉じた。
「あの子はたぶん、もうだめ」
 囁くような声だったが、それは老人とマリルの耳朶に深く響いた。
「ティレ、それはどういうこと?」
 マリルの問いかけにふるふると首を振り、ティレは老人の握り締める縄を指差す。
「それ、フィランにあげて」
「え?」
「……うん」
 問い返したのに頷かれてしまい、老人は眉根を寄せた。慌ててマリルが通訳に入る。
「え、えっと。その縄をあの馬に乗ってる人にあげて欲しいってことだと思います」
「この縄を?」
 老人は不思議そうに手にした縄を見つめたが、ふとその顔にひらめきが走った。少女の言わんとしていることを理解し、老人は彼女の顔を見つめた。
「もう、苦しませないほうがいいから」
「……」
 ティレは何かに耐えるような表情で馬を見つめている。老人は小さく頷くと、暴れる馬へと一直線に走り出した。


「どいてって言ってるでしょう!? 踏み潰されたいんですかッ!!」
 馬上のフィランには限界が近づいていた。腰が浮かないよう馬の動きにあわせて腿の力を変えることでどうにか縋りついているが、集中力を乱せば瞬時に投げ出されてしまうだろう。進行方向まで御すことは無理と判断したフィランは人ごみに突っ込まないようにだけ注意しながら馬の体力がきれるのを待っていたのだが、そんなとき突然群集の中から老人が駆け寄ってきたものだから、彼にとっては正気の沙汰とは思えなかった。
 だが奴隷の身分を示す木札を首下に揺らした老人は、指示と共にその手に持っていたものを投げてよこしたのである。
「これを使えっ!!」
「――っ」
 反射的に腕を伸ばしたフィランは、手に飛び込んできた長い綱を見て目を瞬いた。
「首を絞めるんだ」
 体を下げながら老人が告げる。考える余裕などとうに失っていたフィランは、その声を聞き分けるが早く、手綱を手放して老人から貰った綱の両端を握ると、馬の前方向けて放った。首が通るのを見届け、一度交差させて捻ると渾身の力で引っ張る。さしもの暴れ馬も息を詰まらせては力を出すことは出来ない。動きが鈍り、そこに機会を伺っていたジャドとエルが素早く切り込む。二人とも馬の弱点である足を迷わず狙い、剣の鞘をそこに叩き付けた。耳をつんざくような悲鳴をあげ、足を折られた馬はその場にどうと倒れ込んだ。
 瞬間、群集の歓声が沸いた。馬は口から泡を吹き、体を痙攣させている。もう立ち上がることはないだろう。
「大丈夫かフィランっ!?」
 馬が倒れた衝撃で投げ出されたフィランは、あちこち傷だらけで髪も乱れてしまっている。だが幸いなことに意識ははっきりしているようで、ジャドに助けられてなんとか身を起こした。
「……もう散々です」
 そうしている内に避難していた人々が英雄の姿を一目見ようと駆け寄ってくる。彼らは若者の無事を喜ぶと、倒れた馬を見て口々にその体格に驚嘆を示し、何故こんな立派な馬が暴れだしたのかと不思議がった。馬の下では、若者に縄を投げた功労者である老人が膝をついてその体に触れている。
「……あ」
 群集に紛れていたティレは、馬を見て何かに気付いたように駆け出した。
「ティレっ?」
 手を繋いだままのマリルがなしくずしについていく。群れの中から進み出たティレは、倒れた馬を目の当たりにして褐色の瞳を瞬いた。
「この子」
「……」
 注意深く馬の体に手を触れていた老人が確信を得たように頷く。
「湯を持ってきてくれ」
「へ?」
 やれやれと頭をかきながら座り込んでいたジャドが、きょとんと声の方を見る。次の瞬間、空気を震撼させるような大声が場にいる者の耳朶を打った。
「湯を持ってこいと言っている! 助かるかもしれん!」
 思わず背筋を伸ばしたジャドは、言葉の意を察することが出来ずに眉を潜める。
「……え、いや、足が折れた馬はもう助からねぇぜ」
「お腹」
 ティレが指差す方を見て、はっと目を見開いたのはフィランだった。馬の腹部が膨れ上がっているのだ。
「妊娠してる」
「え?」
「生まれるってことー?」
 エルが問い返すと、周りの者も思わぬ事実にざわめきたった。
「いいからナイフを貸せ。どうせ母体は助からん、直接腹を割いて取り上げる。湯はないのか!?」
「す、すぐに持ってきます! この辺に飲食店は!?」
 ただならぬ事態にフィランがよろめきながら立ち上がると、群衆も顔を見合わせ、声を上げる者が次々と現れた。
「こっちだよ! 手伝おう」
「兄ちゃんは休んでなっ。おい爺さん、湯はどれくらい必要だ?」
「あるだけ持ってこい! あと水と布、藁も!」
「お、おいエル、オレたちもなんかしねぇとまずいぜ」
「後ろ足を縛ってくれ! 暴れるかもしれんから慎重にな」
「りょうかいでーす」
「マリルも手伝いますっ」
 マリルは医女の卵だけあって、老人の元で即戦力となって働きはじめる。その思いが伝染したように、商人たちは自分たちの店を壊した馬であることも忘れて出産の助けに奔走した。ある者は売り物の布を差し出し、ある者は異国から仕入れた薬をよく効くからとマリルに手渡す。
 ティレはひとり、苦しげに泡を吹く馬の頬に手を当て、その虚ろな瞳を覗き込んでいた。もう長くはあるまい。あれだけ暴れては、腹の仔馬も助かる見込みは薄かった。けれど、ティレはその顔を撫でながら小さく語りかけた。
「がんばって」
 馬は我が身に起こったことを理解していないのか、ヒューヒューと苦しげに喉を鳴らしている。フィランは、馬に向けて語りかける恋人を見つめた。ただ移ろい行く世界を移しこんでいた瞳が、今は苦しむ馬に命を注ぎこむかのように語りかけている。
「おじいさんも、がんばってるから」
 吹き付ける風の中、馬の腹が刃で割かれる。最後の命を振り絞って嘶く馬の顔に抱きついて、ティレは硬く目を閉じた。

「大丈夫。もう大丈夫だから」




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