-黄金の庭に告ぐ-
<第一部>1話:僕たちは駆け落ちをした

06.黄金の庭の住人たち



「――さて」
 でーん、と仰々しい椅子に身を預けて足を組むギルグランスの様は、名家の当主というより盗賊団の親玉か冥府の王だな、とフィランは思った。偉そうな態度がよく似合う男なのだ。悪役顔というか。しかし囚われた殺し屋たちを前にどう料理してやろうかと舌なめずりしている様子が滑稽にならないのは、彼の顔立ちが凛々しく整っているせいだ。髪はほぼ灰色だが、よく手入れされた身だしなみには隙がない。軍人時代に各地で浮名を流したというのも納得がいくというものだ。腹が立つことだが。
 六人の殺し屋たちは全員が後ろ手に縛り上げられ、まな板の上の魚同然に並べられていた。四名を捕らえた乱闘後、戻らない仲間を不審に思ってのこのことやってきた二人もベルナーデ家の者の手によって捕らえられたのである。まさか彼らも見ず知らずの貴族に突然拉致されるなど思っても見なかったろう。
「また会えて嬉しいぞ。神に感謝しよう」
 ギルグランスの友好的な笑みは、彼らにとって邪笑にしか見えなかったに違いない。殺し屋の長は鋭く当主を睨みつけたが、老境に差し掛かろうかという偉丈夫は軽く手を振っただけだった。
「まあ楽にしろ。本国から遠路はるばる疲れたことだろう」
「殺すなら殺せ」
 刺すような物言いに、ギルグランスは心外だというように眉を持ち上げてみせた。
「何を物騒な。私は取引の場だと思っていたが」
「旦那様。普通、取引は一方が縛られた状態では行われませんよ」
「ふむ、そうだったか」
 奴隷のセーヴェに指摘され、とぼけた顔で椅子に座り直すギルグランス。それを見つめるフィランは気が気ではなかった。何をするつもりなのだこの親父は。
 するとギルグランスはニヤリと笑って卓上の皮袋を持ち上げた。同時に鳴る独特の音が、それが金貨であることを知らしめる。しかもかなりの大きさだ。
「一人あたま金二百枚」
 ぎょっとしたのは殺し屋だけではなかった。動じなかったのは本人と奴隷のセーヴェくらいなものだ。金貨二百枚といえば、庶民からすれば眩暈がするような大金である。平均的な奴隷が一人二十枚程度で買える世の中だ。パンだったら金貨一枚で一ヶ月分は賄える。
「ここはひとつ、これで手を引け。そうだな、北のティシュメは良いところだぞ。大きな町だから、貴様らにも新しい仕事があるだろう。遥か遠い本国の雇い主? そんなものは忘れてしまえ、ここは帝国も辺境、貴様ら六人が紛れたところで誰も怪しがらぬ」
「な、なにを」
「ちょっと待って下さい!?」
 異議を唱えたのは殺し屋ではなくフィランであった。
「この人たち見逃すんですか? 僕のこと殺すのが仕事なんですよ!?」
「ケチケチするな。私とていらぬ血は見たくないのだ。命が買えるなら安いもんだろう」
「安くない! 絶対安くないですよそれ貴方銅貨と勘違いしてるんじゃありませんよね? いやそういう問題じゃないですよ金貰ってまた襲ってきたらどうするんですか」
 途方もない金額を前に狂乱気味で食って掛かるフィランをはらはらと手で制し、ギルグランスは大儀そうに立ち上がると殺し屋の長の目の前でしゃがみこんだ。
「なあ。貴様らのやり方を見ていて思ったのだがな」
 殺し屋の長は突然大柄な男に迫られて、うっとのけぞる。だが当主の瞳は何かを悟ったかのように哀れみ深かった。
「貴様らもうんざりしていたのではないのか?」
 穏やかな表情のギルグランスに対し、殺し屋の長の顔が少しだけ青くなる。ギルグランスは表向きそれに気付かぬ様子で優しく続けた。
「命を下され、本国から追いかけてきたのだろう? こんな辺境まで! さぞや苦しい旅だったろう、一体何ヶ月かかったのだ。なのに相手はネチネチと逃げまくる。酒場の戦いといい、先ほどといい、貴様らの動きは手錬のくせに何処かどん臭かった。惰性で追えばああなるものだ。しかしここで命を果たしたとして、誰が貴様らの労苦に報いるのだ。旅賃はどうなる。経費で落ちるのか? ん?」
「……」
 歴戦練磨の殺し屋の表情に、明らかな動揺が垣間見えた。もう一押しだ、とギルグランスは賢者を唆す悪魔じみた口調で続けた。
「ティシュメは良いところだぞお。温暖だし、州都だから羽振りの良い者も多い。裏社会も活発だ。貴様らほどの腕があれば、十分にやっていけるだろう。それにあそこは海が近いから魚がうまい。とろーりとしたソースをかけて食べる白身魚は絶品と言ってしかるべき味だ。考えてみろ、今何処かでそれを味わっている者がいる! なのに貴様らはこうして野を彷徨い風に身を裂かれ、泥にまみれて縄で縛られている。これは許されて良いことなのか? 神はその理不尽を許すのか?」
「……うっ」
 だしぬけに、殺し屋の一人が呻いた。顔を伏せて肩を震わせるその様は体調を悪くしたのではない。咽び泣いているのである。一人が泣き出すと、伝染したように彼らの動揺は大きくなった。目を逸らす者、唇を噛み締める者、虚ろな目をする者。頬を震わせた殺し屋の長の声も消え入りそうなほど掠れていた。
「わ、我々とてこんな筈ではなかったのだ」
「うんうん」
「相手は女連れだ、すぐに事は成ると思った」
「ああ、そうだとも」
 しゃがみこんだまま深く頷いて同意してくれる当主に安堵したのか、殺し屋の長は何もかも吐き出すように声を張り上げた。
「なのにあいつが無茶苦茶な逃げ方するから!」
「こ、こっちだって命懸けだったんですよ!? 仕方ないじゃないですか!」
 予想外の展開に呆然としていたフィランが我を取り戻して反論すると、殺し屋の長も眦を吊り上げた。
「だからってあれはない! 通るならちゃんとした街道通るだろう普通!? なのに魔物がウヨウヨいる森やら盗賊の出没区域を何ヶ月も平気で進むなど、我々の方が全滅するところだった! どれだけ大変だったと思ってる!?」
「違うんですよ、あれは道に迷って――あー、いやなんでもないです、とにかくこっちだって大変だったんですよ! そもそも貴方たちを気遣ってどうするんです!? 危ないんだったらさっさと仕事投げて帰ればよかったじゃないですかッ」
「これだから素人は分かっていないのだ! 我々の世界は結果が全てだ。仕事に失敗して帰ってみろ、経歴に真っ赤なバツ印がついた奴に依頼なんてきやしない!」
「……大変なんだなぁ」
 脇の方で一人感心してしまうジャドである。
「まあまあ、落ち着け」
 唾を飛ばして舌戦を繰り広げる二人を、立ち上がったギルグランスが取り成した。
「双方、大変な労苦を背負ったことはよく分かった。だが殺し屋を雇うほどにこの者の罪は重いのか?」
「……知らぬ。我々は受けた依頼を遂行するのみ。余計な事情を知れば枷にもなる。我々の受けた命は、男を殺し、女を連れ帰ることだけだ」
 お前はどうなのだと視線をよこされ、フィランは髪を弄りながらぷいと顔を背けた。
「ティレの実家がちょっと複雑でしてね。一部の者がその身柄を欲しがってるんでしょう。――ティレの身を案じもせずに」
 最後の一言には凍えるような憎悪が込められている。ギルグランスは若者の滾る激情を垣間見て、ふっと目を細めた。
「うむ。だが貴様ら、考えてもみろ。同じ帝国とはいえ、ここは西の果てだ。本国の騒動など夢の世界に等しきこと。争ったとてどちらにも特にはなるまい」
「し、しかし」
 すっかり弱った様子で最後の抵抗を試みる殺し屋の長。後ろ暗い仕事の割に誇りを以っているらしい。だがギルグランスもこの場で何が物を言うかを知り尽くしていた。
「その労苦に免じて金は二百五十枚にしよう」
 ぐらり、と彼らの心が揺れる音が外にまで聞こえてくるかのようだった。一体何の為にこんな苦労をして逃げてきたんだろうと思うと、フィランは切なくなった。
「ぐ、だ、だがな」
「何もかも気持ち良く忘れて一からの生活だ。楽しいぞう」
「うぐ」
 にこやかな当主に押され、殺し屋の長は押し出すように告げた。
「……少し仲間と話をしても良いか」
 勝った、とギルグランスは奸智の光も露ににんまりと笑った。
「ああ、良いとも」
 なんてことだ、とフィランは一人、手で顔を覆っていた。
「僕の苦労は一体……」
「忘れろ。あとで飲もうぜ」
 哀れな若者の肩をジャドが叩く。人生の問題とは何処で解決するか分からぬものなのである。
 後ろ暗い取引を成立させる男どもを見やりながら、フィランはこれをどのようにティレに説明したものかと苦悩する羽目になったのであった。


 ***


「おかしいでしょう絶対!? あんな大金だすなんて何者なんですあの人!?」
「あー、オヤジ金遣い荒いからなあ。セーヴェの顔見たかよ。ありゃあとで小言の嵐だな」
 小言で住む金額か、とフィランは未だに信じられない思いで一杯だった。先頭で櫂を漕ぐ渡し守の爺がカラカラと笑う。
「で、結局兄ちゃんも島入りか。あの人も好きだねえ。何をなされるおつもりか」
 狭い舟は鮨詰め状態だ。ヴェルスから離れの灯台島へ向かう舟には、フィランとティレの他に、ギルグランスの配下だった三名が乗っている。彼らも過去にあの当主に拾われ、島で暮らすことになったのだという。島で采配を振るう島長の妻クレーゼはギルグランスと懇意らしく、そのつてで「ちょっと訳あり」の彼らを島に住まわせているそうなのだ。恐らくこれからは彼らがフィランの仕事仲間になるのだろう。
「何も考えてないよ。面白いか面白くないかだけだ」
 配下の一人でオーヴィンという男が、眉尻を下げてそう言った。違いない、と渡し守の爺が笑う。
 ティレは男たちの話が耳に入っていない様子で、遠ざかる都市を瞳に映し込んでいた。ゆるやかに渦巻く淡い色の髪がふわふわと風に靡いている。
 本当にこれで良かったのだろうか。フィランは揺れる船底に腰を下ろしたまま、視線を水面に向けた。初夏の陽は長く、やっと訪れた夕暮れが視界に朱を添える。複雑な陰影を生むそこに目を落とし、フィランは僅かに眉根を寄せた。確かにこの島は静かなところだ。心に傷を負ったティレが暮らすには良いかもしれない。しかし結局のところ、フィランはいくら逃げようとこの国の一部であるしかないのだ。名を捨て誇りを捨て、なのに落ち着いた先は貴族の元だったなど、結局何も変わっていないのではないか。ティレを護っていけるのかも不安だった。貴族に仕えることになった以上、働いている間はティレを灯台島に残さなければならない。
「フィラン」
 ふと、フィランの意識は水面から引き上げられた。聞き間違えようもないティレの呼び声だ。ティレは湖を抱く都市をじっと見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「きれい」
「……」
 ティレに倣って、フィランは夕暮れに佇む豊饒の都を眼に映した。強大なる帝国の前に屈して早百年、国境の戦火も程遠いヴェルスには、本国のような絢爛豪華な賑わいも、踏み鳴らされる軍靴の歌声もない。黄昏に沈む辺境の小都市に打ち寄せる波の音は、フィランの耳には物悲しくも聞こえる。
「――うん、そうだね。綺麗だ」
 切り立った丘が積み重なるような形をした灯台島が、すぐそこに迫ってくる。フィランは無理にでも笑った。己の詮無き想いなどどうでも良かった。今はティレのことだけを考えよう。ティレが綺麗だと言えば、そこは綺麗なのだ。そして彼女が綺麗だと言った場所に住むことが出来る。それ以上求めることがあろうか。彼女の心が安らぐなら、他には何もいらない。
「何シケた面してんだよ!」
「うわ!?」
 突然首に腕を回され、体勢を崩したフィランは危うく湖に落ちるところであった。小さな船が大きく揺らぐ。
「な、何するんです」
「ずりぃんだよ。こんないいタマ捕まえといて不幸面すんじゃねえっつーの」
 ジャドにびしり、と指をつきつけられ、フィランは渋面になった。しかし言い返す前に反対側からも声がかかる。殺し屋を捕まえる折にティレに変装してもらった配下の男だ。
「そーだよー。すっごいかわいいのに。ねーねー、ぼくとお話しない?」
「ちょ、妙なこと考えたらただじゃおきませんよ!?」
 迫り来る敵から大切な恋人を護るべく、身を引いてティレの頭を抱き寄せる。急激な体重の移動によって舟が際どい角度まで傾き、ちゃぷんと水が大きく跳ねた。
「おいおい、転覆しちまうぞー」
 渡し守の爺が楽しげに笑う。我関せずといわんばかりに口笛を吹くのはオーヴィンだ。本当に妙な人ばかりがいる、とフィランは思った。
『なんか、真面目に考えてるのが馬鹿みたいだ』
 眉根を寄せ、ぽりぽりと頬をかく。あの貴族の言う通りなのかもしれない。ここは広大な帝国の辺境だ。本国にあったしがらみは、ここでは何の意味も成さない。追っ手の不安が消えたのもあって、疲労ばかりが澱となって全身に溜まっていた。慣れないことをしたからだ。
 うるさい男たちを眺めやりながら、フィランは不意に口元を歪めた。
「まあ、いいです。もう誓ってしまいましたしね。後悔させない働きをしますよ」
「お。言ったなお前? いっとくがあのオヤジ相当人使い荒いかんな」
「僕を誰だと思ってるんです」

 平然と顎をそびやかす若者に、ジャドは呆れ半分に苦笑した。始め会ったときは手負いの獣のような余裕のなさがあったが、今はその声にも張りが戻ってきている。これはもしかすると、結構な曲者かもしれない。なんせこの若者は、あのベルナーデ家当主の御眼鏡に適った者なのだ。
 また一波乱ありそうだな、と楽しみ半分、諦め半分にジャドは片頬で笑った。
「ま、あんまり気張んなよ」


 摘んだ薬草を干し台に並べていたマリルは、船に乗ってきた人物を見て目を丸くした。その顔が夕日を受けて輝き、花を散らすような足取りで駆け寄っていく。
「まあ」
 島の丘からその様を見下ろしていた老女クレーゼも、嬉しそうに微笑んだ。手には先ほど鳩の足にくくられて送られた書簡が握られている。手紙の主たるギルグランスの文面は、あっけらかんとしたものだった。頼む、の一言で駆け落ちをした恋人たちを気軽に押し付けてきた名家の当主に、しかしクレーゼはくすぐったそうに笑っただけだった。
 北風のような顔をしてやってきた若者の瞳を思い出し、クレーゼは湖を隔てた先にある都ヴェルスに思いを馳せた。黄金の庭を目指して、しかしそれが蜃気楼に過ぎないことに気付き、尚諦められなかった者たち。彼らが身を寄せ合って成ったのが灯台島の集落だ。そして今も、虚像の都市を見渡せるこの島に流れつく者は皆、どこかに傷を抱えている。
 けれど夢と現実の狭間にこそ人は生きる。生きていれば、虚ろな都市が黄金の庭となることもあろう。だからきっと、あの若者もいつか、いつか。

 全てに輝く陽の御子が薔薇色の車駕を進め、黄金の庭に日没が訪れる。
 神々の祝福のあらんことを、とクレーゼは祈りを風に吹き込めて、淡く目を閉じた。




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