-Bitter Orange,in the Blaze-
下・強いひかりの中に 終.真実と、現実と――

135.調停者



 砂煙の中、ファイバーは冷めた目つきで町の一点を凝視していた。
 ガラスのような瞳は精密な機械が獲物を捕らえるかのようにきろりと動く。
 あの狙撃の正確さ、そしてここまで追い詰められていようとも町を律し、静めている才能を持つ者は彼が知りうる限りでたった一人しかいなかった。
 間違いない――彼だ。
 装甲車の姿は既に視界になかった。
 あの巨体はアレキサンドライトの発動寸前に実を翻すようにして森の方へと逃げたのだ。
 ……だが、もうあれは再起不能に違いあるまい。ファイバーとの戦いに5分以上もっただけで幸いだったというものだ。果たして操縦者も無事であるだろうか――。
 アレキサンドライトの娘も、もはや見えなかった。恐らく吹き飛ばされたのだろう。遺体回収は無理に等しいとファイバーは結論付ける。
 だが、彼女を失ったことについての感慨は彼が持つはずもなかった。別に構わなかったのだ。ウッドカーツ家によって彼女のデータは全て採取済みだし、この程度で滅びる体ではこの先も単なる扱いづらい荷物とでしかならなかったろう。
 だから――既に彼の脳内ではアレキサンドライトのことなど片隅に押しやられている。
 ファイバーのすべきことはただひとつ。
 議会から下された決断を、――この世の調停者として施行するのみ。
 目標は肉眼で確認した。
 とっさのことで放った弾は外れてしまったようだ。まだ彼は生きている。
 故に可及的速やかに、あの男を消さなければならない。
 ――そう、確実に。
 ちらりと横を向くと、ハルムの絶句した表情があった。
 だが、そこは民の頂点に立つ者だ。すぐに従者に指示をとばしている。人員の確認、総攻撃――。
 ――もう、この男に用はない。
 町に潜む者もヘイズルさえ消せば他は所詮烏合の衆、この男が後始末をしてくれるだろう。
 自分はただ――己のすべきことさえすればいいのだ。
「ハルム様」
 ファイバーが呼ぶと、ハルムはその紅の瞳を向けてきた。
 やはり軍人、あの娘が消えたといっても悲しむ様子はみせない。ただほんの少し哀れみをこめた視線を彼女が立っていた方に投げていただけだった。
 ファイバーは自らの胸に手をやる。
「僕はこれから業務の施行を行います。ヘイズル・ミグ・レザーブライトを捕捉しました、ただちに聖ウッドカーツの名において処刑を執行致します故」
 ぴくり、とハルムの眉が跳ねた。
「――それは、我々と行動を別にするということかね」
「目標は同じです。弱き民衆といえど、指導者の力量と知識によっては万の部隊よりも勝る兵となりましょう。つまりその中心を消せば全ては崩壊します」
「――」
 内心で悪態でもついているのだろう。かすかに不快感をみせるハルムへ、ファイバーは薄く笑って背を向けた。
「それでは失礼致します。アレキサンドライトを失った今、我々にはこの町を根絶やしにする以外に道はないのですから」
「……君の自由だろう。勝手にしたまえ」
 戻ってきた海からの風にファイバーの焦げた茶色の髪がたなびく。
 彼の瞳はがれきの町を目下に細められ、――そうしてまた薄い唇が感情のない声を紡ぎだす。
「――恐れながら、一つ忠告を致しましょう。もし僕があなた様であったなら、まずは風魔法の部隊を草原一帯に配置します」
 背を向けているから、後ろのハルムがどんな顔をしていたのかはわからない。
 だが、ファイバーは笑みを絶やすこともない。
「町に少数の人をやって、中を探るのです。そこで不思議なものを見つけたら――それはとても幸運ですね」
 くすり、と。
 ファイバーはハルムの方へ僅かに振り向いて、軽く会釈をした。
「それでは。ご武運をお祈り致します」
 たんっ、と細身の足が大地を蹴る。
 そう思った瞬間、ファイバーの姿は風のようにかき消えていた。
 その素早さは生身の人間でできるものではない。――高位中の高位といわれる、自らの力を高める魔法を会得しているのだ。
 ハルムはしばらく彼がいた場所を冷めた視線で眺めていた。
「ハルム様、泳がせてしまって大丈夫なのでしょうか」
 彼が去った方向を忌々しそうに見やりながら従者がぽつりと言う。
「勝手にやらせておけばいい」
 ハルムは、その口元を歪めるようにして笑った。
「――忠告、ありがたく受け取らせて頂くよ、ファイバー君」


 ***


 どこかで危惧していたことが、現実となった。
「――ヘイズル?」
 はっとしてリエナが四方八方に視線を巡らせたときには――既に遅い。
 先ほどまで空気のように隣にいたはずの男の姿が、いつの間にか完璧にかき消えてしまったのだ。
 近くの者に行方を聞いても満足のいく答えは得られない。
 辺りを一周まわってみても、どこにもあの姿は見受けられなかった。
 あんな大柄なのだから少しくらい気配があってもいいものなのに、とリエナは唇を噛んで拳を握る。
 アレキサンドライトを突破した今、彼女たちのすべきことは夜まで町を守ること。
 元々地の利はこちらにある。敵陣に乗り込むならともかくとして、防御だけに力を注げば並大抵の兵で突破されることはないだろう。
 ――しかし、だからといって黙って姿をくらますな、とリエナは本人に怒鳴りつけてやりたかった。
 ただ、なんとなくこんなことになる予想はついていた。彼女の脳裏を過ぎるのは、あのときにヘイズルがぼそりと呟いた一言だ。

 ――相変わらずいい腕してやがる、ファイバー

 ……敵陣に知り合いがいたのだろうか。
 しかしそのときに一瞬だけ彼から放たれた殺気はまさに刃、リエナでさえ悪寒を感じたほどだ。
 リエナはふと思う。
 彼女の知りうる限りのヘイズルの情報は、――この町に住んでいた男、たったそれだけだ。
 その生い立ちや過去など、聞かされたことは全くない。
 敵の名前を知っていることからして、恐らくいつしか貴族と関わったことがあったのだろう。
 一体、過去に彼はどんな光景を見たというのか――。
 ふいにぞくりと肌を悪寒が駆けて、リエナは自らの体に腕を回す。
 まさか、彼がやられるはずがない。
 あの――ヘイズルなのだ。いつだって余裕を崩さず、どんな危険な道も看破した男なのだ。
 彼がいなくなれば、それこそこの町は崩壊する。彼だからこそ、これだけの人数をまとめられたのだ。
 しかし……あのときの銃撃。
 離れた場所から一瞬にして彼を狙った、あの長身の男。
(まさか……ね)
 ただそれが自分で笑ってすませられることでなかったのが、リエナの心をまたひとつ震わせる。
 空を仰いだ。
 雲ひとつない、晴れ渡った空だ。
 そこが幾度も経験した戦場だというのに、リエナは体の震えを止めることができなかった。
 きっと、彼は戦いに行った。
 あのヘイズルのことだ、無理な戦闘は絶対にしないだろう。
 だが、もしも、もしも――。
 彼がこの場から消えてしまったら、自分たちはどうなるのか?
 弱音を吐くなんて自分らしくない。
 しかし、彼女は……それでも、ふらふらと歩き出していた。
 既に戦いは始まっている。あちらこちらから爆薬の音、誰かの悲鳴、音、音、音――。
 人一人が欠けただけで、こんなにも不安になるものなのだろうか。
 リエナは、改めてこの戦いが本当に綱渡りだったのだということに気付いて――、一瞬だけ、恐怖を覚えた。


 ***


 はっ、と胸に溜まった息を吐き出してから、フェイズははじめて自分が呼吸を忘れていたことに気付いた。
 次の瞬間、どっと汗がふきだしてくる。
 酸素を求めて荒い呼吸を繰り返す体は重く、思わず操縦台に倒れるようにしなだれかかった。
「あいつ、人間じゃねえ……」
 思っていた以上にこの機械は頑丈だったらしく、見た目はぼろぼろでも中はまだ被害がなく、フェイズもほぼ無傷で生存している。
 だが、この数分間、生きた心地がしていたかというと――彼は否と答えるだろう。
 正直、あそこまでもったのが不思議だった。
 フェイズの役目は、あの術者のまわりの人を払い狙撃をしやすくすること。そして、その狙撃をするヘイズルに目標の位置を示すためだった。
 それが――作戦自体は成功したとはいえ、あのような男と戦うことになろうとは。
 たった一瞬でも操作を誤れば、今ごろ彼は無残な姿をさらしていただろう。
 あのこげ茶の髪をした、長身の男。
 どことなくヘイズルと似ている気がしていた。
 無駄など微塵もない、とんでもなく素早い動きと。
 精密な機械のように雨あられと拳銃を撃ち放す容赦のなさと。
 ――もう一度大きく息を吐いてから、フェイズは体中に力を入れて起き上がり、外への扉に手をかける。
 しかし、あの戦いで歪んだ金属はひっぱったところで開くものではなかった。
 仕方なく、疲れきった体にムチを打って壁のでっぱりに手をかける。
 そうして、体の重心を上方に持ち上げるようにして、バク宙の要領で地面を蹴り上げた。
 残像を残すほどの速度で足が振りあがり、金属の扉に激突する。
 がぃん、と鈍い音は装甲車全体をゆすぶった。
 すると衝撃に耐え切れずに止め具が外れた丸い扉がひしゃげ、外れる。またほんの少し巨体が傾いだが、横転するほどでもなかった。
 外と通じた出口から森の澄んだ空気が入ってくる。それで、巨体の内部の温度がかなりあがっていたのだと気付いた。
「――つ」
 フェイズは扉に叩きつけた足の裏からくる電流が走るような痛みに、顔をほんの少し歪める。
 やはり金属に生身の足を打ちつけて痛めないはずがない。
「――は、こんな所でくたばってたまるかってーの」
 だがそこに薄い笑みをのせてから、フェイズは壁に手をかけて外へと体をひねり出した。
 軽々とへこんだ金属の塊を飛び越え、草の地面に着地する。
 辺りは深い森だ。虫の音がする。
 普段使う山道とはかなりそれたところを通ったはずだから、追っ手も暫くは追いつけまい。
 そのまま大樹の幹に手をついて、眩暈を抑えるようにこめかみに手をやりながら装甲車を見上げた。
「……こりゃまた」
 ――それで、どれだけ自分が幸運だったのかがよく分かった。
 黒光りする肌は無数の穴がハチの巣のようにあけられ、部品がいくつも外れかかってぶらさがっている。
 亀裂の入った箇所からは今にも二つに分断されてしまいそうだった。
 思わずフェイズは赤紫の髪に手をつっこんで目を閉じる。
「寿命が縮んだっつーの」
 だが次にその瞳が開いたときには、彼の紫色の視線は鋭く来た方向を睨んでいる。
 そう、ここでのんびりしている余裕などない。
 いつ追っ手がここまでたどり着くかもわからないのだ。早くこんな場所は離れてしまうに限る。
 早く帰らなくてはならないのだ。どうにかして、生き延びて、そして。
 ――やることがある。
 ――いつだったか、心に誓ったことが。
 ――もう、背を向けることなど許されないのだ。
「――っ」
 少々強く蹴りすぎたようだ。右足が一歩歩き出すごとにじんじんと痛みを訴える。
 医学を持つ彼自身、――骨に亀裂が入ったのかもしれないことは、よく分かっていた。
 だが、そんなものは気にならない。
 そうだ、あのときの痛みに比べればこんなもの――。
 フェイズは山の斜面を下りはじめた。
 彼のすべきことをするために。
 ――町へ、あの町へと戻るために。


 ***


 エル・プロジェクト。
 『天使の計画』と名付けられたそのプロジェクトは、正式な歴史に記録されることもない暗闇の中にて行われた。
 素質ありとされて集められた6歳の子供は約80名。
 その内、15歳まで残ったのはたった7人であった。
 残りは事故や発狂で死亡。そうしてその訓練を耐え抜き、その名の通り生き残った7名はウッドカーツ家の懐刀として、その力を発揮した。
 そう、彼らは『天使』にして『調停者』。
 頭脳に組み込まれた判断基準は、この世界における唯一の憲法条文のみ。
 それに従わぬ者であったのならば、容赦なく牙を剥く。
 彼らの戦術はもはや人間技と呼べるものではなく――。
 彼らの体、そして心は――定められたことのみをこなす機械でしかなかった。

 海からの風は強かった。
 深い緑の髪は、太陽の下。だが、瞳の深さは闇よりも昏い。
 大柄だというのに、まるで気配もなく。
 町のはずれ、酒場だった廃屋の壁を背に、ヘイズル・オルドスはひとりで立っていた。
 辺りの風は変わらず、ひとの影など全く見えない。
 そうして、彼もまた、まるでこの滅びた町と同化したかのように微動だにしない。
 正午をまわり、時間は過ぎる。
 ――だから、その口の端が吊りあがって笑みとなるのは、全く前触れもないものだった。
 ふっとその場に再び風が吹き込む。
「――お前にしちゃ随分と時間がかかったな。人ひとり探すのにそんな時間かけてるとまたランク落とされるんじゃねえのか?」
 その言葉が終わらぬうちに――風。
 だが既にヘイズルの姿はそこにはない。
 かわりに残ったのは、つい先ほどまで彼が背にしていた壁に突き刺さった鋭利な短刀――!
 ふわっとその前に着地したのは長身の男だった。
 焦げた茶色の髪に、無機質な人形のような顔立ち。
 その何の表情も浮かべぬ顔は、一直線に太陽の方を見据える。
 同じくしてヘイズルも太陽を背にがれきの上へ着地して、その長身の男を見やった。
 二人の距離は10メートルあるだろうか。
 陽光を背にしたヘイズルの表情は、笑っているように見えた。
「よお」
 まるで、友人にするような挨拶をしてヘイズルはくつくつと笑う。
「……ヘイズル・ミグ・レザーブライト」
 対する茶髪の男、ファイバーは彼の昔の名を淡々と紡いだ。
「聖ウッドカーツ家の名において、反逆者の処刑を行う。何か言い残すことは」
「へっ、積もる話もいろいろあるだろうに」
 目の前で死刑を宣告されたところでヘイズルの態度は変わらない。相変わらず太陽を背に立っているだけだ。
 しかしファイバーの面持ちも変わらず無機質なまま――。
「相変わらず短気な奴だな」

 それが、戦闘の合図となった。


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