-Bitter Orange,in the Blaze-
下・強いひかりの中に 終.真実と、現実と――
133.祈り
どぅん、と唸りをあげたかと思ったそのたった数秒に、がれきを吐き散らしながらおびただしい砂煙があがる。
その中央、禍々しく陽光に黒光りするのは古代の遺産、装甲車。その破壊力の前には障害物などあってなきものに等しい。
しかしそれが始まったのは、滅びの魔法の詠唱が始まってからのことだ。
――それでなくてはどこに術者がいるか判断することができない。目指すはその術者の目の前なのだ。はたして間に合うか――。
「へっ、あのオッサンとことん無茶言いやがって」
悪態をつきながらフェイズは更にレバーを手前にひく。
それに呼応して更にけたたましいエンジン音をあげる装甲車はその速度を最大限まで引き上げる。
――無論、敵の注意は全てこちらに向くことになる。
静まりかえっていた町の中、突然こうやって姿を現したのだ。敵陣に突っ込めば即座に総攻撃をくらうだろう。
いくら古代の産物とはいえ、もし魔法部隊の総攻撃にあったら無事でいられるかは定かでない。
みるみる数日前と同じように白む空の下、その力の波の中心となる地点へと装甲車は走り抜ける。
出発から既に三分。残り十数秒で敵陣へと入るだろう。ヘイズルの割り出したアレキサンドライトの詠唱時間は約五分。目の前にいる敵などに構う余裕はない――。
町の城壁の一部を軽々と吹き飛ばし、その先の草原地帯へと突き進む。
目の前に待ち構える敵の部隊が見えた。それぞれ既に魔法を完成させ、今まさに装甲車へと放とうとしている――。
しかし無論、フェイズの手は冷静に機械のパネルを叩く。
「――どけ」
何の感情も入らない呟き。
――閃光。
――爆音。
空気がびりびりと震える。
そこ一帯の草原は瞬時に荒地と貸し、煙で閉ざされた地帯からそれを切り裂くようにして唯一飛び出したのは装甲車だけだ。
敵の攻撃がきた、ということはそこがアレキサンドライトの被害を受けないほど敵陣に近いということだ。そうでなくては人員を配置できるはずもない。
そして、術者も近い。必ず近くにいるはずだ――。
魔法の学のないフェイズでもその力の流れを感じ取るくらいのことはできる。
その中心に向けて、更に装甲車は加速を続ける。残り1分、急がなくてはならない。
「うぁあっっ!」
敵の悲鳴が聞こえる。だが構う必要はない。
容赦なく弾丸を飛ばし、敵の群れを蹴散らしながらフェイズは草原を突き進む。
その速度に視界は極限までせばめられ、呼吸すらままならなくなる。
テントを丸々ひとつ突き破って、装甲車はついにその全てを抱える流れの中心にまでたどり着く――。
***
「リエナ、肩借りるぞ」
「――はっ?」
リエナが怪訝そうな顔で振り向く前に、彼女の肩に銃口がおかれた。
「な――」
「動くな」
ヘイズルの低い声に背筋に悪寒が走る。
彼はリエナの肩を銃の固定台代わりにして狙いを定めた。
つい、と引き絞られた瞳は鋭い眼光をもってして、草原の中央を狙う。
その位置は丁度爆煙のあがる場所、装甲車がその戦闘をもってして示す術者のいる場所。
風は、止んでいた。
空が白く染まっている。
見る者を凍りつかせるような、力の塊。
そんなものが、草原に浮かんでいる。
増幅されたあの光は今度こそ跡形もなくこの町を吹き飛ばすだろう――。
思考が半ば氷結している。あまりにも『死』というものが近くにありすぎるのだ。
先ほど見えたあの緋色のマントの魔道師がアレキサンドライトの使い手なのだろう。
双眼鏡の先にぼんやり見えた顔がどことなく娘のような顔つきをしていたのは恐らく気のせいだ。
リエナは呼吸すら止めてヘイズルの集中を乱さないようにしてやる。
目を閉じて、その心のどこかに火をつけた。
そうだ。
生きるためには。
――生き残るためには。
ただ、目の前にある脅威を看破し、勝利をその手にすることだけ――。
だから彼女は、あの緋色の魔道師を殺し、いつだったか傍にいた人の願いを叶えるのだ。
***
とっさに身を翻して飛び去っていなければ、ハルムの五体は無事ではなかったかもしれない。
陽は正午に近く、黒光りするその巨体の影は闇夜より暗く。
彼としても実物を見るのは始めてだ、目の前に禍々しく煙を噴出しながら唸る鋼の獣、装甲車――!
「――連中、自棄をおこしたか!」
いくらすさまじい破壊力を持っているとはいえ、敵陣に単体で突撃させるなど正気とは思えない。
「ハルム様っ、お逃げくださいっ!」
従者が慌ててハルムを促すが、彼は紅の瞳に鋭い光を宿して踏みとどまる。
「ならん、アレキサンドライトが危険だ」
彼女の魔法さえ完成すれば、町は跡形もなく吹き飛ぶはずだ。
そうすれば古の遺産だろうが、こちらには全く脅威にはならない。
つまりここを死守していればいいのだ。あの装甲車を彼女にこれ以上近寄らせなければ。
だん、だん、と痛いほどの衝撃にも似た音が耳朶を叩いたのはそんなときだった。
驚いてそちらに顔を向ければ、爆煙の中にイラルアの背を守るようにして立つ長身の人影。
――ファイバー・ミグ・ファレルーン、彼の両手には黒き天使の刃――拳銃が握られ、その銃口からは煙の糸が舞い上がる。
無機質なとび色の瞳はただ目の前の巨大な影しか映していない。
しかし、彼は丸腰――しかも周りに援護に回るような者もいない。兵士の大多数は装甲車におののき逃げてしまった。
たった一人でその巨獣と対峙する彼は圧倒的に不利としか思えない――。
「ファイ――」
だんっ、と激鉄があがる音。
次の瞬間、ぶすん、という音と共にその巨体が傾いた。
それと共にばちばちと電流を走らせながら右腕のように見える機関砲がもげて落ちる。
ファイバーの放った鉛弾が寸分の狂いもなく巨体の急所を打ち抜いたのだ。
そう思った瞬間には彼は再びその引き金をひいている。無論、対する装甲車も黙ってはおらず、巨体に見合わぬ動きで弾が鋼の合間に入るのを防ごうとする。
――ハルムは半ば絶句していた。議会の犬としての訓練を受けた戦闘のプロだとは思っていたが、その動きの素早さはとても人間とは思えない――。
しかし、生身の人間と鋼の獣。ファイバーを柔とすれば装甲車は剛。
右側の砲弾口が完全に潰されようと、他の攻撃法で一気に無数の弾を仕掛ける。
その光景はまさに無数の槍の雨。その全てが長身の男を狙って襲い掛かる――!
「――精霊の御名において」
……それは、紅いローブをまとうことを許されたウッドカーツ家の魔術師団の最高クラスにも匹敵するかもしれない。
ファイバーがとっさに――否、機械のように冷静に下した判断に基づく光の壁が、その弾丸を嘘のように無力化した。
弾き返されたその地でそれぞれ爆発が起き、辺りは突風吹き荒れる地獄と化す。
「――まだアレキサンドライトは完成しないのか」
ハルムはそんな光景に戦慄を覚えながらも、フェイバーの背にあるものに視線をやって――。
「ハルム様、ここは危険です。あの化け物はあやつめにまかせて、急いでお逃げくださ――」
こんなときでも主と共に逃げなかった従者の声も、もはや彼には届かないものとなっていた。
その紅の瞳が見開かれ、呼吸すら遠い彼方に忘れてきたように停止する。
「――っ」
とっさに前にでようとした体が、――前にでれば間違いなく死ぬという確信によって抑えられる。
冬も近い、背の高い黄金の草原の向こうに、それらが色あせて見えるほどに美しい琥珀の色。
だが後姿とはいえ、それが一刻を争う自体だということに気付かせるには十分なものだった。
折れそうになる体を必死に抱えるようにして、力の負担に耐えている。――否、耐えきれていない。
このままでは発動と共に彼女の体が吹き飛ぶか――最悪、制御できなかったエネルギーが爆発して、300年前の惨事の再来となるかもしれない――。
「――いけない」
彼女を失うことはこの際やむを得ない。最初からこうなることも一つの可能性として考慮にいれていたはずだ。
しかし、それが暴走するとなると――必ず阻止せねばならなかった。
当たり前だ、この大陸に住まう数多の人を救うためなら――!
だが、ふきすさぶ嵐の風の中では既に目を開けていることすら厳しい。
空は白に染まり、力は彼女を押し潰す勢いでまだ増幅を続けている。
そんな姿を従者も見て、不安そうな表情をみせる。
「――ど、どうしたんでしょう。何か様子が」
「今すぐやめさせろ」
ハルムはそれでも、その数多の力が集う場所で立ち上がった。
「やめさせるんだ、彼女では力を抑えられていない!」
――そうでないとこの大陸が第二のマディン大陸になる。
周囲の混乱を防ぐため、その言葉は喉の奥に押し込める。
どうして彼女は溢れる抑えきれないのに『出来る』といったのだろうか。こんなことになるのだったら、体の不調を訴えて任務の拒否をすればいいだろうに。
――だが、今となってはそう考えてもどうしようもない。
掲げられた彼女の手の平に集まる光の塊に、背筋が凍る思いをする。
がつん、と殴られたかのように従者もハルムの言葉に固まっていた。
目の前で繰り広げられる攻防はファイバーが有利にたっている。
だが、その戦いの向こうで。
――おびただしい量の血が、彼女を汚していた。
***
『ぁ……あ』
うめき声は永遠に続くかとも思わせるほどに絶えずその唇から零れ落ちる。
彼女の体は既に限界をはるかに超え、その懐にわだかまるエネルギーが更に彼女を蝕んでいく――。
『……っぅ、……ぁ』
そんな痛々しい姿を片時も逸らさずに見つめている少年の影があった。
テスタ・アルヴ、海の心を持つ少年だ。
『……』
彼に言葉はない。ただ、苦しみに耐える彼女を灰色の瞳に映している。
しかし彼女のこの痛みは彼によって与えられたものではない。
――それこそ、世界をも生み出した玉石が小さな娘から溢れようとしているのだ。
テスタはその魔法が完成されたときにしか手を下すことを許されない。
もし今、ここで彼女の精神を消滅させれば、ありあまったエネルギーが行く場所をなくし、世界ごと吹き飛ばす衝撃となるだろう。
だから、彼女がその魔法を完成させるときをじっと待っているのだ。
しかし彼女は魔法の完成を頑なに拒否していた。必死でその力を押さえ込もうと、その身をもってして戦っているのだ。
『――君は』
テスタがかすかにその顔を歪めるようにして、言う。
『……はじめからこうするつもりだったんだね? その力を解き放ち、自分自身を――その玉石の血を断とうと。君自身を消し去ってしまおうと』
『……それ以外に選択できることが――あったかな』
泣き笑いのように、イラルアは返した。
彼女の持っているもので、彼女を消し去れるものなど――それしかなかったのだ。
『……そうだね。君がそう思うのなら、それしかなかったのかもしれない』
テスタはゆっくりと目を伏せて、そのまま穏やかに呟いた。
『いいよ、その力を放っても。ぼくがどうにかしてみせるから』
『――』
彼女は血に汚れた顔をもたげる。
その姿は頼りなく、今にも崩れてしまいそうだった。
『……わたしは』
『君はもう、それ以上は生きていられないよ。今助かっても、その体は長くない』
そんな彼女に向けてテスタはふんわりと、少し寂しげに小さく微笑む。
それはあたかも、教会で聖母像を背に迷い子を迎える牧師のようだった。
『肉体が消えれば魂は砕け散り、風と海によって世界のあらゆる場所へと運ばれる。その欠片は例えば花弁の一枚に。また他の欠片は穏やかに流れる雲に。そして、それら命の欠片が集まって――また、人間に』
唄うような声の流れ。
彼の紡ぐ言葉はほんの小さな慰めであり、そして詠唱の代わりでもあった。
元々詠唱とは術者の集中力を高めるだけのもの。
『君が死んでしまっても、それは終わりではないのだから』
故に心の内側から零れた声は、彼の力を高めるこの上ない言霊となる――。
『……もう、いいのかな』
そんな少年の姿を見て、イラルアはやはりたおやかに微笑んだ。
ただ、その萌葱は歪んで透明の涙を零す。
『もう、力を抜いても』
『それは君が決めることだよ』
ぽつりと零れたテスタの言葉に、イラルアはぎゅっと唇を噛み締めた。
少しでも力を緩めればその重圧に耐え切れずに呪いの魔法を放ってしまうだろう、そんな体を抱えて。
血に濡れた口元が、歪むようにして笑った。
『……わたし、傷つけることしかできないみたい。結局自分ひとりじゃ何もできなくて――誰も救うことができないのね』
その笑みは、歪んで涙を落とす……。
『――はじめから、高望みしすぎた夢だったみたい。せめて最後はひとりでどうにかしたかったけれど――』
――彼女は、何かを諦めた。
ふっとその手から力が抜けて、そのわだかまる光が更に凝縮され、流れを生み出す。
『大丈夫、……この魔法では誰も殺させないよ』
『……ええ』
イラルアは俯いたまま頷く。
力の流れが空を白く染めあげた。再び、辺りが膨大な光に埋め尽くされる。
テスタもまた、両手を広げるようにして、その流れにそっと寄り添った。
魔法が完成したのは――互いに同時。
「精霊の御名において」
「――さよなら」
Back