-Bitter Orange,in the Blaze-
下・強いひかりの中に 六.あぶれたものたち

073.玉石との契約



 慌しく船へと乗り込むと、何人かの船員たちが誘導してくれた。
 そのまま甲板まで走っていく。
 テスタの姿が一瞬見えなくなったかと思っていたら…既に彼は身軽にも船の先頭に立って詠唱を唱え始めていた。
「な、なんなのよこれ……!」
「ちょっと揺れるから捕まって下さいっ!」
 健康的に焼けた青年が急ぎ口に言っている傍から、船がまた大きく震える。
「わわわっ」
 セルピは一瞬転がりそうになって慌てて船の縁を掴む力を強めた。
 太陽の光と魔法の光が交差して、まばゆいばかりに辺りが輝きだす。
 次の瞬間、水が唸る音と共に、船ががくん、と降下をはじめた。
「……海に潜ってる…」
 ピュラは船が泡のようなもので包まれながら海に潜っていく様子を間近で見ていた。
 船の縁から手を伸ばせばそこに海水がある。魚たちの群れが幾重にも重なって泳いでいる様子がすぐ傍で観察できた。
 まるでガラス張りの箱の中から海を覗いているようだ。
 上を見上げれば、太陽の光をたっぷりと抱えた水面のたゆたいに思わず見入ってしまう。
 白に近い眩しい水色から、鮮やかな色彩をもってして焼きつく青に、そして深い深い黒にも似た蒼へ。
 そうして船は、最後にごぅん、と僅かな地響きにも似た音をたてて海中に、静止した。
 煌きの羽衣をまとっていたテスタの手の中からも光は消え、彼は安心したように溜め息を一つ。
 そこでやっと緊張から解放されたのだと悟ったピュラたちも、各々縁から手を離して吐息を漏らした。
 信じようにも信じられないことが目の前にある。
 自分は今、海の中にいるのだ。
 しかしそこに現実感はない。当たり前だ、こんなことは普段ありえないのだから。
 生まれてはじめて見る海の内側。しかも海水が染みる目で見るぼやけた空間ではない。
 あまりにも透き通った、もう一つの世界。
「海の世界へようこそ」
 ぴくっと肩を小さく震わせて振り向くと、船員の一人が笑いかけてきていた。
「船から落ちたらそのまま海の底なんで気をつけて」
 心なしか小声でそう言うと、一気に踵を返して真剣な面持ちになる。
 よくよく見れば、いつの間にか十数人の船員全員が先頭のテスタの方を向いて直立不動していた。
 彼らは皆、テスタと同じ鮮やかな赤のバンダナを頭に巻いて――。
「おつかれさんでした親方!!」
 一人が深く頭をさげて船長の帰還を激励する。
「うん、皆もおつかれさま」
 それに比べてテスタはふんわりと笑う。
 まるで船の船長には似つかわしくない態度だ。こんなもので長が務まるというのか…、
 …しかしそれは杞憂のようだった。
「えっと、それじゃあこれからの指示をだすよ。ディクト、バジルは安全位置割り出しを」
「イェッサー!!」
 かつ、かつ、と踵が鳴る。目を見張るほどに鮮やかな敬礼だ、威勢よく声があがって二人の船員が駆け出していく。
「カルト、ナッシュ、トレドル、いつも通り現在の位置確認と修正をよろしくね」
「イェッサー!!」
 小さな少年を中心として次々と出される指令に船員たちは踵で床を叩いて散っていく。
 みるみるうちに甲板に集っていた者たちは船に吸い込まれるようにして消えてしまった。
「す、すごい……」
 テスタと船員たちが言った方を交互に見つめながらクリュウは呟く。
 気がつけば既に甲板にいるのはピュラたち4人と…テスタ、そして一人の青年を残すのみだ。
「親方」
 その残った一人は気さくな笑顔を浮かべてまたあでやかな敬礼を決めてみせる。
「任務、おつかれさまです。どうぞ休んでて下さい、あとは自分たちでやるんで」
「ううん。ありがとう、大丈夫だよ。クレーブは皆にお茶をだしてあげて」
「イェッサー」
 ぴしっと額に敬礼の形で手をあてるとピュラたちの方に向き直った。
「副船長のクレーブです。スイさん、ピュラさん、クリュウさん、セルピさん」
 一人一人の名前を顔を一致させながら言っていく。
 何ヶ月か前に見た、懐かしい顔ぶれだった。
「詳しい話は中でするんで。なんせ水の中ですから、ここは冷えます」
「ずっと水の中に潜ったまま動くの?」
 セルピが興味深げに聞くと、彼は色黒の肌に乗った顔を破顔させて白い歯をむき出しにした。
「そりゃちょっと酸素不足になりますよ。安全域に入ったら浮上します」
 言いながら横の扉を開け放つ。
 板張りの床がかつかつと鳴ったかと思うと、テスタがすぐ傍まで降りてきていた。
「あ、あの……」
「うん?」
 クリュウはテスタに不安げに尋ねる。
「さっきのって、……あの魔法…」
「――中で話すよ」
 ふわっと笑って先に中に入ってしまった。
「うー、確かに寒いわね」
 ピュラも両腕をさすりながら中に入っていく。
「ここは北の海だからね〜」
 セルピもその後を追って中へと入っていった。
「…クリュウ、どうかしたか?」
「うん……」
 悶々とした様子を隠しきれないクリュウは軽く唇を噛みながら頷いてみせる。
「今の魔法、…力ある物との契約で使われてる気がして……」
 そこまで呟いてから、全く魔法について知らない者にとっては訳がわからないことに気付いて慌てて付け加えた。
「あ、あのね、人間っていうのは―――」


 ***


「うん、確かにぼくは契約してるよ」
 操縦室でもある船長室は質素にまとめられている。
 人と同じほどの大きさがある面舵、それに準じた操作機具、そして一同が並べるテーブルと本棚が一つずつ。
 そんな大きなテーブルを囲んで、テスタは胸元の巾着を握り締めていた。

 魔法。それは世界の流れを読み取り、その流れを転じさせて力を生み出す術。
 しかし人間にとって操れる力というものには限界がある。集中力と知識でかなりのものまでいくのだが―――やはりその限界を超えることは出来ない。
 その中で、世界にはいくつかの秘宝が眠っているという噂がある。
 それらはほとんどが宝石の姿をとっていて、その中には人知を超えた力が眠っているという。
 そんな宝石に認められた人間は契約を交わすことが出来、宝石の力を引き出し魔法とすることができる。
 宝石から引き出した力は…山を一瞬にして消し去り、海を裂き、一つ力を見間違えれば大きな災厄をもたらすという。
 そして、宝石の力を引き出せるのは契約者だけではない。
 その子孫に至るまで、宝石に認められ続ける限り魔法を引き出すことができるという。

「ぼくのお父さん…が、この宝石と契約したんだ」
 言いながら彼はちらりとその宝石を見せてくれた。
 巾着袋からその一部が顔を覗かせる。
「わあ、きれい…」
 その中には、海が広がっていた。
 闇にも似た、青の全てがそこに封じ込められていた。
「これ、サファイア?」
 テスタが頷くのを見てから、改めてピュラはその宝石に目を落とす。
 かなり大粒な宝石だ。片手で包めるかどうかも危うい、全ての光を吸い込みそして閉ざす蒼の石。
「売ったらいくらになるのかしら…」
「ピュラ、お金にがめつすぎ…」
 ぼそっと呟いた妖精を片手でひねり潰すピュラに、テスタは小さく笑ってみせた。
「うーん、どうだろうね。こういうのって一度も市場にでたことないからよくわかんないよ」
 壊れ物でも扱うようにまた宝石を巾着袋に入れて握り締める。それだけ大事なものなのだろう。
「今の魔法はその力なんだな」
「そうだよ。だからぼくたちの船は貴族たちに見つかりにくいんだ」
「親方のお陰です」
 副船長クレーブは明らかに年下の船長に向かって頭をさげた。
 確かにそれだけの力を持った彼なら慕われてもおかしくないのかもしれない。
「それにしてもあなたみたいな人がヘイズルと手を組んでるなんて不思議ねー」
 テーブルに頬杖をつきながらピュラは呟く。
 海の中ということで肌寒かったが、我慢できないほどでもなかった。
「うん、前の船長があそこの人たちと知り合いだったから」

 この船の前の船長が自分を拾ってくれたんだ、とテスタは漏らした。
 テスタの父親はこの宝石と出会い、契約した為にその身を隠そうとして家族を連れ定期船に乗ったのだ。
 しかし途中で船が遭難してしまった。そんなときに通りがかったこの船の当時の船長がかろうじて飢えから生き残っていたまだ5歳のテスタを助けたという。
 この船では、貴族の船や館を襲撃してはそこで盗んだ金を孤児院や貧しい村に分け与える活動を行っている。
 最後に父親に託された宝石以外の全てを失ったテスタを、既に老境に入っていた船長はまるで本当の息子のように可愛がってくれた。
 その船長のよしみで、彼が老衰で亡くなってからもテスタたちは奥深くの方で彼らとつき合い、その情報収集能力で一役買っていたのだ。

「それにぼくも、貧しい人たちが減るならなるべく力を貸したい……」
 ふっとピュラはテスタに視線を向け―――、
「…っていうの、ちょっとかっこいいよね」
 ずるっ。
 頬杖から顔を盛大に滑らせた。
 丁度そのとき、ちりんちりん、とベルが鳴ってクレーブが立ち上がる。
 駆け足で受話器をとっていくつか船の何処かと会話を交わし、その事項をその場の紙に書き写し……、十数秒後にはそれを切って笑顔を一同に向けた。
「安全地帯の割り出しが完了しました。リベーブル号、発進します」
「了解」
 いつもと変わらぬ穏やかな声で言ったテスタに頷いて、クレーブは抱えるほどの舵輪を手にとった。
 手馴れた動作で体が、動く。
「…海中を進むのに魔法はいらないの?」
「うん、小回りをきかせるときは使うんだけどね、普段はエンジンだけで動くよ」
 そう言っている間にも、巨体はその体を震わせながら今まさに海底を進まんとしていた。
 暫くすれば、何かから解き放たれたかのように船は動き出す。
 ガラス張りの窓から海の内部が到来しては通り過ぎていく様子は、夢の世界に来たも同然だった。
「わあ、すごいすごいっ。海の中ってこんなのだったんだ〜っ」
 そんな光景にはしゃいだセルピがとたとたと走っていってガラスに顔を近づける。
 突き進んでいくごとに更新されていく海の情景。あちらこちらに見える魚たち、海底で流れにそよぐ海草の群れ…。
「もっと南の海は珊瑚礁が広がってて綺麗なんすけどね」
 クレーブも幾度となく見たその光景を改めて楽しむようにして船を操作する。
「…それで、テスタ」
「うん?」
「一体私たちは具体的にどこでなにをしてくるの?」
「あ…うん」
 テスタは気がついたように頷いて、一度席を立ってから棚においてあった本を一冊取り出し…机の上に広げてみせた。
 よくよく見るとそれは本ではなく航海予定表のようなものであることが分かる。黒インク直筆で書かれた文字の羅列、そしていくつにも貼り込まれた地図の断片。
「ぼくたちはここから6日くらいのところにあるダブリス家の地下に置いてある重火器類を奪取するんだ」
 言いながら、一番最近書かれたページの地図を指でなぞる。その指す先は同じディスリエ大陸の北にある貴族の館だ。
「今、何人かが向こうに先に潜んでて情報収集してる。もう明日には連絡が来ると思うから、…その情報を元に襲撃をするよ」
 ふと窓の外を夢中で楽しんでいたセルピが振り向いて小さく呟く。
「ダブリス家……」
 知っているどころではない、何度もそこのパーティーに招かれたかなりの名門家だ。
 確か女性の家長がいるということで有名であったか、…あの家長はよく自分のことを褒めてくれた…、
 そこで改めて自分のしようとしていることに胸が詰まる思いをする。そうだ、自分は今までいた場所を全て壊そうとしている。
 自分自身で決めたことだが……しかし、痛いものは、痛い。
「襲撃は早さが決め手だからね。皆の力が必要なんだ、…力を貸してほしい」
「別に構わないわよ。ただしちゃんと作戦はたてておいてよね」
「うん、頑張るよ」
 どこか間延びした様子であっても何故だか安心できる笑顔でテスタは頷いた。
「そろそろ安全区域に入るんで、浮上しますよ」
「あ…うん、分かった。…じゃあピュラさんたちは部屋があるからそっちで休んでてくれる?」
「え、…何も手伝わなくていいの?」
「手伝い? ……うーん、なにかあるかなあ……」
 テスタは口元に指をあてて考え込む。
 ピュラも同じくそんな仕草をした後…、ふと顔をあげて手を叩いた。
「そうだ! あるわ、手伝えること!」


 ***


 …ピュラは指の先ほどだったが、…先刻の発言を後悔していた。
 2、3時間ほど部屋で休憩した後に一同が向かった先…。
「んしょ、んしょ、」
 セルピが危なっかしすぎる手つきでじゃがいもの皮をむくのをクリュウは流しの中で豆を洗いながらはらはらした様子で見守る。
 …と、その瞬間。
 ―――ざばーーーーっっ!!
 瞬時に視界が逆転して、危うくクリュウは排水溝に流れそうになった。
「あらクリュウ、いたの?」
 何も知らずに思い切り蛇口をひねったピュラが声にならない悲鳴を聞いて首を傾げる。
「いたの、じゃないよーっ! ちゃんと確認くらい…」
「なら流しの中になんているんじゃないわよ。こっちだって忙しいんだから」
 手早く器の中のにんじんを洗い終えるとびしょ濡れの妖精に何の未練もなく走っていってしまった。
「はいスイ、洗ってきたわ――――」
 しかしそんな余裕も束の間のこと。
 …ピュラは本気で持っていた皿を取り落としそうになった。
 スイの手に持たれた包丁が、弾丸もかくやという速さで超速先回していた。
 みるみる均等な細さで千切りに刻まれていくキャベツが皿に盛られていく。
 乗員の人数は約20人。その分全てを作るというのだから、量はかなりのものになるはずだ。
 一つのキャベツが全てなくなると、左手が伸びてぽいっと次のキャベツをまな板の上に乗せる。
 洗ったばかりのキャベツを水しぶきをとばせながらむしり、鮮やかな色の葉から芯を取り除き…、
 ―――ダダダダダダダッッ!!
 バーサーカーもかくやという勢いで切り刻んでいくのだった。
 ピュラは眩暈を感じつつもスイの横に立ってまな板ににんじんを乗せてみる。
「えーと、シチュー用だから適当に切っておけばいいのよね…?」
「そうだ」
 そしらぬ顔で手だけを動かすスイにピュラはあまり目をやらないようにしてにんじんを切り始めた。
 この船では食事は当番制で船員がそれぞれ行っている。
 それを、スイの特技を思い出したピュラが請け負ったのだ。
 そして20人分という多さはスイ一人では厳しいと思い、ピュラたちも手伝いで参戦した―――、
 つもりが、余りそれどころではなくなってしまったのだった。
 最初の五分は完全にスイの動きの素早さに誰一人として動けなかったのだ。
 その中に入ったら食材に間違えられて切り刻まれ鍋に放り込まれるのではないか、という杞憂にさえかられた。
 料理人にとっての調理場は戦場、という言葉がどこからともなく全員の脳裏を過ぎっていった。
 しばらくして、ピュラが死ぬ覚悟でスイに手伝うことがないかと聞かなかったら、恐らくスイが全部一人でやってのけただろう。
 ピュラだって包丁が使えないわけではない。
 旅途中で幾度となく野生の獣をさばいたし、食べれる草を調理するために切ったことは、ある。
 だから中々手馴れた様子でトントン、とにんじんをざく切りにしていたのだったが………。

 …横で、神速の速さにて回転・先回・連打を繰り返す音に、涙が零れそうになった。
 一番足の速いアリが、チーターと競争をするとこんな心情になるのかと思った。
「ピュラ」
「な、なにっ!?」
 突然かかった声に危うく包丁を滑らせそうになりながらもピュラは視線を横に向ける。
 …にんじんを持ってきたときにはまだやりはじめだった20人分のキャベツが、原型を留めぬ無残な姿――もとい、綺麗な千切りになってそこにあった。
「切るのは俺がやるから、肉だけ炒めておいてくれるか?」
 ちなみに今日の献立はシチューとサラダらしかった。片隅に見えるフルーツの類を見ると…多分、デザートまでついてくるのだろう。
 ピュラは本気でいっぺん彼の頭を解剖してやりたいと思う。
「…炒めるって、普通にフライパンで火にかければいいのよね…?」
「そうだ」
 ピュラはがくがくと頷きつつも、既にまだ切り終えていないにんじんに手を伸ばしているスイを後にして、棚から大きなフライパンをだした。
 最初に熱しておくために火をつけてから、真ん中のテーブルにある肉を持っていって、木製のへらも引き出しから、だす。
「スイー、じゃがいもさん、むけたよ〜」
「そこに置いておいてくれるか」
「うん、分かった!」
 セルピはいかにも危なっかしい足取りでテーブルにじゃがいもがどっさり入ったざるを置いた。
「…次は……、」
 スイは暫く考えた後、…そばにあった紙切れに素早くペンを走らせる。
 そうして、それをセルピに差し出した。
「この分量でドレッシングだ」
「うん、頑張るー!」
 セルピは楽しそうに頷いて、調味料を取りに向かっていった。
「あ、僕も手伝うよ」
 クリュウもそれに習って飛んでいく。
 そんな二人を横目に、ピュラは軽くフライパンの上に手をかざして熱をもっていることを確認、…肉を落とした。
 じぅぅ、と食欲をそそる音を放ちながらブロックの肉が焼けていく。
「よ……っと、」
 しかしピュラはそんな肉たちとかなりの格闘をする羽目になった。
 旅途中でする料理など、大抵串刺しにして焼くかスープにして煮込むか、そのくらいだ。
 孤児院では火を扱う仕事は全て年上に任されていたから、彼女は一度もフライパンを使ったためしがない。
 うまく肉が転がせず、危うくフライパンから零しそうになりながらも悶々としながら木へらを使ってかき混ぜる。
「うー、難しいわね……」
「大丈夫か?」
「全然大丈夫じゃないわよ…」
「…」
 ふっとピュラは後ろに気配がかぶったのを感じた。
「え?」
 眉間にしわをよせて顔をあげると…後頭部がなにかに、ぶつかる…?
 ぎょっとしたときには既に遅かった。スイの両手が両脇から伸びてきて、ピュラのへらを握る手とフライパンを握るそれとを、掴む。
「なっ…、ななな」
 なにがなんだか分からなくなっているうちに、勝手に手が動かされた。
 スイはピュラの手ごとフライパンを前から後ろへと押し出すように揺らす。
「こうやって、」
 それと共に具が踊るように宙を舞った。
「こうする」
 難なくそれをまたフライパンで受け止めると、今度は右手の木へらで器用に転がしていく。
 まるで魔法をかけられたものでも見るかのように、ピュラはその鮮やかさを半ば呆然と見ていた。
 掴まれている手の感触だけが妙にリアルに残る。
 両手を後ろから掴まれてどこへも動くことが出来なかった。
 スイは何度となくそのやり方をやってみせ、彼女にそのやり方を教え込んでいく。
 ふとピュラは、自分の手ごと掴むその右腕に目を落とした。
 いつもは長袖を着ていて全く気付かなかったものだ。今は料理中の為に肘までまくられている。
 …そして、そのむき出しになった肌に視線が吸い込まれた…。
「………―――」
 なにかを呟きかけて、…喉のところで詰まらせる。
(……火傷の痕……)
 肘から…恐らくはそのまくりあげられた奥の肩に近いところまで、肌が無残にただれていた。
 ひどい火傷の痕だ。今は全く痛みを感じないのだろうけれど、その傷を負った当時は目もあてられないものだったろう。
 考えなくとも火傷の理由は分かる。分かってしまう――。
 ピュラは黙り込んで、動作をスイに任せたままぼんやりとしていた。
「…そろそろ」
「えっ?」
 だから、不意に話しかけられてびくりと肩が跳ね上がってしまう。
「…塩とコショウ」
「あ、ええそうね。えっと…」
 そんな様子をセルピとクリュウは出来上がったドレッシングをかきまぜながら眺めていた。
「ね、クリュウ」
「んー?」
「なんかさあ、ああしてると…」
 …ピュラはスイに木へらを任せて、横の塩に手を伸ばす。
「どのくらい入れればいいかしら?」
「二振りくらいだな」
「分かったわ」
 そうして、彼女が塩の入ったビンを傾ける―――、
 …クリュウの背筋に嫌な予感が走った。
 しかし、現実は残酷にも続いていて、無力な彼は何をすることもできなかった。
 あまりにも、真っ直ぐな声が、部屋に響く。

「新婚さんみたいだねっ」

 ざばーーーーーーーーーーーーーっ!!


 ……。

 ……。


 思わず拝みたくなるような塩の山が、フライパンの上にそびえていた。
 言い換えれば、ビンの中身は空になっていた。
 更に言い換えれば、ピュラの持っているビンは逆さになっていた。
 じぅぅぅ、という音だけが無情に、鳴る。
「………」
「………」
「………」
「…作り直しだな」
 淡々とスイは呟き、火を止めてからくるりと背を向けて食材庫へと向かった。
「……あれ?」
 まだ自分の言ったことの意味が全然わかっていないセルピは首を傾げ、…横を見ると。
「…クリュウ?」
 クリュウの姿はそこになかった。
 彼は既に換気扇の影に避難済みだった。
 やはり我が身が可愛いらしかった。
 ピュラはビンを逆さにしたポーズのまま、数十秒をキープし、…ぎぎぎ、と振り向く。
「……セルピ?」
「うにゃ?」
 その後我が身に降りかかる恐ろしい災厄など知る由もなく、素敵なくらいに無邪気に首を傾げるセルピだった。



 ―――船に、爆音がとどろいた。



「うわわわっ」
「わっ…と」
 雷が直撃したかのごとく衝撃に、テスタとクレーブの体が、浮く。
 舵輪を握っていたクレーブは舵にしがみつくようにして着地し、椅子に座っていたテスタはぺたんと尻餅をついた。
「な、ななななな」
 肝っ玉が震え上がるほどの激震にクレーブは嵐に遭遇したとき以上に、焦る。
「下が賑やかだねえ」
 対してテスタはのん気なことを言いつつも服をはらってまた椅子に座りなおした。
 もちろんそんな声を聞いてクレーブはまた脱力してしまうのだったが。
 …平和なことこの上なかった。


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