-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 五.眠れる古代都市
060.Gnosis
全ては神々の娯楽から始まった。
神々の住まわれる地、全てが幸福に包まれた地にて、神々はそれぞれの世界を作り出し、思いのままに支配し、そしてその営みを楽しんだ。
世界は神のもつ力により大きさも変わり、神格の高い神ほど大きく豊かな世界を作り出した。
ミラースにたった一つ伝わる聖典エリシュ。
その聖書は過去を語り未来を暗示する。
そんな聖典の序盤、精霊の章・天地創造…。
娯楽として世界を造り、眺めては自在に操作した神々たち。
…語られるのは、そんな美しく残酷な神々の物語。
大神もまた、己の世界を作り出し、その中で行われる人の生活や世の流れなどを見て物思いにふけり、大神の直属の配下である7の神々も、それぞれの世界を持っていた。
しかし、たった一人、世界を持たぬ女神がいた。女神は精霊神と呼ばれていた。
その女神は元々大神と寸分の差の力を持っていた神と、白鳥の化身の子であり、幼い頃からその膨大な力を恐れられ、遠い海の果ての孤島に追いやられた異端者である。
しかしその慈悲に溢れた瞳と力で精霊神は様々な神界の災いを沈め、また他の神々に災いの危惧を説いた。
それを見た大神は、精霊神に第一級の神格を与え、配下に従えた。
従えることで精霊神を監視できると思ったからだった。
一歩一歩、セルピは歩きながら言葉を紡ぐ。
ずっと横に伸びている文章の連なりは、その半分も意味を読み取ることができない。
しかし、いくつかの単語が彼女の言う物語と一致していることは確かだった。
そしてこの壁画も、物語と連動して続いている…。
天上のどこかにあるという神々の世界。そこには幾千という神々が住んでいたという。
この世界の守護神である精霊の女神は、元々異端者として疎外されている身であった。
聖書を読んだことがあるものなら、また教会に通う者なら、誰もが知っている物語。
神界の東には、何人たりとも入ることを禁じられた地があった。
それは荒野の続く何も無い世界であり、そこには熱く乾いた風が耐えなかった。
元々その地には花々が溢れ、豊かな木々が誇る美しい場所であった。
ある時、とある神の作った世界に入り込み、そこに生きる人間に悪魔との契約方法を教えたとして堕天された天使がその地に隠れて降り立った。
自分を堕天させた大神に恨みを持つ天使は、堕天使が住む地下の世界に育つ木の種をひとつ、その地に落としていった。
その樹は貪欲の象徴であり全ての力を絞り取る樹であった。
緑の力に溢れたその地から、種はみるみる力を吸い上げ成長した。
花々はしおれ、木々は枯れ果てた。
命は全てその樹に吸い込まれ、三日でその地は荒野となった。
樹に吸い込まれてしまった天使の数は3千にも及ぶという。
結局、花畑は跡形もなく消え去り、そこには葉のない樹が一株、天へとその枝を伸ばし続けることになった。
それを知らずに楽園を求めてその地に立ち寄った光と勇気を司る神は驚愕した。
何もない野の中に、ただ一つの樹が、葉もつけずに立っているのだ。
光と勇気の神は、その樹を調べようと近付き、そして樹に触れた。
すると樹は、その神をまるごと飲み込んでしまった。
樹は、神の力さえも絞り取ってしまったのだ。
その後も、そのことが神々に知れるまで他に五人の神が樹に飲まれた。
樹は自我を持ちはじめ、その内部に全ての基盤を作っていたのである。
これを重くみた大神は8人の配下を従えて立ち上がり、樹の封印をしにかかった。
彼らはそろって眠りの術を使い、樹を眠らせることでその成長を止めることに成功した。
その後大神はその地に足を踏み入れることを固く禁じ、その樹が立つ地は閉ざされた場所となった。
神々は、その数多の神を取り込み力をつけた樹を眠れる聖樹と呼び、恐れた。
「……ねえ、セルピ…?」
「うん?」
「…なんで聖典の文章がそんなにさらっとでてくるの?」
「んーと、毎日礼拝の時間に聞いたり読んだりしたからだよ」
先ほどの場所から随分歩いてきた気がする。
しかしまだまだ道は果てしなく続いていた。
「それで覚えちゃうものなの…?」
「うーん、覚えちゃった」
えへへと笑って、壁画を見上げる。
「でも最初の方だけだよ、文章まで覚えてるのは。おとぎ話みたいで好きだったんだ」
決して優しい物語ではない。
神々の欲と、強大な力と、権力。
まるで…そう、人間たちの物語のような―――。
聖樹が眠った後も神々はそれぞれの世界を治め、あるいは戦を起こさせ、また裁きを下す。
それに飽きると、神々は更に大きく強い世界を求めた。
そして何人かの神は競合して誰が作ったこともない大きな世界を作ろうとした。
しかし彼らは神格も高くない故に、何かの強い力を利用しようとしたのだ。
神々は禁を破り眠れる聖樹の地へと足を踏み入れ、聖樹を目覚めさせ力を引き出した。
聖樹の力は大神のそれをはるかに上回り、彼らを喜ばせた。
数名の神々はその力で世界を創造した。
そして出来た世界は何処までも広く、強かった。
その中心に聖樹が立ち、みるみる世界はその聖樹の力を具体化していった。
しかしその力は想像を絶し、あまりにも大きくなりすぎた世界は神界までもを取り込もうとした。
それに気付いた神々は止めようと必死になったが、聖樹に近付いた者は全て力として取り込まれてしまった。
そこでまた大神は8人の配下を従えて立ち上がった。
どうにかしてまた聖樹を眠らせられないかと、幾夜も取り囲んで術を唱え続けた。
しかしあまりにも多くの神々を取り込んだ聖樹を止められることはできなかった。
そこで大神は、まだ人も住んでいない聖樹の世界に大きな石を一つ投げ込んだ。
雷神の山から譲り受けたその石は世界を砕き、聖樹の世界は八にわかたれた。
それらを8人の配下たちが力を合わせて神界よりはるか北にある海に投げ込んだ。
こうして神界の平和は保たれることになった。
…大神は8の世界を監視させるために8人の配下を呼び寄せた。
そして一人につき一つずつ、その世界を与えた。
八つに分かたれたとしてもその一つずつの力は大きく、猛々しかった。
その時に大神は、聖樹の姿を探した。
すると聖樹がその成長を止めてはいるものの、今だ強い力を持ってして一つの世界に潜んでいるのを見つけた。
いつまたその力が再発するかもわからなかった。
もし成長を始めたのなら、次はどんな災厄が降り注ぐかも想像がつかなかった。
大神はその一番大きな世界を治めるのにふさわしい神を配下の中から選んだ。
そして、大きな懐にその世界を受け止め抱きしめられるような神は、一人しかいなかった。
大神はその世界を―――
「……精霊神に、与えた…」
「……」
クリュウは壁画を見上げた。
…一番高い場所に描かれた、まわりを圧倒する大きさの大神。背には12枚の羽根、純白の羽衣、大地までのびる杖。
その下で世界を見下ろす精霊の女神。慈悲深い表情、祈るような姿勢で長い髪を大地にたなびかせている。
そして…、一番下に描かれた世界に根付く眠れる聖樹。
ずっとずっと…この、ミラースに眠っている聖樹………。
「………それにしてもなんでこんなところに聖書の壁画が…」
クリュウは呟いてふとセルピの方を向いた。
…少しだけその様子に瞳を張って近寄る。
「ど、どうしたの…? 顔色が悪いけど…」
「……クリュウ…、」
セルピはなにかに呆然としているように見えた。
ちがう、なにかではない。
…この物語と、壁画に、だ…。
「え……、」
ぱっと振り向いたセルピは小さく口元を引きしばりながら言った。
「…あのね、貴族の社会が今、すごく揺れてるんだ」
「―――えぇ?」
突然あらぬ方向に飛んだ言葉に、クリュウは困惑する。
しかしセルピはそのまま険しい表情を顔に刻んで、続ける。
「ボクがまだ屋敷いたときからだった。周りでは不穏な事件が絶えないんだ。貴族中がなんだかぴりぴりしてた…」
…クリュウは、彼女が言いたいことに気付かねばならなかった。
「…ウッドカーツ家は今、跡継ぎ争いが大きな問題になってて、…それが一番の原因だよ…」
「……―――もしかして」
気付いて、思わず絶句する。
この遺跡は、貴族たちに狙われているということに。
貴族が、富でも権力でもない、『力』を欲しているということに…。
「…お父様は無駄に力を欲するような人じゃない…、きっと…『力がなくてはならない』状況になってる…」
力がなくてはならない状況。
全てを力で解決する方法。
背中に冷たいものがあたった。
「…………貴族同士の戦争……」
ぴりっと電流のように体中を戦慄が駆ける。
爪をたてて握り締めた拳が、かすかに震えていた。
「眠れる聖樹……、強い力……、封印……」
詩を紡ぐように零れ落ちる言葉に、クリュウは後ろから殴られたような感覚に陥る。
眠れる聖樹は、ミラース元年にこの地に降り立った英雄カルスによって6つの枝に切り分けられている。
そしてそれらの枝は、このミラースのどこかに…、封印されている―――。
「…この遺跡が守ってるのは」
貴族たちがこぞって手に入れようとするもの。
力には更に強い力を。
強い力にはまた更に強い力を。
「……、――――」
セルピは思わず口を手で塞いだ。
…何故だか、その先は言ってはならぬ気がしたからだ。
もしもこの遺跡が侵略されて、遺産が外に放出されて。
そこで、…人々の争いが起きたのなら―――。
「……大丈夫だよ」
ふと、セルピが顔をあげた。
…クリュウが、少し困ったように笑っていた。
きっと彼も苦しいのだろう。どうすることもできない自分に対して―――。
「…それを、守るためにナナクルがいるんだから」
「…………ん―――」
クリュウも必死で励ましてくれているようだったから、セルピは静かに微笑んで返した。
しかし、しかし…だ。
もしこの遺跡の力がなくとも、貴族たちは戦争を始めるのではないかという不安だけが、胸を引き裂く―――。
「行かなきゃ、ね」
自分に言い聞かせるように呟いて、足を進めた。
体が重くて足があまり言うことをきかなかったが、…無理矢理前に運んだ。
…遺跡はなにを語ることもせず、ただその姿を人の目にさらしながら、重く佇んでいた。
***
一方。
…ピュラとスイは、危機に直面している真っ最中だった。
「わっ…きゃーーっ!」
―――ドスドスドスッッ!!
間一髪彼女の頭すれすれのところを太い矢が飛んでいき、壁に深く突き刺さる。
あまりに生々しい音にピュラは髪をかきまわしたい衝動にかられていた。
しかしそれを実行できないのは、既にそんなことをしている場合ではないからである。
―――ざんっ!!
スイの剣が直線に薙がれ、風が巻き起こった。
剣は降りかかってきた石の塊をはじいて高い音をかき鳴らす。
…かと思えば。
―――ドンドンドンッッ!
「ちょちょっ…!」
ピュラがすんでのところで振ってきた火薬玉をかわして飛ぶように前進していく。
火薬を使った後特有の臭いが辺りいっぱいに充満していた。
たんっ、と飛び上がってトラップのスイッチを踏まないように、着地。
現在進行中の通路は、その名の通りトラップの地獄だった。
石が飛んでくるのならまだ良い方で、矢が降ってくる、火薬玉が飛ぶ、かと思えば突然フラッシュがおこり視界が遮られ、次の瞬間に炎が壁から噴出してくる。
なにが楽しくてこんな仕掛けを作ったのだろうとピュラは遠くで思う。
ピアスが耳元で大きく揺れるのを感じた。
もうどの辺りまで進んできたのだろうか。
道なりに走ってきたのだが、出口まであとどのくらいあるのかもわからないところが気分を萎えさせていた。
「………ピュラ、行き止まりだ」
「……はっ!?」
スイの呟きに気付いて前を見ると、…前方十数メートルのところに巨大な岩が佇んでいて行く手を塞いでいるのが見えた。
押してもひいてもびくともしなそうなほど、重く佇む岩だった。
…しかしピュラはひるまずに前進を続ける。
「……仕方ないわねっ! あれ壊すわよ!」
「無理だと思う」
「おだまりっ! いいから見てなさい!」
スイが言うのももっともだ。石は通路をほぼ隙間なく埋めているから、縦3メートルに横2メートルはあるだろう。奥行きはどのくらいなのかもわからない…。
常人が砕けるとは、誰しも思わないだろう―――。
ピュラは目を細めて、その拳に力を込めた。
力の流れを感覚で読み取る。目でもない、耳でもない。
―――肌で、読む。
そう、自分の師は言っていた……。
しゅるっと風のようなものが拳の周りでうねった。
その風がわずかに光を帯びる…。
―――心は、無心。
―――世界の流れに、その体を委ねて…
自分の体が軽くなるのを感じた。
力がみなぎる。世界をその体で感じる。
そう、決してとどまることのないその力の動きを……。
しなやかな足が床を蹴った。
体が風にのる。ぐん、と目の前の光景が一気に近づいてくる。
そして、開いた瞳に強い閃光を残したまま、拳を振り下ろした―――。
―――ごぉぉぉぉぉぉっっ!!!
スパークが幾重にも重なって当たりに飛び散る。
…轟音をたてて、地下通路そのものが揺れる。
拳が振り下ろされた場所から一気に亀裂が入り―――、彼女が飛びのいた瞬間、岩は粉々に粉砕されていた。
一瞬その衝撃で辺りに砂煙があがるが、おさまれば奥へと続く道が開けている。
ピュラはその様子に満足げに拳を握った。
「よっしゃ! いっちょあがりー」
瓦礫に足元をすくわれないようにまたぎながら先へと進んでいく。
「ほら、スイー!? はやくいらっしゃいよ!」
「――――お前、」
スイが続ける前にピュラは笑って言っていた。
「んふふ、龍流拳術の前にかかればこんな岩っころカスみたいなものよ。修行の時なんてね、もっと大きな石を砕かされてたんだから」
瞬間に飛んできたトラップの石を身をかがめながら避けると、もう一度振り向く。
「ほらっ、急がないとまた面倒なことになるわよ!」
「………ああ」
スイは剣を抜き放ったまま、ピュラの後を追った。
…そして…ふと目を落とすと、気付く。
彼女が通った場所の床に滴った赤いものに―――。
「……ピュラ」
「なーに?」
「手…みせてみろ」
……。
「はい?」
とぼけてみせたが…、失敗におわったようだった。
スイは変わらない、…ただいつもより少し強い視線をピュラに向ける。
「手だ」
よくよく見てみれば、彼女も右手の拳を隠すようにして歩いている。
するとピュラは暫くの沈黙のあと…悪さが見つかった子供のように口をとがらせてぷい、とそっぽを向いた。
「…まったく、あんたって目がいいのね」
つっけんどんに言って軽くスイに手の甲を見せてやる。
…深くはないが、岩に直接叩き込まれた拳は皮がただれて血がわずかに滲んでいた。
「最近めっきり使ってなかったからね、ちょっとなまってたみたい」
修行のときなんか拳真っ赤だったのよとピュラは小さく舌をだしてみせた。
龍流拳術は、拳術というよりもむしろ魔力の力に頼ることになる。
魔力を帯びた手で殴りつけることにより、その部位に爆発的なエネルギーを叩き込むことができるのだ。
しかしその難点は、なにも装備がつけられないということ。だから拳にかかる負担もまた大きい。
ピュラは別に当たり前のように軽く布で血をぬぐって処理を済ませた。
「あとでクリュウに治してもらうわ。あー、私もまだまだ修行が足りないわねー」
岩をまたいでしまえば、そこから先に不穏な気配はなかった。
しかも風が吹き込んで鳴る独特の音が聞こえる。
…もしかしたらもう出口が近いのかもしれなかった。
手は適当にぬぐっただけだったから、また血が滲んできたが気にしてはいられない。
クリュウに会えばすぐに治るだろうと結論を下した彼女は、そのまま先を急ごうとした。
「…本当に平気なのか?」
「こんな傷、昔はしょっちゅうだったわよ」
―――スラムでね、と言いかけてピュラは喉のところでそれを止めていた。
あまり今思い出すべきことでないと思ったからだった。
「そうか」
スイは呟いて視線を前に戻す。
「…無理はするな」
「そんなにヤワじゃないわ」
「…ああ」
そんなピュラの意図を捉えたのか、スイもそれ以上は何も言わなかった。
お互いに無言のまま、どちらからともなく先へと進み始める。
一歩一歩先へと進んでいくうちに、風が通路に入ってきて鳴るひゅうひゅうという音が大きくなっていった。
「……セルピとクリュウ、…もう外にでてるのかしら」
「そうだな……」
道が段々と合流していく。この道が一番太いので迷うことはない。
…まわりには違うルートらしき道が何本も合流してきていた。
するとここがもう終盤、ということか…。
「…なんか味気ないわよね。確かにハードだったけど、こんなんでいいのかしら?」
「最後になにかあるのかもな」
「あ、そうかもしれないわね。じゃあ気を引き締めていかないと」
そう言ってピュラはぱん、と軽く頬を叩く。
少々緊張が高まったまま二人は無言で道を急いだ。
数分……歩いただろうか。
そして、そのときは突然やってきた。
なにかが、視界の隅で光る―――、
―――次の瞬間に全てがひっくりかえっていた。
「…………っっ!?」
横を向いたときには遅かった。
全て…、全てが、白という白に染まって、…そして、爆発音と共に…一瞬だけ意識が遠のいていた。
***
「うにゃ〜、まだかなあ…」
一歩、また一歩。
膝に手をつきながら重たい足取りで進んでいく。
らせん状に続く階段。さきほどいた場所から抜けることのできた階段だった。
「うーん、かなり登ってきたとは思うんだけど…」
休み休み歩いてもうどのくらいになるか。
しかしあの広間から見た天井のところまで登るのだと思うと、まだまだ道は遠そうに思える。
「ピュラとスイはもう外にでちゃってるかも……、――――?」
瞬間、クリュウの長い耳がぴんと張った。
「どうしたの?」
「しっ……」
口元に人差し指をかざして言葉を制す。
彼の人間よりもずっといい聴覚は、かなり遠くのものまで捉えている―――。
「…上に……なにか、いる……」
小さく小さく呟いて、上を見上げた。
この音からして、もう頂上は近いということがわかった。
一体何だろうか、動くものの音。石畳を叩く音……。
まるで正体がわからない。こんな古代の遺跡だから、なにが出てきてもおかしくはないだろう…。
クリュウはセルピにそっと耳打ちした。
「…上になにかいるみたいなんだ…。静かにあがって様子を見てみようよ」
「……なにかって……魔物とか?」
「わからない…」
もしここで古代の兵器でも出現したら生きて帰れないかもしれないとクリュウは思う。
セルピは意志を決め込んだように頷いて、次の階段に足をかけた。
緊迫した空気が漂う。ひんやりとした空気が、今は重い…。
「………」
なにがあってもすぐに対処できるように、身構えておく。
セルピも心持ち不安なようで、なるべく自分の足音が聞こえないようにゆっくりと上を目指していた。
「……あ、……階段の終わり……」
クリュウは口の中で呟く。
随分上の方だったが、階段が終わってその先の通路と合流していた。
クリュウとセルピは顔を見合わせて同時に頷くと…、その地点へと急ぐ。
しかしもちろん飛び出すようなことはしない。
顔すらだすことも危険だと思ったので、階段の影に隠れながら二人して辺りの気配を探った。
するとまもなくして、先ほどの気配がすぐそばまで近付いてきていることを知る。
またしても二人は顔を見合わせて、…双方小さく頷いて気配を消した。
二人とも小さな体であったから、相手には全く気付かれていないようだった。
クリュウは、思った。
こういうものは、先手が必勝なのだと。
そうして相手がひるんだ隙に駆け出せばいい。
駆け出す先に視線をやった。
…通路が続いていたが、…風鳴りがするあたり、恐らく地上が近いのだとわかった。
目を閉じて、耳だけを澄ます。
集中力を高めて魔力を収束させておいた。
腕を掲げて、狙いを目の前の通路に。
もういつでも魔法を放つことができる。
しかし頭の中をまわるのは不安なことだらけだ。
彼の心配性が見事にたたっていた。
しかも冷たい感触のする岩の壁と床が、その不安をさらに追い立てていた。
ここでどんな化け物がでてくるのか…、否、それは実体をもつものなのか、それとも―――?
それに自分の力で立ち向かうことは、はたして出来るのだろうか――。
考えていればいるほど、その思考にのめりこんでしまって周りが見えなくなる…。
だから、彼は―――、
「あっ……あれ……」
横の少女の一言に―――
「えっ…!?」
思わず―――
―――ドォォォォォンっっっっ!!!
***
ぱらぱら、と無残にえぐられて砕かれた壁から、小石が落ちていた。
「…………」
「………」
「……」
「…」
クリュウは、急速冷凍されたように体温が消し飛んでいくことすら、感じることができなかった。
セルピでさえ横で固まっている。
大地よりも重い沈黙が、その場にのしかかっていた。
…クリュウは、これが夢であることを願った。
もしくは、何かの間違いでもよかった。
……がらっ…
砕かれた石の一つが、揺れた。
嫌というほど知っている影が、動いた。
砂でかなり汚れてはいたが―――、紺碧がかった、青の髪だった。
…すべてを認識しなければいけないところまで、きてしまっていた。
……瞬間、クリュウは、絶叫した。
「わあああーーーーー!!! スイ、ごめん〜〜〜〜〜〜っっ!!」
既に、号泣であった。
がらがらと石の中から、スイが半分よろけながら立ち上がる。
体中、見事にぼろぼろだった。
確かにクリュウの魔法がもろに入ったのだ。死ななかっただけ奇跡なのかもしれない。
けふっ、と口からススのまじった堰が漏れた。
「……別に…」
「まさかスイだとは思ってなくて……っ、ごめんっ! あああ、今治すから……っ」
しかしスイはさほど気にしている様子もなく、…むしろもう一つの問題について気にしているようだった。
「…いや、俺よりも…」
ゆっくりと、視線を横に向けた。
クリュウもまた、視線を横に向けた。
……完膚なきまでに、時が氷結した。
地獄絵図となったその場の端……。
灰色に映える、赤。
痛烈な、赤。
……ピュラが、うつ伏せになったまま、がれきの中で倒れていた。
クリュウの顔に、青のインクが染みた。
汗が一滴、頬から首へ、伝っていった。
辞世の句を詠みたい心境だった。
「……ぁ、…」
ぴくりと彼女の指が動いた。
ゆっくりと、拳が握られる。
そのまま、本当にゆっくりと、一つ一つの動作を確かめるように、彼女は床に手をついて上体を起こして、地に足をつけて、立ち上がった。
そして、その顔を見た瞬間、クリュウは意識が遠のきそうになるのを感じた。
眉がおぞましい角度をもって、彼女の顔についていた。
瞳が炎よりも激しい色を湛えていた。
体中ぼろぼろだったから、更に恐ろしさが際立っていた。
「ぴ、……ピュラ……、あの……こ、これはその……」
ヘビに睨まれたカエルとは正にこのことか、とスイは内心にてささいな発見をしていた。
「……クリュウ……」
彼の名を、彼女は心を込めて呼ぶ。
…天使の微笑みを浮かべていた。
しかし、その裏では大魔王が微笑みを浮かべていた。
がたがた震える哀れな妖精の目の前で、ピュラはぱきん、ぱきん、と物騒にも指の間接を鳴らしていく。
「……喜びなさい?」
にっこり、笑った。
…目は、笑っていなかった。
セルピは、目を背けた。
スイは、その様子を静かに見守るのみだった。
クリュウは、逃げ出すことすら出来なかった。
…そしてピュラは、ゆっくりと呪いの言葉を口にするのだった。
「半殺しで許してあげる」
断末魔が地下いっぱいに響き渡るのには、数秒とかからなかった…。
***
―――かくしてボロ雑巾と成り果てたクリュウはぐったりと動かず、スイの肩の上でへばりつくように倒れていた。
既に半分魂が抜けかかっているようで、なにひとつとして喋ることもできなさそうだった。
肝心のピュラはというと、一人で先頭をきって進んでいく。
今の彼女に話しかければ死あるのみだった。
後姿に怒りのマークがいくつも浮かんでいるのが肉眼で観察できた。
「…ね、ピュラ…、ほら、クリュウだってわざとやったわけじゃないんだし」
「わざとやってたら今頃奈落に突き落としてるわよ」
「ピュラぁー」
怖いもの知らずとは正にこのことか、セルピが相変わらず彼女をなだめにかかる。
しかしその努力も甲斐なく、最後はセルピも諦めて黙り込んでしまった。
出口へと続く長い通路。…ひたすら歩く。
しかし出口はまだ少し先らしく、目に見えるのは奥の暗がりだけだ。
変わりばえのしない景色、どこまでも続く道。
どこまでも、どこまでも…、どこまでも。
…永遠に続くのかと、そう思えるくらいの……。
そういえば、先ほどから視界がかすみはじめているのは、気のせいだろうか…。
誰も喋らなかったからかもしれない。
彼女がその異変に気付かなかったのは―――。
「あ………―――」
ピュラは、いつのまにか自分の足が勝手に前へと進んでいるような錯覚に陥っていた。
―――そして、気がつけば周りがゆっくりと沈んでいっていることも、なんとなく察知していた。
…最後になにかあるのかもな
そういえば、さきほどそのセリフを口にしたのはだれだったろうか……、
思う頃には既に、彼女の意識は混沌の中に落ちていった。
スラムにいたときの気分に似ている、…驚くほど彼女は冷静に感じ取っていた。
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