-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 五.眠れる古代都市

056.いざない



 今から1429年前、ミラース0年。
 一人の英雄がこの世界を救ったと伝わる伝説がある。
 しかし、その頃の世界の記録というものは全く発見されていない。
 どのような人々が、どのような生活をしていたのだろうか…。
 ただ人に伝わる伝説では、その人々はあまりに文明を発展しすぎたが為にわが身を滅ぼし、滅亡に瀕していたという。
 ミラース元年、英雄カルスはそんな人々をこの地へ導いた。
 ただ、その前の人々が異世界にいたのか、それともこの世界が変わっただけなのか、知る者はいない。
 そもそも、英雄カルス自体の存在さえ漠然としたものとでしか伝わっていない。
 彼の存在を疑う説も学者の中で数多に論じられている。
 しかし、…しかし―――。
 古の遺産は確かにミラースに残っている。これは事実である。
 それは人に触れられぬようにひっそりと…。

 …世界の喧騒から外れ、どこまでも深い山の奥底に、風が吹き込んだ。
 あまりにも広大な草原が、揺れる。
 ―――ざあ……っ…
 青みがかった緑の髪が、たなびいた。
 気高い顔立ちが乗った白い肌の上で、それらがたわむれながら踊っている。
 まるでそれは今この地に役目を負って降り立った神の遣いのような姿…。
 否、遣いであることに間違いはなかった。
 こうしてこの地で、この地というものを守り続けているのだ。
 そしてそれが役目であり生きる目的であると、心の奥底から信じている…。
 閉じていた瞳をゆっくりと開くと、閃光のように強い光が灯り風の中を探る。
 たった一人、風の声を聞く少女だった。
「…―――客人か…、冒涜者か…」
 口ずさんで、持っていた彼女の背丈ほどもある杖を持ち直した。
 ひるがえして歩き出せば、服の裾が美しくなびく。
 何者かの到来を風の声で知った少女は、そのまま歩みを止めることはない。
 杖についた飾りが、しゃらん、と涼やかな音を立てて彼女の通った軌跡としてその場に残った…。

 Bitter Orange,in the Blaze.
 五.眠れる古代都市


 ***


 …。
 ……―――。
 ………―――。
 ピュラは、誓った。
 彼女という全身全霊をかけて、誓った。
 その空の青さにかけて、堂々と誓えると断言できた。
「…二度とこんな場所になんて来るもんですか……」
「あはは…」
 虚しい誓いに乾いた笑みを漏らす妖精を一瞥して、行く先に目をやる。
 山。
 …山、だ。
 それだけで説明がつくくらいに、山だった。
 町をでてから二週間と少し、標高は既に3000メートルを越していたか。
 既に、雲など眼下に見ることができる。草原を歩くことなら楽だったが、時折岩肌を登らなくてはいけないのが困難だった。
 しかも人の体というものは標高の急激な変化についていけるように作られていない。
 酸素濃度の低いその土地は、修行者が巡礼するのにぴったりだといえよう。
 …しかし、彼らは修行をしに来たわけではないのだ。
 その地は気温も低い。見渡す限りの草原では涼やかな風が容赦なく吹き付けていた。
「うー…いつまでこんな場所を旅してなきゃいけないのよ…」
「でもそろそろ見えるはずなんだけど…」
 張り詰めた空気の中でクリュウがその先へと目を細める。
「ナチャルアには守人さんがいるんだよね」
 セルピは強い風に艶のある黒髪をなびかせながら呟いた。
「どんな人なんだろ」
「きっととてつもなく筋肉マッチョな人で、どんな侵入者からも遺跡を守ってるのよ。頭には大きなツノが生えてて目からは殺人ビームがでるんだから」
「え、すご〜いっ! ほんとなの?」
「嘘にきまってるでしょっ」
「てかそれ人間じゃないよ…」
「昆虫類はお黙りなさい。あなたに人間の高等な冗談なんて理解できないでしょうからね」
「高等じゃない気がする」
「スイも黙ってなさいっ」
 …すっかりいつもの彼らだった。
「でも、そのナナクルという奴に伝言を伝えるんだろう」
 ぽつりと呟いたスイの言葉に、…ピュラは、止まった。
「……そういえば…そうだったわね」
「ピュラ、…何気に忘れてたでしょ」
「一々細かいことを気にしすぎると胃に穴が開くわよ」
「はあ…」
 クリュウは額に手をやって溜め息をつく。
 あの地下水路で会ったネルナドは、ナチャルアの守人ナナクルに言付を頼んだ。
 今、貴族たちがナチャルアを狙っていると。
 そしてそれには世界で最も勢力のあるウッドカーツ家が関わっている可能性があると。
 彼らはそのことも伝えなくてはならないのだ。
「でもさ、何百年と遺跡を守り通してるんだから、よっぽど強い魔法とか使うんだろうね〜」
 セルピが言うと、ピュラは軽く溜め息をつく。
 ピュラとしてもこの辺りに広がる普段とは違う空気を感じているのは確かだった。
 それは言葉で表せるものでもなく、体が違和感を唱える程度のものであったが…。
 魔力が収束している地なのかもしれない。ここは修行者の巡礼の地なのだから…。
「…これ、行きも辛いけど帰りもキツそうね…」
「帰りって同じ道で帰るの?」
「いえ、専用のルートがあるみたいよ。ナチャルアから北に下れば港町があるみたい」
 言いながらこの周辺が詳しく書かれた地図を覗き込む。
 どうやらそのルートが巡礼のルートとなっているようだ。
「ナチャルアで助かる方法が見るかればいいんだけどね…」
 ピュラは左腕の包帯を見て言った。
「でもさ、」
 不意にセルピが辺りを見回すのに、ピュラは少々怪訝な顔をする。
 …セルピは、当たり前の物事を口にするかのように、笑顔でのたまった。
「こんなに山ばっかりだったら、迷っても気付かないよねっ」

 ………。
 ……。
 …。

 誰もが口にすることを控えていたセリフが、元気いっぱいに空へと放たれた。
 …時が、氷河期を迎えた。

「……みんな、どうしたの?」
 石化するピュラとクリュウにセルピは罪のない笑顔で首を傾げる。
「…ね、クリュウ……」
「…な、なに……?」
 乾いた声でピュラが訪ねると、クリュウもまた引きつった顔を彼女に向けた。
「…この道で…あってるわよね…?」
「……たぶん、…おそらく……」
「…標準到着日数は…?」
「前の町をでてから12日くらい…」
「…前の町をでてから何日経ったっけ…?」
「………15日…」
「やっぱり…」
 ぼそっと方位磁針を持ったスイが呟くと、ピュラは的中した不安に肩を震わせた。
「ええ、おそらく…」
「……少しペースが遅かったな」
 ―――ドゴォッッ!!
 スイの頭に足がまともに食い込んだ。
「わ、わ〜〜スイ〜〜!」
 クリュウが羽根をぱたぱたさせながら駆け寄る。
「あんたねーっ! 普通これは迷ったと判断するでしょっ!」
 確かに、途中で魔物に襲われたこともなければ何かの障害にぶつかることもなかった。
 歩みの速度は乱れなかった、はずだ…。
 ピュラは元来た方に目を向けた。
 …山があった。
 目の前へと、目を戻した。
 …山だった。
 左右に、目をやった。
 …山。
 気が、遠くなった。
「ピュラ、きょろきょろしてどうしたの?」
「…セルピ…、短い人生だったわね…」
「うにゃー?」
 いささか遠い目で青い空を見上げながらピュラは呟く。
 途方に暮れるとはまさにこのことなのだ、と虚しい発見もしていた。
「はあ…こんなことになるんだったらもっとおいしいものとか食べたかっ」
「あったーーーーー!!!」
「えっ!?」
 突如の叫びにピュラは声の元を辿ろうと辺りを見回した。
 すると空高くにいたクリュウが飛んで戻ってくる。
「あった! あったよっ!」
 どうやら不安に耐え切れず、上空へと飛んで周辺を見下ろしたらしい。
「ほんとに?」
「うん、すごい大きな都市だった」
「……都市ぃ? まだそんな原型とどめてるの?」
 ピュラが聞き返すとクリュウは大きく頷く。
「ナチャルアは石工技術が発達した都市だから、随分丈夫なんだよ」
 横でセルピがその博識ぶりを発揮してくれていた。
「へえ…で、どっちにあるの?」
「こっちだったよ」
 ほっと胸を撫で下ろすと共にクリュウがいてくれてよかったとピュラは思う。
 彼がいなければどちらにいっていいかもわからなくなっただろう。
 …もしかしたら、それも聖職者たちが行う修行の一環だったのかも、しれないが…。
「これからもいいパシリになるわ」
「え?」
「ううん、こっちの話よ。さ、行きましょ?」
「うん……?」
 辺りに広がるのは一面の草原、そして山だった。
 何処からか生まれた風がそれらを撫でるようにして通っていく。
 ピュラはその山の輪郭を視線でなぞり、その先へと足を向けた。
「迷ってなくてよかったな」
「でもなんでこんなに日数がかかったのかしら…」
 クリュウが騒ぐほどのまだ見ぬ遺跡にかすかな緊張感を覚えながら、考え込む。
「ほんとによかったねー」
「あんたが不穏なセリフをぶちかますからいけないのよっ! 全く、こんな場所で迷ったら本当に途方にくれるわよ…」
「えへへ……ね、はやくいこうっ!」
「はーいはい」
 先ほどから風が強くなってきているような気がしたが、標高が高いのだからと振り切っていた。
 それよりも、標高の高さが辛いのは、酸素の薄さによりすぐに息が切れることだ。
 長くいれば多少は慣れるものの、さすがにいつも通りとはいかなかった。
「それにしても…クリュウ、その都市ってどれくらいの規模だったの?」
「すごかったよ。大きな町が二つくらい入りそうだった」
「そんなに!? なんでこんな辺ぴなところにそんな大きなものがあるのよ…」
「うーんと、いろいろ説はあるんだけど〜、」
 横から口をはさんだのはセルピだった。

 古代都市ナチャルア。
 今は廃墟と化してしまった無人の町。
 ミラース有数の遺跡であり、そして数少ないミラース暦が始まるより前から存在していた都市だ。
 石工技術の発達した都市ではあらゆるものが石で作られ、文明は進み人々は華やいでいたという。
 そんな技術者たちは、自らの力を他へと流出させないようにこんな場所に完結した都市を作ったといわれている。
 また、ある説では、この都市自体が一つの神殿で、当時の宗教の聖地だったのではないかといわれる。
 そして、戦争の中から逃れるためにこんな山奥に都市を作ったという説も、また存在する…。
 それらの真実は覆い隠されたまま、ミラースは今日に至っていた。
 もちろん考古学者でナチャルアを調べる者は数多い。
 しかし、ナチャルアは聖なる地とされ、代々その地に住む守人によって中への侵入が防がれている。
 その守人はどんな報酬をだそうと他人を中に入れることはせず、またその地についても一切口を閉ざしたままだったという。
 無理に入ろうとすれば守人の扱う魔法で追い払われ、結局誰一人として中に入った者はいないとされる。
 この都市は一体何を守っているのか…。
 ただ、一言だけ守人は言ったという。
 古代都市に守られ、そして古代都市を守る守人は…。

 ―――生そのものを司るこの地に、死を与えることは許されない、と…。

 こうしてナチャルアは生を司る遺跡として知られるようになったという。
 何があるかもわからない、何故守人がいるのかもわからない、誰にも触れられることのない都市は…。
 今日も、その姿を風にさらし、守人がたった一人でそこに住んでいるという…。

「………よくそんなちっこい頭で記憶できるわね…」
「うん、史学は好きだったから」
 にこっと笑ってセルピは空を仰いだ。
「でも来るのははじめてだよ。どんなところなんだろう」
 山を登り続けて、いよいよ見える空は広くなっていく。
 風がその斜面を滑るように駆け抜けていった。まるで旅人たちを誘うかのように…。
 一歩、また一歩とその山の頂上が近付く。
 なにかの緊張感に胸がうずくのを感じた。もうそれはすぐそばに…。
 そして、空が四方八方に飛び散る、場所…。
 ふと、スイが足を止めた。
「………、」
 続いて、ピュラたちも足を止めた。

 ―――ぶわ、あ……っ……

 息が、詰まる。
 まるで多くの山に守られるように囲まれた、空間。
 霧か雲がわずかにかかる目前の山。その背景には、あまりにも広大な森、森、森…。
 そして、眼下に広がる石造りの都市―――。
 時が経つにつれて草と苔に覆われ、半分は自然と同体しているものの…。
 古代都市ナチャルアは確かな威厳を持って、空間となっていた。
「……すごい…」
 ぽそりとピュラは呟く。
 山に囲まれて今まで見れなかった視界が突然開けたからだろうか。
 あまりにもあまりにも、広い…。
 雲はそんな山々の間を縫うようにして流れていく。
 確かに、この地では時が動いている…。
 しかし誰もが、時を古代に戻してしまったかのような錯覚に陥っていた。
 それまでに眼下の空間はその広大さを彼らに焼き付ける…。

「…これが古代都市ナチャルア…」
「すごいや、石だらけ…」
 今いる丘から随分下に下った場所に、その都市はあった。
 しかしそれを下ることにすら抵抗を感じる。
 この美しい都市を踏みにじってはいけないと、本能が叫んでいるのだろうか…。
 周りの深い森の中、その都市だけが草原となって明るいイメージを放っていた。
「…下に下って、入り口を探さないとね。そうすればそのナナクルって人に会えるでしょ」
 一同は戦慄に似たものを感じながらゆっくりとその丘を下っていく…。


 ***


 丘を下るのにも随分時間がかかったように思えた。
 あまりにも大きな都市は、近付いているように見えてまだまだずっと遠い。
 しかし一歩一歩足を重ねるごとに、その細部が目に映るようになる。
 不規則な形の石を積み上げられて出来た家や石垣。しかし床は石ではなく草原になっている。元は石畳だったのだろうか…。
 きちんと石を削って作られた水路や壁。一体いくつの岩が使われたのだろうか。そしてどのようにしてこれだけのものを作ったのだろうか…。
 風がごうごうとうねりをあげて耳を打つ。空は快晴にいくつかの雲、そして眼下にもまた、雲…。
 それは大地というよりも空間と言ったほうが正しいかもしれない。
 全てから隔離されたこの地は、確かな威圧を持って佇んでいる。
 気の遠くなるような、こんなに石の間に草が生えるような時を、無言で過ごしながら―――。
「塀が高いわね…入り口は何処なのかしら」
 やっと目の前までたどり着くと、そこに佇んでいたのは重く佇む塀。登れるような高さではないだろう。
 こんこん、と一つが彼女の胴体ほどもある巨大な岩の塀を叩きながらピュラは首を傾げた。
「…ここ、裏手なんじゃないか?」
「え?」
「道を間違えて遠回りをして、裏にでたんだと思う」
「ああ、そうかもね…、……?」
 ふっとピュラの動きが止まった。
「ってことはもしかしてもしかすると…」
 クリュウがばつが悪そうに首筋をかく。
 …そうして、重くのしかかろうとした沈黙の雲を吹き飛ばすのはこの中で一人しかいなかった。
「うん、ぐるっとまわらないとダメみたいだねっ」
「うそーーーーーっ!!」
 噴火したような絶叫が山彦になって飛んでいく。
「こ、こんな大きな都市を塀伝いに歩いてったら日が暮れちゃうじゃないっ!」
「だからその分三日も遅くなったんだと思うよ…」
 はあ、とクリュウは重い溜め息をつく。
 風が揺らめいて髪が揺れた。
「あー最悪よ……仕方ないわね、行かないと――――、」


「―――っ!!」

 瞬間に感じたのは、空気が汲み取られる流れの動き。
 風が、何もかもを揺らす風が、収束されていく―――。

 ―――ごうっっ!!!


「きゃっ!」
「ピュラっ!!」
 ピュラは思わず数歩飛ぶようにして後ずさる。
 彼女が行こうとした先には空気の刃によってつけられた傷が生々しく跡を残していた。
 残り風で切り刻まれた草が舞い、その匂いが鼻腔をくすぐる。
 一気に頂点まで達した緊張に4人は固まってその風が来た方を見上げ―――、
 思わず太陽を背にした姿のまばゆさに目を細めた。
 影が、ひとつ…。
 それは逆光となりシルエットとしてしか彼女たちに見ることは出来ない。
 しかし、それでもピュラは反射的に叫んだ。
「な、なにすんのよっ! 危ないじゃない!」
 その影は、塀の上に立ってピュラたちを見下ろしていた。

「わざわざ入り口に赴く必要はない」

 言葉を発したのが影だということに気付くまで、数秒を要した。
 …しゃらん、と涼やかな音が鳴る。
 それと共に影が…ゆっくりとその形を傾けた。
 ―――すとんっ!
 軽い身のこなしで、目の前まで飛び降りてくる。
 腰まである三つ編みをした髪が、続いて背中に着地する。
 そうして立ち上がると、強い眼光をたたえた瞳でピュラを凝視した。
 そこにあるのは、侵入者への明らかな不信感…。
 …逆にピュラたちの方は、露になったその姿に呆気にとられていた。
「……あなた、」
 風に髪が、なびく…。
 青緑を基調とした服に、それと同じ髪の色…。
 先ほどの涼やかな音をたてた杖は、驚くほどに長い。おそらく鳴ったのは先端に揺れる金属だろう。
 そして、その顔立ちも気高く鷹のように鋭い瞳を持ってはいたが…、

 そこに立っていたのは、ピュラよりも――むしろセルピよりも年下に見える少女、だった。

「……あなたが、ナナクル……?」

 その幼い少女の瞳が、まるでこの遺跡の全ての力を得たかのように深みを増していく…。


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