-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 五.眠れる古代都市
057.ナチャルアの守護者
標高の高い空気は、極限まで張り詰めていた。
そこにある古代の遺跡をそのまま具体化したような少女が、ひとり。
怖じを知らぬ鋭い瞳が、彼らを睨みつける。
…静かにゆっくりと、その小さな口が開いた。
「我が名はナナクル・ナチャルア。この聖域の守護者であり、この地へ入ろうとする冒涜者には何人たりとも容赦しない」
あまりにも広大な都市を背にして――。
彼女、ナナクル・ナチャルアは凛とした態度で言葉を続ける。
「この地に用向きがなければ今すぐに帰られよ。さもなければ……」
呟きと共に風がざわめく。
揺れた杖の飾りが涼しげな音を奏で、その場に現実とはかけ離れた雰囲気をかもしていた。
その様子には絵本か童話の中に入ってしまったと思えるかもしれない。
しかしそれはその圧倒されるような力がなければの話だったが―――。
刹那、ふわっと彼女を始点に緩い風が巻き起こる。
「こちらもナチャルアの名に懸けてこの身が朽ちるまで戦う!」
ぶん、となぶられた風が辺りを駆け巡った。
「ちょ…ちょ、さっきからなによ! こっちの話も聞かないで!」
そんな彼女に食って掛かるのはもちろんピュラだ。
ここまでの威圧を見せられても素でいられるのは、ある意味才能なのかもしれない。
だん、と風に負けずに一歩踏み出して大声を放つ。
「大体さっきのは何!? こっちが死ぬところだったでしょっ!」
「無礼者っ! 背後をとって遺跡に侵入しようなどとは言語道断! こちらの力を見せてやったまでの話だ!」
「はあ?」
ピュラが首を傾げる。
それが不機嫌な顔になるのには数秒もかからなかっただろう。
「あのねえ、入りたくて後ろから入ったんじゃないわよっ!! あんたに会う為にここまで来たの!」
………。
「……は?」
片眉を跳ねさせて、はじめてナナクルが止まった。
明らかにその顔に『?』マークが浮かんでいる。
そうして…ゆっくりと、各々を見回した。
ナナクルのそんな様子は明らかに動揺しているのが見て取れた。
…ピュラは、ひらめいた。
そして白い目で呟いた。
「あんた、私たちが遺跡の後ろから入ったってだけで遺跡を荒らすものと勘違いしたのね…?」
「…う…」
「早とちりだな」
スイの一声がナイフとなって無情にもぶすりとナナクルの胸に突き刺さる。
「…ぐっ、大体お前たちは何者なのだ! 何が目的でここに来たんだっ!」
先ほどの威圧は何処へいったのか、両手で杖を握り締めながらナナクルはわめく。
…負け惜しみにしか聞こえなかった。
「この遺跡になら私の探すものがあると思って」
「やはり遺跡が狙いだったのか!」
「最後まで聞きなさいッ!!」
ピュラの一喝でナナクルはむっとしながらも押し黙る。
「あとね、これ! あんたの仲間が託してくれたのよっ!」
そう言って、ポケットから首飾りを取り出した。
樹で出来た素朴な色合いの飾りは、陽を受けてきらきらと煌く。
「こっ…これは…!」
突き出された手から首飾りを受け取ったナナクルは驚愕に瞳を見開いた。
「な、何故お前たちが…! 何処でこれを手に入れたんだっ!」
「一々噛み付いてこないのっ! あんたに伝えることがあってここまで来たのよ!!」
「う〜〜っ」
ほぼパニック状態に陥っているらしきナナクルが唸る。
どうやら一度に多くのことを消化しきれないらしい。
その様子は先ほどとは打って変わって、まるで子供の仕草のように思えた。
そして、やっと彼女はだん、と杖を地に付きたてて声を荒げる。
彼女という彼女全身で、その疑問を叩きつけていた。
「お前たちは古の財宝を狙って来たのか!? それとも私に言付を伝えに来たのか!?」
…こういうときのピュラほど、正直なものはいなかった。
その鍛え上げられた腹筋で、彼女もまた叫んだ。
「両方よ!!!」
……。
ぽかん、とナナクルが呆気にとられたような顔になる。
…後ろの方でクリュウが顔を手で覆っていた。
虚しい風がひとつ、過ぎ去っていった。
……。
どうやら完全に脳内がショートしてしまったらしいナナクルは、固まるばかりだ。
ピュラは言いたいことは言ったのだと胸を張って堂々としている。
スイは相変わらず傍観者だし、セルピは笑顔で首を傾げていた。
そして全てから逃げ出したい気分でどうにか会話を繋げようとするのは、…やはり彼しか残っていなかった。
「あ、あの……ナナクル…?」
「な…、なんだっ!」
はっと我に返ったナナクルはとっさに睨み返す。
覇気はあるものの、既に少女としての可愛らしさに入ってしまうようなものになっていた。
しかしそれでも腰の弱いクリュウをおののかせるものとしては十分だったが…。
クリュウはわたわたとどもりながら、なんとか状況を説明しようとする。
ただ、やはり腰が引けていて表情はとてつもなく情けなかった。
「その…ぼ、僕たちはさ、えっと……」
何から話せばいいだろうか。
クリュウは言い出してから考え込む。
下手なことでも言えばこの一直線な少女に勘違いされて瞬殺されそうだったし、かといって救助を呼べるような人物もそこに居合わせてはいない。
…よくよく考えなくとも、頭痛がした。
とりあえず、まずは彼女にとって有利なことから話した方がいいかと思い、その方向に持っていこうとする。
「僕たちは旅の途中でネルナドさんに――――」
『お待ちなさい』
瞬間、ぼっきりと、クリュウの演説は完膚なきまでに折られてしまった。
かなり覚悟を決めて話し始めただけに、クリュウは思わずその場に崩れ落ちる。
「大丈夫か?」
「あんまし…」
スイの心配しているのかしてないのか分からない問いに、彼は再起不能のまま脱力していた。
「ちっ…チャカルさま…っ!」
それよりも先ほどより更に大きな動揺を見せたのはナナクルだ。
急におたおた足踏みをして背後の壁を振り返る。
―――ぽぅ……っ
「…え、」
ピュラの眉間にしわがよった。
「うにゃ?」
セルピが、首を傾げる。
「……」
スイは、無言。
「…っ、」
クリュウが、腰を抜かしていた。
―――とさっ、
『お話は伺いましたよ、遠境からはるばるようこそいらっしゃいましたね』
草原に降り立った、それ。
堂々とした風格に気品の漂う物腰。
どこまでも澄んだ、汚れのない瞳。
風が、たなびく…。
「……」
その姿をてっぺんから足元までゆっくりと凝視してから、
…ピュラは、客観的事実を述べた。
「…鹿だわ…」
「鹿だな」
「喋る鹿さんだね」
「僕にも鹿に見えるけど…」
ぶちん、と景気のいい音をたててナナクルの堪忍袋の緒がぶちぎれた。
「き、貴様…!! チャカルさまを侮辱するとは無礼甚だしいッ!!」
『ナナクル、落ち着きなさい』
「は、はい…っ、申し訳ありません…」
その鹿の囁くような一声で、ナナクルは口をつぐむ。
ピュラたちはもう一度、目の前のものに目を向けた。
…何処から見ても、鹿だった。
ただそれは普通の鹿よりも少し大きかったが…。
もしかしたら精霊の類なのかもしれない。クリュウの目に見えるのだから、純粋な精霊ではないだろうが―――。
『私の名はチャカル。ナナクルと共にこの遺跡を守る者です』
それは精霊が言葉を放つのによく似ていた。
口を動かせて話しているのではない。
空気を震わせずに、思念がそのまま言葉になるのだ。
そんなその動物はこのナチャルアの風貌にはふさわしいかもしれなかった。
『たった今、あなた方の心を覗かせていただきました』
「…は?」
ピュラが首を傾げる。
『あなたの呪いを解くためにこの地へ来たのでしょう』
「な、ななななな…なんでわかるのよっ!」
『心を覗かせていただきましたから』
動物に人間のような表情はない。
その鹿―――チャカルもその顔に表情を浮かべることはなかったが、声の調子で微笑んでいるように思えた。
『どうぞいらしてください、遠い地の客人たち』
「ちゃ、チャカルさまっ! この者たちを中へ入れるのですか!?」
『そうですよ』
それ以上ないくらいにあっさり言い放たれて、ナナクルは煮え切らない表情になる。
この少女の顔にその表情は、何故かとても子供っぽく見えた。
「え…、でもここは裏手」
『心配はいりません』
瞬間、ピュラたちは風を感じていた。
しかしそれは肌で感じるものではない。
体の中をそのまま風が吹き抜けていく感触。
「……っ、」
喋ろうとしたが、遅かった。
ぐん、と体が磁石のように何かにひきつけられる。
違和感が押しあがり、思わず口に手をやりそうになって…、その手すらないことに気付いた。
一瞬だけ感じたそれは、水の中にいるというのが一番正しいだろうか。
それも海底の奥底、その水圧に体が押しつぶされてしまうくらいに…。
そして、逃げ出そうとしてもがいた瞬間、一気に体は元の世界に解き放たれていた。
しっかりと大地を踏みしめている足。体の自由は全て取り戻されていた。
「………あら?」
ピュラは辺りを見回す。
全員、元と同じ位置に立っていた。
…否。位置は同じだが……、
そこは、さきほどの景色と変わっていた。
目の前に広がる都市…、石組みと草のコントラスト…、…つまりナチャルアの中だった。
「てっ…転移魔法っ!」
クリュウが裏返る寸前の声をだす。
「え、転移って…ワープってこと?」
「すごい高等魔法だよ…。妖精の女王様でも使うのが困難なくらい…」
『この遺跡の力を借りているだけです』
にべもなくチャカルは言って、背を向けた。
『こちらについてきてください』
既にその場所は石畳。
隙間ひとつなく削られて並べられた巨大な石。
それは剃刀の一枚すら通せないくらいに綿密に固められている。
そうでなければこの遺跡は今頃失われていただろう…。
光を湛えた緑と、重々しく佇む灰色の世界。
そして空には、見渡す限りの青の青。
ピュラたちはその雄大さに一瞬だけ目を奪われたが―――、すぐにその後を追った。
***
「…そうか…ネルナドが……」
守人の住処は、遺跡の片隅に佇む小さな石造りの家だった。
屋根は編みこまれた藁で出来ており、そして壁は全て変わらぬ石。
普通、石を何の接着剤もなしに積み上げただけでは片手で押しただけで崩れてしまうだろう。
しかしそれが崩れないのは綿密な計算によりバランスのとれた石組みで出来ているからだ。
そんな家の中で、テーブルの上の茶が暖かな湯気を立ち込めさせていた。
「わかった、確かに言付は承った」
ネルナドから預かっていた首飾りを握り締めて、ナナクルは強く頷いた。
少々その顔に幼さが見えるものの、そうやって決意する姿には紛れもない守人としての強さが伺える。
「必ずナチャルアはこの私が守る」
「よかったね、ちゃんと伝えられて」
「そうね。…でも、私にとっての本題はこれからなのよ」
ピュラはそう言いながら、左手首の包帯をとった。
そこに掘り込まれた、封印の文様…。
「これ、ここの知恵で治すことが出来るかしら?」
「無礼だぞ! チャカルさまにそのような口をきくなど…!」
「はーいはい悪かったですね。どうぞそのお力でこの呪いを解いてくださいー」
「この…からかっているのかッ!」
『ナナクル、声が大きいですよ』
「あっ…、も、申し訳ありません……」
ナナクルはおもしろいくらいに申し訳なさそうな声になる。
もしかするとこのチャカルという存在は彼女の親代わりのようなものなのかもしれない。
チャカルはゆっくりとピュラの腕に視線をやり…、言葉を紡いだ。
『もちろんその呪いを解くことはたやすいです。村に行けば名医が薬を作ってくれますよ』
「……村?」
クリュウが聞き返した。
「でも、この辺に村はなかったよ? …それに守人は一人って…」
「ここに住んでいるのは私だけだ。他の者は離れたところに村を作って住んでいる」
ナナクルが真実だけを淡々と説明する。
「え…、ずっとここに一人でいるの?」
セルピが聞くと、当たり前のようにナナクルは首を縦に振った。
「守人となる娘は12の時から30歳になるまで一人でこの地を守るしきたりだ」
「一人って…じゃあずっと家族に会えない…?」
「一年に一度だけ会うことが許されている」
それがどうしたといわんばかりにナナクルはそっけなく言い放つ。
暖かな茶を口に含む姿に寂しさという単語は全くといっていいほど似合わなかった。
恐らくきっと、彼女にとって遺跡を守ることが人生の全てだと思っているのだろう。
そしてそのことを心から誇りに思っている…。
「じゃ、その村に行けば…」
「待て」
「なによ」
ナナクルの遮りにピュラは怪訝な顔をする。
茶をもう一口飲んで、一息だけついて、ナナクルは顔をあげた。
「村の者に会うには試練を受けなければならない」
…一同の顔が……固まる。
「……は?」
『その意志の強さ。心の強さ。それさえあれば楽なことです』
「え、……一体なにをするのよ」
「この遺跡の中に入ってもらう」
……。
…。
全員の目が、点になった。
「えぇえええええ!!?」
何人かの声が見事にハモる。
『遺跡といっても、本堂ではありません。すぐに出られる地下道の方を通ってもらいます。己の力で通ることが出来たら合格と見なしましょう』
「そ、そこで何が試されるのよ…」
『強さです』
…きっぱりと言ってくれた。
「てかなんでそんな試練が必要なわけ…?」
「当たり前だろうっ! 物事は全て循環するものであって人との関わりもそれと同じ! こちらが与えるのならそれだけの強さがなくては恵みを受けることなど出来はしないっ! そのようなこともせずに我が民の地を蹂躙するなど」
「…ねえ、『じゅうりん』ってなに?」
「俺も知らない」
「僕も…」
「えっとねー、暴力や権力によって人のものをふみにじることだよ」
「へえ、ものしり」
「人の話を聞けーーーーーー!!!」
「大体あんたは言葉が難しすぎるのよ。もっとストレートに短く言った方がいいと思うわ」
「ふざけるなっ! ええい、これだから下界の者は…!!」
『ナナクル、落ち着きなさい』
「……はい……」
まだ心底煮えあがっている状態のようだったが、ナナクルはとりあえず口を閉ざす。
ピュラも一つだけ咳払いしてから、居住まいを正して言った。
「…それで、どうしてもその試練とやらを受けないと村の場所を教えてくれないのね?」
『そうです』
「わかったわ。受けてあげるわよ、その試練」
ピュラは彼女が思っているよりもずっとずっと、強い光を湛えた瞳で、チャカルを見据えていた。
『試練は連れの方も共に受けていただきます。よろしいですね?』
チャカルが一同に目をやると、各々頷くのが見られた。
『…それでは、ご案内します。ナナクル、行きましょう』
「はい」
ナナクルは歯切れ良く返事をして、立ち上がった。
それと同時に、ピュラたちも椅子から立ち上がった…。
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