-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 四.あたたかな雨
044.断罪、そして――
――クリュウ・ニルア・グ・エフェランス、そなたを還魂と移転魔法使用の罪で、300年の精霊界追放を言い渡します。なにか異存は?
――……なにも…ありません。
――わかりました。執行の明朝までここの監視下にいなさい。では裁判の終了を――――
――……めっ………だめです……っ
――なっ…こらさがれ! 神聖なる裁判の途中だぞ!
――え……?
――クリュウ……っ…クリュウ!!
――ティント…! だめだよ、裁判中は一般の妖精は入れな…
――女王様! 私が…私がいけないんです!! 私がクリュウを無理に誘ったから、だからあんなことに…!!
――ティント…。
――私が…っ、人間と関わったから…! それにアッシュは私を庇って死んでしまったんです!! 罪は私にありますっ!
――……。
――どうか罰を与えるのなら私に与えてください!! お願いします……
――…ティント、…いいんだ、もうさがって……。
――いや…いやだよ、そんなの…! だってクリュウは……っ、
――ティント。
――………え―――?
そのとき、またあの胸の痛みを感じた。
えぐられるような、それでいて突き刺さるような鈍く鋭い痛み…。
しかしそれでもなんとかして、表情を作って―――。
――――しかたないんだ。
自分でも驚くほどに、あのときの笑顔は自然に形作られた。
―――しかたないんだ…。
今でも覚えている、あのときのティントの、呆然とこちらを見ていた瞳を…。
***
…ピュラはふと辺りを見回して…、驚いた。
先ほどまでは数人しかいなかった精霊が、その場に何十人…いや何百人と、姿を現していたのだ。
精霊たちのもつほのかな煌きは幾重にも重なって、その場は夢の中にいるかのように光に満ちていた。
「…というわけ。だから僕は罪人ってこと」
クリュウは腰をあげて、静かに樹の根から離れる。
…そしてまだ黙りこくったままの一同に、笑いかけた。
「そんな神妙にならないでよ。確かに僕は同族にも会えないし、淋しい時だってあるけど……、」
暫くの間を…おいて、続ける。
「それよりも知ることが沢山あったから、…こうして外にでられてよかったって思ってる」
「…それで、その生き返らせた子っていうのは…」
ピュラの声に、クリュウは軽くかぶりをふった。
「森をでてからすぐにその町にいったんだけどね、もうどこにも見当たらなかった。その町は港町だったから、船でどこかに行ったのかもしれない…」
もちろん、それはまた死んでしまった可能性もあるということ。
あんな子供がこの灰色の世界で生きていくということは、あまりにも酷なものなのだから…。
しかしそれでも彼は信じている。
きっと、きっとあの少年がどこかで生きているのだと…。
そこには理屈も理由もない。独りよがりといわれれば、それまでの話。
ただ、己の300年という時間をかけた命なのだから―――。
だからきっと強く生きているという確信のようなものがあったのかもしれない。
「きっと、あの子は生きてるよ」
クリュウはその一つの迷いもない声で、言っていた。
すると静かに精霊たちがざわめく。
『あなたを』
『あなたがたを』
「……え?」
ピュラたちは視線を精霊たちに投げかけると…
『案内』
『案内します』
『ここからは』
『ここからはとても迷いやすいから』
「…え、ええ…」
精霊たちはピュラたちの前に集まって、各々身振り手振りで感情を表す。
「…なんていってるの?」
「案内してくれるっていってるわよ」
「ほんとに? …追い返されると思ったのに…」
クリュウが呟くと、精霊の一人がにこりと笑った。
『つみびと』
『罪人のにおいはするけれど』
『いやなにおい』
『いやなにおいはしません』
「………」
ピュラとセルピが、顔を見合わせた。
セルピの顔にはみるみる笑顔が戻っていく…。
「うん、そうだねっ!」
「え、何? 何がどうなったの?」
「代わりにあんたを鍋にして食べるってよ」
「うそっ!」
「嘘よ」
「……」
「はーいはい、私が悪うごさいました。さ、案内してくれるっていうから行きましょ?」
「ああ」
「あらスイ、珍しく寝てないじゃないの。明日は雪かしら」
「そうだな」
…スイに精神的ダメージを与えるのは無理に等しいようだった。
「ピュラっ、スイっ、見てみてっ! ほら、精霊さん!」
既に精霊を肩にのせたセルピがぴょんぴょん跳ねながら駆け寄ってくる。
「な…なんか、沢山いるみたいだね…」
「ええ、もう精霊だらけで樹が見えないわ」
「ほ、ほんとにっ!?」
「嘘にきまってるじゃない」
「……」
クリュウははらはらと落涙していた。
しかし、…しかし、だ…。
なんだか嬉しかったのも確かなものとして、そこにあったのだった。
***
「…にしても……」
ピュラは、思う。
心の奥底から、思う。
「……貴族にでもなった気分ね…」
精霊たちが前をたって案内してくれるのは、いい。
こんな場所で迷ったら待つのは確実なる死だ。そんな中でこんなにも心強いものはないだろう。
ただ、興味があるのか…、無数の精霊たちが横や後ろについてぞろぞろと歩いているのが、どうしても慣れなかった。
…むしろ、慣れたくもなかった。
人間はたったの三人だというのに、列はかなり長く繋がっている。
後ろを振り向けば…―――、その光景を説明するのも嫌になった。
精霊たちは実体の姿が不安定らしく、時折透けて見えたり、ふっと消えてしまうことさえある。
彼らは不思議そうな顔をしたり、笑顔をつくったりして跳ねたり走ったり、顔を覗き込んだりしながらついてくる。
…つくづく、奇妙な行列だと思った。
クリュウはそれが何も見えていないから、普通にスイの肩に腰掛けておとなしくしている。
セルピは完全にはしゃいでいるようで、精霊たちと戯れながら前へと進んでいた。
本当にこの元気は何処からでてきているのかと疑問に思ったが、聞く気力も勇気もなかった。
「…そうよ……本当なら私は今頃一人旅で気楽にあっちこっち行ける素敵な人生を歩んでいる筈なのに…」
…目の前には、普通見られないだろうどこまでも続く精霊行列。
ピュラは理想と現実のギャップに頭をかかえた。
「なんでこんな大人数で楽しく歩いているの…? 私の人生は何処にいったのよ…! 誰か本来の私をかえしてーっ!」
「ピュラ」
「なによっ!」
「落ち着け」
…ピュラのテンションは、奈落の底へと突き落とされた。
それからの樹海深くを進む奇妙な行列は、セルピのはしゃぐ声以外、完全なる無言だったという。
***
樹海の一角に、その休憩所はあった。
森に守られるようにして作られた、完全木造の家だ。
その家の横からは小さな崖から湧き水が零れており、湿度の高い空気に爽やかな音を与えていた。
「…ここが例の宿屋ね…」
既に、町をでてから8日が経過していた。
つまり、行列は8日間ずっと続いていた。
…ピュラは、いつもの軽く5倍は精神的に疲れていた。
「にゃー、つかれたよー」
…という割にぱたぱたと興味深げに湧き水の方へと走っていくセルピに、ピュラは小さく溜め息をつく。
「ほら、飲むんじゃないわよ。お腹でも壊したらどうする―――」
『この水』
『この水は綺麗です』
「……思う存分溢れるほどに飲んどきなさい…」
「わーいっ!」
「おや、旅人さんかい? ………あら?」
丁度その時、外の気配を感じた女主人が扉を開いて顔をだした。
…瞬間、空気が氷結した。
固まっているピュラとスイとクリュウ、セルピのまわりにたむろする、無数の精霊。
傍から見れば、冗談ぬきで超がつくほどに非日常的な光景だった。
臆病で気を許すことのない精霊がこんなに傍にいるということは、ただものではないことが一目瞭然だ。
はっきりいって、ここでピュラたちがもののけの類だと思われても、弁解の余地はないといえた。
「……ど、どうもよいお日柄で…」
…こんな時でも笑顔をひきつらせながらもそんなセリフがでるピュラは、そんな自分に拍手を贈りたくなっていた。
「こんにちはー! あの、一泊とめてもらえますか?」
…にこにこと首を傾げるセルピには、特大の拍手を贈りたいと思う。
「一人部屋と二人部屋だから…4000ラピスもあれば足りるか…」
…既に財布の中身を確認しているスイには、この際、花吹雪でも散らせてやれと思った。
「って、そんなこといってる場合じゃないでしょーっ! あ、あの女将さん、これには訳があって…」
扉から顔をだしたまま眼をぱちぱちさせている女主人だったが…、彼女はすぐににっこり笑ってみせた。
「あらあら、今日は千客万来ね。精霊さんたちも中に入ってよ、おもてなしするからね」
「え、あの…」
「どうぞ中にお入りくださいな。今、お茶をだすからね」
…ピュラは思った。
…この女主人には、拍手どころか頭上でくす玉を割ってやってもいい、と。
つくづく、最近出会うものは変わり者だらけだと思う。
「類は友を呼ぶ…」
…ピュラの思考を読んでしまったスイは、瞬間に右ストレートを頂いていた。
「…もう、なるようになれね…」
半分土に埋まっているスイと、それを助けようとするクリュウ、また興味深げにその様子を見ている精霊たちを置いて、ピュラは先に中に入っていった。
家は湿気を防ぐ為に床が高めに作ってあり、柔らかな暖かさがにじみだすような自然な作りになっている。
「疲れたでしょう、今お昼ごはんを作るからね。ちょっと食堂にでも座って待ってて下さいな」
「あ、ありがとう…。―――…あの」
「はい、なんですか?」
「…精霊たちがこんなにいるのに、驚かないんですか?」
…ピュラは素朴な質問を投げかけた。
……すると女主人は目をまたぱちぱちとしばたかせて、―――にこっと笑う。
「ここに長く住んでりゃ精霊見るのなんて日常茶飯事だからね。それにしても随分仲良くなったみたいだねえ、あの妖精さんのお陰かしら?」
「え、…まあ…」
「なにはともあれ、ごゆるりとおくつろぎ下さいね」
女主人は鼻歌交じりで奥へと入っていった。
「ピュラー、食堂ってあっちじゃないかな?」
セルピがピュラの服の端をくいくいと引っ張りながら指差す。
「そ、そうね…」
ピュラは軽い眩暈を覚えながらも食堂への扉へ歩き出していた。
***
その場は、密林。
「…壁がないわ……」
屋根はある。高床も、ある。
…しかし、その場には簡単な手すりしかなく、あとは元来た壁以外、三方向に密林が広がっていた。
ベランダが広くなったといえば、丁度こんな感じだろうか。
踏むとぎしぎし音をたてる木の床に、同じ木の机と椅子が並んでいる。
…この地ならではの食堂だった。
確かに、湿度の高いこの地域ではこんな風に半分外のような場所の方が湿気がこもらなくていいかもしれない。
「わー! こんな食堂はじめてっ」
セルピが走っていって、手すりから外を眺める。
「…ほんっと、世界は広いわね…」
ピュラは先に椅子に座ると頬杖をついた。
ちら、と視線を流せばテーブルの端に精霊の姿。
まだ幼いのか―――精霊に老若という概念があるのかは疑わしかったが―――その精霊は他と比べて小さく、仕草も子供っぽいところが見えた。
その精霊はピュラの顔をじっと見つめて…、ぺこりとお辞儀をする。
「ど、どーも…」
無視するのはなんだかいたたまれなくなって、ピュラも軽く一礼した。
するとセルピが振り返って首を傾げる。
「ピュラ、お見合いしてるの?」
「んなわけないでしょっ!」
「わーい、ボクもする〜!」
「あのねえ……」
そうこうしている間にスイとクリュウが入ってきた。
「あらスイ、生きてたの?」
「ああ」
「おいてくなんてひどいよ…」
「あら、人生は弱肉強食って知らないの?」
「はあ…」
気落ちしたクリュウがよろよろと飛んで机の端に座り込むと、先ほどピュラの一礼した精霊がクリュウに近寄ってきた。
もちろん彼にはその姿が見えないのだが、おかまいなしに精霊はクリュウの顔を覗き込んだり辺りをとことこ歩いたりしている。
「…なにやってるのかしら…」
「生贄みたいだな」
「そうね、いつか狩られるんじゃないの?」
「え、ええ? なにが?」
クリュウが少し慌ててたじろぐと、その精霊は小さな口を開いた。
『つらく』
『つらく、ありませんか?』
精霊は、クリュウの目の前で確かにそう言った。
わずかに首を傾げて、その大きな瞳をいっぱいに開いて。
「つらくないかって聞いてるよ?」
セルピがその言葉を代弁すると、クリュウは暫し目をしばたかせる。
『300年』
『300年も、危険な外界で』
『たった』
『たったひとり』
「300年も、たった一人で辛くないかって」
僅かの間の沈黙の後に、クリュウは小さく笑った。
「………ううん…」
自分で、左腕の腕輪を掴んで首を振る。
「最初に一人で旅を始めた時は、苦しくてしょうがなかったよ? それに今だって、まだ5年しかたってないから、先は気が遠くなるほど長いし…」
300年という時は、何人もの人間の寿命の先にある。
彼が故郷に帰る日には、もちろんスイもピュラもセルピも、いなくなっているのだろう。
…彼は、たった一人でそれを越えていかなければならないのだ。
「だけど、今は楽しいよ。大変だけど、少し辛いけど…」
前を向いて、真っ直ぐな声で、彼は言っていた。
そこにあるのは揺るがない、今までこの荒野を生きてきた強さ―――。
「でもそれ以上のものがあるからさ」
今は見えない、小さな同族にむけて。
そしてどこか遠くにある、あの故郷の森にむけて。
それが届くことを小さく祈りながら、言っていた。
自分の言葉で、強さで。
「だから、生きていけるって思ってる」
……小さな精霊は、ふわりと笑って頷いた。
―――まけないで―――
「…えっ?」
クリュウは辺りを見回す。
「今、誰かなにか言った?」
「ふぇ? なにもいってないよ?」
「おっかしいな…空耳かな…」
「はい、おまちどうさま。お腹減ったでしょう?」
「あ、女将さん」
「ほら、たんと食べなさいな。次の町まではもうひとふんばりだよ」
クリュウは、暫くそのまま動かずに呆然としていたが――――、ふいと笑みを漏らす。
「…………そうだね…」
「クリュウ、食べないの?」
「あっ、ごめん……って、僕の分まで食べないでー!」
「妖精なんだから一回二回食事抜いたって大丈夫でしょ」
「だから僕たちは精霊の中でも特殊だって…あー! 僕のソーセージー!」
…賑やかな彼らの横では、精霊が静かに微笑みかけていた。
Back