-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 三.秋の風を聞きながら

032.海の上での再会



 陽は橙色を湛え、大地を黄昏に染める夕刻の時間。
「ピュラーっ!」
 ぱたぱたと走ってきたセルピに、ピュラとスイは足を止めた。
「セルピ! どこいってたのよ」
「えへへ、遊んでたんだー!」
 体一杯で喜びを表すような仕草にピュラは思わず苦笑し……、ふと気付く。
「…そういえば、あなた花は? ついてないじゃない」
 セルピの黒髪には、既にカスミソウの可愛らしい飾りがついていなかった。
 するとセルピは至極の笑みを浮かべる。
「もうあげたよっ!」

 ………。

 ………。

 …沈黙。
 ピュラとスイは、顔を見合わせた。
 そして、セルピを見つめた。
「え、えええええ!!?」
「にゃ? どうしたの?」
 対してセルピは首を傾げるばかりだ。
「ちょ…、ちょっと待ちなさいよっ! 一体誰にあげたの!!?」
 まさか変な男に騙されてあげてしまったのではと思い、ピュラはセルピの肩を掴んで迫る。
 …が、セルピは変わらぬ笑顔で、平然といってのけた。
「犬さんだよっ!」

 ……。

 ……。

 …沈黙。
「あのねー、あのお花っていい匂いするのかな? 犬さんが欲しそうにしてたから、首にかけてあげたんだー」
「……あっそ…」
 顔をひきつらせるピュラを目の前に、にこにこと笑みを零しながらセルピはピュラの手を引っ張った。
「早く宿に帰ろう? もう夕方だよ。ボクお腹減った〜」
 はあ、とつかれた溜め息と共に、ピュラのテンションがまた一つ落ちる。
「はーいはい、分かったからまとわりつかないの。私もとっとと寝たいわ…」
「今日は色々あったからな」
「ホントよ…。…ところでスイ」
「なんだ?」
 ピュラは一呼吸おいてから、呟いた。
「クリュウは一体どうしたの?」

 ―――ぴたり。

 スイは、立ち止まった。
 つられてピュラとセルピも立ち止まる。
「うにゃ? どうしたの?」
 スイは、頭をかいた。
 夕日を見つめ、目を細める。
「ど、どうしたのよ…」
 ただならぬ雰囲気にピュラが恐る恐る聞くと、スイは腕を組んで、ピュラの方に振り向き、口を開いた。

「…忘れてた」

 ピュラは、こけた。

「な、なにやってるのよーーーっっ!! 一体何処においてきたのっ!?」
「今頃、地獄だろうな」
「はあ!?」
「おそらく宿屋だ」
「宿屋でなんで地獄なのよ」
「捕まったからだ」
「は? 誰に?」
「行けばわかる」
 そういって、スイはすたすたと歩いていってしまった。
 ピュラとセルピは顔を見合わせて、―――後を追った。


 ***


 ―――宿屋にて。
 かちゃ、と小気味良い音がして管理人室の扉が開くと、既にいつもの服に着替えたピュラが顔をだす。
「女将さん、服ありがとうござ―――」
 ―――止まった。
 ―――ものの見事に、止まった。
「にゃ? ど〜したの〜?」
 セルピが首を傾げてピュラと扉の間をすり抜け中に入る。
 スイはピュラよりもかなり背が高い為、ピュラの頭の上からその惨状を見ていた。

 ―――テーブルの上では、世界一哀れな妖精の少年が一人、真っ暗な顔で正座をしていた。
 否、そんなことよりも彼らを石化させたのは―――
「あれ? クリュウ、可愛い〜〜っ!」
「そうだろう? 私が腕をふるった服だからねぇ。ああ、もう今日が終わっちまったかい。お披露目できなくて残念だったねぇ」
 白のレースがついた、手の込んだワンピース。
 いたる場所につけられた、可愛らしい花の刺繍。
 そして、髪には小さな小さな一輪の白花。
 ―――クリュウは、ふりふりの可愛らしいドレスを着させられていたのであった。
 今までの、どんなものよりも重い沈黙が、一同を襲う。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……ぷっ」
 …が、数秒後、ピュラは文字通り爆発するのだった。
「あはははははっっ!!! ちょっとちょっとなによそれーーーっっ!! くっ…ふふふふっ!! あはははははっっ!!」
 対してクリュウは死にたい気持ちで一杯だった。
「クリュウ、可愛いね〜! 似合ってるよ!」
 セルピがぱたぱたと近寄って笑う。
 きっと本人は真面目に褒めてくれているのだろうが、今の彼にとってその言葉はどんな馬事雑言よりも勝るものであった。
「あのねっ! 僕は好きでこんな姿になったんじゃ…」
「確かに似合うな」
 …クリュウは、撃沈した。
「あはっ…お腹いたい…っ! あははは……っふふふふ…あははははははっっ!!」
「もうなんとでもいってよ…」
 うずくまって床を激しく叩くピュラにクリュウは涙目で呟いて、顔を背ける。
 全ての災いの種でもある女将は、持ち前の笑顔でぱんぱんと手を叩いた。
「ほら、もうすぐ夕飯の時間だよ。今日はスープがおいしいからね、もうテーブルで待ってなさいな」
「わーいっ! クリュウも行こうよっ!」
「僕は着替えてからいく…」
「あははは…そうね、早く着替えてもらわないと私が笑い死ぬわ…」
 ピュラはひくひくと肩を震わせながら必死で笑いをこらえている。
 …クリュウは、本気で泣きたくなった。


 ***


 一方、彼らがそんなことをしている間―――。
 かもめの鳴き声が高く響く港にて、いくつかの影が揺らめいていた。
「明日の始発? えーっと、朝の8時発の169便があるね。その次はもう午後の4時発178便になるけど」
「おう、なら8時発の方で予約とっといてくれよ」
「一人かい?」
「ああ」
「よし、わかった。名前は?」
 珍しい紫の髪に、整った顔立ち。手はポケットにつっこんだまま、その瞳を不敵にゆらめかし―――、
「フェイズ・イスタルカだ」
「…フェイズ・イスタルカ…ね。よし、確かに予約を受け付けたよ。明日はこのチケットを提示すれば乗れる筈だよ」
「そりゃどーも。ところでさ、ここらで赤毛でショートカットの、ガーネットピアスつけた16歳くらいの子、見なかったか?」
「はあ?」
 船乗りの一人は首をかしげた。そしてゆっくりと手を顎にあてながら記憶をまさぐる。
「…うーん、見てないなぁ。ほら、今日はお祭りで若いのが沢山でてたからさ。もしかしたら紛れてたかもしれないがな」
 そう言ってから、にやりと笑った。
「…もしかして逃げられた彼女か?」
 フェイズもまた、笑んだ。
「はは、そんなんじゃねーよ。ま、似たようなものかもしれねーが」
 背を向けてはらはらと手を振る。
「んじゃ、世話になったな」
 風で海が揺れる声が、妙に耳についた。
 夕日は優しく海を橙色に染め、そして彼の後姿さえも照らす。
「あ、そうだ」
 船乗りの声に、フェイズは歩き出そうとした足を止めた。
「その赤毛の子、結構目立つことする奴か?」
「そうかもしれねーな」
「今日、広場で女の子一人抱えて走っていった子がいてさ。その子、確かあんたが言ってたような子だったが?」
 人違いかもしれないがな、と船乗りが付け足すと、フェイズはその瞳の色を深くして、ふいと笑った。
「そうか、律儀にどーも」
「ああ、今度は逃げられないようにしろよ」
「ははは…せいぜい気をつけてやるよ」
 港の強い風に、その紫の髪が揺れる。
 フェイズは一人歩き出した。
 またかもめが強くいななき、空に張り詰めた声が響く。
 石畳をこつこつと鳴らし、彼は夕に沈む港を後にした。
 その胸に隠れた想いと記憶を抱きながら―――。

 背中では、橙色に染まった船が大きな汽笛をあげていた。


 ***


 ―――次の日のこと。
 4人の旅人たちは朝早くに既に旅支度を整えていた。
「よーし、やっと船に乗れるわね」
「8時0分発のネスト行きだったよね?」
「ああ」
「眠いよ〜」
「昨日あんなにはしゃぐからよ。ほら、早く行かないと乗り遅れるわよ? 次の船はもう夕方になっちゃうんだから」
「ふみゅ〜〜〜」
 セルピは目をごしごしとぬぐって頷いた。
「じゃ、行くとしますか」
 ひんやりとした朝の空気の中、ピュラはたんと地面を軽く蹴って歩き出そうとした―――時。
「ちょっと待ちなよ!」
 ばたばたと宿から女将が慌てながら出てきた。
「忘れ物!」
「え、なにか忘れましたか?」
 ピュラが首を傾げると、女将は手にしていたものを高々とかかげてみせた。
 朝日にてらされたそれは、どんな黄金よりも財宝よりも輝いていたような気が、した。

 ―――クリュウの、ドレスだった。

 ―――クリュウは石化した。

「ほら〜、せっかく腕によりをかけて作ったんだ。ちゃんと使っておくれよ?」
 そう言って、一番傍にいたスイの手をとってぽん、と渡す。
「うわーっっ!! なんでそういうことに…っていうかスイー! 普通に仕舞わないでよっ!」
「ほらクリュウ、朝から近所迷惑よ。女将さんにちゃんとお礼いいなさい?」
 女神のような笑みを浮かべてピュラが囁くと、クリュウの顔が更に情けないものになった。
「やだ、こっちが好きで作ったんだからね。着てもらえるだけでも嬉しいよ」
 にこにこと罪のない顔で笑いながら女将は手を振る。
「急ぎなさいよ、もうすぐ船がでちゃうじゃない」
「お世話になりました〜っ!」
「道中気をつけてね」
 セルピが手を降ると、女将も振り返した。
「ほーらクリュウ、行くわよ」
「う、うん……」
 精神的に瀕死状態のクリュウは空中でよろよろと浮き沈みしながらついていく。
 最後まで女将は持ち前の笑顔で手を振っていた。

「イザナンフィ大陸のネストに一度降りて、またすぐに船ね…。ざっと一週間くらいかしら」
「わーい、お船〜!」
「一々騒がないの。はあ、しばらく都会ともおさらばねー」
「イザナンフィ大陸もディスリエ大陸もまだ開拓途中の地域だからな」
「ちょっと気が重いわね…」
「そうだな」
「にゃ? どうして?」
「あのね、これから行く場所に住む人たちにとって、私たち旅人はあまりいいものじゃないのよ」
 腰に手をあててピュラは深い溜め息をつく。
 そう、旅人たちは生きるために旅をするのだ。そして彼らはギルドで仕事を得て、金を稼いで明日へと命を繋ぐ。
 しかし国営ギルドの仕事はそのほとんどが貴族からの依頼である。開拓の為の魔物討伐、ウッドカーツ家にたてつく盗賊の殲滅、―――貴族に害のあるものを、なにかしらの理由をつけて金をだし、旅人たちの手にかけさせる…。
 それが、ウッドカーツ家を憎む者たちにおいては良いものとして捉えられるわけがない。
 そしてウッドカーツ家を憎む者は、今いる大陸にある聖都リザンドから離れれば離れる程、その貧しさから多くなっていく。
 得にこれから行くディスリエ大陸やイザナンフィ大陸では、そんな旅人たちへの偏見も強いと聞く。
 …ピュラは頭痛さえ感じてこめかみを指でもんだ。
「ほんとに大丈夫かしら…」

 ―――港につくと、波が朝日に照らされてきらきらと揺らめいていた。
 チケットを手早く買って、タラップを踏んで船へと乗り込む。
 ちゃぷちゃぷと音をたてる海を下に、船の床を踏むと陸のものとは違った不思議な感覚が足をつたった。
「チケットのご提示を」
 横からの船乗りの声にピュラは3人分のチケットを見せて、かわりに船の簡単な地図を貰った。
「お客さんは二等客室ですから第二下層の207号室と208号室をお使いください。食事については船員が呼びにきたら食堂に来て下さいね」
 さらさらと言いなれたセリフを並べ、その男はにこりと笑ってみせた。
「では、よい船旅を」

 潮風に髪をなびかせながら、ピュラは歩いたまま地図を開く。
「私とセルピが207号室、スイとクリュウが208号室ね。」
「次のネストの町まではどのくらいかかるの?」
「四日でつくでしょ」
「いーや、この船は図体に見合わず結構早いぞ? さっき聞いたんだけどさ、三日後の朝にはつくってさ」
「へえ、そうなの」
 …10秒後、ピュラは地図に目を落としたまま立ち止まった。
 突然のことに、後ろを歩いていたセルピが思いっきり背中にぶつかったが、…それどころではなかった。
「………え?」
 最悪な予感を胸に地図から顔をあげると、

 ―――フェイズが太陽のような笑顔を浮かべて、目の前に立っていた。

「はれ? あっ、あのときのお兄ちゃん!」
「やーやー、久しぶり。元気だったかー?」
 ピュラの口が、半開きにて止まった。
「あっはっはっ、運命の女神さんが味方してくれたなー。どうしたピュラ、感動で声もでないか?」
 …その言葉にぷちん、と音がしてピュラの中の何かがきれる。
「あのねぇっ!! 馴れ馴れしく呼ばないでっ!! ていうかなんであんたがここにいるのよ!」
「偶然だろぉ偶然。ほら、奇跡ってやつは起こっちまうもんなんだよ」
 確かに、フェイズがピュラを追ってきたなどはありえない。ピュラたちはアモーテの町から地下水路を辿って行ったのだ、フェイズには彼女たちがどこへいったのかなど知る由もないだろう。
 どの面から見ても、この再会は偶然としか呼べなかった。
 フェイズはピュラの後ろにいるスイを見ると、軽く目配せして首を傾げる。
「おっと、こりゃお邪魔だったかな? じゃ、ピュラ、また後で一緒にお茶でもしような」
「お断りするわっ!」
「そりゃー残念。仕方ない、明日に伸ばしてしんぜよう」
「〜〜〜っ!! スイ、クリュウ、行くわよ!」
 そう言ってむんずとセルピの首根っこを掴んでつかつかと歩いていってしまった。
 スイとクリュウもなしくずしについていく。

 汽笛が鳴り、船の出港を知らせた。
 威勢のいい声があちこちで張り上げられ、帆があがり、風を一手に受けて船が動き出す。
 碇が外され、港に固定されていたロープも解かれ、船はゆっくりと陸から離れていった。
 船乗りにとって出港直後の仕事は多い。甲板を、日に焼けた船乗りたちがばたばたと走ってそれぞれの仕事をこなしていく。

 ピュラたちの後姿を見送った後、フェイズはそんな甲板にてぼんやりと海を見つめていた。
「…スイ、――――やっぱりあいつか」
 ピュラの連れの一人の名を呟いて、ふいと目を遠ざかる陸へ向ける。
 髪をくしゃりとかいた。
「なんつー運命の巡り合わせかな……」
 はあ、と軽い溜め息を一つ。
「…ったく、連中に報告しねーと」
 ―――かもめが、空の高いところでいなないた。
 フェイズは一度だけ、空を見上げて、―――かすかに笑う。
 まるで少し淋しそうともとれる、不思議な笑みを―――。

 …数時間後、船から一羽の鳩が、大空にむけて飛んでいった。


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