-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 一.フローリエムの旅

009.旅人の日常



 ――誰一人として、その場を動くものはいなかった。
 そして、当の本人は……ふう、と息をついて、顔をあげ――首を傾げる。
「……どうしたの? 早く行こうよ、じゃないと魔法が解けちゃう」
 くいくいとピュラの服の裾を引っ張りながら、セルピの柔らかな声が森に響く。
 ピュラはたっぷり30秒制止した後、……ゆっくりと辺りを見回した。
 魔物が死んでいるのではない。
 『止まって』いるのだ。
「もしかして封印魔法……?」
 クリュウが呟くと、ピュラが怪訝そうな顔をする。
「封印って?」
「んーとね、これで大体10分くらいは動かないよ」
「身封じってこと?」
「うん」
 にこりと笑ってセルピは頷いた。
「セルピ……こんな高等な魔法使えたの?」
 流石のクリュウも半ば呆然としながら辺りを見回す。
「うん、これしか魔法使えないけど……」
 えへへと笑って頭をかく仕草は子供そのものだ。
「だからこんなところまで一人で来れたんだな」
「納得……」
 口元に手をあててピュラも頷く。
 見封じの魔法があれば追っ手も魔物も全てが止まってしまう。その隙に逃げれば全ての難を逃れられる。
 きっとそうしてセルピはたった一人で北から歩いてきたのだ。
「まぁつまり、早くここから離れた方が無難ってことね」
「うん!」
「よし、褒美として次の町ではアメ一つでも」
「しょぼいぞ」
「外野は黙っときなさい」
 ぴしゃりといわれたスイは肩をすくめて剣を鞘に仕舞った。
 いくら美しく銀の肌を煌かす剣でも、一度ボロボロの鞘に入ってしまえばすっかり目立たなくなるのは不思議なものだと思う。
 ピュラは苦笑まじりに、セルピの頭をくしゃりと撫でて歩き出した。
「ったく……ほら、行くわよ」
「うん!」
 屈託のない笑顔はとても14歳とは思えないし――、
 ――また、ここまでたった一人で歩いてきたものとも思えなかった。
 一体何処で魔法を覚えたのか、何故たった一人で南へ向かうのか、何を求めているのか、――よくよく考えれば何一つ分からない。
 しかし、この笑顔を見ていると――、何故かそんなこともどうでもよくなってしまうのだ。
 彼女の顔は、幸せそうだ。
 だから、これでいいのだと思う。
 うっそうと茂る森の中、旅人たちはまた歩き出す、……どこかへ続く、この道を。
 そしてそれが、旅人たちの日常。


 ***


 たんっ、たんっ、とスキップで軽快に進んで。

 どてっ!

 見事に樹の根につまずいて地面へとダイブする。
 見ていて飽きないことこの上なかった。
「うう〜〜〜」
「あんたねえ……ちゃんと地面見て歩きなさいよ」
「でもそしたら樹の幹につまづいちゃうよ〜」
「目は二つあるんだから、一つで下見て一つで目の前見なさい」
「かなり無理あるよそれ……」
 クリュウが呆れたように溜め息をつくが、セルピ本人は本気で実践しようとしているから怖いものだ。
「にゅ〜〜、難しいよ〜」
「出来たら見せ物として売ってあげるわよ」
「ひど……」
「あら、今に始まったことじゃないじゃない」
 ピュラは豊かな緋色の髪をかきあげる。
 今まで一人旅が長かったが、こうして大人数で旅するのも悪くないかと思う。
 ……いつか、また一人旅に戻るんだろうけれど―――。
 森は深く薄暗いが、息苦しさはなかった。
 足取り軽く奥へと進んでいく。
「ねー、ピュラ」
「何?」
「ピュラも南に行くんだよね?」
「北のはじっこまでは行かないわよ」
「にゅぅ〜〜」
「ピュラ、いじめるのも程々にしようよ……」
「はいはい、悪かったわね。で、続きは?」
「あのね、この大陸の南に行った後、どっかに行き先があるの?」
「あら話してなかったかしら」
「うん」
 ピュラは暫し考えた後、……頷いて笑った。
「ナチャルアに行くのよ」
「ナチャルア――って、ディスリエ大陸の?」
「そーよ」
「なにしにいくの?」
「荒らし」
 途端にクリュウが情けない顔をする。
「そんなあ……」
「他に何ていう言い方があるのよ」
「確かに」
「スイまで…」
「にょー?」
「まぁつまりね、聞きたいことがあるから聞きにいくのよ。教えてくれなかったら実力行使だけど」
 ぱきぱきと指をならしながらピュラはにっこり笑った。
「セルピはどうするつもりなの?」
 クリュウが聞くと、セルピはしばらく唸ってから――意を決したように頷く。
「うん、もうちょっと南に行って、色々なところに行ってみる。ほんとはね、探し物があるんだ」
「探し物? ……なにそれ」
 セルピは小さく笑って人差し指を口元に当てて見せた。
「えへへ、ひみつ」
「セルピちゃん、教えてくれない?」
「にゅー、ひみつだよー」
「……チッ、今日から晩御飯抜きね」
「いや〜〜」
「じゃあ今日の晩御飯はセルピの丸焼きに」
「それもいや〜〜」
「刺身の方が好みだ」
「あらスイ、いいアイデアね」
「にゃ〜〜!」
「あーもういじめるもの程ほどにしようよっていってるでしょーっ!」
「クリュウはカリッと、から揚げにするのが良さそうね」
「〜っ! 遠慮するよっ!」
 セルピはというと口元に両人差し指で、ばってんマークを作って断固黙秘状態だった。
 ちなみに自分が丸焼きや刺身にされるところを想像しているのか、既に涙目である。
 ピュラは思わず口元に笑みを走らせた。――ここまで遊べる相手に出くわしたのは初めてだ。
 ――否、ずっとずっと……記憶の彼方にそんな子が「いた」けれども――。
 ずっとずっと……そう、もうかすみ、色あせてしまった程の、――まるで夢のような記憶に……。


 ***


 ぱちぱちと焚き火が燃え上がる。
 それに照らされて、橙色に染まりあがった辺りの景色が浮かび上がっていた。
「ほらセルピ、風邪ひくからもうちょっと火の傍に来なさいよ」
「うん」
 パンをくわえたまま、セルピがピュラのすぐ隣まで寄ってくる。
 ピュラはふと振り向いた。
「クリュウは近くに寄らなくていいの?」
「え? あー……うん。ていうか近くによると危険」
「へ?」
 火から少し離れた樹の根に腰掛けたクリュウは苦笑する。
「僕は妖精だから――、妖精は樹の精霊の一種だから、樹と同じく火に引火しやすくって燃えやすいんだ」
「へえ、可燃性なのね」
「僕は薬品じゃないよ……」
「よし、次の町では火炎放射器でも買いましょうか」
「あのねぇ……」
「じゃ、ハエタタキでも」
「もう勝手にしてよ……」
 ――スイはというと、空を眺めていた。
 樹に囲まれて範囲は狭いが、……雲一つない美しい星空が広がっている。
 満月はもう過ぎたが、満月に近い月と星々が散らばっている光景は、エンゼルティアとは呼べなくとも文句なしに美しい。
「きれーだねー」
「そうね……」
「ボク、ついこの間までずっと一人で星見てたけど、皆で見るほうが楽しいねっ」
 至福の笑顔でセルピが呟く。
 美しい景色を一人で見る楽しさもある。
 しかし、何人かでも見る楽しさも、また一興――。
 それは全てに言えることなのかもしれない。
 愛する人を照らすために月になった天使は、未だ数多の旅人に灯火を与える。
 それは彼の望みだったのだろうか?
 永遠に地を照らし続け、ある意味苦しみから抜け出せずに……。
 寂しく大地を照らす月はゆるやかに冷たく、青白く。
 地上の灯火は橙に、小さく小さく――。

 旅人たちの日常は、その合間に静かに過ぎてゆく。


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