-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 一.フローリエムの旅

010.それぞれの想いを胸に



 ざわざわざわ――。
 ざわめきが消えぬこの町で、一際うるさく囁きが漏らされる、
 とある店の前に出来た人だかり――。
 ――だんっ!!
「ふざけるなこの青二才がっ! 連続勝ちなんて、絶対にイカサマぶっこいてるだろうッ!!」
「しかたねーじゃねーかオッサン、でるもんはでるんだから。イカサマっつったって第一、証拠ねーし」
 飲食店にて……どうやら賭博をやっていた二人が口論になったらしい、――あっという間に人が集まってくる。
「うるせえ! 何隠してやがるんだっ!」
「あーもうお嬢さん方が集まってきちゃったじゃないか。おや、そこのカワイコちゃん、後でお茶でもどう?」
 一人は中年の男で、もう一人は――赤紫の髪が印象に残る、青年だった。
「この野郎…ッ!! 人をおちょくるのもいい加減に――!!」
 刹那、誰かの悲鳴が走った。
 中年の男が懐から銀のナイフを取り出したからだ。
 ――ひゅっ!!
 突き出されたナイフは――空をかすめた。
「……ん? あ!? 何処いきやがった?」
「オッサン、後ろ後ろ」
「なっ!?」
 人だかりから歓声があがる。
 青年はナイフが振られた瞬間、一気に椅子から飛んで男の背後にまわったのだ。
 まるで動じていない態度でにこにこと笑ってみせる。
「全くもう、大人気ねぇなー。俺は暴力反対だぜ?」
「〜〜〜〜!」
 男は更に憤慨するが……既に人だかりは彼の味方になってしまっているようだった。
 確かに手をだしたのは男だった上、それをあっさりかわした青年に民衆の軍配があがるのは当たり前だ。
 男は立場をなくし、足音荒く店を去っていってしまった。
 一事件はこれで終わったとなると、人だかりが消えるのも時間の問題だ。
 そしてその後、青年は太陽のような笑顔を消さぬまま、さっそく近くの娘に声をかける。
「んー、君可愛いね。皆に美人って言われるだろ?」
 机の上にちらばったトランプのカードを指にはさんで笑う姿は、どんな娘もどきりとしてしまうだろう。
 美形ほど卑怯なものはない、……そういったのは誰だったろうか?
「ん? 名前? ――俺はフェイズさ。いい名前だろ?」
 それはアモーテの町のとある一日、昼前の出来事――。


 ***


「アモーテの町――だったわよね?」
「わー、綺麗だねっ」
 地図係のスイが町の入り口の看板を見て位置を確認している。
 ピュラたちはその間、門から中をちらちらと覗いていた。
 たいして大きくはないが、こじんまりとしていて可愛らしい町だ。人々の活気もあるし、旅人も多く見られる。
 そうこうしている内に、すぐにスイが地図を仕舞いながら歩いてきた。
「行くか」
「ここで明日まで休憩ね」
「わーい、宿屋ー!」
「ほらセルピ、走ると転ぶわよ」
 門をくぐり、暖かな夏の風を感じながら大通りをまずは歩いていく。
「さて、これからどうしましょうか」
「まずは旅用品の調達……」
「スイ、クリュウ、まかせたわよ」
 即答であった。
「そんなあ……」
 クリュウが情けない顔で肩を落とす。
「ボク、ドーナッツ食べたいなー、あとチョコとクッキーと……」
 セルピは想像でもしているのだろう、口元から今にもヨダレが垂れそうだ。
「私は久々の街だもの。色々店に入ってみたいわねー。スイは?」
「……鍛冶屋にでも」
 ――完全に、バラバラだった。
 改めて、本当に無節操なメンバーだと思う。
「じゃ、個別行動にしましょっか。一人で気楽にまわるのもまた乙なものだし」
「にゅー、皆一緒じゃないの?」
「あんたももう14でしょ。買い食いは明日にでも付き合ってあげるわよ、今日は一人で楽しんできなさい」
「う、うん! 頑張るー!」
 ピュラに諭されてセルピは拳を握りながら言った。
「それじゃー……そうね、夕方に食堂に集合でいい?」
「ああ」
「うん、わかったよ」
「うんっ!」
「よし、それでは解散としましょ」
 ぱん、とピュラが手を叩くと同時にセルピはさっそく露店に走り、スイとクリュウはすたこらと道を外れて歩いてゆく。
 その後ろ姿を眺めながら、ピュラは目を細めた。
 ――久々の一人だ。十分に満喫することにしよう。
 三人の姿が見えなくなると――ピュラもまた人ごみの中へと消えていった。


 ***


 風が吹き、流れゆくこと、――それは人ごみの中にいればわからないものの、閑散とした場所ではその小さな一つ一つの呟きまでもが耳に響く。
 そんな人通りも少ない道を、スイとクリュウは歩いていた。
「ふー、別行動で良かったね」
「……そうだな」
 彼らは人の目につく場所を嫌う――、だからこうして暗がりを縫うように今までも旅してきたのだ。
 遠い空の果てを見上げ、スイは目を細める。
 そろそろ季節は秋へと移ってゆく。みるみる彩度が落ちてゆき、流れるように冬の寒さへと変わってゆく。
 そして騒がしい者がいなくなれば、彼らのまわりは静寂に落ちる。
 気がついたらそこにいて、――また気がつけば消えているような、旅人に――。
「……クリュウ」
「なに?」
 ――暫く、沈黙が落ちた。
 街のざわめきすら遠くなり、まるでこの世に二人しかいなくなったような錯覚を覚えるような――。
 スイは視線を落として、わずかに首を振った。
「――悪い、なんでもない」
「――スイ……、」
 クリュウは瞳を伏せる。
 ピュラに出会ってから、――どこかスイの雰囲気が変わったのをクリュウは知っていた。
 何故目立つことを嫌うスイが彼女に声をかけたのかさえ――なんとなく、……なんとなくだが、分かってしまう。
 きっとスイは、戸惑っているのだ。その紺碧の瞳の、人に見えぬ奥底で――。
 誰にも見せない心の裏側で、彼は何も言わずに誰にも言わずに、一人で迷っている……。
 スイと出会ってもう2年になるか。
 小さな妖精の少年は、その小さな瞳で彼の強さも弱さも見てきた。
 そして、真実も。彼という真実も、彼はたった一人、知っていた…。
 決して彼は弱みを見せない。冷たくも見えるその瞳で、まるで風のように過ぎてゆく。
 だから、傷を癒そうともしない。ずっとずっと、あの日から血を流したまま――。
 壊れた時計のように、時が止まったまま――。
 だから――。
「――すまない」
 彼が何に謝ったのか、それすら分からなくても、
 ……クリュウはゆっくりと、かぶりを振った。


 ***


「お嬢ちゃん、一人かい?」
「ううんっ! ちゃんと連れがいるよ?」
 ――こう答えることが、気持ちいい事この上なかった。
 仲間がいること、連れがいること。
 姉のような人と、兄のような人と。
 ――誰かと一緒にいることの幸せを、初めて知った――。
 たっぷりとチョコレートが乗ったドーナッツを受け取って、セルピは満面の笑みを浮かべた。
 思わず屋台の男の顔もほころぶ。
「お嬢ちゃん、いい顔するねぇ。よし、これはおまけだ」
「わぁ、ありがとうっ!」
 ぴょんぴょん飛び上がって喜び、もう一つドーナッツを受け取った。
「その歳で旅なんて、大変だねぇ」
「ううん、とっても楽しいよ!」
 ぱくり、とまだ暖かいドーナッツをかじってセルピは笑う。
「はは、道中気をつけてな」
「うんっ!」
 ぱたぱたと駆け出してゆく彼女は、まるで天使のようだ。
 力強く大地を蹴って、髪を揺らして、飛ぶように去ってゆく。
 この灰色の時代の者には珍しい、生きた顔。
 屋台の男はそんな姿にそっと目を細めた。
 子供らしい屈託のない笑み、そして力を帯びた言葉。
 セルピは広場の噴水まで走ると、その縁に腰掛けた。
 空を見上げると、何処までも広がる快晴。
 風も太陽も、心地良い。
 人の流れ、時代の流れ、今までは全てを傍観していたけれど――。
 ……でも、今は違うのだから。
 違うのだから――。
 不意に胸をついた小さな痺れにも似た痛みに、セルピはふるふると首を振った。
 自分の意思で、想いで、ここまで来たのだから、
 もう絶対に後にはひかない。
 ……ひけない。
 だから、歩いていこう。どこまでも、どこまでも。
 進路は、南。
 南に、きっときっと、……探しているものがあるのだろうから。
 セルピはもう一度空を見上げ、――噴水の水音を聞きながら、そっと目を細めた。
 その見上げる先に想うははるか遠く、北の果ての青い空――。


 ***


 散々服店や宝石店を巡って、足が疲れたら近くの喫茶店でくつろいで。
 ――悪くないと、思う。
 一通り町を歩いて食堂についたものの、まだ夕刻までは少し時間があった。
 小腹がすいていることだし、先に何かつまんで待っていようかとピュラは中に足を踏み入れた。
 食堂の中は人がまばらに入っていて丁度心地良い。
 とりあえず紅茶と軽い菓子だけ頼んで、席に座った。
 窓から降り注ぐ光の線が、ゆっくりと橙色に染まってゆく。
 彼女のピアスは揺れてきらきらと煌き、……そんな彼女は頬杖をつきながら窓の外の夕日をぼんやりと見ていた。
 幾度となく燃え盛り熱くけぶる、――炎のような夕日――。
 煉瓦の壁にその影を落としながら、ピュラは目を細めた。
 ――すとん。
 頬杖をついていた手が、ふと離れた。
 すぐに横を見ると、……隣の席に、赤紫の髪を持った青年が座ってこちらをにこにこと見ている。
 どこか遊び人のような雰囲気を漂わせる、恐らくはスイと同じくらいの年頃の青年だ。
 ピュラの視線に気付いた青年は首を傾げた。
「あー、今の夕日を見てた顔、すっごく良かったのに。誰か待ってるの?」
 髪と同じ色の目が笑いかける……が、ピュラは一瞥するだけ。青年はわずかに首をすくめる。
「悪い悪い、不意打ちは卑怯だよな。俺はフェイズ・イスタルカっていうんだ。今のところ世界各地放浪中の身さ」
 彼の個人情報など、かなりどうでもよかった。
 しかし彼はどうも見逃してくれそうにない。その紫の瞳でピュラの顔を覗き込んでくる。
「んー、ご機嫌そこねちゃったか? でも名前くらい教えてほしいなあ」
 ピュラは視線すら合わせずに、夕日の方に向けたまま。
 本当なら顔面に鉄拳を入れて黙らせてやりたいのだけれど、
 ――彼には、隙がなかった。
 何処か、底知れぬ雰囲気を与えている。
 もしかしたら見かけによらず切れ者なのかもしれない。
 ある意味、他の者とは違う……得体の知れないところがあるのが、直感で分かった。
 だから今この場で彼を突き飛ばそうとしても――、そこらの下賎な者と違って何をするか分からない男には、断固黙秘しか逃げる道はない。
 ただ、もし彼の方から手をだしてきたら、どんなに彼が強くとも本気で戦ってやるが――。
「夕日が好きそうだね。君の瞳と同じ色だ」
 そう言ってフェイズもまた窓の外の夕日に目を向ける。
「ガーネットピアスの再生と幸福っていう言葉も君にぴったりだなあ」
 くすくすと笑ってフェイズは机に肘をつく。
「どう? ……まだ名前、教えてくれない?」
 ピュラは黙って紅茶に口をつけ――。

「ピュラー?」

 ブーッッ!!

 見事にピュラは紅茶を噴いた。
 がたがたと肩を震わせながら出入り口に視線を向ければ、――笑顔のセルピと、途中で会ったのだろうか、スイとクリュウ。
 フェイズの口元ににやりと笑みが走った。
「そうか、ピュラか」
「ピュラ、どうしたの?」
「セルピ……後で殴ってあげるから楽しみにしときなさい……」
「にょー?」
 フェイズはセルピの後ろのスイの姿を見止めると……、かたん、と席から立ち上がった。
「やれやれ、もうタイムリミットか。じゃ、ピュラ。また機会があったら」
「二度と会いたくないわね」
 彼は肩をすくめて笑ってみせる。
 不思議とやわらかな、……どこか奥の深い、そんな笑みを――。
「そう言うなって。運命の女神様がきっと俺たちをひきよせてくれるさ」
「それは残念ね。私は神とか信じない主義なの」
「大丈夫さ、俺がお前の分まで信じといてやるよ」
 最後にもう一度にかりと笑ってフェイズはピュラに背を向けた。
「それじゃーな」
 軽くスイに目配せしてから、フェイズは店を出ていった。
「ったく、なんなのあの人……」
 ぶちぶちと言いながらピュラはまた紅茶に口をつける。
「ナンパか?」
「ええ、それも重量級のね」
 はあ、と溜め息を一つ。
 胸の内でくすぶる何か――その正体を掴めるわけでもなく。
 まぎらわすかのように窓に視線を投げたが、夕日はもう、綺麗には見えなかった。


 ***


 食堂を後にして、一人。
 人ごみの中をすり抜けて、どこまでも……。
 フェイズは口元の笑みを隠しきれない――。
 もうそろそろ夕日も落ちるだろう。
 しかし心は躍ったまま、なにかを満たす充足感が心地良く感じられる――。
 口の中で、ぼそりと呟く。
「……ピュラ、やっと見つけた……」
 ポケットに手を突っ込んで、彼女の瞳と同じ色の夕日に目を細め……。
 紫色の影は静かに、ざわめきの中に消えた。


Next


Back