-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 一.フローリエムの旅
006.夕刻
スキップまじりに軽々と地を舞う影。
今にも天使のように空へと飛んでいってしまいそうだ。
豊かな深紅の髪が飛び上がるごとにさらりと舞い上がる。
「ふふ、懐があったかいって幸せね。今日は何処でどんな夜ご飯食べようかしらー。んー、もうちょっと路銀稼ぎにこの妖精を見せ物にするってのも悪くないわねー」
……天使の微笑みを浮かべながら言っていることは悪魔そのものだった。
その横で羽根をもがれた天使のごとく魂が抜けているクリュウと、その様子を極めて冷静に見ているスイが歩いている。
セビアのギルドにて、30万ラピスは全て彼女の手のうちに入ってしまった。
それにしてもあの差し出された賞金を音速もかくやと奪い取る素早さには呆然とするしかなかったが。
「んじゃ、私の呪いを解くにはどうすればいいか考えましょうか」
くるりとピュラは振り向いて、満面の笑みを浮かべる。
「ど、どうするって……」
「私は気が長いのよ。5秒待つから考えなさい」
滅茶苦茶だった。
「だってさ、そんな手がかりの一つもないんだし……」
クリュウが最もなセリフを言う。
ピュラの呪いについて、何からどうすればいいのかすら全く分かっていないのだ。
「でももうタイムリミットは始まってるのよ。ああ、こうもしている間に私の命が……っ」
よよよ、と目じりに手をあてるピュラ。本当に危機感はあるのだろうかとこちらが心配になってくる。
「あの、すみませんが」
ふと後ろからの声にスイが振り向いた。
蒼の瞳がゆっくりと細まる。
「あなたがたですか、ムラ・セン・カベッサを倒したというのは」
「……そうだが」
そこでやっとピュラとクリュウも気付いて振り向いた。
視線の先には黒髪のいかにも貴族の服を着た男が、優しい微笑みを浮かべている。
その男を見た瞬間、明らかにピュラの瞳が冷めた瞳へと変わるのを、クリュウは見逃さなかった。
「申し訳ありません、仕事を依頼したいのですが。――御足労頂けますかな」
まばゆく輝く陽はそろそろ、夕日と呼ばれるそれに変わろうとしていた。
Bitter Orange,in the Blaze.
一.フローリエムの旅
***
ギルドで仕事を請け負う以外にもう一つ仕事を得る方法。
それがこれだ。
貴族に直属で雇われこなす仕事。
その報酬はギルドで請け負うものと比べてケタ外れな量となり――大抵こなすのは名の通った旅人たちばかりであった。
「どうぞこちらへ」
豪華だが高飛車ではない上品な装飾がつけられた廊下を歩き、一番奥の部屋へと案内される。
案内人の男は軽く扉をノックした。
「ご主人さま、お連れ致しました」
「鍵は開いているからお通ししなさい」
「かしこまりました」
扉が開き、開けた視界と共に飛び込んでくるのは男と同じ黒髪の紳士だった。
真ん中の机に腰掛けて微笑みを浮かべている。
「ようこそいらしてくれました。さ、どうぞお掛けくださいな」
ピュラはきろりと視線をまわして…何も言わずにソファーに腰掛けた。
スイとクリュウもそれに続く。
案内人だった男は既に何処かへ行ってしまい、紳士はピュラの向かいのソファーに品良く腰掛けた。
「申し訳ありませんね、突然つれてきてしまって。私はエジプア・グィア・エスペシアと申します」
エスペシア、――その言葉に三人の眉が跳ねる。
……エスペシア家。北の大陸に大きな勢力をもつ貴族の家で、ウッドカーツ家の右腕とも呼ばれるほど格の高い一族だ。
今は北を中心とした世界中にその家の者が散らばり、民に睨みを聞かせているという。
エジプアはピュラたちの様子に苦笑した。
「いえ、お気になさらないで下さい。私は本家とは少々遠い親族で、血も薄いですからね。だからこんな南まで追いやられてしまいましたよ」
貴族特有の笑み――それはなんという言葉で表したら良いのだろう?
しかし、庶民のそれとは違うものだ。どこか余裕がある、見下すような笑み。
三人は表情一つ変えぬまま、目線で仕事の内容を促す。
「おっと、すみませんでしたな。話がそれてしまいました。それであなたがたの腕を見込んで仕事を依頼したいのですよ」
エジプアの瞳がゆっくりと細くなった。
「古代都市ナチャルアの財宝を、手に入れてきては頂けませんか?」
ぴん、とピュラの瞳が跳ねてもう一度エジプアを見つめなおす。
「ナチャルアは古くから、ある古代の遺品を封印してあるといいます。その力は絶大で、神にも匹敵するとか」
スイの肩に腰掛けていたクリュウの体は僅かに強張っていた。
「そんなものをナチャルアの民族たちにまかせては、いつ盗賊などに荒らされ悪用されるか分かりません。だからエスペシア家が総出でそれを守るために遺跡に入ろうと思ったのですが……、遺跡にはナチャルアの民族が立ちはだかっていて中に入ることが出来ませんでした。我々の力なら彼らを一掃することもできるのですが、それも倫理的にためらわれます。だから是非、あなたがたのような腕のある方にお頼みしたいのです。小回りのきくあなたがたなら、きっと財宝を手にできるでしょうから――」
ゆったりとした口調で流れるように言った後、エジプアは最後に付け足した。
「成功報酬は100万ラピスでどうですか?」
にこりと笑う。
何処が奥で何処が手前なのか、濁っているのか澄んでいるかも分からぬ瞳だ。
しかしその場には緊張が張り詰めたまま――。
ピュラは暫しその瞳を睨んだ後、……ゆっくりと口を開いた。
「お断りさせて頂くわ」
……スイもクリュウも、何も言わなかった。
エジプアだけが少し困った笑みを浮かべている。
「古代都市ナチャルアは大昔から力を封印していた土地。今更そこらの盗賊に財宝が奪われるわけもないわ。それに私は財宝が盗賊に使われるよりも『あなた方の誰かが血迷って』使わないかの方が心配よ」
ピュラの声は心底落ち着いていて、何の揺らぎもなかった。
暫く、重い沈黙がのしかかる。
そしてゆっくりとエジプアが口を開いた。
「…そうですか、非常に残念です」
また、その言葉にも何の揺らぎもなかった。
***
夕日で荒れた大地が橙色に染まりゆく。
深い深い橙、全てがそんな色に照らされる。
「私はねー、生まれてすぐキマージの孤児院に預けられたのよ」
照らされ染まりゆくのは彼女とて同じこと。
その横顔にガーネットピアスが美しく煌く。
「キマージ……」
スイが呟くと、ピュラは小さく笑ってみせた。
「ええ、知ってるでしょ? 私が9歳の時に焼き討ちにされたわ」
そうして、ゆっくりと目を閉じる。
「――エスペシア家にね。」
キマージは北東の地域にあった、大きくはないもののそれなりに栄えていた町だった。
瞳を閉じればすぐに浮かんでくる、沢山の風景……。
町の門の近くで橙色の草原を見つめながらスイは風になびく髪をそっと押さえた。
「別にエスペシア家が憎いわけじゃないのよ。それが私に与えられた現実なんだから、私はその中で生きていかなきゃいけないわ。ただ、それから……それまでも、かな。でもとにかく貴族が好きじゃなくて」
「最初から断るつもりだったんだな」
「ええ。…悪かったわね、すっぱり断っちゃって」
「いや、俺も断るつもりだった」
「そ、…なら良かったわ。あとでぶちぶち言われたらたまったもんじゃないし」
きらきらと夕日に照らされながら笑う姿は、世界を知ってしまっているのにそれでも煌く宝石のようだった。
…まるで、彼女のピアスのように。
どんな世でも、変わらぬきらめきを放つ宝石――。
決して彼女は己の故郷を滅ぼしたものに憎悪を抱くわけでもない。
ただ、どんな現実を突きつけられたとしても、強く強く、こうして生き抜いてきたのだ。
波に抗うこともなくしかし流されることもなく、彼女はその足でしっかりと立っている。
黄昏の、夕日の光に照らされて……。
「でもナチャルアに行くのは得策かも」
「……え、」
ピュラが振り向くと、クリュウは一度スイに目配せしてから頷く。
「ナチャルアは生を司る遺跡で、古代の知恵もあるだろうから…そこに住む人に聞けばもしかしたら呪いを解く方法もわかるかもよ?」
「ナチャルア……」
ピュラは視線を逸らしてその単語をもう一度呟いた。
古代都市ナチャルアは西の大陸ディスリエの南の山中深くにある遺跡で、遥か古代から独特の暮らしを続ける民が住む場所だという。
「なら行ってみる価値はあるかもね」
全てが橙色になる時間、…まるで草原は燃えているかのようだった。
熱い、熱い、灼熱の炎。
ばちばちと音をたてて橙色の火炎が燃え盛る。
火炎は強い光を放ち、激発する。
それはまるで橙色の地獄だった……、あの焼き討ちにあった日――。
「よし、じゃナチャルアに行ってみますか。異存ある?」
「別に」
「決定ね」
まだ世界は灰色に沈む。
憎しみが憎しみを呼ぶ、治安は荒れる、そして炎に包まれてゆく……。
しかし旅人はその中で、確かに生きていた。
その生は偶然と奇跡が重なっただけなのかもしれない。
ただ、彼らが生きていること、その現実に変わりはない――。
彼らはこうして、生きようとしているのだから。
空には雲ひとつとしてなく、ゆっくりと夜へと姿を変えてゆく――。
***
食堂にて、3人は机に広げられた地図とにらめっこをしていた。
「ナチャルアはこっから南に下ってフローリエム大陸南端の町に行って、船でイザナンフィ大陸に出てもう一度乗り換えてディスリエ大陸……、結構あるわね」
「しかもディスリエ大陸の南の方ってあまり開拓されてないから旅するのは結構キツいよ」
地図の端の方に座ったクリュウが溜め息をつく。
このセビアからナチャルアまではざっと3ヶ月といったところか。
ナチャルアの地方はウッドカーツ家の開拓の手も届かず、旅人たちの間で難所として知られる地域である。
人口も少なく、山奥は町さえ少ない。――考えるだけで気が滅入ってしまいそうだ。
「むー…………、ん?」
地図を凝視していたピュラの瞳が、不意にぴくりと動いた。
向かいの席に座ったスイの向こうを、一人の少女が危なっかしい手つきで食事を持って歩いている。
北の出身者の証でもある黒髪を3つに結い上げた…見かけとしてはまだ10歳くらいか、――着ている服からして旅人のようだ。
足元もよたよたしていて今にも転びそう――、
「ふみゅっ!」
「危ないっ!」
だんっ!
机に手をついて飛び上がった、ピュラの体がしなやかに宙を舞う。
そのあでやかな出で立ちに辺りの客から歓声があがる。
「………っと、大丈夫?」
「ご、ごめんなさい〜」
ピュラの体はスイの上を軽々と飛び越えて、転んだ少女が落としそうになった食事が乗った盆を支え、また少女も支える。
少女は最初は何が起こったのかわからないようで目を白黒させていたが……やっと状況が掴めてくると、ピュラから盆を受け取ってぺこりと頭をさげる。
「ありがとうございました〜」
「まったく……気をつけなさいよ。あなた連れは?」
こんな危なっかしい少女をひとりにするなんてよほど無責任な連れだろう。
「……え、」
すると少女はゆっくりとピュラの瞳を見て何度か瞬きをした後に、――首を傾げた。
「いない、けど……」
「―――は?」
少女はさも当たり前のことのように言う。
ピュラの目が、ものの見事に点になった。
ちなみに横でクリュウの顔も引きつっていた。
「わ、悪いけどもう一度聞くわよ? 今『いない』って言った?」
「え…? うん、そうだけど」
目の前の子は正真正銘の幼女。
そんな小さな子が、連れもなしで一人旅というのだ。
一瞬、自分の目か耳がどうかしたかと思う。
「……」
「うにゅ? どうしたの?」
呆然とするピュラの前で、少女はにこりと笑って平然と首を傾げていた。
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